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<東京怪談ノベル(シングル)>


悲しみが終わるとき

  ボクはもう手も足も動かない。
  冷たいコンクリの床にただ座り込む。
  ボクは弱くて泣き虫で、助けたいのに助けられなくて……。

  だから、いまは、涙するしかなかった。



●小さな少女
「――と言う事なんですよ、お願いします」
 依頼主はすでに何人かの人が帰らないのだと渋い顔をして 飛鳥 雷華(あすかの・らいか) に語って聞かせた。
 壊れた病院に住む小さな少女。
 それが今回の依頼内容だ。
「この人も説得はしたらしいけど聞いて貰えなかったんだろ? どうする気だよ」
 怪奇探偵、草間武彦(くさま・たけひこ)の問いに、もう一度説得する、と雷華はいつもと変わらぬ答えを返した。


 廃屋と化した病院は不気味な雰囲気を漂わせ、見上げると今にも崩れ落ちてきそうな外観だ。
 群れ集う黒雲のような烏たち。
 周囲から切り離されたような静寂の空間。
「カラスだって。ベタだなぁ」
「なんか言ったか?」
「別になんでも。ねえ武彦さん、それよりもここが依頼された場所なんだよね?」
「‥‥まあな。雰囲気こそ最悪だが、そう気負うほどの事件でもないだろ。――それじゃ行くぞ」
 コツコツコツ。
 静かな闇の廊下に雷華と武彦、2人分の靴音だけが響いている。
 武彦は無造作に病院内を歩き回っているように見えて、その実スキがなく、この界隈で有名な探偵であることも頷ける。
 ふと、雷華は顔をあげる。

 薄い月光が窓から差し込んでいた。

 夜の病院はまるで生気が感じられない。

 死者の領域だ。

 ――――廃棄された病院に棲み続ける少女。
 依頼主の話によると、この壊れた病院にはいつからか小さな少女が住み着いているらしく、怪談や都市伝説の類かもしれないが詳細は不明で、雷華たちの前にすでに調査に派遣された何人かは戻って来ていないそうだ。
「‥‥武彦さん、本当に誰も帰ってきていないという話は本当なのかな」
「ああ、それは確かだ。ま、お前の強さなら気にすることはないんじゃないか? 逆にその小さな少女とやらの方が逃げ出したりな」
「もう、ボクも女の子だよ!!」
「な、怒るか? はは、気に障ったなら悪かったな」
 女の子だからと言って大事に護られているつもりはないがガサツに思われるのも心外な雷華だが、武彦の意図は別にあったようだ。
「なんだ、つまり二手に分かれるという案を言いたかったんだが」
「二手に分かれる?」
「ああ。その方が効率いいだろ?」
「でも、それじゃ見つけた時はどうするのさ」
 武彦は説明する。
 見つけた方が助けを呼ぶなり、自分で解決するなりその場の判断を下す。なにせ対象となる小さな少女とやらの正体や力が不明である以上、実際に見つけてからでないと話にはならない。
 つまり、最低もう一人が駆けつけてくるまでは持ち堪えられるだろうという、互いの力を信頼してこその提案であった。
 武彦の提案に、雷華はそれなりに納得した。
 一般人からすれば幽霊一体で充分に脅威だろうが、彼女たちにとっては良くある類のありふれた事件なのだから。


 月光は余りにも冷たくて、だから、総ての時間を凍らせているように思えた。
 武彦と別れてから、雷華は自分の直感が命じるままに青い光に照らし出された廊下を進む。
 ――――気配がする。
 それは一つの病室で、開いていた扉の隙間から慎重に室内をのぞきこむ。
 いない。
 誰もいない部屋。
 月光で照らされたベッド。
 シーツには人が寝ていたような乱れの跡があり――。

 窓辺に、小さな少女が立っていた。

 月の光を浴びて少女が音もなく振りかえる。
 ギイィと音を立てて病室のドアが開いて、雷華は少女と目があった。
 雷華のESPが教えている。
 悲しい思いをして、妖気にあてられ変貌した魂(ヒト)である少女の辛い記憶と悲しい想いを。
 雷華は流れ込む悲しみと苦しみの想念。底なしの闇。心を引き裂くような想いと記憶に押し潰されそうになりながら、雷華は必死に言葉を紡ぎ出した。
「‥‥もう、そんなに悲しまないで‥‥お願いだから‥‥」
 安らかになってほしい。
 この悲しみから救われてほしい。
 どうして、こんな悲しみがこの世界にはあるんだろう。
「貴方、泣いテルの? ‥‥くすくす、可笑しい――」
「泣いてなんて、ない! ただ、キミの気持ちが分かるから――」
「ジャア、私の、トモダチニなって‥‥エイエンに、私と一緒にイルの‥‥」
 雷華の必死で首を振った。
「そうじゃなくって――!!」
 想いは、言葉は届かない。
 認めない。自分の力で助けられないことがあるなんて。認めたくない。
 少女が伸ばした手から淡い光のような腕が幾本も伸びてきた。クレリアの刀で薙ぎ払うが、刃は見えない力で弾かれ雷華に一歩づつ近づいてくる。
 淡い光が雷華を捉えて体の動きを奪い取った。
 力の格差は圧倒的だった。
 少女の力に抵抗すら出来ない、非力で無力な自分。涙が止まらないのは、自分の弱さを思い知らされたから。
 ‥‥貴方は、もう、ワタシノトモダチ‥‥。
 少女は笑っている。
 唇を噛みしめて、顔をあげる。
 雷華はクレリアの刀を鞘に仕舞い、両手で太刀を構えた。
 涙に震える声で太刀の真名を呼ぶ。
 「――――Altria!!」
 太刀は剣へと姿を変え、大気を吸い込み風を巻く。
 想いも記憶もその魂(いのち)もすべてを断ち切るために、



 ――――ごめん――――



 雷華は、呟くと、風撒く剣を振り下ろした。


***

「雷華! 大丈夫かッ!!」
 ダマスカスの太刀を握ったまま、ボクは床に座り込んでいた。
 これがボクの仕事だけど、武彦さんは、きっと無様に泣いている、壊れた人形みたいなボクを見たと思う。
 哀しみと辛い記憶だけで出来たあの子は、もういない。
 ボクは、なんて弱いんだろう――――。



  ボクはもう手も足も動かない。
  冷たいコンクリの床にただ座り込む。
  ボクは弱くて泣き虫で、助けたいのに助けられなくて……。

  だから、いまは、涙するしかないんだ。