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<東京怪談ウェブゲーム 草間興信所>


夢の砦

「調べて欲しいのは、私の友人の事なんです」
 菓子折を持ってやって来た女は言った。
「明田春美と言って、幼馴染みです。就職先で偶然再会して以来とても仲良くしていたんですけど、数ヶ月ずっと様子がおかしくて、この1週間仕事も無断欠勤で……」
 電話にも出ず、直接マンションを尋ねても返答がない。実家に帰っているのかと電話をしてみても、この半年帰っていないと言う。
「ご両親に何か聞いてみようかとも思ったんですけど、変に心配をかけてもいけないと思って、でも私が心配で溜まらなくて、こちらにお願い出来たらと……。こう言う依頼は、受けて頂けませんかしら?」
 金になる依頼ならば(自分が手を下さないにしても)受けるつもりだが、草間は取り敢えず返事はせずに、煙草に火を付ける。
 よく言えば友達思い、悪く言えばお節介な女だと言う印象を受ける。
「ええと、様子がおかしいと言うのは、具体的にどんな風に?」
 まぁ取り敢えず少しくらい質問はしておくか。
「ううん……何て言えば良いんでしょう……そう、何か夢を見ているようなボーっとした感じになったんです。呼んでも返事をしなかったり、歩いていて壁にぶつかったり。その後、痩せてきました。ダイエットにしては凄く不健康な……どちらかと言うと、もう何日も食事していないみたいな感じで……」
「付き合い始めた男性がいるとか言う話しは?」
「特に聞いた事はありません」
「何か悩んでいると言う話しは?」
「それも、聞いた事がありません。元々凄く明るくて、前向きな感じの子なんですよね。私の方がしょっちゅう相談に乗って貰ってたんです。だから余計心配で……」
 ふーむ。
 ため息にも似た息を吐いて、草間は煙草を灰皿に押しつける。
「春美に何か思うところがあって会社を休んだりしているのなら構わないんですが、何か事件や事故に巻き込まれていたらと思うと……」
「私は今少し忙しいので……」
 勿論草間に限って忙しいなとと言う事はないのだが、嘘をついてメモ帳に手を伸ばす。
「他に手の空いている者がいれば、調べさせてみましょう。詳しい事はまたこちらから連絡しますよ。ここに、あなたの名前と連絡先を書いておいて下さい」
 女は草間の前で名前と電話番号を書いて見せる。少々子供っぽい文字だった。
「どうか、宜しくお願いします。大切な友達なんです。報酬はきちんとお支払いしますので……」
 深々と頭を下げて去って行く女。
 草間は新しい煙草に火を付けてメモ帳に目を落とした。
「……さて、誰に押しつけようかな……」


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 果たしてこの男が自発的に働こうとした事が今までにあっただろうか。
 いや、ない。
 もしかしたらあったのかも知れないが……あまりにいい加減過ぎて気付かなかっただけかも知れない。
 シュライン・エマは無言で書類を草間に手渡しながら考える。
 草間は受話器を持ったまま書類を受け取り、それを机に放り投げると煙草を取り出して火を付けた。
「……どうして電話をしながら書類に目を通して判を押すって作業が出来ないのかしらね……」
 ぼやくシュラインに、初瀬蒼華がクスクスと笑った。
「でも、こう言うところが草間さんって感じなの」
 バリバリ手際よく働く草間など、想像も出来ない。と言うかそんなの草間じゃない。
「まぁ、そう言うな。多分俺達には見えない部分で有能な時もあるんだろう」
 などとは本気で思っていないが、取り敢えずフォローして真名神慶悟はテーブルに手を伸ばした。
 そこに並ぶお菓子の山、山、山。
「お店の新作チョコ団子、如何ですか?」
 湯飲みを両手で包み込んで、観巫和あげはは慶悟を伺った。
 仕事の依頼で草間に呼び出された蒼華とあげはがそれぞれ持ち寄ったチョコレートのお菓子と、シュラインが用意していたチョコレートケーキ。偶然にもチョコレート菓子ばかりが重なった所為で興信所内には甘ったるい香りが充満していた。
「もう1人の方がまたチョコレートを持ってきたら、ちょっと胸焼けがしちゃうかも……。美味しいけど……」
 言いながらも、蒼華は2つ目のチョコ団子に手を伸ばす。
 もう1人と言うのは、今草間が電話で呼び出している最中の海原みそのだ。
「ちょうどここに来る予定だったらしい。すぐ近くにいるそうだ」
 受話器を置いて、草間は灰皿に煙草を押しつける。
「えぇと、俺を除いて5人か……。ちょっと多かったかな?まぁ良いか」
 言いながらソファに移動してチョコクッキーに手を伸ばす。
 やはり、自分で調査する気はないようだ。どうしてこうも怠惰なのだろう。
 考えながらシュラインはコーヒーを入れる。
 丁度その時、コンコン、と扉がノックされた。
 返事をする草間。
 ゆっくりと扉が開いて、少女が顔を出した。
「こんにちは。お邪魔いたします」
 みそのだ。何やら見慣れぬ黒い服を纏っている。
 よく来てくれたね……と愛想良く招き入れる草間に、みそのは手に持っていた袋を差し出した。
「これ、お土産の牡蠣です。沢山あるので、皆様でどうぞ」
 2杯目のコーヒーを口に運んでいた慶悟はそっと安堵の息を付く。これ以上甘い物は御免だった。
「あら、本当に沢山ね。お鍋にしても酢牡蠣にしてもまだ余るわ……、ああ、それでそんな黒い服なのね?」
 草間から受け取った袋を冷蔵庫に仕舞いつつ、シュラインがみそのを見る。
 成る程、ただ黒い風変わりな服ではない。海女なのだ。
「それはさて置き、揃った処で早速今回の依頼の話しなんだが」
「えぇと……何だったかなぁ?友達の無事を確認……?」
 蒼華にその通り、と頷いて見せてから草間は簡単に依頼内容を説明する。
「……不眠症等、病気、と言う心配は一切なさってなかったわね、依頼人。まぁその場合は動けるうちに会社へ連絡いれるかしら。本人には聞けなかったのだけれど、依頼人って生きてる方よね……?まさか、幽霊が友達を心配してここに来た、なんて事は……」
 流石になかろうと断言出来ないのが怖いわね、と呟きながらシュラインは依頼人が書き残していったメモに目を通す。
 何度か前を通った事のある実在のマンションの住所と部屋番号、確認はしていないが自宅と携帯の電話番号と、依頼人の氏名。
 ちゃんと人間らしい名前だ。動物や人形と言う可能性はなさそうだ。
「電話に出ない……、尋ねて行っても返事がない……、その方、ええと明田さん?は、本当に家にいらっしゃるんでしょうか?」
 もし事件や事故に巻き込まれて家にいないのであれば尋ねて行って返事がないのは当たり前。助けを求めようにも求められないでいると言う可能性もある。まず本人の所在を突き止めなければ。
「ん……、と言うと、やっぱり尋ねて行った方が早いのかな?返事がなければ管理人さんに『妹です!』とか言って鍵を開けて貰って、中を確認してみるとか……?」
「まぁ、それが一番手っ取り早い方法だろうな。部屋に本人がいたとして、どんな状況になっているかは分からないが……」
 多分、夢か霊が関係しているのだろうと慶悟は言った。
「夢魔や人心を惑わす人外の輩……というのがいない訳ではないからな。先日は悪魔にも会った。夢の中に心の芯を留め置くものがいるのかもしれないな」
「そう言う原因でしたら、私、分かるかも知れません。明田さん本人を写真に撮ってみれば……。好きだとか嫌いだとか、そういった感情は映し出せませんが、夢の様に映像を持ったものなら写るかも……」
 あげはの言葉に、みそのは小さく頷きながら手を伸ばし、受話器を取った。
「では、早速その方の御宅に伺いましょう。依頼人の方も心配されてのことでしょうから」
 言いながら、みそのはメモに書かれた明田春美の電話番号を回す。招待もないのに突然訪問し、部屋に入るのでは失礼になるので一応、確認の電話をするつもりらしい。
 2回の呼び出しで留守番電話に切り替わり、ピーと言う音の後に、みそのは丁寧な口調で5人の訪問を告げた。
「これで一応、こちらの意志は伝わったと言う事に致しましょう。もしご本人が御宅にいらっしゃるのでしたら、わたくしのメッセージが聞こえていらっしゃると思いますから」
 覚醒の状態にあれば、と言う条件付きではあるが、多分礼儀には叶っているのだろう。叶っているとしよう。


 働く気はさらさらないらしい草間を興信所に残し、5人は明田春美のマンションを訪れた。
 玄関には新聞受けに入り切らなくなった新聞が積まれてある。数えてみると2週間分だった。
「確か、依頼人は『この1週間仕事も無断欠勤』って言ってたわね。無断欠勤をする前から新聞を取り込んでいないのね」
 言いながらシュラインは新聞を端に寄せて、冷たい扉に耳を押し当てた。
 中に明田春美本人がいるのなら、何かしら物音が聞こえるのではないかと思ったのだが……、
「どうですか?」
 問うあげはに、シュラインは首を振った。
 足音や話し声、テレビやCDなどの生活雑音は聞こえてこない。
「やっぱり、中に入ってみるしか方法はないかな?さっき管理人さんが言ってたけど、最近明田さんを見ないって……」
 言いながら、蒼華は部屋番号の入った鍵を取り出す。
 蒼華はこのマンションに来てまず最初に管理人室を尋ね、姉に会いに来たのだが、預かった鍵を忘れてしまったと理由を付けて合い鍵を貸して貰った。身分証明書を見せるようにと言われ素直に学生証を見せたものの名字の違いを指摘され両親が離婚して父親の名字になった……と苦しい言い訳をしたのだが、蒼華を頭のてっぺんからつま先までまじまじと見て、管理人は納得して鍵を渡してくれた。その際に、最近明田春美を見ないと管理人が言っていた。毎朝廊下の掃除をしている時に挨拶をしてくれていたのだが……と。
「無断欠勤を初めて1週間……、人は絶食状態で何日生きられるものでしょう?急がないと明田様の命にかかわるかも知れません」
 みそのの言葉に、慶悟は頷いて蒼華から鍵を受け取った。
「中に本人がいて、無事なら事情を説明すれば良い。開けてみよう」
 異論はないかと目で確認すると、4人は頷いて見せる。
 慶悟はゆっくりと鍵を差し込んだ。
「こんにちは?」
 扉を開き、あげはが声を掛ける。そのまま中を覗き込んで、一瞬あげはは言葉を失った。
「えぇ?」
 続いて覗き込んだ蒼華も短い声を上げる。
「…………」
 慶悟は扉の先に広がる光景をまじまじと見つめつつ、中に入り込む事は少し躊躇った。
「これは一体……何でしょう……、こう言うお部屋なのでしょうか?」
「まさか、それはないでしょう。いくらなんでも」
 みそのとシュラインも中を覗き込んで顔を見合わせる。
 扉の先には、普通上がりかまちがあり廊下なり台所なり部屋なりが、ある筈だ。
 しかし今、5人の目の前には燦々と降り注ぐ太陽に青々と輝く草原が広がっていた。
「ここで止まっていても仕方がない、入ってみるか」
 と、一歩踏みだそうとした慶悟の足元に、一羽の兎が駆けてきた。
 思わず踏みそうになり、慌てて足を引っ込める慶悟。
「まあ、危なかったわ!」
 目を細めて、兎が言った。
 兎と言っても動物園やペットショップにいるようなこんもりとした兎ではない。
「ようこそ、いらっしゃい!お出迎えが遅れてしまって、ごめんなさいね。お茶の用意をしていたものだから」
 ちょいちょい、と手で5人を招く兎は、ピンクの耳に茶色いガラスの瞳。両足でしっかりと立った体には真っ白いレースのエプロンを掛けている。
 5人は顔を見合わせて兎とその先に広がる光景を見比べた。
「さっき、電話をくれたでしょう?ちゃんと5人分のお茶を用意してあるのよ」
 にこにこと笑う兎。
 取り敢えず、招待に預かるより他に方法が思いつかないので5人は躊躇いつつも中に足を踏み入れた。
 最後にみそのが中に入り、その背後でゆっくりと扉が閉まる。
 5人を案内する兎はぴょんぴょんとは跳ねずに、2本の後ろ足で器用に歩いた。
 5人は無言でその後を追いつつ、周囲に目を配る。
 丘の上に白い建物。兎はそこを目指して歩いているようだ。
 空には小鳥がさえずり、絵に描いたような草原では子猫や子犬が走り回って遊んでいる。
「えぇと……、ここは、どこなの?明田春美さんに会いたくて来たんだけど……」
 沈黙を破り、蒼華が兎に問う。
「明田春美……?誰かしら……ああ、そうだわ!お姫様がそんな名前じゃないかしら?でもここでは誰も名前でなんか呼ばないわ。そんなの無意味だもの」
 明田春美がお姫様。
 その言葉で、やはりここは間違いなく明田春美の部屋なのだと5人は認識する。
「あ、写真を撮らせて貰っても構いませんか?こんな素敵な処には、滅多に来る機会がないので……」
 言いながらあげはがカメラを取り出す。
 兎は良いですよ、と頷いて後でもっと美しい場所に案内しましょうと笑った。
 あげはは先を行く4人と兎に遅れないよう何度か立ち止まりつつ写真を撮った。
 広がる景色を見れば見る程、ごく普通の単身者向けのマンションの一室ではない。
 しかしどこかで見たような景色だと、あげはは思う。
 多分、誰もが一度は見た事がある景色だと。
「さぁどうぞ、好きな席に!でも上座はいけませんよ。お姫様の席ですからね」
 真っ白いクロスを掛けたテーブルに並ぶお菓子の数々。
 5人は顔を見合わせつつ上座に近い席に腰を下ろす。
 その途端、
「まぁ」
 みそのが驚きの声を上げた。
「あら」
 シュラインがみそのを見てから、自分に目を映す。
 全員が同じように向かい合って座った相手と自分を見比べた。
 5人とも普段着慣れた服を着ていたのだが、椅子に腰を下ろした途端にその洋服が替わった。
 女性陣は白をベースにした柔らかいドレス。
 蒼華には薄いブルーのリボン、あげはには爽やかな黄色いリボン、みそのには深い緑のリボン、シュラインには鮮やかな赤のリボンが胸元に飾られている。そして、慶悟はと言うと金釦の付いた白い上着。ズボンも真っ白で、腰には高価そうな剣がある。
「成る程、お茶会に相応しい服装になったと言う訳か……」
 げんなりとした顔で上着の一番上の釦を外し、慶悟は懐に入れてあった筈の符がちゃんと在る事を確認した。
「私達、多分明田さんの夢の中に入って来たのね。夢の中では全てが明田さんの思い通りになるって事なのかしら?」
 声を潜めて問うシュラインに、蒼華が少々不安そうな声を上げた。
「もし、明田さんがこのまま夢から覚めなかったら、あたし達ずっとここにいなくちゃいけないってことかな?」
「いや、その心配はない。一応【正気鎮心】符と【禁厭夢魔】符を持って来ているからな」
 その名の通り、正気でない者を我に返らせる符と妄夢を祓う符だ。明田春美本人が夢から覚める事を拒否しても、強制的に醒まさせる事が出来る。
「だが、こうなるには何か原因があった筈だ」
「なにかに取り憑かれちゃったのかな。それとも失恋?失恋なら元気だったヒトがそうなってもおかしくないかな……」
 そっとため息を付いて、あげはは周りの風景を見回した。
「楽しい夢なら醒めないで欲しい、という気持ちも持たない訳ではないですけれど……」
 ここにやってくるまで、夢に心を囚われる等と言う事が現実にあるかどうか今ひとつ実感がなかったが、こうして夢の中に入って来るとそんな事もあるのだとあげはは納得する。以前見た映画には夢と現実が混ざってしまったと言うものもあったが……、この夢の世界には、現実は存在しないようだ。
「こんな素敵な世界の夢ならばずっと見ていたいと言う気持も分かりますが、眠ったままで生きられる日数には限界がありますものね。ご本人にお話を伺ってみるのが一番でしょうか……。ただ、ご本人の意に添わない事をするとわたくし達がこの世界から追い出されてしまうかも知れませんね……」
「ああ、成る程。ここが明田さんだけの世界なら、招くも追い出すも自由って事よね。私達には不利な世界だわ。上手く話しを進めないとね」
 小さくシュラインがため息を付いた、その時、白い建物から1人の少女が姿を現した。


「ようこそ、わたしのお茶会へ!」
 大きな青い目に輝く金の巻き毛。
 レースをふんだんに使った白とピンクのドレス。小さなガラスの靴。
 少女は優雅に微笑んで上座に就いた。
「今日はお客様が多くて、とっても嬉しいわ」
 言いながら少女が手元の鈴を慣らすと、さっきの兎が白いワゴンを押してやって来た。
 兎はテーブルの周りを素早く動いて全員にお茶を振る舞った。
 薔薇の模様の入った朝顔型のティーカップに、銀のスプーン。
「……明田春美ってのは日本人じゃなかったのか?」
 慶悟が隣に座ったあげはにそっと耳打ちする。
「多分、明田さんの理想の姿なんだと思います。理想と言うか……子供の頃に思い描いた夢の姿でしょうか?」
「あ、そうか!お伽の国のお姫様!着せ替え人形とか塗り絵とか、こんな世界が多かったもんね」
 蒼華の言葉に、慶悟は小さく鼻を鳴らす。男には少々分からない世界なのかも知れない。
「まさに、女の子の世界よね。あ、それであんた、王子様みたいな格好なのね」
 シュラインが慶悟の服装を指差すと、慶悟はとても嫌そうな顔で懐に手を入れる。それからすぐに舌打ちして手を出した。
 どうやら煙草はこのお姫様の世界には不要な物らしい。
「まあ、この紅茶、とても美味しいわ」
 お姫様版明田春美に一番近い席に座ったみそのが早速紅茶に口を付けて微笑んだ。
「ありがとう。お菓子もどうぞ召し上がって」
 上品な手袋を嵌めた手でお菓子を勧めて、お姫様版明田春美はにこりと微笑む。
 優雅な微笑みには少々遠い、子供らしい笑みだ。
「あんな笑い方、大人になったら忘れちゃったわね。子供の頃って、どうしてあんなに無邪気に笑っていられたのかしら?」
「多分、何も考えていなかったからだろうな」
 子供の頃は多分、愛想笑いなんてした事がなかった。する必要もなかった。笑いたい時に笑って、泣きたい時に泣いて……、自分の感情に素直だった。だからこそ、無邪気に笑う事が出来たのだろう。
「もし、夢から覚めてこの笑みが失われるなら……起こす事を躊躇ってしまいます、私……」
 夢の世界と現実と、どちらが明田春美にとって幸せなのか。それは問わずとも分かり切った事だ。明田春美がこの世界にいる以上、彼女にとっては夢の世界の方が幸せなのだ。
 その幸せを壊すと分かっていて、醒まさせる事は少々酷ではなかろうか、とあげはは思ってしまう。
「でも、ずっと夢の世界では生きられないもの……。本人は良くても、周りの人とか友達とかは心配しちゃうし、現に依頼人がいるし……。可哀想だけど、起きて貰わなくちゃいけないんじゃないかな。こんな風景は滅多に見られないけど、現実だって、きっと素敵だもん」
 そっとため息を付く蒼華。
 その時、お姫様版明田春美と楽しげに話していたみそのが自然な動作であげはを振り返り、記念撮影を持ちかけるように提案した。
 そして、撮って欲しいのはこの夢の世界ではなく、現実の世界の明田春美だと言う。
 あげはは頷き、カメラを取り出した。
「折角ですから、写真を撮りませんか?お姫様との記念撮影って、素敵。王子様もいる事ですし」
 と、慶悟を見る。
 慶悟は仕方がないとでも言う風に上着の釦をかけ、立ち上がった。
 白い建物を背景に、あげはを除く全員が並ぶ。
「撮りますよー、良いですか?」
 言いながら、あげはは軽く深呼吸をして意識を集中させる。
 覗き込んだファインダーの向こうには、お姫様の明田春美。そして王子様のような慶悟に、貴婦人らしいシュライン、みその、蒼華。
 一番前には特別出演で兎にも入って貰った。
 この可愛らしい夢の世界ではなく、現実を。
 子供の頃に少女なら一度は夢に見たこの世界。美しいけれど、現実ではないこの世界を越えて、現実の明田春美を。
 祈るように、あげははシャッターを押した。
「写真って、大好き!いっぱい思い出になって、楽しいもの」
 にこやかにあげはの手元を覗き込もうとするお姫様版明田春美。
 一瞬あげはは躊躇い、カメラを手で隠そうとしたが、遅かった。
 デジタルカメラのモニターに映し出された映像。
「いやぁ!」
 お姫様版明田春美が目をふさぐ。
 その手から手袋が消え、細い大人の手が姿を現した。
「そんなもの、捨てちゃってよ!」
 叫ぶ明田の髪がゆっくりと黒く変わってゆく。
「目を逸らすんじゃない、これが現実だ」
 慶悟の言葉に、今度は耳を塞ぐ明田。
 その姿はもうお姫様ではなく成人した女性だ。
 突如世界が回り始めた。
 青い空が消えて人工のきらびやかな照明に。
 草原は使い古した絨毯に。
 兎はぬいぐるみになり、白い建物はビルに変わった。
 風のように様々な映像が駆け巡る。スーツを来た男と女、地下鉄、化粧品、雑誌、パンプス、ダイエット食品、書類、指輪、電話……。
 嵐のように駆け巡る映像。崩れてゆく夢の世界。
 そして最終的に、夢は真っ暗な世界になった。
「見たくないのよ……そんな世界なんて……」
「だけど夢の世界では生きられないわ。目を覚まして頂戴。心配してる人がいるんだから」
 膝を抱えて座る明田春美の肩に触れるシュライン。こちらももう、元通りの服になっている。
「目覚めたくなんかない。ずっと眠っていたいのよ」 
「夢の世界は楽しいだろうな。でもずっと楽しいばかりじゃない。夢にだってイヤな夢ってものがある。楽しい夢だったから良かったものの、これから先、悪夢を見続けるハメになったらどうする」
 言って、慶悟はライターで何かに火を付ける。煙草ではないようだが、暗闇に煙が漂った。
「線香だ。結構良い香りだろう?リラックスさせる作用があるからな。落ち着いて、話しを聴いてくれないか」
 穏やかな香りだ。
 真っ暗だった世界に僅かに光が射す。
 5人は漸くまだ夢の世界にいるとは言え、現実の明田春美の姿を見た。
 ごく普通の、どこにでもいるような女性だ。
「失恋でもしちゃったの?それとも、何か凄く辛い事があったの?」
「不安な事でもあったんですか?私達で良ければ、相談に乗ります」
 小さく、明田は首を振った。そして言った。
 何もかもに疲れたのだと。
 上司や同僚との付き合いも、友達との付き合いも、流行を追い掛けようとする生活も、ファッションや化粧品の話しにもダイエットやコンパの話しにも、人の愚痴にも上司のイヤミにも仕事の失敗にも、うんざりした。
 毎日が無益で詰まらない。
 子供の頃に望んでいた大人の姿は、こんなのじゃなかった。
 子供の頃には沢山夢があって、理想があって、希望があって、毎日が楽しかった。それに比べて、この現実は何だろう。
 下らない。
 何の意味もない。
 それに比べて、夢の世界は楽しい。
 それは多分、小さな願望だった。
 最初は、誰もが抱く望み。
 月曜の朝、目覚まし時計の音で夢から現実に引き戻される。その夢と現実の狭間で望む、あと5分。
 あと5分だけ。
 あと3分だけ。
 ……あと少しだけ。
 温かい布団にくるまって、優しい夢の世界にいたい。
 そんな小さな願望だったに違いない。
「ないものねだりも良いところね」
 シュラインがため息を付く。
「毎日が詰まらないなんて思ったら、本当に詰まらなくなってしまうものよ。楽しく過ごしたいなら、楽しく過ごす努力をしなさい。やる気も気力もない人間に楽しい事なんてあるわけないでしょ」
「人生は、楽しんだ者勝ちと言いますから。明田様もどうかもっと楽しく過ごす努力をなさって下さい。現実の世界だって、楽しもうと思えば楽しいものですよ。少なくとも、この作り物の夢の世界でニセモノに囲まれて過ごすよりは」
 にこりとみそのが笑う。それは、嘘偽りのない、本物の笑顔。
「目覚ましは鳴りません。自分で起きてくださいね。目覚めたら、土曜の夕方です。明日は楽しい日曜日。そう思って、起きてください」
 言って、あげははデジカメの映像を全て削除した。夢の世界も、現実の世界も、もう映像は必要ない。


「っと、」
 足元が揺れたような感覚で、慶悟は我に返った。
 手にはまだ差し込んだままの鍵が握られている。
「目覚めた……のかしらね?」
 たった今、夢から覚めた顔でシュラインが問う。
「私達がここにいると言う事は、多分」
 あげはは4人を見回してからインターフォンに手を伸ばす。その手を慶悟が止めた。
「いや、辞めた方が良い」
「そうですね。こちらからは呼ばない方が良いでしょう」
 頷くみそのに、何故、と蒼華が首を傾げる。
「だって、目覚めたのでしたら、自分で外部との連絡が取れると言う事ですもの。明田様が必要と思う方にご自分で連絡を取って、助けを求めるなり何なり、されれば良いのではないでしょうか」
「『求めよ、されば開かれん』って事かな?」
「そうね。自分から欲する事って、大切なのね。楽しもうって気持にならなくちゃ楽しめないって……」
「……帰るか、用も終わった事だし、腹も減ったし」
 一旦放り投げた鍵を受け止めて、慶悟はそれを新聞受けに落とす。
 後で電話をして事情を説明して管理人に返しておいて貰えば良い。
「お土産の牡蠣で、皆でお鍋にでもしましょうか。ああ、そうだ。武彦さんに電話してご飯を炊いておいて貰おうかしら」
「草間さんがご飯なんか、炊くかなぁ……」
「多分、今頃興信所にいないと思うぞ……」
 ぞろぞろと5人は廊下を歩いてエレベーターに向かう。
 今夜眠ったら、どんな夢を見るだろう。
 お伽の世界の楽しい夢か、宇宙を旅するようなドキドキする夢か……。
 どんな夢を見ても、必ず目覚める時間が来る。
 目覚めたら、新しい1日。
 まだ失敗も不安も不満もない、新しい自分。



end


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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
 0086   / シュライン・エマ / 女  / 26 / 翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員
 0389   / 真名神・慶悟   / 男  / 20 / 陰陽師
 2129   / 観巫和・あげは  / 女  / 19 / 甘味処【和】の店主
 2540   / 初瀬・蒼華    / 女  / 20 / 大学生
 1388   / 海原・みその   / 女  / 13 / 深淵の巫女

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■         ライター通信          ■
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 この度はご利用有り難う御座います。
 この頃納品が遅くて申し訳ないです。
 もう少しキリキリ自分に鞭打って頑張りたいと思っております。
 また機会がありましたら、宜しくお願い致します。