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<東京怪談ノベル(シングル)>


白き雪に封ず

 抑えられない感情があった。
 あの日たった一度だけ、決して抑えることのできない感情があった。
(それにより私は)
 味方を失った。
 私の世界は逆転した。
 もう2度と、戻ることはできない。
 そのことに気づいた日。
(視界を遮るほどに)
 白い雪が舞っていた――



”笑顔は伝染する”
 そんな言葉を、無邪気に信じていた日もあった。
(私が笑顔を向けると、皆笑顔になるの)
 私が怒っていると、皆怒り出すの。
 それは当たり前のように思えて、実はそうではない。向かい合う人々の感情は自分とは別のもので、それを相手に向けたからといって必ず同一になるということは、本来ならありえないのだ。
(でも、私は違った)
 私が何か強い感情を抱いていると、相手も私と同じような気持ちになるらしかった。
 私がそれに気づいたのは、小学生の頃。
 前の日に誕生日を迎えていた私は、家族から私がとても欲しがっていた小さなお人形をプレゼントされていた。皆に見せようとそれを手に持って、私は明るい気持ちで教室の戸を開いた。
(その瞬間までは)
 確かに教室は、険悪な雰囲気に包まれていた。あとから聞いたところによると、たまたま複数のグループに分かれてケンカをしていたらしい。
 ――しかし。
「おはよう! ねぇ見てこれ。昨日家族皆でプレゼントしてくれたの♪」
 そう私が告げた瞬間に、教室内の雰囲気が一転したのだ。
「わぁ、どれどれ。見せて!」
「これ欲しがってたのだよね。いいなぁ〜」
「なんだ、らいち昨日誕生日だったのか?」
「一日遅れだけどおめでとう♪」
 さすがの私も、何かがおかしいと思った。
(そして考えれば考えるほど)
 自分の感情以外に原因は思いつかなかった。

     ★

 そんなふうに私が自分の能力に気づいてから、少し経ったある日のことだった。
 その日は珍しく雪が降っていて、人も車もビックリするくらいのんびりしたスピードで時を過ごしていた。
 そんな中、ただ1つけたましく、電話のベルが鳴る。
「――はい、樹神です」
 休日だったため家にいた私が出た。その耳に飛び込んできたのは、信じられないフレーズ。なんと彼氏と車で出かけていたお姉ちゃんが、交通事故に巻き込まれたというのだ。
 私はすぐに病院に向かった。向かって、愕然とした。
 事故は彼が無理に前の車を追い越そうとしてスピードを上げたところ、雪のためタイヤがスリップしうまく追い越せず追突してしまったということだった。
(何故すぐにそれがわかったのか)
 それは彼の方は、ほとんど無傷だったからだ。
 ぶつかったのは助手席側であり、お姉ちゃんは――
「ねぇ、わたしの顔、どうなったの? もとに戻るの?! ねぇ……!」
 そう泣き叫んでいた。あんなにキレイだった顔を、怪我してしまったのだ。「痕が残るだろう」と、医者は無関心に告げた。
(私は――許せなかった)
 こんな能力を持っていても、私が平穏に暮らしてこれたのは。私があんまり人を憎んだり恨んだりすることがなかったからだった。
(でも)
 その時の私はそれを抑えられず。
 酷く彼を憎んだ。
 そしてその憎しみを。
(彼にぶつけてしまった)



 そして彼は死んだ。



 彼を憎む私の感情をそのまま引き受けた彼は、自分を憎むあまり自ら命を絶ってしまったのだ。
 まだ立ち直ることのできていないお姉ちゃんに、そのことを話すのは辛かった。けれど私は話さねばならなかった。
(それにきっと)
 お姉ちゃんは私を許してくれるだろう。
 そう、思っていた。
 だってお姉ちゃんの顔に怪我を負わせたのは、彼なのだから。お姉ちゃんも彼を憎んでいるはずだった。
 けれど――
「どうして……? どうしてそんなことをしたの?! あれは彼が悪かったんじゃない! 雪が悪かったのよ……っ」
 そう言って、お姉ちゃんは雪と、そして私を責めた。
(憎んだのだ)
 それまでは、私の特異性を理解し力になってくれていたお姉ちゃんが。
(私と同じ)
 その日初めて、憎んだ。
 私を。
(私も同じ)
 その日初めて、知った。
 感情を伝染させられるということ。
(私は――)
 自分を憎んだ。自分の能力を憎んだ。
 でもそれが間違いであることに、すぐ気づいた。
(悪いのは、能力じゃないの)
 ケンカをしていた皆に、優しい気持ちを分けてあげることができた。
 それは決して、悪いことではないはずだ。
(じゃあ何がいけないの?)
 病院を飛び出した私は、しつこいくらいに降り続ける雪の中考えていた。
 答えは意外と、簡単だった。
(あの時憎んだから)
 そんな感情を持ってしまったから。
(それがいけなかったの)
 私はまだ、生きていたいから。
(封じよう)
 一切の、負の感情を。
(この白い雪に)
 全部溶けてしまえばいい。
(そうしたら――)



 雪が降り始めると、私はその日のことを思い出す。
(微笑み続けることを、決めた日)
 もう誰も、哀しませることはない。
 1年間私の中で眠り続けた”それ”は、雪に溶けそして、春の訪れと共に昇華する。
(だからこそ私は)
 こうして生きていけるのだ。
 生きてゆくことを、許されているのだ。
(来年もまた、笑顔で逢いましょう?)
 既に消えそうな雪に囁く。



 そうして私の心も、永遠に白いままで――。





(終)