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<東京怪談ノベル(シングル)>


柔らかな鼓動

 とくんとくん、って聞こえる。生きているんだよ、ここにいるんだよって。それを畏まって聞く人が少ないだけで、本当は皆聞こえているんだと思う。
 ただ、アタシはそれが自然に聞こえてきちゃうだけだと思ってるの。ほんのちょっぴりたくさん貰った、聞く力があるだけだって。
 だからね、別に嫌じゃないの。大事にしようとは思ってるんだけどね。


 初瀬・蒼華(はせ しょうこ)はふと廊下に何かが落ちているのに気付き、茶色の髪がさらりと落ちるのも気にせず、そっと手を伸ばした。可愛らしいピンクの蝶の飾りがついている、ヘアピンだ。
「どうしたの?蒼華……ああ、落し物」
 友人が蒼華の手元をひょいっと覗き見て、納得した。
「ん」
 蒼華は友人に頷き、それから黒の目でじっと見つめた。神経をそのヘアピンに集中させる。じんわりと伝わってくる、情報。
「……これ、英文科のヒトが落としたんだと思うなぁ」
 蒼華がそう言うと、友人は笑いながら蒼華の背中をばしっと叩く。
「出た出た、蒼華の第六感!」
 あはは、と明るく笑われ、蒼華もにこにこと笑った。
(これ、大事にしているからちゃんと返してあげたいなぁ)
 情報がふわりと入ってくる。ヘアピンを大事にしている落とし主。その大事にしている様子が浮かんでくる。今頃、このヘアピンを落とした事に気付いて困っている事だろう。
「……アタシ、英文科に行ってみるね」
「蒼華、なんだかやる気じゃん?」
「もしもあってたら、何か奢ってくれる?」
 悪戯っぽく蒼華は笑うと、友人は「いやぁねぇ」と言って手をぱたぱたと振った。
「蒼華の第六感ってば、よく当たるんだもの。賭けになんてならないじゃん」
「そっかぁ」
 ほわんと笑う蒼華に、友人はつられたように悪戯っぽく笑う。
「じゃあ、無事そのヘアピンを持ち主に届ける事が出来たら、ご褒美にジュースでも奢ってあげるわよ」
「ジュースかぁ」
「何?文句でもあるのかしら?」
 友人に言われ、蒼華は「ううん」と言って首を振った。
「文句なんてないよぉ。それじゃ、ちょっと行って来るね」
「はいはい、いってらっしゃい」
「ジュースの用意、宜しくね」
「無事持ち主の所に届けられたらね」
 友人はそう言って、手をひらひらと振った。蒼華はそれに手を振り返し、それから小さく呟く。
「絶対に、届けるよ」
 蒼華はそう言って、小さく微笑む。
(あれは、いつの事だったかなぁ)
 ぼんやりと考える。この力に、初めて気付いた時の事を。


 蒼華が自分の持つ力に気付いたのは、まだ幼い頃だった。
「……そんな」
 幼い蒼華は、手の中の冷たい兎を抱きしめ、泣いた。飼っていた兎が、死んでしまったのだ。
「ごめんね」
 蒼華はそう呟き、兎を撫でた。柔らかな毛は、ひょっとしたらまた動き出すのではないかという淡い期待すら抱かせた。だが、ぴくりとも動かぬ冷たい体。それが蒼華の悲しみを増長させるのには充分すぎた。
「ごめんね……」
 再び蒼華は呟いた。はたはたと涙が動かぬ兎に降り注ぐ。……と、その時だった。最初はじんわりと、だんだん鮮明に蒼華の頭に浮かんできたのだ。
 『お腹が痛い』と。
「お腹……?」
 蒼華ははっとして兎を見た。兎は何も言わぬ。ただ、意識が流れ込んでくるだけで。
「お腹が、痛かったの?」
 蒼華はそう言うと、兎を抱き締めたまま立ち上がって兄と弟の所に行った。
「あのね、お腹が痛かったんだって!だから、だから……」
 蒼華の言葉に、兄と弟は顔を見合わせ、それから笑った。
「蒼華、兎が死んで悲しいのは分かるけどさー」
「そうだよ、お腹が痛かっただなんて、分かる訳ねーじゃん」
「だって、だって……」
 あははは、と笑う兄と弟に、蒼華はむっとしながら口を開く。
「大体なぁ、お腹が痛いなんてどうして分かるんだよ?」
「分かるもん!分かったもん!」
「思い込みが激しいだけじゃねーの?」
「違うもん!」
 本気にしてくれない兄と弟に対し、蒼華は背を向けた。
(この子が訴えているのに、ちゃんと言っているのに!)
 蒼華がぎゅっと兎を抱き締めていると、蒼華の頭に柔らかな感触があった。見上げると、母親が蒼華を優しく撫でていた。
「お母さん……」
「可哀想だったわね、蒼華」
「あのね、お母さん」
「何?」
 蒼華は言いかけ、ふと口を噤む。もしも母親も信じてくれなかったら。兄や弟と同じように馬鹿にしたら。だが……。
「どうしたの?蒼華」
 母親から蒼華に向けられていたのは優しい眼差しだった。
(もしも信じてくれなくても……)
 蒼華は兎をぎゅっと抱き締め、母親を見上げた。
「あのね、兎さん……お腹が痛かったって」
 母親はしゃがみ込み、蒼華と目線を合わせた。優しく微笑み、蒼華と兎の両方を撫でる。
「そう……それは、辛かったわね」
 全てを許容する母親の言葉。母親は、否定もしなかったし、馬鹿にもしなかった。蒼華の言葉を受け止め、柔らかく受け止めてくれたのだ。
「お母さん……」
 気付けば、蒼華は泣いていた。母親は優しく蒼華の頭を撫でてくれた。そっと抱き締めながら。
「……お母さん」
 再び蒼華は呟いた。まるで何かの呪文のように。


 英文科、という文字が見えた。それにそっと蒼華は触れた。集中して触っていると、ぼんやりと俯きながら歩いている人が見えた。南下を探しているかのようにきょろきょろと下を見つめている。手はそっと頭に添えられて。そうして、向こうに同じように歩いていっていた。
(そっかぁ。あっちに行ったんだ)
 蒼華はにっこりと笑い、先ほど知った情報と同じ道筋を辿る。ゴールは近い。


 蒼華は台所にいた。隣には母親がいる。手伝いをしようと、ちゃんとエプロンまでつけて隣に立ったのだ。まだ幼かった蒼華に出来得るお手伝いは少なかったが、隣に母親がいるというのが重要なポイントだった。
「蒼華、冷蔵庫から大根を取ってくれる?」
「はーい」
 母親に言われ、蒼華は冷蔵庫から大根を一本取り出す。大ぶりな大根を持った瞬間、蒼華は知った。その大根が、大事に育てられてきた事を。
「……お母さん。この大根、眼鏡かけてて、笑うと皺の出来るオジサンが作ったんだよ」
 蒼華はそう言い、「こんな風に」と言って目の縁に皺を寄せた。
「眼鏡をかけていて、笑うと皺の出来るオジサン?」
 母親は蒼華の行動に小さく笑い、それから尋ねた。
「うん。大事に大事に、美味しくなってねって」
 母親はじっと大根と蒼華を見つめた後、にっこりと笑って蒼華の視線にあわせるようにしゃがんだ。
「そうなの。……蒼華は、優しいのね」
「優しい?」
「そう。だから、大事にされた大根の気持ちも分かるの。大根だって、こんなに大事にされたんだよー、こんな人に育てられたんだよーって言いたいんだと思うの」
「大根が、言いたかったの?」
 蒼華が言うと、母親はにっこりと笑うって頷く。
「そうよ。それを、蒼華は分かる事が出来るのよ。蒼華が優しいから、きっと大根は言っちゃったのね。蒼華なら、分かってくれるから」
「アタシなら、分かるから?」
「そう」
「アタシなら分かるから……アタシが優しいから」
 蒼華はそう何度も繰り返して呟き、笑った。妙に嬉しくなるような言葉だったから。
「そうだ、蒼華。もし他に何か分かったら、お母さんだけに教えてくれるかしら?」
「お母さんだけに?」
「ええ。お母さんと蒼華だけの秘密」
 母親はそう言って悪戯っぽく笑ってウインクした。蒼華はぱあ、と顔をほころばせる。
「アタシとお母さんだけの秘密?」
「そう。二人だけの、秘密」
(お母さんとアタシだけの秘密!)
 その言葉は、なんともくすぐったく、なんとも幸福にさせた。自分と母親だけの秘密。他の誰とも持ち得ない、二人だけの秘密の共有。
「うん、そうする!」
 蒼華はそう言って、母親と指切りした。母親はにっこりと笑っていたし、蒼華もにこにこと笑っていた。二人だけの秘密を大事にしながら。


 大人になり、蒼華は気付いた。母親と共有していた秘密は、自分が特別だったからなされたものなのだと。
(凄いな、お母さん)
 そっと、蒼華は笑った。特別だと気付いたからといっても、大して悩みもしなかった。使い方はしっかりと分かっていたから。
(お母さんの、お陰だよね)
 こうして落し物を拾ったとしても、蒼華は第六感を働かしたように曖昧に言うだけだ。『もしかしたら、どこどこの科の人のじゃないかな』と。そうすれば、友人たちは当たりやすい勘を持っているとしか思わない。ふざけていっているのだと。『また出たよ』とか何とか言いながら。
(これはこれで楽しいんだよね)
 分かっているから、分かっていてくれるから。だから、蒼華は笑っていられる。大事に出来る。忌み嫌う事はせず、ちゃんと受け止めていられる。
 自分が持っている、人とはちょっとだけ違う、この力を。
「あ」
 ゴールだ。少しだけ泣きそうになりながらヘアピンを探す女の子がいた。
(あの子だ)
 蒼華はにこっと笑い、それからヘアピンに笑いかける。
「良かったね、ちゃんと元に帰れるよ」
 そっと囁きかけ、蒼華は女の子に近付く。
「何か、落としたんですかぁ?」
「あ、あの……ヘアピンを」
 蒼華はにっこりと笑いながらヘアピンを差し出す。
「これですか?」
「ああ!これ、これです!有難う御座います」
 女の子は何度も蒼華に頭を下げた。心底嬉しそうに。
(良かったね)
 蒼華は笑いかける。持ち主である女の子に、大事にされているヘアピンに。
「それじゃ、これからも大事にしてあげてね」
 蒼華はそう言ってからくるりと踵を返し、再び友人の所に向かった。
 ジュースを奢って貰う為に。

<自販機にある種類を思い浮かべながら・了>