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<PCシチュエーションノベル(ツイン)>


変わらずに

【結珠】

 どんなに一生懸命その人のことを想っても、伝わらないことがある。
 決して、器用でも、要領が良いわけでもない、私。
 誰も傷つけたくないのに、上手い言葉が見つからない。
 人を楽しませることの出来る冗談も言えないし、罪のない軽口を自然に流すような機転もない。
 何気ない一言に、真面目に反応してしまう。
 優しいだけでは駄目なのだと、毎日のように、思い知らされる。
 子供の頃から、輪の中に入るのが下手だった。いつも、どこでも、ただ遠巻きに、華やかな笑い声を聞いていた。

「だって、あの子、何か暗いんだもん。あんま喋んないし」

 もっと積極的に、と、学校の先生にも、言われたことがある。
 なかなか馴染めないのは、お前の方にも問題があるのではないか、と。

「放っておけ。結珠。お前にはお前の良さがある。それがわからないような阿呆に、いちいち構うな」

 力強い、言葉。
 私が欲しいと思うときに、すぐ届く位置に差し伸べられている、温かい手。
 
「心配しなくても、いずれ馴染む。お前は、人より、ほんの少し、慎重なだけだ。慎重だからこそ、やがて見つけた友人は、一生のものになるはずだ」

 兄には、予言の力でもあるのだろうか?
 成長するに従い、私の体は少しずつ健康を取り戻していった。
 勇気を出して、一歩外に出て、そこに、今まで知らなかった世界が広がる。
 内気な性格は変わりようがないけれど、孤独が、過去の記憶に紛れて消えて行く。九重さん、と、名字でしか呼ばれたことのなかった私に、結珠ちゃん、と、親しげに笑いかけてくれる友人が、確実に増えて行く。
 
「だから言っただろ? お前には、お前に相応しい友人が、いずれ出来るって」

 背中を後押しされているような、この安堵感。
 傍らに、いつも、兄がいてくれる。
 
「……大好き」

 簡単には、言い表せない。感謝している。尊敬している。
 血の繋がりの有無なんて、関係ない。
 私たちは、心が繋がっているから…………きっと、世界中で一番仲の良い兄妹だって、確信できる。
 
「お兄ちゃんも、同じ気持ちでいてくれる……?」

 聞くことの出来ない問い。
 いつか、言える日が、来るのだろうか?





【兄妹】

 九重家の箱入り娘の九重結珠(ここのえゆず)が、両親に行き先も告げずに出かけるのは、実に珍しい。
 何もしなくても十分すぎるほどに可愛い彼女だが、今日は、何時にも増して、めかしこんでいた。
 兄の蒼(そう)と買い物に行くのだ。欲しいのは、両親の結婚記念日のプレゼント。高価である必要はない。ただ、二人で選んで、心の籠もった品を贈りたいと思った。
 毎年、かかさず、この日の前になると、二人で街に出かけていた。
 自覚は全くないが、かなり女性人気の高い兄の隣に立つときに、みすぼらしい格好は出来ないと、結珠は常々考えている。少しでも綺麗に見せたい。自慢の兄にとっての、自慢の妹でありたいのだ。
 蒼は既に家を出て一人暮らしを始めているため、外での待ち合わせになった。兄はわざわざ迎えに行くと言い張っていたが、それに甘える図々しさは、結珠には無い。
 蒼はかなり多忙な身だ。親からの援助はほとんど受けず、奨学金とバイト代で、日々の生活を繋いでいる。株にまで手を出していると言うから、驚きだ。しかも、それでしっかり利潤をあげている辺り、さすがと言うべきだろう。大抵の大学生が株なんぞに手を出したら、後には破産宣告が待っているだけである。
「お兄ちゃん、遅いな……」
 待ち合わせ時刻を過ぎること、十五分。妹には激甘な兄が遅刻をするなんて、極めて珍しい。いつもは、世間に疎い妹が、迷ったり不安がったりしないよう、蒼の方が先に来て待ち構えているのだ。それが、電話の一本もない。事故にでも遭ったのではと不安に感じる結珠の前に、ふと、その時、影が差した。
「お兄ちゃ……」
 呟きかけて、口を閉じる。
 見たこともない男が立っていた。戸惑う結珠に、何やら話しかけてくる。ナンパされている、という事実に、この期に及んで、結珠はまだ気付いていなかった。
 何しろ、彼女は、筋金入りの世間知らずのお嬢様である。幼い頃は病弱で、加えて、人よりのんびりとした性格の持ち主だ。赤の他人の男が、しつこく自分を食事に誘う理由が、全くもって見当付かない。いいですと断っているのに、引く気が無い相手の根性にも、ただただ驚くばかりである。
「あ、あの、私、ここで人を待っているので……」
 じりじりと、後ずさる。
 いきなり腕を掴まれた。
 恐怖か、あるいは嫌悪のために、思わず悲鳴を上げそうになる。だが、やめて下さいと結珠が言う前に、がつん、と物凄い音がして、男が呻いてその場に蹲った。
「おい、お前。人の妹に何をしている」
 言わずと知れた、蒼である。
 絶望的に運動音痴な妹と違い、素晴らしい身体能力を誇るこの兄は、無礼なナンパ男に、それに相応しい鉄槌をくれてやったのだ。気絶はしないで済んだものの、立ち上がれないほどのダメージを受けた相手を尻目に、結珠の手を引き、すぐにも雑踏の中に紛れてしまう。
「お、お兄ちゃん。今の人、大丈夫? すごい音が……」
「瘤くらいは出来ているかもしれないな」
 平然と言い放つ。悪い、と思う気は、さらさら無い。それこそ掌中の玉のごとく大切に、幼い頃から見守ってきたたった一人の妹に、図々しくも手を出したのだ。殴り足りないくらいだ、というのが、正直な気持ちだった。
「お兄ちゃんたら……」
 はにかんだように笑う妹の顔を見ていると、ほっとする。どちらかと言えば無愛想なその表情が、この時だけは優しげに変化することに、蒼自身、まだ気付いていなかった。
 
 

 実際に買う物は、既に決まっている。
 毎年、両親の結婚記念日には、大きな花束を贈っているのだ。花は枯れて、いつかは消えてしまうものだが、その中にも何かが残るようにと、母親が、贈り物の花の幾つかから、家族全員分の押し花の栞(しおり)を作ってくれていた。
 毎年、一枚ずつ、手製の栞が増えてゆく。
 蒼は、その中の一つだけを使うようにして、後は大切に机の奥に仕舞い込んでいた。
「ありがとう……」
 凄い人たちだ、と、蒼は思う。
 愛情深く育ててもらった。何かの不条理を、感じる暇もないほどに。血の繋がりの無さを、彼らは完全に忘れさせてくれる。叱る時も、誉める時も、そこには確かに慈しみがあった。
 実の子供でさえも虐待して殺してしまう親が後を絶たないこの時代、彼らに出会えた奇跡のような幸運に、蒼は、心の底から感謝せずにはいられない。

「白い花がいいな。ね。お兄ちゃん」

 花選びは、妹の役目。
 蒼には、花なんてどれも同じに見える。綺麗だな、と思うくらいの感性はあるが、名前もわからないし、正直、興味もない。とりあえず、見た目は華やかだから、薔薇とか蘭とか百合とかが良いのでは……と考えるが、妹は、むしろ地味な色に心惹かれるらしく、何だか、冴えない小さな花ばかりを物色していた。
「なんて花なんだ?」
 妹は答えてくれたが、蒼には全く馴染みのない名前だった。カタカナ語を覚えるのは苦手ではないが、どうも、花の名称となると、途端に脳を素通りしてしまうのである。
「今回は、この花を絶対に入れたいの。お父さんが、お母さんに、初めて贈った花だから」
 照れくさいらしく、若き日の想い出をあまり語りたがらない父親が、ぽつりと、漏らした話がある。
 なかなか波瀾万丈な大恋愛の末に、二人は一緒になったらしい。元々、九重の家は、遡れば公家の一門にも辿り着くという、たいそう立派なお家柄である。妹の、いかにも育ちの良さそうなおっとりとした雰囲気は、間違いなく、血筋の良さにも起因するものなのだ。
 一代や二代では到底築き上げられぬ古の雅が、彼女の中にも眠っているということを、時々、嫌と言うほど思い知らされる。
 蒼は、逆に、自分の前身を知らない。どんな血を受け継ぎ、振り返ったその過去に、どんな先祖がいたか、まるで知らないのだ。自分だけが、ぽつりと、全てからかけ離れて、そこにいる。
 不安になる。
 もし、自分の両親が、犯罪者だったら?
 もし、自分の両親が、狂人だったら?
 どうしようもない、クズだったら。九重の家にはあまりにも似つかわしくない、最低な輩だったら。
「俺は、絶対に、そうはならない……」
 両親のために。妹のために。
 生まれの善し悪しなど、払拭してみせる。一流と呼ばれる大学に入った。そこで、法律を学んでいる。検事か、弁護士か、いずれは、人が一目置く職業に就き、さすがは九重の息子さんだと、誰をしても言わせてみせる。これまでに、育ててもらった、愛してもらった、その恩を、今度は自分が返すのだ。
 後ろ指など、指させない。
「お兄ちゃん?」
 はっと気付くと、すぐ側に、結珠の顔がある。
 華奢な体で支えるのが気の毒になるような、大きな花束を抱えていた。見た目だけではなく、香りにも気を使ったのだろう。春の若草のような、優しい香が漂ってきた。
「花束……出来たのか」
 一本一本は地味に見えた小さな花たちが、数揃うと、艶やかに存在を主張する。何だか、妹の結珠みたいだと、ふと思った。
 おとなしやかなのに、人目を惹く。あくまでも慎ましやかに、咲き誇る。
「悪い虫が付きそうで、どうも不安だな……」
 兄馬鹿と、重々承知しながらも、つい、心配が口をついて出た。
「結珠は……付き合っている奴とか、いないのか?」
 妹が、丸く目を見開く。
「え? え? そ、そんな人、いないけど……」
「そうなのか? 結珠なら……」
「お、お兄ちゃんこそ、学校でもてるでしょ?」
「俺?」
 蒼は、ひどく驚いた顔をした。
「俺は、全然もてないからな。そういった浮いた話には、さっぱり縁がない。結珠は……そう言えば、女子校だったな。周りに男がいないか。じゃあ、どんなタイプが好みなんだ?」
「え。タイプって……」
 目に見えて狼狽する。結珠がこの手の話に疎いことは、知っていた。知ってはいたが、好奇心が何にも勝る。
 そう。好奇心だ。蒼は、誰に聞かれてもいないのに、そう心の中で言い訳する。結珠に変な虫が付かないようにするために、必要なことなのだ。
 決して…………変な意味で、気になるからではない。
 自分は、兄だ。血の繋がりはなくても。それ以上でも、それ以下でも、ない。
「…………秘密!」
 真っ赤になって、俯いて。一瞬、何かを言い足そうに口を開きかけ、妹は、身を翻した。
 好きになるなら、お兄ちゃんみたいな人が、いい。
 言えそうで、言えなかった、言葉。
 これからも…………たぶん、心の奥に留めたままになるのだろう。
「誰か出来たら、お兄ちゃんに報告するように」
 真面目な顔で、兄が言う。
「誰も、出来ないよ。ずっと……」
 兄よりも好きになれる人が、現れてくれるとは、思えなかった。





【蒼】

 お前のために、今、何をしてやれるだろう?
 お前のために、いつか、何かをしてやりたい。
 永遠に、子供のままではいられない。
 そう遠くない未来、結珠の隣には、見知らぬ男が立つことになるのだろう。今まで自分が居た位置は、やがて、別の誰かに、明け渡してやらなければならなくなる。
 それこそが、自然の流れ。逆らうことは許されない。

「でも、今は……」
 
 まだ、妹にとっての一番で、在り続けたい。
 幼い結珠のままでいて欲しい。
 初めて出会った時から何も変わらない、縋り付いてくる小さな手。守ることに、存在の意義があった。笑顔を絶やさぬように。涙を流さぬように。
 
「結珠」

 変わらずに、見ていたい。
 今は、まだ……。