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鋼くんの忙しい日常
……どうしてだろう。
彼女にはとても惹かれた。
とびきりの美女じゃない。おとなしそうだし、自信なさそうにいつも少し俯いていて。
それでも。
気になっていた。
放課後の夕暮れの屋上。
初めてその少女に出会ったときから。少女の頬につたう綺麗な涙を見つけたときから。
不城・鋼(ふじょう・はがね)17歳。
今は普通の高校生活を過ごす、明るい茶髪をした小柄な可愛らしい少年だ。
大きくつぶらな瞳はまるで少女を思わせるし、体形よりも少し大きめの学ランを着込む姿はなかなか母性本能をくすぐるらしく、女生徒の人気も聞こえよく。
元は天下に名を響かせた伝説の総番「鋼鉄番長」と呼ばれていたとも呼ばれていたのも、今は一部の人の胸の中だけにしまわれた秘密。
(……俺も、恋する季節がきたのだろうか……)
屋上の風に吹かれ、鋼はそうひとりごちた。
そう。だって。今は一人の高校生なんだから。
もう毎日毎日、野郎ばかりを相手にしていた日々は過ぎ去ったのだ。
「あの……っ」
背後から呼びかけられる声。
(きたっ!!)
鋼はゆっくりと振り返る。
その少女……ポニーテールの可愛らしい少女が彼を見つめて、ちょっとこくびをかしげた感じに立っていた。
「話って……なんだよ?」
ちょっと拗ねた方に答える鋼。こんな風にしかもう話せないけど、根は素直なほうだと……思う。
「あなたの事が……」
(あなたのことが……)
鋼は胸がきゅんと痛むのを感じた。その先を聞きたいような……まだ知りたくないような……。
その時だった!
「貴方!何を抜け駆けしているの!!鋼ファンクラブ条約1-2の3条! 勝手に告白したりしてはいけないわ!!!」
ツインテールの少女が屋上の倉庫の屋根の上で高々と叫んだ。
「ぬわ!お前はっ!!」
叫ぶ鋼。
ツインテールの彼女が叫ぶと同時にその後ろから数人の女の子達が飛び出し、彼女を捕らえるとそのままどこかへ連れて行ってしまった。
「な、なにをするんだっ!!まてっ!!!」
「なによ!鋼!あの子だけ特別扱いなんて許されないわよ!」
ツインテールが叫んだ。
「あのなぁ……」
鋼は頭に手をやる。
でも、今やることは一つだ。
倉庫の上のツインテールを見捨てて、鋼は階段を駆け下りた。彼女を助けだすために!
☆
「だから……あんた、鋼に何の用事なのよ?」
階段の下、声が響いている。ファンクラブ所属のたてロール娘だ。
「……わたし、その……映画を……」
彼女は鋼に一緒に映画を見に行って欲しいと頼むつもりだったらしい。
鋼は階段から飛び降りるようにして、彼女達に割って入った。
「いいじゃねぇか、映画くらい!!」
鋼は彼女に取り付く連中を睨んで言った。
「付き合ってやるよ」
「……本当ですか!?」
背中で喜びの声が聞こえた。
けれど。
「ほう……映画デート付き合ってくれるの? 鋼くん」
階段の上で、ツインテールのシルエットが揺れた。
「なっ!」
その迫力に一瞬押されるほどの圧力感。背中の後ろで彼女が息を飲むのが聞こえた。
「チケット」
「はい」
ツインテールは、たてロールから映画のペアチケットを受け取ると、不敵に微笑んだ。
「勝負よ、鋼くん。私達に負けたら、もれなくデートに付き合って!」
「はぁ!?」
目を向く鋼。
いや、そんな話ではなくて。ほんとに。
でも突っ込む間もなかった。
ツインテールのその声に次の瞬間、ファンクラブの女性達が「おー♪」とそれに応じたから。
そして、その次の瞬間には。
「なに!」
「なになに!!」
「なんだってーーー!!」
廊下の先から次々響く声。ガラリと戸が開き駆けつけてくるもの。……それは女子のみではなく。
「勝負よ!」
高らかにツインテールが宣言した。
「「「「おーーー!!!」」」」」
その声は高らかに上の階にも響き渡りそして…………エンドレス。
☆
ぽん、ぽん、ぽぽん♪
青空の下、花火の弾ける音が響く。
鋼は茫然とその垂れ幕を眺めていた。
【第1回 不城鋼 争奪合戦】
校門にそれがかけられているのは何の冗談なのだろう。
(そりゃ、今日は日曜日だけどさ……)
遠い目をしながら鋼はぽつりと思う。
映画のチケットを奪われたあげく、こんな騒ぎになってしまうとは、あの女の子も災難だ。
(どうしてるかなぁ……)
ふと、そう彼女を思い出したとき。
校門の影で佇み、中に入ろうか悩んでいるその少女を発見した。
「……あっ」
呼び止めようと鋼はそちらに足を向けた……しかし。
「鋼くん、そんなところにいたの。貴方が主役なのよー!?」
ツインテールに両脇を固められ、ずるずるとフェードアウト。
「ちょ、ちょっと待てぇぇっ」
小柄な自分が恨めしい。鋼は深く息をついた。
もちろん女の子などに負けてしまう彼ではないのだけど。……強い男であればこそ、女の子に手は出せないというものだ。
☆
ツインテールに連れてゆかれ、校庭へと向かうと、そこには既にたくさんの数の人達が集まっていた。
可愛らしい下級生、生意気な同級生、ちょっと怖い先輩達。
強持ての男子や、腰をくねらせる同級生、角刈りのクラスメイト、バーコード頭の国語教師、竹刀をもった体育教師……この辺りはちょっと謎だ。
(おお、響・カスミ!)
壇上にツインテールと共に登った鋼の視界に、列の一番後ろで面白そうにそれを眺めている人気の音楽教師の顔が見えた。
ナイスバディを絵に描いたような豊満なスタイルの持ち主の、美人で明るい女教師なのだ。
彼女もまた参加者なのだろうか。なんだか、見物人のように見えなくもないけれど。
(……あの子は……いるかな?)
視線を巡らせ、鋼は彼女を探す。
その横で、ツインテールは高らかに叫んだ。
「さーて、それではルールの説明を始めます!! 鋼くんデート権を獲得するためのゲームのルールは単純明快!! 今から鋼くんが逃げます。逃げた後、みんなで10を数えたらスタートになります。鋼くんを掴まえた人が勝利です」
「おおおおお!!」
歓声が沸いた。
女の子は見つからない。
いや、それよりも。
「ちょっと待てっ」
鋼はようやくツインテールに突っ込んだのだが、少し遅かった。
「それでは!ゲーム開始です!」
ツインテールは叫び、鋼を掴まえていた白い腕をさっと放して、にっこり微笑む。
自由。
否、逃げねば。
「いーーーーーちっ♪」
全員で一斉に数の唱和が始まる。あせりながら、鋼はもう一度、人並みを見つめる。
あのおとなしく可愛いポニーテールの女の子。どこだ!!
「にーーーーーーーーっ♪」
壇上できょろきょろとしている鋼に、ツインテールは肘でつっついて囁いた。
「早く逃げないと、私が捕まえるわよ?」
「い、いや、だが……」
「さーーーーーーぁぁん♪」
「くそっ」
そこで掴まえられたら、彼女とのデートもなくなってしまう。
鋼は駆け出した。
壇上から、飛び降りると校舎に向かって駆ける。校庭中の人の目が彼の動きを見守る。
「よーーーーーーーーんっ♪」
「くそーー、覚えておけよっ!!」
捨て台詞を小さく呟き、彼は懸命に駆けるしかなかった。
☆
「鋼くーーん、どこにいるのお??」
「どこだー!でてこーい」
男女入り混じって色々な声が響く学園内。
中には噴水の中や、下水道の蓋を持ち上げる者もいたが、なかなかそんなところには隠れたくないものだ。
校舎の影に身を潜めつつ、どこに逃げようか悩む鋼である。
(……捕まったやつとデートなんだよな……)
できることなら可愛い子とがいいな……なんて考えてしまう彼は不埒者?
しかし、【可愛い】で浮かんでくる女の子は、あの子しかいなかった。
そんなに美人じゃないけれど。
どうしてだろう、心引かれてならない……。
「あれ?」
がさっ。
草むらを分ける音。すぐ近くだ。
植え込みの中に身を伏せて、鋼は慌てて退散する。
あの子がいるのかどうかわからないけれど、いるとしたらどこだ?
「ん?」
草陰に動く学らんを見つけた少女が首を傾げる。
「もしかして……?みぃつけ……」
ばさっ!!!!
激しい音を響かせ植え込みの枝と葉を散らせながら鋼は飛び上がる。そのまま、彼女と反対側の芝生に着地して、そこから脱兎だ。
両腕モーターを激しく前後させ、彼は駆けた。
猛烈に駆けた。
「いた!」
「いたらしいぞ!!」
「掴まえろー!」
「いてこませー!」
次々と声が走り抜ける学園の庭。
どこをどうして逃げたものやら。
☆
彼女とであったのは、放課後の屋上だった。
何となく夕日を見たくて登った屋上。そこで、オレンジ色の光に包まれながら、そっと涙を流す彼女を見たのだ。
「……どうしたんだ?」
「……!」
振り返った彼女は少し驚いたような表情をした。
「早く帰らねぇと、日が暮れるぜ?」
俺もそうだけどさ、と苦笑しながら鋼が言うと、彼女は小さく頷いた。
「……帰ります……」
「涙の理由……聞いちゃ駄目か?」
そのまま去ってしまいそうな彼女に呼びかける。
彼女は苦笑めいた悲しそうな微笑を浮かべて、こう呟いた。
「……ちょっと悲しい本を読んだだけなの……」
☆
悲しい本……。
本……。
鋼は男子トイレの個室の中で思い至る。
見つけてほしければ、彼女がいそうな場所に出向いてみるのも一つか……。
あの時、本当に悲しい本を読んだだけなのだとは信じられなかった。
……君に惹かれたのは……あの涙のわけを知りたかっただけなのかもしれない……。
☆
図書館に辿りつき、鋼は辺りを眺めた。
廊下に人の気配。
「今、誰か階段を登っていったわ!」
ツインテールの声が聞こえた。慌てて、本棚の影に身を潜めると、彼女達は図書室はノーチェックで違う方向へと駆けていった。
……それは、鋼と図書館が結びつかないって意味だろーか。
ちょっと突っ込みたかったが、まあ、おいといて。
鋼は辺りを見回した。
休日の図書館。人気など全くない。
だけど。
「……あら?」
美術書の棚に囲まれた場所から、ポニーテールの彼女が現れた。
「やあ……」
身を潜めつつ、小さく苦笑し、軽く手を振る鋼。
「俺を探してくれなかったの?」
「見つけられないと思って……」
彼女は寂しそうに微笑んだ。
「じゃあ、見つけたな……映画、楽しみにしてたんだ」
「……」
小さく微笑む彼女。
それから、二人は握手を交わして、見つめあう。
その手のぬくもりはとても温かく、そして懐かしい気分がするのだった。
+++おわり。
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