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<東京怪談ノベル(シングル)>


人間交差点

「姉さんは、普段、何をやっているんだい?」

 最近、そんな馬鹿な質問を、この私にしてくる男が多くなった。
 律儀に答えてやる義理はない。私が何処で何をしようと、それは私の自由であるべきだ。
 私は曖昧に微笑んで、さあね、と、手短にはぐらかす。肩をすくめて、即答を避ける。それがお客だったら、曖昧な微笑を艶やかな色に変えて、内心はともかく、他愛ない会話を楽しむふりもしてやれるのだけど。
 私は芸者だ。宴席のもてなしのプロ。非現実を求めて訪れる客たちに、一時の華やかな夢を与え続ける。
 金欲しさに、付け焼き刃的な拙い話術を身に付け、若さだけを武器に体をすり寄せるような安っぽいバイトのホステスとは、私たちは格が違う。
 洗練されていなければならない。立ち振る舞いや身のこなし一つ一つに、「本物」の風を感じさせてやらなければならない。
 私たちには、和の花街の伝統を背負っているのだという自負がある。浅草名物にあげられるほどの、心意気。意気は粋にも通じるのだと言う。少なくとも、私の周りには、それが出来ない中途半端者は、ただの一人もいなかった。

「教えてくれよ。姉さん。美人の芸者さんの日常生活、ぜひとも聞きたいものだねぇ」

 ここは、お座敷。
 目の前の中年男は、客。
 一流芸者と三流風俗嬢の区別も付かない、愚かすぎる男。
 私たちは、芸は売るけど、肌は売らない。
 夢は見せるけど、春をひさぐことはない。
 
「そうですねぇ…………聞いたところで、退屈なだけですよ」

 仏心を起こしたわけではない。
 笑顔の奥で、相変わらず、私は毒を吐いていた。うるさい、黙れ、と。
 だけど、ある一つの悪戯が、心に浮かぶ。たぶん、この男にとっては、残酷な悪戯が。

 だってねぇ……あなたは知らなさすぎるもの。
 花街には、花街の律がある。古くからの戒めは、戦後に綻びながら付け足されてきた法なんかよりも、余程、私たちにとっては、重きを成すもの。
 教えてあげる。
 裏切りの罪深さを。
 浅草芸者の、その怖さを…………ね。





【日常風景】

 起床は、午前9時過ぎ。
 これは、あまり狂うことはない。目覚ましは一応9時ちょうどにセットされているけど、私は、大抵、二度寝に微睡む。
 のんびりと起き出して、やがてゆっくりと身支度に取りかかる。
 時間に急かされるのは、好みじゃない。仕事の時は割り切って勤勉に努めるけど、オフの時は、むしろダラダラと過ごすことの方が多かった。
「んぅ〜……」
 まだ眠いわ。
 低血圧、というわけでもないと思うのだけど、私は、どちらかと言えば、寝起きは良くない。そして、もっと悪いのが酒癖だ。飲んでいる本人は、とっても楽しい気持ちでいるのだけれど……全てが終わった後、台風が通過した直後のように荒れている現場を度々見せられては、自覚しないわけにはいかなかった。
 どうやら、私には、酒乱の気があるらしい。
「難儀なことよね」
 自覚はあるけど、改めるつもりは、毛頭無い。
 酒乱も、私の、愛すべき性癖の一つ。嫌なら近寄らなければいい。私の方から遠慮するなんて、まっぴら御免。自分を変えなければ付き合えないような友人ならいらないし、むしろ、はっきり、邪魔なだけだ。
「遅刻は……趣味じゃないわね」
 午前中は、三味線の稽古に費やす。
 東京でも屈指の花柳界が称される、浅草寺裏手「観音裏」。江戸の昔から続く風流が、未だ色濃く町並みに残っている。全盛期と比べると、それも衰えたという感は拭えないが、見番や料亭、置屋などの瀟洒な建物がずらりと並ぶ光景は、一見の価値ありだ。
 私の三味線の稽古場も、ここにある。
 つくづく離れられないのよね、と、思わず苦笑する。休みの日も、稽古と称して、私は頻繁に浅草に足を運んでいた。それが苦痛ではないし、それは自然なことだと心の底から思えるのだから、不思議なものだ。
 私は、この街が好きなのだ。
 華やかにして、どこか冷たい、花柳界の水。
 強かな女たちで溢れている。綺麗なものと汚いものが入り乱れ、雑多な中に、独特の文化を形作る。見た目の美しさほど、鷹揚な界では決してない。

「でも、ここが、私の故郷のようなものなのよねぇ……」

 稽古を終えると、昼は、置屋のおかあさんの所に顔を出す。
 早くも名指しで三つの座敷の予約が入っていた。
 若く美しい芸者は、当然、重宝がられる。芸者は見た目の美しさだけではなれない職業だから、老女もいれば、醜女もいる。幸いにして、私は、客のお眼鏡に十分すぎるほどにかなう容姿を、生来のものとして備え持っていた。
 芸事の腕も、話術の巧みさも、他の誰にも引けを取らない。酒癖の悪さを、宴席で簡単に披露するほど間抜けでもないし、気に食わない敵を水面下に蹴落としてやっても、それで心が痛むような馬鹿みたいな人の良さも、持ち合わせてはいない。

 私こそが、花街の女。

「そう言えば、知ってる? 奏子さん。…………ほら。あの子。死んだのよ。自殺だって……」
 芸者仲間が、声をひそめて、私に囁く。
 私は大して驚きもしなかった。
 この業界に限らず、珍しくもない話。男に振られた女が、自殺した。男の方は、遊びだったのだろう。のうのうと生きている。芸者を、どこぞのソープ嬢と勘違いしている男は多いのだ。
 手を出しても、良心は咎めないということか。
「別に、あの子と、親しかったわけでもないからね」
 姉さんはクールだもんね、と、芸者仲間が、不満そうに口を尖らせる。
 置屋は、その話題で持ちきりだった。
 色にも金にも厳しい、狭隘な、この世界。
 みな、他人事ではいられないのだろう。

 昼からの自由時間を存分に楽しんで、いよいよ、宵の口、支度を整えて、座敷へと上がる。
 私は三味線や囃子を担当する地方(じかた)だが、その時々に応じて、舞手である立方(たちかた)も勤める。
 三つのお座敷のうち、最後の宴席で、私は立方として舞台に立った。華やかな催し物が終わった後は、静かに上等の酒を楽しむ番だ。表面だけは恭しく取り繕って、私は、客の一人の酌に付く。
 風采のあがらない、中年男だった。酔っぱらうと口が軽くなるタイプらしく、聞いてもいないのに、自分がいかにもてるのかという事を、得意げに語っていた。
「他にも、何人かいい子を知っているけどね。君がダントツで一番綺麗だなぁ」
「ありがとうございます」
「…………これは本当だよ。それに比べて、あいつは……」
 憂鬱そうに口にした、その名。

「ああ、そうか……」

 今、目の前にいるこの男が、死んだ芸者の相手。
 散々貢がせて、挙げ句に孕ませて、見殺しにした、最低な男。
 笑わせてくれる。
 次なる華の相手に、この私を選ぼうなどと。
 私は、死んだ女と、決して親しかったわけではない。だけど、真実を知った今、哀れな仲間のために、一肌脱いでやっても良いという気にはなっていた。
 思い知らせてやるべきだろう。花街には、花街の律があるということを。
 相手の男だけが、一方的に悪かったとは思わない。けれど、一人は死んで、一人は楽しげに世を謳歌しているのでは、あまりに不公平すぎる。
 私に、誰かを裁く資格はない。正義を気取るつもりもない。
 そう…………これは、私の、自己満足。
 花街に生きる女として、花街の女を食いものにするこの男が、ただ、許せない。それだけだ。
 


 その後も、しつこく、男は私を誘った。
 何度も何度も。座敷に私を指名するだけならともかく、ホテルにまで私を連れ込もうとする。おかあさんが見かねて注意するくらいだから、男の執拗さは、明らかに異常だった。
 同じ芸者仲間が、心配して、頼みもしないのに夜の送り迎えをしてくれるほど。車でかっ浚われかねないとでも、思ったらしい。あまり常軌を逸するようなら警察にでも駆け込めばと、誰もが口々に言い募る。
 私は、ただ、それには曖昧な笑みを浮かべて、流し続けるのみだった。
 
 そして、ある日を境に、ぱたりと、男は姿を見せなくなった。
 
「素行の悪さが会社に知れて、辺境に左遷されたんだって」
「会社社長の、直々の命令だそうよ」
「二度と、この浅草には、来れないでしょうねぇ……」
「北海道の、何だか聞いたことのないような、小さな都市の支店長代理とか」

 当然の報い。因果応報。
 女を捨てた男が、今度は会社に捨てられた。
 上手くいったと、私は、誰もいない所で、声を立てて大笑いする。
 あの馬鹿な男が、せっせと私を口説いている間に、私は、あいつの最高の上司、会社社長を、たらし込んで味方に付けたのだ。十分に親しくなったところで、部下の悪行を散々吹き込んでやった。社長は、それはそれはお冠で、後は、もう、私が糸を引いてやる必要もなかった。
 
「面白かったわ。仇討ち」

 傍目には、非凡に見える?
 だけどね。これも、私にとっては、有り触れた日常風景の一つに過ぎないのよ。
 浅草の花街には、夜毎たくさんの人が訪れる。様々な想いが交錯する。花街は交差点なのだ。車ではなく、男と女が、縦横無尽に擦れ違う。

 例えて言うなら、そこは、人間交差点。

「さぁ、お仕事お仕事」

 今日も、平和な一日が、幕を開けた。