|
思い出のチョコレートケーキ
●12日、夜。
「みさ。私、何時もの通り、明後日実家に帰るけど……みさはどうするの?」
「……私は帰らないよ。 だって……まだ仲直りして無いもん」
一緒のベッドの中から、そんな言葉が響く。
ここは東京、とあるアパートの一部屋である。
そんな部屋の主は、進学の為に故郷の栃木から上京してきた、とある大学の教育学部三年生の杉森・みゆき。
そして今、彼女のベットの中で一緒に寝ているのは、彼女の妹の杉森・みさきである。
そんな彼女は、身をちょっと狭そうに動かしながら、目の前の姉に呟く。なぜならこの部屋は二人用の部屋ではない。最初はみゆきの進学の為に借りた部屋ではあるが、いつのまにやら岬が転がり込んできて、いつの間にやら二人暮しになっていた。
「そっか……だって……なんだ」
くすっと笑うみゆき。
何故こんな話をしているのか……それは杉森家のいつもの習慣が関係している。
彼女らの杉森家では、いつの頃からか、毎年バレンタインには、母とみゆき・みさきの三人でチョコレートケーキを焼いて、夕方仕事から帰ってきたパパを交えてお茶をする、という習慣がいつのまにか始まっていた。
その習慣は、みゆきが進学の為にこちらにやって来てからも習慣は続いていた。その為に、バレンタインの日の近い休日にみゆきは実家の栃木に帰省して、チョコレートケーキを作る。
しかしついこの間。みゆきの部屋に突然転がり込んできたのは、パパと喧嘩したみさき。まだ喧嘩している彼女は、勿論家に帰りたい訳は無く、意地を張りながらみゆきの家で夢を追いかけ続けている。
「うん……そうだみゆちゃん、こっちでもチョコレートケーキ作ろうよ。ね、もし余ったら、またおすそ分けしてもいいし、ねぇ〜?」
と猫なで声で話すみさき。
対してのみゆきの方は、そんな彼女の言葉をくすくすと笑いながら。
「みさき……最初っからあげる気なら、ちゃんとそのつもりで作ってあげれば良いのに……」
と、誰かさんの気持ちに気付かない妹の事を笑う。
勿論そういう感情に気付いてないみさきは、ぷぅ、っと膨れて。
「気持ち……? そんなんじゃないよぉ、だって……家に帰りたくないし、それに……おねえちゃんは何時ものように帰るんでしょ? みさもチョコレートケーキ食べたいんだもん。お姉ちゃんと一緒に、チョコレートケーキ食べたいんだもん」
とちょっと拗ねてみせるみさき。
そう、実の所彼女は実家を家出して、姉のみゆきの家に転がり込みながら、自分の夢を追い求める事に夢中だった。
そんな彼女の夢は、プロのピアニストになる事。その夢の第一段階として、今はそれなりに有名な先生の下に師事し、プロデビューを目差して日夜練習に明け暮れていた。
そんな夢を追い求めて一生懸命なみさきを、みゆきは怒る気になれなかったし、勿論家に帰そうなどとも思わなかった。
−−夢を追い求めるって、素敵なこと。
−−自分の夢に向かって一直線なみさを、護らなきゃ。
そんな保護欲からか、みゆきはみさきを温かく受け入れた。勿論父親、母親はこの事を知っているけれど、みゆきの下なら……という事で、今では事態を静かに見守っている。
「まぁ……分かったよ。私は14日に帰省するから、13日の夜に一緒に作ろうか。でも買い物も手伝ってよ? ただ食べてるだけじゃなくてさ」
にこっと笑いながら、みさきの提案に頷くみゆき。すぐにみさきの顔は満面の笑みに変わって。
「うん! 勿論だよぉ♪ 美味しいケーキの作り方教えてあげるねっ!」
「はいはい……宜しく御願いします。さてと、そろそろ寝るわよ?」
「うん! ありがとう、お姉ちゃん♪」
そう言いながら、二人は瞼を閉じる。
自然とみゆきは、妹のみさきをその腕の中に包み込みながら。
●13日、夕方
「えーっと……まずはチョコレートに、ケーキの生地になる卵と薄力粉とグラニュー糖……そうそう、生チョコのクリームなんていうのも美味しそう良いかも〜♪」
と、街の菓子店で、チョコレートケーキに必要な材料を購入している二人。
そんな二人を傍から見ると、どっちが姉でどっちが妹か分からない位、二人の姿は瓜二つである。
二人の身長も髪の色も、全く同じ。違う点はその服装と、胸の大きさ位。
服装を入れ替えれば、きっと逆にしても黙っていれば分からない、といった位だろう。
「うーん……でも、こんなに材料必要なの? ちょっと多く買いすぎじゃない?」
「えー、だって沢山作れたほうがいいでしょぉ? 大は小を兼ねるって言うもん♪ さーさー、まだまだ必要な材料はあるし、張り切って買いに行こう〜♪」
と、ケーキの材料を探すみさきの瞳は、とても嬉しそうだ。勿論、彼女が材料を多く買っているのは、パパやママに作る分のケーキの材料だっていう事は言葉にしなくても分かった。
言葉には出さないけれど、本当はパパとママの元に帰りたいのだ。でも、意地というものが、それを妨げている。
(「……みさの思いは、それとなく伝えてあげるからね……早く二人が仲直りして貰いたいけどな」)
などと思いながら、みゆきはみさきの後姿を追いかけていく。
そして家に戻った時には、既に夕陽も落ち、外は月明かりに包まれていた。
「ふぅー……すっかり遅くなっちゃったね」
「でも、これだけあれば絶っ対に美味しいチョコレートケーキ、作れるよ♪」
と、みさきは家に帰り着くなりすぐにケーキ作りの準備に取り掛かるのであった。
●13日、夜
「それじゃまずは、ケーキの生地作りからっ。チョコレートケーキだから、生地にチョコレートを混ぜるんだよ〜」
そして二人の夜のケーキ作りは始まる。
基本的にみさきが作り方をみゆきに見せながら、ケーキを作っていた。
チョコレートを細かく刻み、バターと共にボールに入れて湯せんをしながらゆっくりと溶かしていく。
そして湯せんから外したボールに卵黄一つを加えて、よく混ぜる。
一方のボールでは、卵白を一生懸命掻き立てて、メレンゲを作る。
メレンゲが出来たらば、上のボールにメレンゲを半分ずつにして加えながら、さっくりと混ぜ合わせていく。
次に薄力粉をふるいいれて、粉っぽさがなくなるまでよく混ぜて、そして方に流しいれたら180度まで暖めたオーブンに入れて、約30分間焼くのである。
勿論二人は、お互いに手分けをして作業をしていた。みさきが湯せんで生地を作っている時にみゆきはメレンゲを作るとか、オーブンの予熱をして置く……等だ。
そんな二人の共同作業で出来たケーキ生地……オーブンの中で焼けるそれを見ながら……みゆきはふと思い出す。
よくお邪魔する人形店の店主の姿。そして近付くはバレンタインデー。
(「……バレンタインデー……か……このケーキ、あげれば喜んでくれるかな?」)
と、そんな事を考えていると、軽快なチャイムの音と共に30分が経過する。
ミトンを使いながら、そのケーキ生地をケーキクーラーに載せる二人。
完全に冷ましてから、その方を取り外す……すると、綺麗に焼けたケーキ生地が、二人の目の前に現れる。
「わぁ、美味しそう〜♪ うん、頑張って作った甲斐があるね♪」
みさきはその出来に満足のようだ。勿論みゆきも、みさきの笑顔に合わせて微笑む。
「そうだね……これで生地は完成、と。あとはクリームだね。チョコレートクリームの作り方……は」
「大丈夫だよ、私がぜーんぶ覚えてるから♪ あと少し、頑張って作るぞ〜♪」
元気一杯にケーキを作るみさきの姿……それはその後のケーキを食べる時までずっと変わらなかった。
そしてケーキを食べ終えた後。目一杯楽しみながらケーキを作ったみさきは、早々とベットに潜り込む。
食べ終えたケーキを片付けながら、みゆきはみさきの寝言を耳にする。
「……むにゃ……パパ、ママ……私、立派なピアニストになるからねぇ……」
「……早く立派なピアニストになって、家に帰ろうね……本当は二人とも、応援してる筈だから」
と、みさきの頭を優しく撫でた。
●14日、朝
「それじゃあみさ。行って来るね。部屋の鍵持ってるから大丈夫だと思うけど……ちゃんと戸締りするんだよ?」
バレンタインデー当日。まだ寝ぼけ眼のみさきを横目に、実家への帰省準備を整えるみゆき。
対してのみさきの方は、寝巻き姿のままみゆきの姿をぼーっと追っていた。
「うん……行ってらっしゃい。明日朝には帰ってくるよねぇ? パパ、連れてきたりしないよねぇ?」
「みさ、大丈夫だよ……そんな事は絶対にしないから、安心して」
と微笑むみゆき。みさきはうん……と頷く。
ドアの前。みさきはみゆきに小声でつぶやく。
「……家に帰ったら、パパに一言だけ伝えて欲しいの。夢を実現するまでは,実家には帰らない。でも、みさはみゆちゃんの家で、一生懸命頑張っているから、心配しないで……って」
「うん、分かった。ちゃんと伝えておくね」
と、俯きながらのみさきの言葉に、みゆきは頷いて家を出ていく。
その手には、一つの小振りなケーキと、みさきの買ってきたケーキの材料が。
チョコレートケーキを作っていた時に、彼女の頭の中に浮かんだ彼の姿を思い浮かぶ。
「……ついで、というには遠回りだけど、傀儡堂にも届けて起こうかな。まだ電車の時間まで、時間があるし」
そしてみゆきは、よくお邪魔する人形店の方向へと足を進めた。
彼の事を、思い浮かべながら。
|
|
|