|
ライト・スノウ
寒い冬の日。
「約束よ」
見上げる瞳は鮮やかな緑の双眸。
サラリと方から滑り落ちる銀糸のような髪をゆらし、光月羽澄は笑顔でその約束を取り付けた。
「クリスマスの二の舞は嫌だから」
しっかりと念を押すのも忘れては居ない。
それはまあ……時折うっかりしてしまう恋人への愛情表現。
「2月14日、忘れないでね」
楽しみにしていると解るその笑顔を、どうして忘れる男がいるのだろう。
それは、一月前の事。
バレンタインデーの前日。
服を選びや手作りチョコを作るのるが楽しくて、ドキドキ出来るのは恋する女の子の特権だ。
材料をそろえて準備を整えて、チョコレートのレシピにアレンジをくわえてみたりしながら出来た物を型に流し込む。
色々とチョコレートを作ってみて、一番綺麗にできた物を箱に入れ飾り付ける。
シンプルな包装紙は羽澄が好むものであったし、なにより渡した時に喜んで欲しかった。
シンプルな包装は大人の男の人が持っていても困るなんて事はないだろう。
「出来た……」
綺麗に出来た包装紙をテーブルの上に置き満足げに微笑む。
チョコは出来たが、まだやる事は残っている。
「あとは……服どうしよう」
クローゼットから服を出し選び始めた。
待ち合わせは明日。
短い時間で、やる事は山ほどあるのだ。
艶のある髪も、
爪を綺麗に整えるのも、
全部、一番の自分を見て貰いたいから。
そして当日。
待ち合わせ場所に立つ羽澄を見つけ、伊織が声をかける。
「待たせたか?」
「5分の遅刻よ」
「厳しくないかそれ?」
「ウソ、行きましょ伊織」
華やかで心が温かくなるような微笑みに、伊織も頬を緩めて一緒に歩き始めた。
「珍しいわね」
「けっこう考えたんだ」
普段とは違い、今日はコートの下にスーツを着ている。
「似合ってるわ」
「そりゃ良かった」
それから、伊織。
「あー、羽澄も可愛いと思うぞ」
やや照れたような感想は不意打ちのようなもので、思わず赤くなった顔をそらして誤魔化す。
「なにいってるのよ、伊織」
「嘘なんか言ってないだろ?」
確かにそれは事実である事は明白だと誰もが思った事だが、それを言っている伊織が笑っていたのでは当然の反応だ。
もちろんそれは自分ぐらいしか見れないだろう表情だからであるのだが、羽澄にとってはそれがどうしても大人の余裕にしか思えないのである。
「まだ時間に余裕あるからゆっくり行こうな」
二人で並んで歩く時に普段より遅いペースで歩くのは、きっと少しでも時間が長くなるように、かも知れない。
「……うん」
ただそこにいるだけで、幸せになれる時間。
こんなにも甘い関係なのはきっと今日がバレンタインだからだろう。
フワリとした空気が感じられる人混みの中に、羽澄と伊織も紛れていった。
それからしばらくして、伊織が案内してくれたのは表通りから離れた静かで緑の多い場所。
「ここだ」
看板もないその扉をくぐると着物を着た女性が丁重なお辞儀をし、席へと案内してくれる。
全て個室で部屋をわける木や内装も和風で統一されていて、澄んだ空気や落ち着いた風域がとても気持ちのいい店だった。
「こちらになります、どうぞごゆっくり」
腰を落ち着けた羽澄と伊織に、お茶を注いでから店員の女性が下がる。
「ここの店は相当こだわってるだけあって、宣伝とか全然しないで口コミだけでやってるんだ」
隠れ家のような作りはそのためだろう、一人一人丁重にもてなすという雰囲気が先ほどの店員からも伝わってきていた。
「いい所ね」
「気に入って貰えて何より。ここは魚も新鮮だし、湯葉とかも食べてみるか」
メニューを選ぶ伊織に、ふと考えたのが鞄の中に入っているチョコレート。
今渡したほうがいいだろうか、けどいざ渡すとなるとなんだか緊張してしまう。
今まで家族のような人たちや友達には渡していたのだが、これは意味が違うのだ。
好きの気持ちが入っている本命のチョコレート。
渡せばきっと受け取ってくれると解っていても、なんと言って渡せばいいかと考えてしまう。
「どうした、羽澄?」
「なんでもないわ」
「そっか?」
「そうよ、これとか美味しそうよね」
夕飯を食べ終わった後で、渡せばいい。
そう考えて、今は食事を楽しむ事にした。
メニューを選び伊織が注文してしばらく。
「お待たせ致しました」
運ばれてきたお膳の上に並ぶ綺麗な器と色鮮やかな料理の数々。
「美味しそうね」
「まずは、乾杯な」
飲み物をグラスに注いで、軽く乾杯してから箸を取る。
「いただきます」
箸を割り、タイのお刺身を醤油につけて口へと運ぶ。
「美味いだろ?」
「本当」
脂ののった刺身は本当に新鮮で美味しいものだ。
ふと思いついて、羽澄が伊織を見上げる。
「……お金、大丈夫?」
「まて」
これだけのセットなのだからと、もちろん冗談だ。
「大人の男の経済力を舐めるなよ」
「解ってるわよ」
クスクスと笑みをこぼす羽澄に笑い返してから、これもと進める。
「こっちの揚げ豆腐のあんかけそぼろ、ダシがきいてるから食べてみろよ」
「うん」
とろみのあるだしはカツオのいい薫り、グリンピースは目にも綺麗だし、さっぱりと揚げられた豆腐にほどよく絡んでとても美味しい。
他にも衣がからっと揚がった天ぷらや炊き込みご飯や煮物もどれも絶品だった。
「ごちそうさま」
箸を置いて、お茶で喉を潤す。
量もちょうど良くて、全部綺麗に食べられた。
「また来ような」
「楽しみにしてるわ」
会計を済ませ店を出てから、並んで歩く。
実は……まだチョコレートを渡せていなかったりする。
どうも、タイミングをつかみ損ねてしまったのだ。
普通に出してしまえばいいのだが、その普通が解らなくなっているから仕方がない。
いざ渡しているところを考えるとどうにも調子が狂ってして上手く行かないような気になってしまうのである。
考えてみれば、本命チョコレートは始めて渡すのだ。
これじゃいけないと思い、覚悟を決める。
「ねぇ、伊織」
「ん? あ、寒いのか?」
伊織は当然のようにマフラーを首に巻いてくれた。
思いついたように羽澄の頬に当てられた手は自分とはまるで違う手。
「冷たいな、もっと早く言えよ」
「……うん」
温かい手はポケットに入れていたからだろう、暖かい掌にすっかりほだされてしまって話にならない。
違うのだ、そうじゃなくて。
でも何も言えなくなってしまった。
「もう、大丈夫だから」
「そうか?」
赤くなった頬から、伊織が手を離すが、そのころにはもう続きをするのにも理由なく照れてしまう。
少し冷静になるべきなのだが、その切っ掛けを一度逃すと元のように戻るのは大変なのだ。
そんな時だった。
耳に届く、透き通るような声と周りから聞こえる歓声。
声も音楽も全て知っている物だった。
見上げた場所には、オーロラビジョンに映る天使の姿。
優しい音色はlirvaの新曲。
歌に会わせたプロモーション映像にうつる天使が金の髪をゆらし、青い瞳で優しく微笑んだ。
隣を見ると伊織も周りと同じように上を見上げlirvaの声に耳を傾けている。
lirvaと羽澄は同じ。
けれど、違う。
「私はここよ……」
小さな呟き。
声は誰にも聞こえる事はない、筈だった。
「そうだな」
伊織も小声で返して、羽澄の手を握り締められて思わず顔を上げる。
繋いだ手から伝わるのは熱と安心させるような力強さ。
「……羽澄はここにいる」
真っ直ぐに見つめる目が優しく微笑む。
声が届いていた事と、こんな風な表情が見れた事に少しだけ驚いて……羽澄も花が咲き誇るように優しく微笑み返した。
「これ……受け取って貰える?」
「もちろん、いつ貰えるかと思ってたんだ」
さっきまでの躊躇がウソのように、自然にチョコレートを手渡せた。
伝えたかったのは、好きという気持ち。
曲が終わり、天使の姿も青と白に解けていく。けれど、まるで映像の続きのようにフワリと降る白。
柔らかな雪は街を白く染め、恋人達に甘い一時を提供した。
|
|
|