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師匠と呼ばせて!〜チョコレート大作戦〜
夕乃瀬慧那(ゆのせけいな)の机の上には、ピンク色のサインペンで大きく花丸を書いてあるカレンダーが置いてあった。
明日は2月14日バレンタインデー。
今まで15年間、慧那は父親と亡くなった祖父以外の男の人にチョコレートを渡したことはなかったのだが、でも今年は違う。
今年はどうしてもあげたい人がいる。
その相手の名は、真那神慶悟(まながみけいご)。
慧那のやっと巡り会えたお師匠様である。
慧那からの熱烈コールの結果、なんとか師匠となってくれた慶悟だったが、
「俺もまだまだ修行中の身だから、師匠って呼ぶのは……なんだかむず痒くて仕方ないから名前で呼んでくれ」
と言われてしまい、慧那は相変わらず慶悟のことを
「真名神さん」
と呼んでいる。
慧那としては、『師匠』は『師匠』なのだからやっぱりそう呼ぶべきだと思う―――本当のところを言うと、呼ぶべきというよりも呼びたいのだ、慧那自身が。だが、慶悟本人にそう言われてしまっては了承するしかない。
先日、まず現在の力量を見せてくれと言われて慧那は水を慶悟の頭に飛ばすわ、その挽回に慶悟の煙草に火をつけようとして過って火柱で煙草どころかテーブルの上にあった紙の式に燃え移らせてあわや大惨事という暴走ぶりを発揮するわと散々だった。
だから、もしかしてそんな出来そこない陰陽師の慧那に『師匠』と呼ばれるのが恥ずかしいから慶悟はそう言ったのではないかと思い、慧那は数日凹んでいた。
だが、凹んでいても仕方ない。
とにかく、陰陽道の業を教えてもらいたいのはもちろんなのだが、そこに行くまでにもうちょっと慶悟との距離を縮めたいなぁ……などと考えていた慧那が思いついたのが、このバレンタインデーだった。
世の中のOLさんたちは本命チョコレートの他に、日ごろお世話になっている会社の同僚や上司に義理チョコレートを配るという風習があるのだ。慧那がこれからお世話になるであろう慶悟にチョコレートを上げても不自然ではないはずだ。
バレンタイン前日、慧那は学校から急いで帰ってきた。
■■■■■
「んーと、まずはチョコレートを細かく刻むのね」
慧那は『初めての手作りバレンタインチョコ』という本の本当に最初に載っているハートのチョコレートを作ることにした。
手作りチョコレート用のクーベルチュールチョコレートを慧那は危なっかしい手つきで刻んでいく。
ザクザクザク―――
ザクザクザクザク―――
ザクザクザクザクザクザクザクザクザク――――――
そう、慧那は失敗した時のためにと1個500gと大きなクーベルチュールチョコレートを4個―――つまり2キロばかり購入していた。
それを今すべて刻んでいるのだ。
時間をかけて刻まれたチョコレートは細かいような細かくないような……かなり大きさにばらつきがあった。
「ふぅ、疲れた」
刻むだけでも一苦労で、慧那は大きく息をつく。
「でも、どうせなら大きいほうが良いもんね」
目の前にはボールに溢れんばかりの刻みチョコレートの山がある。いくら大きい方がいいといっても明らかにやり過ぎだ。
だが、ある意味集中しすぎていて慧那はそんな事は全く考えていなかった。
「で、次はチョコレートの中に混ぜる胡桃を砕いてフライパンで炒めると」
炒め終わった胡桃と市販のコーンフレークを混ぜて下準備はようやく完了。
大きな鍋にお湯を沸かしてその上にチョコレートを入れた金属製のボールを浮かせてかき混ぜると――――
「わぁ、溶けてきた溶けてきた」
見る見るうちに大量の刻みチョコレートはドロっとした液体になった。
「えぇと、あとは胡桃とコーンフレークを入れて固めれば良いのよね―――なぁんだ、簡単簡単♪」
しかし、やはりそう簡単にいくはずもなく、いざ型に流し込もうとしたのだが……
「えぇ、ハートの型が見つからない!」
ハートのケーキの型を買っておいたはずなのにどこをひっくり返しても見当たらない。
「しょうがない、こうなったら自分でアルミホイルでハートの形を作れば良いのよ、うん」
しかし、それが数時間後の出来あがりに見事に反映されることとなった。
翌日、バレンタインデー当日。
「さぁて、綺麗にハート型になってるかな♪」
そう言って、慧那は粗熱をとった後に冷蔵庫に入れておいた巨大ハート型チョコレートを取り出して、絶句した。
何とかアルミホイルを重ねてハート型にしたのだが……型からはずしたチョコレートは、ハート型なんだか狐のお面なんだかという非常にビミョーな形になっていた。
どこがおかしいのかといえば、明らかに縦横の比率がおかしいのは一目瞭然。
「……そ、そうよね、チョコレートなんだから削っちゃえば良いのよ♪」
良いことを思いついたとばかりに慧那は縦の部分を削ったのだが、いかんせんチョコレートの中には胡桃とコーンフレークが混ぜられているうえに妙に硬い。
少しずつ少しずつ……と慎重に削っていったのだが、どうも巧く綺麗なハート型になってくれない。
ちょっと良いかなぁと思うと、胡桃がひっかかって削れ過ぎたり、胡桃がぽろっと取れて穴が開いてみたり。
そうこうするうちに、何とか見れる形になったときにはすでにチョコレートのサイズは最初の半分以下になってしまっていた。
「大きければいいってもんじゃないもんね」
昨日とはまるで反対のことを言いながら慧那は結局そのチョコレートを包んだのだが、その時に居間のテレビからショックな発言が聞こえてきた。
テレビでは朝から賑やかな奥様向け情報番組をやっていたのだが、それに出ていたタレントの一人がこう言ったのだ、
「まぁ、バレンタインと言ってもねぇ……家の旦那は酒好きでしょう? 酒飲みは甘いモノが苦手だから――――」
と。
「そんなぁ〜。真名神さんもお酒が好きだから……」
と言うことはチョコレートは好きじゃない!?
「どぉしよう……」
慧那はその場にしゃがみ込んだ。
■■■■■
慶悟はこれで何回目かになる自称慶悟の弟子の慧那の指導のためにいつぞやの甘味処で慧那を待っていた。
時計を見ると約束の時間をすでに10分少々過ぎている。
時間遵守の慧那には珍しいことだった。
頬杖をつきながら煙草を銜えた慶悟が大きく息を吐いた時に、足元でがさがさという小さな音が聞こえた。
「ん?」
ふと視線を落とすと紙の式数体が一生懸命何かを引っ張っている。
明らかにそれは慧那の式だった。
んしょ、んしょ―――とでも声が聞こえてきそうだ。
少しずつ少しずつ何かを引っ張ってきた式神達は自分達を見つめている慶悟の足元でぴたりと止まった。
どうやら、そこがゴールらしい。
式神たちが運んできた小さな紙袋を慶悟は持ち上げる。開くとそこには淡いブルーの包装紙でラッピングされた“何か”が入っていた。
「……がんばったなぁ、お前達」
持ち上げた紙袋の重さに、慶悟は不覚にもすこし感動した。
ついこの前までこんな重労働(?)をこなす事などまだまだ先のことだと思っていたのだが―――
「頑張ったな慧那も」
すでにお見通しと言うように、慶悟は入り口近くにある屏風に向かってそう声をかけた。
そこから、ひょっこりと慧那が顔を覗かせていた。
果たして、自分の式神たちに本当にあの重い―――といっても所詮中身はチョコレートなのだが、半分以下になったとはいえ、元は2キロもある―――チョコレートが運べるか不安だったのだが、立派に役目を果たしてくれた。
しかも、慶悟が初めて慧那のことを名前で呼んでくれた。
無言でぽんぽんと慶悟に頭を撫でられて、感激で慧那の目はうるうるしている。
「一応、手作りのチョコレートなんですけど……お酒が好きな人は甘いものが嫌いって聞いたんで」
と、慧那は自分のカバンの中からもうひとつ包装された箱を出した。
結局慧那は、ここに来る途中でもしもの時の為にチョコレートを買ってきていたのだ。
慶悟の目の前には2つのチョコレートが並んでいた。
1つは歪なハート型のお手製チョコともう1つはブランデーV.S.O.P入りの市販チョコ。
「これなら大丈夫…ですよね……?」
不安そうな表情の慧那に慶悟は、彼独特のシニカルな笑顔を見せた。
とりあえず、慧那の思惑通り少し2人の距離が縮まったような、そんなバレンタインだった。
Fin
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