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<東京怪談ノベル(シングル)>


病院ではお静かに

 寒さも随分ましになってきた午後に、城田京一の勤め先は一部分が微妙に騒がしくなった。
 都内ではなかなか大きい方だと言える総合病院でのこと。
 のんびりと昼の休憩を取っていた城田は、間食の煎餅を口にしたところで休憩室に踏み込んできた恰幅のいい看護婦に「どこに行ってたんですか、先生!」と叫ばれた。
「どこって……休憩室だね」
 特に驚いた様子もなく、城田が聞かれたままに答えると、看護婦は「そんなことを聞いてるんじゃないんですよ」とわけの分からない返答を返してきた。
 ならたった今聞いた言葉は何だったというのだ。
 普通にそう思ったがそこは温厚な城田のこと。わざわざ突っ込んだりはせずに息を切らした様子の看護婦にやんわりと尋ねた。
「で、どうしたのかね。病院内は走ってはいけないよ」
「そんなことはわかってますよ。でも、本当に急いで探してたんです、城田先生」
 だからすぐに来てもらいますよ、との有無を言わさぬ言葉に、城田は食べかけの煎餅と温かそうな湯気を上げる煎茶を少しばかり名残惜しそうに眺めたのだった。

『先生以外はみんな嫌だ、というんです』
 城田を連れに来た看護婦はやれやれ、といった風情で首を振った。
 モノは先ほど運び込まれてきた患者で、青年男子。成人済み。全体的にざっとみて骨折と軽傷の打撲が見られる。……それでいて男気溢れる極道で、某組の若頭。
 話を聞いてなるほど、と城田は思った。早い話が、他の医師が極道を診察するのを怖がったというわけだ。
 おかげで自分は優雅な休憩時間をこうして邪魔されてしまった、と。
 清潔に短く切られた黒髪を軽くかき混ぜ、アクアマリンの目を眇(すが)めて一つため息をつく。
(まぁ、別にかまわないけどね……)
 極道だというから、恐らく血気盛んな抗争か命(たま)とりの喧嘩で負傷したのだろう。それにしては骨折とは随分安くついたものだ。
 温厚そうな面の裏側でそんな物騒なことを考えながら、城田は医局に繋がる扉を開く。中で事務をしている数名がかけてくる声に返事を返しながら、「彼は初診? カルテは私が作ればいいんだね?」と尋ねると、「新しい用紙を机に置いておきました」との答えが返ってきた。一応仕事はしているらしい。
 その言葉に頷いて、簡単に身支度を整えると城田は理学療法室へと向かうことにした。患者は外傷を受けているとのことだったので処置ができる診察室へ回しておいてもらったのだ。
「それじゃあ、行ってくるよ」
 周りの看護士に何気なくそう言うと、背後から「気をつけてくださいね」とかかる何人かの声が返ってきた。
 やれやれ。よほど恐れられているらしいよ……。

§
 療法室に入ってみると、件(くだん)の若頭は随分ぶすっとした顔でそっけない処置用の白いベッドに座って両足を垂らしていた。城田はそんな彼の横顔に「お待たせしたね」と声をかける。
 振り向いた顔は意外と強面というわけでもなく、普通の顔だった。
 全体の雰囲気がぎすぎすとしているわけでもなければ、よくあるチンピラがかもし出す幼稚なオーラも持っていない。
 ――――ただ、目だけが妙に鋭かった。
 懐かしい目だ。ある意味、城田が体の奥底の本能で知っている目。
(なるほど……。これは、怖がっても仕方ないかもしれないね)
 心の中でだけそっと苦笑して、城田は彼の前に座る。
 新しく用意されたカルテにはすでに名前が書かれていたので特に確認はせず、問診しながらの診察に入る。
「――――左足か……。何をして折ったんだい?」
「…………なんでもねぇことだよ」
「だから何?」
「…………」
 聞き返すと若頭はぎろり、と形容するしかないような目で城田を見返してくる。普通の医師ならそこで怯みもするかもしれないが、城田の場合馬耳東風というものだ。
 しれっとした顔で「教えてくれないことには、カルテ書きが終わらないんだからね」と返され、逆に若頭が目を見張ることになった。
 しばし、二人、視線を合わせる。
 先に逸らしたのは、若頭の方だった。
「…………言えばいいんだな」
 ぶすっとした答えに城田はにっこりと笑って頷く。
 
 ――――そして、およそ数分後。総合病院内は、「あの極道の若頭は、爪をひっかけて降りれなくなっていた猫を助ける為に屋根にあがって、あげく骨折」などという或る意味ありえない事実が駆け回ることになっていた。
(……なんだ。別に抗争ってわけでもなかったんだね)
 少々拍子抜けしながらも、城田はその微笑ましい理由に含み笑いを我慢できない。
 若頭はひどくバツは悪そうだったものの、その後は意外と素直に問診にも答えていた。そして、今はしばらく入院が決まった個室病棟の一室で、城田が差し入れたチョコを黙々と食べている。
 ”笑いをこらえ切れない様子の看護士からもらったチョコ”というところを伏せたのはとりあえず正解だったらしい。
「甘いものは好きなのかい?」
「…………まぁな」
 にこにこと尋ねると、向こうも居心地は悪そうだが少し柔らかめの顔でそう答えてくる。
 お大事に、という言葉を残して病室を後にした城田は、「なんだ。別に、普通の人じゃないか」と呟きながら詰め所に帰るのだった。
 ――――しかし。事は当然のようにそれだけでは終わらなかった。

 若頭が入院してからというもの、先の一週間ほどは概ね問題もなく日々は過ぎていた。
 ささやかな問題はといえば、個室病棟の一室に妙に人相の悪い連中ばかりが出入りするようになったことくらいで――――城田にすれば大して問題もないことだが――――他の周りの者たちはみな一様におっかなびっくり状態だった。
 だが、ひそやかに広まってしまった噂のおかげもあり、偏見の目も随分和らいでいた為、そう大きな問題としては取り上げられなかったのだ。
 しかし。
「おい、やろうってのかよ」
「…………上等じゃねぇか。人の弱みをつくところがお前ららしいぜ」
 一際人相も柄も悪い見舞い客が来たある日。そんなやり取りから唐突に始まりそうになった乱闘の気配に、個室の前を散歩していた糖尿病の老人が息を切らして医務局に駆け込んできた。
 なんでも折り合いの悪い組の連中が見舞いと称して難癖をつけにきたらしい、とのことで(よほどじっくり聞いていたらしい)、個室はいまや一触即発を越えて大喧嘩がはじまっているという。
 息を切らして苦しそうな老人の背をさすってやりながら、城田はむう、と唸った。
「…………個人病棟には小さな子供だっているんだよ?」
 医務局に詰めていた他の医者は度を失って蒼くなるばかりだ。
 城田は小さく息をついて白衣を翻(ひるがえ)すと、「しばらく誰も近づけないように。危ないからね」と言い残して医務局をあとにした。

§
 城田が病室にたどり着いた時には、乱闘騒ぎは嫌な白熱ぶりを見せていた。
 ぶつかり合う肉の音やら備品をぶち壊す音やら――――あとできっちり弁償をさせよう、と思いながら、城田は肩を一つぐるり、とまわした。
 何事か、と驚いて遠巻きに見物に来ている患者や看護士を適当に追い払って、自分は武器一つ持たず病室に入っていく。
 途端、勢い良く人が飛んできて、城田の真横の壁に派手にぶち当たった。体中の骨がみしみしと軋み、ワンテンポ置いてその体が床に這いつくばる。おやおや、と呟いて見ているとその仲間を追ってごつきが駆け寄ってきたので胸倉を造作なく捉え、軽く首の後ろに手刀を入れてやった。鍛え方が足りないのか、彼も簡単に伸びてしまう。
「はい、キミたち外ね」
 図体のでかい大人の男の体を二つ、軽々と抱えて外に運び出すと、それに気づいた仲間がまた「てめえ!」と叫んで城田に向かってきた。
「…………静かにしなさい。病院内なんだよ」
 言いながら、がむしゃらに突っ込んできた拳を左足を軸に体を反転させてよけた後、伸びきった腕を捉えて体を床に叩きつける。
 ――これで三人。
 頭に血の上った無茶苦茶な拳や蹴りを受け流して相手をのすことなど、なんの苦労でもなかった。そうしてダウンした順に丁重に病室の外へ運び出していく。
 そんな影の作業を地道に数分続けた後、騒がしかった病室は瞬く間に心もとなくなり、気づいた時にはもう若頭と城田の二人だけになっていた。
 狐につままれたような顔で、若頭は息一つ乱していない城田の顔を見て、病室の外にのされたアホ共を見る。
「…………お前、一体何モンだ」
 乱れた白衣を払いながら壊された備品の数をチェックしていた城田は、一瞬考えてからしれっと答えた。
「キミの担当医だね」

 後日。若頭は請求された備品代をきっちりと払ったという。おまけに侘びとして豪華な菓子折りもついていたらしい。
 それ以後、城田が勤める都内病院で彼らが問題を起こすことは一切なかった。

END