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<PCシチュエーションノベル(グループ3)>


如月日和

 この柔らかな季節に生まれたから。
 寒さはまだまだ続く、それでも春には違いないこの季節に生まれたのだから。
 だから、一緒にいる事を大切にしておいて。ただ、大事に思って。
 いつしか思い出に変わったとしても、季節を優しく抱き締める事をやめないように。


 石和・夏菜(いさわ かな)は料理の本を緑の目でじっと見ていた。各ページに彩られている料理達は、どれも美味しそうに見える。
「やっぱり、洋風よりも和風がいいかもしれないの……」
 ぽつりと呟き、それからまた「ううん」と言って頭を振る。ポニーテールの黒髪が、さらさらと揺れる。
「和風だったら、啓ちゃん凄く上手いの!夏菜の料理を美味しいって食べてくれるとは思うけど……」
 そう言い、再び「うーん」と唸る。夏菜の脳裏に、優しい緑の眼差しに茶色い頭の守崎・啓斗(もりさき けいと)の顔が浮かぶ。
「ああ、でも北ちゃんなら何でも美味しく食べてくれると思うの」
 そう言い、夏菜はにっこりと笑う。脳裏に浮かぶのは、啓斗と同じく茶色の髪の、眼差しは青い守崎・北斗(もりさき ほくと)。尤も、北斗ならばどんなに美味しくない料理を作ったとしても、むっつりとしながらでも全部食べてくれそうだ。そして、啓斗も文句を言わずに真剣に食べてくれそうだ。夏菜が作ったものならば、と。
「北ちゃんも啓はんも、優しいもん」
 夏菜はそう呟き、再び料理の本に目を移す。きっと二人ならば、どんな料理が出てきたとしても食べてくれる。それは分かっている。しかし、夏菜が求めているのはそう言った優しさではない。
 心からの「美味しい」という言葉。気持ちが、ではなくて味が。
(うーん、難しいの)
 夏菜は料理の本をぱらぱらと捲る。
「北ちゃんは、お肉とか一杯のボリュームがあるのがいいと思うの。で、啓ちゃんはお肉じゃないお野菜が一杯のがいいと思うの……」
 料理の方向性は決まっているのに、具体的な料理が中々出てこない。夏菜は紙と鉛筆を取り出し、料理を書いていく。北斗と啓斗の喜びそうな料理を。
 フライドチキン、肉じゃが、ピザ、煮物、スパゲティー、ふろふき大根、ローストビーフ、ロールキャベツ……。
「……こんなに一杯は、食べられないと思うの」
 紙一杯に並べられた料理の候補達に、夏菜は真剣な顔で呟いた。どう見ても、三人分の量ではない。
(でも……これを全部作ったら)
 夏菜は想像する。机から溢れんばかりの料理達。その膨大な量に、北斗も啓斗も驚くだろうがそれ以上に喜んでくれそうな気がした。これは予感ではなく、確信。
「きっと、喜んでくれるの」
 夏菜はそう言ってにっこりと笑った。そして、決める。紙一杯に書かれている料理達を全て作る事に。
「一つ一つの量を一杯にしなければ、大丈夫だと思うの」
 そう言って夏菜は笑う。が、普通に考えればそれらを一人前だけ作ったとしても、三人前以上はゆうにある量なのだ。それでも夏菜は決行を決意する。喜ぶ顔を見るために。机の上を料理達で一杯にする為に。
(だって、誕生日なんだもの。北ちゃんと啓ちゃんが二月十日で、夏菜が二月三日で)
 誕生日が近いから、一緒にお祝いをしようと言い出したのは誰だったか。ともかく、この時期になると一緒に祝っていた。そして、今年のそれは今日、決行される事になっている。
「ああ、そうそう」
 夏菜は腕まくりをしながらエプロンをつけ、それからそっと料理の本の一ページを開く。お菓子のコーナーにある、ケーキの項目。
「啓ちゃん、生クリーム駄目だもんね」
(駄目だけど……嬉しかったの)
 ふと思い出に少しだけ浸ってから、夏菜はくすくすと笑う。そして、ページを捲って開く。生クリームの無い、チョコレートのついたフルーツタルト。これならばあまり甘くならないし、生クリームも無いから啓斗でも食べられるだろう。フルーツであっさりとしつつもずっしりとしているから、北斗の胃も満たされるだろう。
「北ちゃん、啓ちゃん……有難うなの」
 誰に言うでもなく夏菜は呟き、それから「うん!」と力いっぱい頷いてから台所に向かった。ポケットにそっと忍ばせた、二つの紙袋の為にも。


 啓斗は北斗と向かい合い、真剣な顔で口を開いた。
「どうする?」
 北斗も真面目な顔で、啓斗に向かい合う。
「どうするも何も……一年に一度じゃん?」
「いいものを、あげたいんだが」
「俺も、いいもんをあげたいに決まってるって」
「問題は、何をあげるかという事だ」
「まあ、そうだよなー」
 北斗はそう言い、何気なくテレビをつける。たまたまやっていた、プレゼント特集。
『やっぱり、プレゼントはブランドがいいわよねぇ』
 テレビから聞こえる女性の声に、ふと二人は吸い寄せられるようにテレビを見る。
『ブランドですか』
『そうそう。やっぱりねぇ、ブランド物がいいわぁ』
「ブランド物……」
「ブランド物か……」
 二人はほぼ同時に呟く。呪文のように『ブランド物』と。
『愛が見て分かる、と言うかねぇ』
『そうそう。なんだか、大事にされてるよねーって思うのよねぇ』
 口々にブランド物といって嬉しそうな女性たち。
「夏菜はああいう女とは違うが……」
 啓斗はぽつりと呟く。それを受け、北斗も頷く。
「違うけど、やっぱりブランド物がいいのかもしれないよな」
 テレビのリポーターは全てのインタビューの後、にっこりと笑ってこう告げた。
『やはり、女性たちの心を掴むのは、ブランド物のようです』
 啓斗と北斗は顔を見合わせ、互いにコートを掴んで立ち上がった。
「ブランド物か」
「ブランド物だな」
 互いに言い合い、こっくりと頷きあう。そして、ブランド物を買う為に店へと向かうのだった。


 ブランド物の店は、高級な店なのだから人は少ないだろうと踏んでいたのだが、人は結構入っていた。殆どがカップル、ついで金持ちそうな中年女性。身に付けているものが全て、高級感が漂っているかのような。
「兄貴……場違いな気がしねぇ?」
 ぼそ、と北斗は啓斗に囁く。啓斗もこっくりと頷く。別に小声で話さなくてはいけないことは無い。だが、小声で話さなくてはいけない雰囲気を、このブランドの店は持っているのだ。
 北斗はふとディスプレイされてあった鞄を見る。小さな黒光りしている鞄。シンプルなデザインで、真中にブランド名が刻まれた銀のプレートがついている。
「これなら小さいし、シンプルだからそんなに高くないだろーな」
 ブランド物だから普通のものよりも高いとは思うが、小さな鞄だ。そこまで高くないと思って北斗は何気なく手にとり、値札を見る。
「……うげ」
 0の羅列に、思わず北斗は唸った。そっと鞄をもと在った所にそっと戻し、きょろきょろとしている啓斗の袖を引っ張る。
「兄貴兄貴兄貴!」
「……なんだ、騒々しい」
 北斗は先ほどの小さな鞄を指差し、軽く青ざめた顔で囁く。
「あの小さな鞄、いくらすると思う?」
「あの鞄か?……1万円くらい?」
 北斗は首を振る。
「え?……5万円くらいか?」
 北斗は首を先ほどよりも強く振る。啓斗は「うーん」と唸ってから口を開く。
「10万円くらい、か?」
「何と、1000万円」
「い……1000万……!」
 啓斗は呆然とする。そして、先ほど北斗が手にとっていた鞄の値札をそっと見た。そこには見事に並ぶ7つの0達が。啓斗はそっと鞄を置く。
「……どうだろう、北斗。ハンカチくらいならば、もっと安いのでは」
「……だよな。ハンカチだったらただの布だし」
 二人はそう言い合い、ハンカチのコーナーをそっと覗く。そこに並んでいるのは、比較的どこにでも売っていそうなハンカチ達。
「これなら、何とか……」
 啓斗はそう言いながら一枚手にとり、値札を見て愕然とする。
「布切れ一枚で、1万円だと?」
「え?マジかよ?」
 啓斗の呟きに驚き、北斗もハンカチを手にとる。それらには綺麗に0が4つずつ並んでいた。
「0が一つ多いとか、そう言うんじゃないのか?」
 北斗が言うが、啓斗は首を振る。
「……違うな。これは、俺たちへの宣戦布告だ」
「宣戦布告?」
 こっくりと啓斗は頷く。
「ブランドというものを馬鹿にするな、という意志の表れなのかもしれない。いや、そうに違いない」
「……兄貴?」
「俺たちにこんな布切れ一枚に1万円を払えるのか、と馬鹿にしているんだ。俺は負けない。俺は決して負けない」
「……兄貴……」
 止める気すら起きぬ啓斗の熱弁に、思わず北斗は感動に似たものを覚える。
「俺はこんな布切れ一枚に1万円を払うくらいなら、俺がこの布を凌駕するものを作ってやる。俺がこの布に勝る物を作れないと思うか」
 啓斗はそう言い、北斗を掴んで店を出た。そして、普通の雑貨屋で無地のハンカチを二枚買った。計1000円。
「ほら見ろ、北斗。これで準備はばっちりだ」
「準備って……」
 にやりと小さく啓斗は笑う。そして、意気揚々と家に帰ったと同時に裁縫箱を取り出す。
「つまりは、あの訳の分からないアルファベット文字の刺繍があればいいんだ」
 啓斗はそう言い、買ってきた布に刺繍を始めた。先ほど見てきた、ブランド店にあったハンカチの刺繍のように。
「おお、なるほど!じゃあ、俺もそうしようっと」
 北斗はそう言い、もう一枚のハンカチを取り出し、油性マジックの蓋を開けた。そして、先ほど見てきた、ブランド店にあったハンカチのプリントのようにアルファベット文字を書き始めたのだ。
「そういやさ、夏菜の頭文字を入れてやるって言うのはどうかな?」
 北斗がそう提案し、ハンカチにK・Iと書く。
「いいな、それ。よし、そうするか」
 啓斗もそう言い、ハンカチにK・Iと刺繍する。
「……中々いい出来だ」
 啓斗はそう言い、刺繍し終えたハンカチを見てにっこりと笑った。
「俺も俺も!」
 北斗もそう満足そうに言い、書き終えたハンカチを広げてみせる。どちらも、微妙に間違っているような気がするのは気のせいか。
「さあ、夏菜の所にいかねーとな!」
 にかっと北斗は笑い、ハンカチを袋に収める。
「そうだな。夏菜も待っていることだろうし」
 啓斗はそう言って、北斗と同じくハンカチを袋に収めた。
 かくして、夏菜へのプレゼントが完成したのであった。


「いらっしゃいなの!」
 石和家のドアを開けると同時に、夏菜が飛び出てきた。家の中は、いい匂いで充満している。
「おお、いい匂いがするじゃん!」
 早速、北斗が嬉しそうに言った。
「……夏菜、頑張ったんだな」
 にこ、と笑いながら啓斗は言った。夏菜は照れたように二人を見てから「あがってなの」と言った。
 夏菜に先導されてついた居間には、机の上に溢れんばかりの料理が乗っていた。和風と洋風の交じり合った、あまり統一性の見られない料理達。そして何より、量が多いのだ。
「おお、うまそう!」
 北斗はそう言って、ちゃっかり座り込む。料理の統一性の無さや量の多さは、北斗にとっては問題ではないようだ。
「夏菜、何かまだ運ぶものはあるのか?」
 啓斗が苦笑しながら言うと、夏菜は「ううん」と言ってからにっこりと笑って座る。
「ほら、啓ちゃんも座って」
 夏菜に言われ、啓斗も座った。そして、夏菜はそれぞれのコップにジュースを注ぎ、コップを掲げる。それに啓斗と北斗も倣う。尤も、北斗はもう片方の手にフォークを握り締めているのだが。
「北ちゃん、啓ちゃん、お誕生日おめでとうなの!」
「夏菜も、おめでとう」
「夏菜もおめでとうさん!」
 三人はそう言いあい、カチンとコップを軽くぶつける。一口飲んでから、北斗は早速料理に取り掛かった。
「夏菜、これ誕生日のプレゼント」
 早速、啓斗が持ってきた袋を夏菜に渡す。それを見て、北斗も口の中にあるものをごくりと飲み込んでから、袋を渡す。夏菜は「有難うなの」と言ってから、袋を開ける。
 中から出てきたのは、刺繍と油性マジックによって描かれたアルファベット模様のハンカチ。
「あの、な。本当はブランドの……その、なんだ」
 啓斗が説明に困りながら言うと、北斗がその続きを続ける。
「ブランドのハンカチ!……に、見えるだろ?」
 思わず夏菜は吹き出し、それからにっこりと笑う。ハンカチをぎゅっと抱き締めながら。
「あのね、夏菜はブランドものだろうが違っていようが、北ちゃんと啓ちゃんがくれた事が嬉しいの。北ちゃんも啓ちゃんも、これを夏菜にと思ってくれたんでしょう?それがね、夏菜は嬉しいの」
 夏菜はそう言って再び笑った。北斗と啓斗は顔を見合し、照れたように笑い合う。
「あ、あのね。夏菜も北ちゃんと啓ちゃんにプレゼントなの」
 夏菜はポケットから袋を二つ取り出し、二人にそれぞれ渡した。青い袋を北斗に、緑の袋を啓斗に。二人はそれを早速開けて、中を確認する。
「ちりめんのハンカチ……有難う、夏菜」
 啓斗はそう言って小さく笑う。着物でも使えそうな、ハンカチである。
「おお、手袋じゃん!サンキュー、夏菜」
 北斗はそう言って、早速手袋をはめてみる。バイクに乗るときにも使えそうな、手袋である。
「どういたしましてなの」
 嬉しそうな二人を見て、夏菜は笑った。手には二枚のハンカチ。刺繍と油性マジックの模様が、二人が必死に頑張っていた様子を思い起こさせていた。それが酷く、嬉しい。きっとブランドものよりも価値がある。否、断然価値がある。
「あのね、ケーキもあるの」
 大分料理がなくなってきたところで夏菜はそう言い、立ち上がる。
「ケーキか……」
 小さく啓斗は呟き、北斗は未だ止まらぬ料理にのびた手を休める事なく、くくく、と笑った。
「大丈夫だって、兄貴。夏菜が兄貴の苦手な生クリームのケーキを出す訳が無いし」
「でも、甘かったら……」
「だから、大丈夫だって!……ほら」
 北斗はそう言って、夏菜の手にあるケーキを指差す。ケーキは、上にチョコレートの載っているフルーツタルトだった。
「啓ちゃんでも大丈夫なように、甘さ控えめなの」
 夏菜はそう言って笑い、そっと包丁を入れた。啓斗は小さくほっとし、ちらりと北斗を見た。北斗は「な」と言わんばかりに、にかっと笑う。まだ、料理に取り掛かりながら。
 切り分けられたタルトは、三枚のお皿に乗せられてそれぞれの前に置いた。それをそっと一口だけ啓斗は口にし、ほっとする。甘くないどころか、フルーツの爽やかな味が口一杯に広がる。美味しい。
「大丈夫なの?啓ちゃん」
 夏菜が心配そうに見る。啓斗はにこっと笑い、頷く。夏菜もそれを見て、ほっとして自分のタルトに取り掛かった。
「あ、いいなー。俺も食べようっと」
 北斗は料理の手を休め、タルトに取り掛かった。
「北ちゃん、もうデザートなの?」
「いや、ちょっと休憩」
 フォークを使わず、北斗はタルトにかぶりついた。何となく、その北斗の様子に夏菜は笑ってしまった。つられて啓斗も笑う。北斗も、やっぱりつられて笑ってしまった。何が楽しいという訳でもなく、ただこの緩やかに穏やかに流れて行く時間が、嬉しくて。
「本当に、おめでとうなの」
 夏菜は小さくそう言い、にっこりと笑った。北斗と啓斗もにっこりと笑い返す。柔らかな陽射しを受け止めるかのように、そっと。

<永遠に続くかのような優しい時間の中・了>