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<東京怪談ノベル(シングル)>


限界からの挑戦

 末吉。
 吾が庭の 下もえ上る 草のうえに つれなく 積る春の あはゆき
 苦しみを耐えて忍ぶ意志は尊い。冬を耐えて春を願ふ自然の姿は良い教訓である。忍耐こそ人から仰がれ、風格の備はる所以です。きつと将来踊るような楽しみが訪れる。

 さて、世の中なにかにつけて動力という原因が必要である。
 水がなければ種は目を出さない。電池を入れなければ目覚し時計は動かない。ガソリンなくして車は走らないし、充電しなければ携帯電話もつかえない。古式ゆかしいねじまき時計でさえ、ネジを巻いてやるという人力がなければうんともすんとも言わない。
 ぐう。
 思い切り収縮してくれた胃を押さえて、御子柴・荘(みこしば・しょう)は溜息を吐いた。
「……お、お腹すいた……」
 ガソリンなくして車が走らないように、食料無くして人間も動かない。
 荘は見事なガス欠状態だった。どのくらい見事かと言うと思わず電信柱に懐いてしまうほどである。
 ごつんと頭を電信柱にぶつけた荘は、とりあえず身体を支える力を確保してふうと溜息を吐いた。その手には大分痛んだ一枚の紙が握られている。――真に残念ながら千円札でも二千円札でも五千円札でも一万円札でも年末ジャンボのあたりくじでもない。
「……耐え忍ぶ事が吉へと繋がるって出たんだけどなあ」
 痛んだ紙を眺め、荘は溜息をついた。三日ほど前に引いたおみくじは末吉。苦しみを耐えれば楽しみがという言葉に従って空腹で耐えていたのだが、一向に楽しみは訪れないどころか、電池切れが近くなってきた。
 ――いくらなんでも曲解しすぎだろうと言うか信じるなそんな事。
 とは言わないのがお約束というものである。
 さて、おみくじを確認したからといってそれで何がどうなるというものでもない。空腹ガス欠の現状は変わらない。
「もう何か食べるしかないかな……」
 そう呟く事さえ辛かった。かなり極限である。
 幸い金なら不自由しない程度には持っている、と、ジーンズのポケットをごそごそと探る。そして荘は凍りついた。
 入れる。探る。布に包まれている筈の指が何故か空気に触れている。
 すうと深呼吸して、もう一度繰り返してみる。ひこひこと動く指は確かに布から突き出して、空を引っかいている。
 穴。しかも指四本見事に突き抜けてくれるほどの大きな穴がポケットに開いているのだ。
「……嘘」
 がん。と電柱に頭を打ち付ける。痛い。嘘でも夢でもない事は明白だ。
 つまりそのでっかい穴は、そこにあった命綱を何時の間にやら何処かへ転げさせてしまったと言う事である。
 端的に言うと落とした。財布を。容赦無く。ものの見事に。
 何処でと思考すると現場は直ぐに思い当たった。つい先刻バスに乗り遅れた時に違いない。
 ガス欠寸前最後の灯火を利用して、荘ははいずるように道を戻りだした。

 ――結果。
 マーフィーの法則は生きているどころか現実はその上を行くと言うことを身を持って体験する事となるのである。
 要するになかった。その場には容赦無く何も。
 そして追い討ちをかけるように、天からただでさえ消費し尽くした熱量(カロリー)を冷やす白い物体が、舞い落ちるどころか吹き付けてき始めた。
 ここまで来るともうおみくじの大嘘つき状態である。
「な、なにか、何か……」
 食料。兎に角食料。
 古今東西革命の原因の不動のNo1の座を獲得し続けている欲求を、今荘は抱えていた。
 財布がなければコンビニでおにぎりを買うことさえ出来ない。
 パンを! ああパンを! パンがなければお菓子でもいい! プリーズ!
 ほったらかしておけば国会議事堂に殴りこみを賭けかねない植えた獣はバスの到着を待つ人々の奇異の視線をものともせずにずるずると道を這いずった。追い討ちの上のトドメとしてこの近所には交番もなければ、携帯電話の充電も切れている。
 行き倒れ一歩手前。
 そしておみくじは荘を、そこまで追い込んでおいて漸く、一筋の光明を与えたもうた。

「さぁ、リングに緊張が走ります。今今正にはじまろうとしております伝説の時が!」
 雑誌を丸めたマイクもどきを手に一人の男が熱くシャウトする。
「今正にリング横には数多の累々たる屍が築かれている。この屍を乗り越え、新たに奴がやって来る! この屍の主を静める為に!」
 雑誌マイクを持たない片手がびしいっと一点を指し示す。
「そして屍の作成者は余裕の笑みさえ浮かべ迎え撃つ。本日ラストの大勝負、制限時間は一時間、しかしその一時間を待たずに多くのツワモノたちを沈めてきたこの男! 白いコックスーツは正しく犠牲者達を料理してきたという自負の現われか! ヤツを、ヤツを倒せるものは居ないのか!」
 すうっと興奮した口調の男は息を吸い込み、そして前髪を揺らして振り返る。
「そうそして今こそ! この陰惨且つ無慈悲な戦いに終止符を打つべく羽ばたく時がきた!」
 おおおおおっと周囲の人垣がどよめく。男は興奮も最高潮、高らかにそして声の限りシャウトする。
「みこしばあ〜、し〜ょう〜!!!!!!」
 そのシャウトのままに男は荘のついたテーブルを指し示した。
 その周囲はギャラリーでみっしりと埋まっている。そしてその店のカウンター脇には最早動けないとばかりに腹をパンパンに膨らませた数多の男達が転がっている。
 そして店舗の前にはなんと!『激烈ジャンボラーメン1時間で食べれたら御代はただ』と言う張り紙が!
「この張り紙に釣られ、この激烈ジャンボラーメンに挑むものは後をたたない! そうしかし破れたものは居ない! 新たな不敗伝説が語られるのか!? それとも伝説をこの男が築くのかあ!」
「注目ですね」
「ええ、そうですね! 因みに実況はこの店、こんな企画しなきゃ多分潰れてるだろう学生街でもない癖に量は上の中、味は中の下、店舗は築45年という哀しい店のアルバイターびワタクシ! 解説は!」
「通りすがりの嘗ての挑戦者でお送りします」
「さあ、御子柴の前へと運ばれてまいりますジャンボラーメン! 店主余裕の笑みを見せているがそれもその筈!」
「……相変わらず……どんぶりじゃなくって鍋ですね」
「そう、このジャンボラーメン! その容器はどんぶりの限界を超えている! 皿洗い泣かせの一品です! すり鉢よりでかい、いや比較にならない! 腕を突っ込むと肘までスープに浸かりそうなまさに怪物、フリークスであります!」
「……頂きます」
 その尋常じゃない通り越して尋常じゃないどんぶりに、荘は静かに手を合わせた。

「さあ、ゴングが鳴り響く一時間一本勝負! まずは果敢にもなるとに手を伸ばした! これはどうなんでしょう解説の元負け犬さん?」
「いやまずナルトというのはあまり賢い戦法とも思えませんがしかし心理的には効果がありますね。麺を粗方無くした所で巨大な普通のどんぶりサイズの凶悪なナルトが残っていると、その時点で気力を食われますから」
「ほほう! おおっと食っています果敢にかぶりついているぞ御子柴! 己の顔よりもでかいナルトを、今、今食いつくしたぁ!」
「早いですね。期待大です」
「おおっと次は麺だ、麺に入った御子柴! 現在タイムは未だ三分! しかし店主余裕の表情を絶やさない!」
「駆け出しが早い選手はいくらでも居ますからね」
「期待が大といっておきながら突き落とす、負け犬挑戦者解説者! しかしそれは通り。麺はどんどんスープを吸い凶悪な敵と化す! そもそも味は中の下それが伸び始めれは下の上、下の中どんどんと食い物ではないレヴェルへと落ちていく魔の螺旋! その味が! そして量が! 数多の挑戦者達を壱敗地に塗れさせ、一杯9800円(税別)と言う法外な金額を搾取せしめて来ました!」
「……く、給料日前だった……」
「さあ解説負け犬何号か、涙に暮れている間にも、どんどん麺は減っていく、御子柴食う、食っております!」
「こ、これは」
「どうしました解説の負け犬Aさん!?」
「開始既に30分を超えましたが……私の記録を上回っています既に麺が三分の一に!」
「おおっと本当だぁ! これは人間か! 因みにこのジャンボラーメン、ゆで時間は通常ラーメンよりも若干長く取られていますつまり伸びる直前に出している! その食物を冒涜する技が、また挑戦者達を苦しめてきていた! 不味い、決して美味くはないそれを食っている、30分、いや既に35分! 最早人間の食い物じゃないかもしれない味のそれを食っています御子柴! ハイエナの如く!」
「うぷ……」
「私も気持ち悪い! おおっとこれまで一向に余裕の表情を崩す事のなかった店主の額に汗が! こ、これは嘗て無い出来事だ!」
「そうですね、信じられません……」
「おおっとそうこうするうちに時間は刻一刻と迫っている、後五分! 後五分です!」
「残すは……」
「スープのみ! しかしバケツ一杯分は軽くオーバーする量! そして麺の溶け出しをすって重く更に不味くなっているそれ! しかし御子柴、怯みません飲んでいる飲んでいるぞ!」
「か、体が何か光っていませんか?」
「これは奇跡か、奇跡の前触れかインポッシブル! 店主のタイマーを見つめる目が恐ろしく険しくなっているぞお!」
「飲んでますね、あの気色悪いほど不味くなったスープを」
「飲んでいる、正しくフリークスの名に相応しい! さあ、カウントに入ります。残り15!」
「14、13、12……」
「いけるか! いけるか!?」
「9、8、7、6、5……」
「4、3、2、1……たあーいむあああああっぷうううううう!!! 判定は!」
「空です、ありません!」
「奇跡が! 奇跡がおきました御子柴荘! 勝利! 勝利だぁああぁああ!!!!」
 喚声満ちる店内に、店主ががっくりと膝をついた。

 そして、
「……おなか、すいた……」
 奇跡の男の称号を受けた荘は、その奇跡の為に錬気を使った為か消化が早く、
「……うう、お腹すいた……」
 ぐう。
 またしても腹の虫を泣かせている。