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<PCシチュエーションノベル(ツイン)>


女の子は余裕!

 この世界を治める神様は、実に、勿体ないことをする。
 世はめでたくもバレンタインデー真っ盛り。老いも若きも何となくウキウキして見える今日この頃、せっかく可愛いのに、この華やかなイベントとはかけ離れた遠い場所に、ぽつりと二名、微妙に寂しげな十七歳の少女たちの姿があった。
 いかに女子校通いとはいえ、彼女たちの容姿なら、彼氏の一人や二人、簡単に出来そうものだ。
 一人は、意志の強そうな瞳が印象的な、勝気ながらも何処か人目を惹く、紅いポニーテールの女の子。
 一人は、優しい心根が自然と外に滲み出ているような、いかにもおっとりとした良家の子女風女の子。
 しかし、二人とも、浮いた話にはとんと縁がない。全然ない。
 何しろ、この二人、一人は極めつけの男嫌い、一人は絶望的な男性音痴なのである。
 もちろん、そこには、本人たちにとっては並々ならぬ理由がある。例えば、異常に厳しいスパルタな父親に、幼い頃から大和撫子像を求められ、積もりも積もった十数年間の憤りが、父親を筆頭として男全般に向けられてしまったとか。あるいは、ノンビリおっとりしすぎた性格が災いして、どんな物凄いアプローチを受けても全く気付いてあげられない、とんでもない鈍感娘に育ってしまったとか。
 いや。笑ってはいけない。
 当事者にとっては、たぶん、深刻な問題なのだ。特に前者は。
 ともかくも、そんなバレンタインデーとは縁遠い彼女らだが、街の明るい雰囲気は、決して嫌いではない。
 せっかく材料も道具も時間もあることだし、二人は、お菓子作りに勤しむことにした。
 メニューは、チョコレートブラウニー。
 
 
 
 チョコレートブラウニーと言えば、失敗知らずの、簡単お手軽アメリカンケーキ。
 どんな料理音痴でも、子供でも、美味しく安全に作れる、初心者に優しいお菓子である。
 花瀬祀(はなせまつり)が、料理はちょっと苦手、と以前言っていたことを思い出し、橘沙羅(たちばなさら)が、これを選んだ。
 一時間もあれば十分、と、沙羅は考えていたのだ。

 しかし、現実は、甘かった。

 一部では、「殺人シェフ」とまで評される、恐るべき花瀬祀の実態を、この時、初めて、橘沙羅は、目の当たりにすることになるのである……。


 
「じゃあ、祀ちゃんは、湯煎でチョコレートを溶かしてくれる?」
 手際よく卵を片手割りしながら、沙羅が祀に話しかける。うん、わかった、と、愛想良く返事をしながらも、祀は早くも混迷の道に踏み込んでいた。
「ユセン……って、なに?」
 正直に聞けばいいのに、そこは意地っ張りな祀のこと。たとえ親友の沙羅が相手でも、わかりません、なんて、言いたくない。
「うーん……」
 とりあえず、考える。
 わからない。
 当然だろう。考えてわかるものではない。
「ま、いいか」
 いいのか!?
「溶かせばいいんでしょ。ようは」
 祀は、近くのやかんを掴んだ。熱湯を、熱湯厳禁のプラスチックのボールにだばだばと注ぎ込む。熱い湯気を上げるその中に、何の躊躇いもなく、チョコレートを直接入れた。
 溶けた。確かに。
 溶けたのだが……。
「ま、祀ちゃん、何だか、チョコレート、薄くなっているような……」
「え? ちゃんとユセンで溶かしたよ」
 本人は、間違ったことをしているとは思っていないのだ。至って大真面目である。根が純粋、良くも悪くも疑うことを知らない沙羅は、これを信じた。下手をすれば命に関わるのだから、もう少し懐疑心をもって親友を見れば良かったのだが……彼女は本当に善い子なのである。そして更に悲劇を深めるのだが。
「うーんと。それじゃあ、次は……くるみを刻もうか」
 究極の料理音痴に、刃物。
 これほど恐ろしい組み合わせもない。
「はぁっ!!」
 と、妙な気合いを入れて、祀が包丁を振り下ろす。まるで、剣道の、渾身の面を打ち込むような勢いで。
 すぽんとお約束のように包丁が祀の手を離れ、宙を舞う。呆然と佇む沙羅の長い髪を翻し、刃物は壁に突き立った。
「あぁ!! ごめん! 沙羅! 怪我はない!?」
 へなへなと、沙羅がその場に崩れ落ちる。殺人シェフ、の文字が、脳裏を過ぎる。
 単純に出来上がりの味が凄いだけではないのか!? 包丁とかフォークとか熱湯とか……そういう危険物を飛ばすことこそ、花瀬祀の本領なのか!?
「き、気を付けて……ね。祀ちゃん……」
 もうこんな失敗しないわよー、と、祀は笑ったが、ものすごく、嘘くさい。気を付けて防げる程度の料理音痴なら、そもそも殺人シェフとまでは呼ばれないはずである。
「きゃー!!」
 また悲鳴が上がった。どかん、と、同時に爆裂音が響き渡る。オーブンの扉が吹っ飛んでいた。謎の熱い物体が、部屋中に飛散した。
「ま、祀ちゃん!! 何!? 何がどうなったの!?」
「た、卵、オーブンに、入れたんだけど……」
「ま、まさか。生……で?」
「うん。駄目だった?」
「…………………」
 生卵をオーブンに入れ、そして、電子レンジの方の目盛りを動かしたらしい。膨張した卵が中で爆発したわけである。
「ま、祀ちゃん。あの……。ブラウニー作りは、また今度にしようか」
 にっこりと微笑んで、沙羅が一つの提案をする。祀が不満そうに口を尖らせた。
「えー。始めたばかりだよ?」
「う、うん。でも、ね? えっと……。沙羅は、自分で作るよりも、外で美味しいケーキを食べたいな……って」
「そぅお?」
 美味しいケーキ、の一言に、祀の心が揺らいだ。行きつけの喫茶店のオススメケーキが、ぽわんと頭の中に像を結ぶ。
「そうだね……。行こっか!」
 どうせあげる人もいない、ブラウニー。居たら居たで、大変な悲劇を人々にもたらすこと請け合いだが……完成も見ないとなると、逆に寂しい。
「一個だけ、試しに作ってみていい?」
 祀の輝くような笑顔を前に、駄目だと言えるほど、沙羅は野太い神経を持ってはいなかった。
「う、うん。一つだけ、ね」
 その一つが完成するまでに、何が、誰が、犠牲になるか……あえて沙羅は考えないことにした。

 その後、数々の凄まじい戦歴を経て、ようやく、ブラウニーが完成した。
 見た目も、中身も、とうていブラウニーと呼べるような代物ではなかったが……一応、固形物の形はしている。
「せっかくだから、誰かにあげようかなー」
 嬉しそうな祀に対して。
「それは絶対に止めた方が……」
 この一言を言えない自分の優柔不断さを、心の底から、沙羅は悔いたという話である。



 沙羅の従姉妹の家は、小さいながらも大人気の喫茶店。
 混雑する昼や夕方の時刻を避けて来たが、それでも店は混んでいた。
 お目当てのチョコレートケーキは、残り一つ。それも危うく取られるところだったのを、祀が素早く確保した。
 いつもお気に入りの席は、運良く空いていた。馴染んだ場所に腰を落ち着けると、馴染んだ会話が自然と弾む。先に控えた学年末試験のことなど、必ずしも楽しい話題ばかりではなかったが、沙羅も祀も、この雰囲気こそが好きだった。
「それにしても、ケーキ作りって難しいなぁ……。お花やお琴の方が簡単だよ。ホント」
「う、うーん。大抵の人にとっては、お花やお琴の方が難しい気がするけど……」
「そうかなぁ? あんなの慣れだよ。あたし、稽古なんか思いっきりサボっていたけど、それでも一通りは出来るようになったもん」
「それって、才能あるってことかも。ちょっと勿体ない気がするな」
「はぁ!? 才能!? ないない! 無い方がいいって!!」
 それよりも、料理の才能が欲しかった、と、祀がぽそりと呟く。さすがに、料理ベタとの自覚はあるらしい。
 にしても、ありとあらゆる大和撫子修行をさせられたにもかかわらず、料理だけがここまで下手というのも、かなり珍しい。掃除その他の腕に至っては、花瀬祀は……本人は決して喜んではいないが……実は名人級の腕前を誇るのである。
「祀ちゃんなら、ちょっと練習したら、すぐに上手くなるんじゃないかな?」
「いいよいいよ。慰めてくれなくても。あの頑固親父の性格を変えるよりも、あたしの料理ベタ治す方が、難しいよ。きっと」
「そんなことないってば」
「ああ、もう……。どうして沙羅ってそんなにいい子なのー」
 あたしが男だったら、放っておかないんだけどなー。
 何だか微妙に危険な発言をしつつ、祀が一つしかないチョコレートケーキを取り分ける。食べやすく小さく切った一切れを、フォークに乗せて、沙羅の方に差し出した。
「あたしの本命は沙羅だよー。沙羅がいっちばん可愛いもん」
「もー……。祀ちゃん、恥ずかしいよ……」
 ちょっと人目を憚るように俯いて、少し顔を赤くしつつも、差し出されたケーキを、沙羅がぱくりと頬張る。唇の周りに付いた小さなクリームの欠片を、祀が指先で拭ってやった。
「沙羅、本っ当に、可愛すぎ!」
「ま、祀ちゃん、声、大きいよ」

 仲の良い女の子の二人組。しかも、どちらも、タイプは違えどかなり可愛い。
 周囲のむさ苦しい男の客たちが、密かに羨ましげな視線を送っていたことに、少女らは全く気付いていなかった。

「神様って、勿体ないことするよなぁ……」

 羨望の眼差しも何のその。
 二人の友情に水を差すような恋愛話は、当分、起こりそうもない気配である。