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<東京怪談ウェブゲーム アトラス編集部>


荊姫:第一夜

荊姫 荊姫 荊姫
四ツ夜の間は醒めてはならぬ

四神治める東南西北を荊で包み
王子の助けを妨げよ
月が東西四ツ夜を渡るまで
風が北南四ツ夜を渡るまで

白虎治める大道を
玄武治める丘目指し
青龍治める流水を
朱雀治める窪地に貯めよ

荊姫 荊姫 荊姫
四ツ夜の間は醒めてはならぬ


今どきどこで手に入れるのか、上等の洋紙にそんな文章とともに送られてきた手紙には別紙にもう一言書かれてあった。
「眠る荊姫を中心に東西南北を守護してくださる方を探しております。南北を守護する方はその場から動かないで下さい。東西を守護する方は荊姫と守護範囲の間を行き来しても構いません。たった四晩だけで良いんです。北から吹く風から荊姫をお守り下さい。どなたでも構いません。そんな方を集めてくださいませんか。どうぞ、次の雪夜に町外れの大きな洋館までお越しください。それ以上のことは人が集まってからお話いたします。 魔女より」

碇編集長は溜息を吐いた。
「嘘なのか本当なのか分かりゃしないわ」
「でも、この洋紙とか、すごいですねぇ…」
三下もまじまじと、今朝ポストに消印も切手も無く届けられたその手紙を見た。
「まあどの調査も大体嘘か真か分からないんだし、今更ね。というわけで、三下君、適当に人数集めておいて」
「……また僕が人集めですかぁ…」
三下は今更か、と碇編集長の睨みに背を向けて受話器を取った。







 その晩は雪が降った。
 積もるほどではなかったが指定の夜ということもあり、いそいそと向かった先は町外れの洋館だった。
 途中の道で行き合わせた二人、龍神吠音(たつがみ・はいね)と天音神孝(あまねがみ・こう)は、雪の結晶を鬱陶しそうに払い除けながら足を進めた。
 孝が聞く。
「具体的な時間の指定って無かったよな?」
「無かったですね」
 冷える気温は自然と二人の会話を短くした。
「そういえばあの洋館の直ぐ近くで最近爆発事故がなかったっけ」
「ああ、ありましたね。俺、新聞で見ただけなんで、よくは知らないけどどっかの大きな研究所か何かって言う…」
「お国絡みだとよ」
「へえ、知らなかった」
 うーさぶい、と孝は身震いして首に巻いたマフラーを少し直した。吠音は白い息をまるでタバコの煙のように、黒い夜空に吐き出した。
「何をやらされるのかな」
「ま、行けば分かんだろ。それと俺に敬語は使うなよ。どうも苦手なんだ、堅苦しいのは」
 孝は目の前に現れた洋館の門を背に、吠音に言った。
「綺麗なお姫様だといいな」
 吠音は鈍い音を立てて開かれる門を考より先に歩いた。所々錆びた鉄の細工が年季を感じさせ、それはギイという音で表される。
 門を入ってまず目に見えたのは広大な庭園…ではなくて、確かに広い場所ではあるのだが、まるで学校のグラウンドのような、砂土が埃臭く敷かれた場所だった。大きな敷地にはパイプ小屋のような、仮設の建物が点在している。敷地内は高い塀で囲まれているので、これは中に入らないと分からない。
「てっきり…その、綺麗な庭とか噴水とかがあるのかと思ってたんだが」
「……俺も」
 庭や噴水があったとしてもこんな夜では大して見栄えはしないだろう。だが、吹きさらしのグラウンドに仮設小屋では多分に気味が悪い。
 空に浮かぶ半月がその味をより一層引き出している。
 門とちょうど対角に目に入る建物だけは立派な洋館で、それはそれでまた逆に不気味である。
 石の塀にゴシック調の門をくぐれば、現代風の仮設小屋に囲まれた大きな洋館――。
「眠り姫だの東西南北だの、仮設小屋だの洋館だの」
「チャンポンですね」
「敬語は要らないよ」
 言いながら二人はとりあえず入るべきであろう洋館の大きな両開きの扉を開いた。来訪者の為にこの鍵は開いているのだろうか。
 門と同じように鈍い音を立てて開いた扉の中には、またしても不釣合いな内装になっていた。
 螺旋階段があったり、大きなホールがあったりするのかと思えばとんでもない。蛍光灯を照明に、テーブルが数台、その上にはパソコン、入って直ぐにあるカウンターの奥にはファイルやらノートやらが詰め込まれた棚。階段はあるにはあるが質素でとても機械的なもの。螺旋階段のように優雅さや気品さを思わせるようなそれではない。しかもある場所はエントランスとも呼べるその部屋の隅の方。主に使われているであろう階上への往来手段は…エレベータらしい。
 上下を指す二つの矢印のうち、下行きのそれが点滅し、ピーンと音を立てて扉が開いた。
「いらっしゃいませ」
 出てきた女はとても整った顔立ちで、二人に笑いかけた。鼻筋が通り、目はくるっと大きい。長い髪は丁寧に梳かされていて、後ろに垂らしてある。着ている服はこの真冬だというのにスリットドレスで、肌蹴られた白い肩や鎖骨、細い二の腕が寒そうなことこの上ない。
「あんたが、魔女さんかい?」
 孝が先に立ち寄って、まじまじとその女性を見た。
「はい、わたしです」
 病的なほどに白い頬を緩ませて、自称魔女は更に笑みを深くした。
「魔女にしちゃあ…いや魔女だからこんなに美人なのかね?」
 吠音も近寄って考と同じようにまじまじと見た。
「うわわ…美人だなんて!とんでもないです!」
 大人っぽい外見に比べて予想以上に落ち着きのない反応を返す自称魔女に二人はあっさり毒気を抜かれてしまった。今の今まで一体何が待ち構えているのかと、少々慄きもしていたのに。
「エエト、お二人が荊になってくださる方ですか?」
「…荊?」
「はい、眠り姫を守る荊になってくださる方のはずですが」
「ああ、そういうことね」
 一瞬何の事か考え込んだ孝に先駆けて、吠音が返事をした。
 「ではこちらへどうぞ。眠り姫を紹介いたします。あ、念のためにお名前と希望守護方角を聞いておきましょうか」
 エレベーターは使わず、自称魔女は隅に置かれた一台のパソコン机の隣の扉へ二人を誘導しながら訪ねた。
「龍神吠音、希望保守後は東西で、できれば東がいい」
「天音神孝、希望守護は南北」
「分かりました」
 三人は通された扉の向こうにまたも吃驚した。部屋があるのかと思っていた場所は、最初に通ったグラウンドのように広い、外だったからだ。中庭のようなそこの中心部らしき場所には寝台が一つ。
 それ以外は何もない。さっきのような仮設小屋も、まして洋館も。何もないどころか、反対側が見えないほどに広い。
「えー…ここは…中庭?」
「そうです。使用目的の為に吹きさらしてあるんです」
「使用目的って…ここで闘牛でもやるのかい?」
 孝の言葉に自称魔女はおかしそうに笑うだけだった。
「さあ、眠り姫とご対面ですよ」
 まだほんの少し笑いながら、自称魔女は寝台に被せてある白い布をバサリと剥いだ。
「…………え?!」
 吠音は驚きを隠せず、思わず声を漏らした。孝は静に考え込み、そして口を開く。
「……………眠り姫って言うから、てっきり傾城の美女かと思ったんだけどね」
「いやだなぁ、外見に惑わされないで下さいよ。彼女はこう見えても15歳ですよ」
 自称魔女はさっき剥いだ白い布をマント代わりに体に巻きつけて、くすくす笑う。
「ちょ、ちょっと待ってくれ!どう見てもこれは十五歳じゃないだろ?!」
 吠音は堰を切ったように詰め寄る。
「十五歳ですよ。正真正銘の十五歳」
「だって!これは…言っちゃ悪いが老人じゃねえか!ばあさんだ!」
 吠音の言うとおり、横たわって静に寝息を立てているのは、齢七十以上とは思われる老女だった。胸の上に置かれた手には深い皺が刻まれ、目尻にもそれは顕著で、毛髪は殆ど真っ白。
「でも、十五歳なんです」
 戸惑うように自称魔女が言った。
「だって!」
「落ち着けよ吠音」
 自称魔女に掴みかかろうとする吠音を孝が押し止めて代わりに静かに聞いた。
「まずは説明してもらおうか。この老婆が十五歳である理由は?この建物自体何なんだ?そもそも、今回の依頼はどういうことだ?」
 自称魔女は羽織った白い布を翻して、眠り姫の額を優しく撫でた。
「………この建物の南側にある研究所が先日爆発したことはご存知ですか」
 艶やかな女の指が、深い皺の肌を滑っていく。二人は頷きながら、その手を見つめていた。
「この眠り姫が十五歳であることは事実です。生を受けてから十五年生きています。…眠ったままですが。生まれた場所は先日吹き飛んだ研究所内でした」
「もしかして…!」
 思い当たったように吠音。
「お国絡みだって噂もあったしな」
 孝も手を口に当てて少し考える素振りを見せた。
「大体の予想はお付きかと思いますが、あの研究所は人間を作っていました。メディアに発表されている情報は事実の半分にも満たない。大機関が絡んだ生物兵器研究所でした」
 自称魔女は押し黙った二人を置いて、更に続ける。
「この洋館は研究者たちの寄宿舎でした。門を入って直ぐに建ててあったたくさんの仮設小屋は所員たちが自分の研究の為に建てたものです。外観が洋風なのはカムフラージュのためです。中にはエレベーターもあるし、パソコンだってあります。そしてこの中庭は、研究成果―つまり生成した生き物の動きや能力を調べる為に設けられた場所です。外からは決して見られないように中庭にした理由もお分かりでしょう。どんな事態にも備えて広大な面積を構えました」
 そこで自称魔女は一旦息を吐いた。まるで少し話し疲れたとでも言うように。
「それで?」
 孝が先を促す。ちらつく雪はいつの間にか止んでいた。
「作られた人間ってのは一体何なんだ?このばあさん…いや眠り姫がそれだってのは大体予想がつくが…どうしてこの外見で十五歳なんだ?この人に何か特殊な能力とかは?」
「外見が老女である理由は簡単です。作られた人間なので細胞の老化が早いのです」
 吠音の問いに、自称魔女は静かに答え、更に先を話した。
「所員が作っていた人間は決して普通の人間ではありませんでした。もっともそれは既にお分かりでしょうけど。彼らが作っていたのは感受性が強く自我のない人間です。情緒的に影響を受けやすい性別として女を選び、自我を持たぬよう、また脳内物質の分泌を操作して感受性を強くし、結果できあがったのは彼女を含めた人間でない人間でした。本当は最終的に運動能力も男性のそれと変わらぬよう、作り変える気でもありましたが、それは先日の爆発で叶わぬことになりました」
「つまり、この人は先日の爆発での生き残り…?」
「そうです」
「おいおいおい!それじゃあ眠り姫だの東西南北守護だのの話はどうなるんだ?王子から守るってどういうことだ?」
 吠音の問いに答える自称魔女に、今後は孝が声を荒げて聞いた。すると自称魔女は今からお話します、と言い、風に靡く自分の髪を少し押さえた。
「研究所はもう一つ、この自我のない人間を作る実験と平行して進めていた研究がありました。それが、月による人間や自然の負の要素の信号化です。上・下弦の月は自然、つまり天変地異の起こりやすい夜、新・満月は人間の生死に関わる事件が起こりやすい夜。これを信号化し、無自我で感受性の強い人造人間に受信させる。残念なことに研究所はこの実験を成功させてしまいました」
 自称魔女は言い終えると、ふっと横を向いて、冬の冷気に目を細めた。
「じゃあ、今ここに眠ってるお姫さんは、その信号とやらを受信できるってわけか」
 孝の問いに自称魔女は静に頷いた。
「それで…」
「ああその先はもう説明要らない。大体分かるから」
 吠音は辛そうに先を続けようとする自称魔女の言葉を遮った。
「今夜は上弦の月。それに伴って北から吹く風がヤバイって話だろ?」
「はい。この方の脳は既に、負の信号を受信するよう作り変えられています。何の仕掛けもなく、上・下弦、新・満月の夜、風が吹けばこの方は目覚めてしまう。それを防がねばなりません。東西は時間の経過と月の動きを、南北は風が吹き抜ける進路です。……お願いできますか」
「もう一つ」
 孝は返事の前に正すように言った。
「あんた自身は何なんだ?見たところ研究所の人間でもなさそうだし、ここまで現実的な話なんだ、俺と同じ―いや、本物の魔女だなんて言わねえよな?」
 じっと見据えられて、自称魔女は一瞬躊躇ったようだった。それからさっきの笑みを取り戻して無邪気に言った。
「私は魔法なんて使えません。変身することも、魔法のステッキを出すことも出来ません」
「それじゃあ」
「でも、魔女なんです」
 自称魔女はやはり「自称」でしかないようだった。

「さあ、月が南天すれば風は吹き始めます。お二方ともどうぞ希望の守護方角へ。守人のいない場所は幸いにも南と西、どちらも路(みち)のある出口に相当する場所。気遣うことはありません。希望方角をしっかり守護してくだされば一日目の今夜は乗り切れるでしょう」
 自称魔女は鼓舞するように二人に言った。



■東西守護■

 自分の守護方角は東。吠音はだだっ広いその場所を東に歩いた。途中に水鏡を設置し、異常を感知できるようにセッティングする。
――願わくば何も起こりませんように。
 そんなことを思いながら、自分の拳を見た。風が相手じゃあ自慢の拳を奮う確率も低いし、かと言ってあまり龍神の力を多用するわけにもいかない。
「綺麗な月だなぁ」
 吠音は腕を伸ばし、溜息混じりに東の空を見上げた。 
 澄んだ空気が魅せる上弦の月は、爪を這わせれば薄氷のように割れてしまいそうだ。まして吠音の拳なんてぶつけたら――粉々であろう。
 かすかに吹き始めた微風を頬に感じながら、吠音はそのせいで増した寒さを逃れるように首を竦める。
 暫くしても、肌で感じ取れる奇妙な風以外は特に変わったことも無いので、月を背に再びさっきの寝台の場所へと戻った。この風は北に向かった考が何とかするだろう。
 寝台の傍に蹲るようにして座っている自称魔女は、膝を抱えて顔を埋めている。
「………寒いのか?」
 聞くと、顔は上げぬままで、首を左右に振った。
「館に戻ってても良いんじゃないのか」
 今度は顔を上げて、やっぱり左右に首を振る。その表情はどこか不安そうな、悲しそうな色が伺える。
「この人、大切なんだ?」
「…はい。大切です」
「どうして眠り姫なんだ?アトラス編集部に送った書状は…なんで洋紙に予言めいたものだったんだ?」
 自称魔女は少し遠い目をした後、ポツリと言った。
「…なるべくたくさんの人に興味を持ってもらいたかったんです。童話、なら…分かりやすくて、親しみやすいと思ったから。洋紙にしたのは…雰囲気かな」
 いまいち納得できかねる返答を、自称魔女は少し儚げに笑いながら言った。
 ぼんやりとその場を照らす、ランタンの蝋燭が風に揺れる。寝台に横たわる眠ったままの老女の白髪も、やわらかに靡いた。手や顔、見える肌の各所に刻まれた深い皺が、夜の冷気に寒そうだ。
「何かかけてやらなくてもいいのか?寒そうだけど」
「…いいんです」
 さっきとはうって変わって、脆い雰囲気をまとう自称魔女。
「目覚めさせてはいけないってんなら、さっさと楽にしてやった方が良いんじゃないのか?」
「…いいんです」
 どうもこれ以上の情報収集は期待できそうになかった。吠音は年老いた眠り姫に一瞥をくれ、その場を離れ、再び東の方向に歩いた。

 それから数刻後には、風がかなり強くなっていた。
 月がとうに南天を終えていたその時、背中に背負った半月が急に重く感じ、やがて鳥肌が立つような寒気を覚える。どこかで水の跳ねる音がして、気配の方向に体を向けた。
 今の水跳ねの音は間違いなく水鏡の反応する音。吠音は再び寝台の元に走った。はるか上空に浮かぶ半月が不気味に思え、一層足が速まった。こんな時、リングの上なら右ストレートで一発なのに。
 寝台に近づけば近づくほど、吹き荒れる強風に、思わず目を眇めてしまう。
「吠音…さん!」
「なんでだ?!北の守は失敗したのか?!」
「いいえ!姫の周りだけ、風がないんです!風の、障壁みたいなものが出来て、近づけないんです!」
 自称魔女は大声で叫ぶのだが、吹き荒れる風の轟音が凄まじく、はっきり聞き取れない。砂埃が舞い、寝台周辺は黄砂のような靄が立ちこめていた。寝台の傍に置かれていたランタンがその輪郭を映し出している。
 耳に痛いその風を何とか宥めながら、吠音は自称魔女の盾になり、更に一歩踏み出した。しかし、その一歩でさえもかなり辛く、気を抜けば吹き飛ばされそうな猛風。
 砂埃の隙間から見えた寝台はまるで別世界のように静かだった。寝台の敷き布はひらとも揺れず、傍においてあるランタンの火も、さっき話したときの揺れよりも落ち着いている。
 寝台にいるのは――
「ちょっと待てよ魔女さん!風が吹いたら姫は若返るのか?!」
「そ、そんなはずないです!」
 吠音は自分の後ろで必死に持ち堪えている自称魔女に思わず聞いた。何故って、寝台に乗っているのは、見まごう事なき若い女性だったからだ。眠っている筈の彼女は目を覚まし、真っ直ぐに北の方角、風が吹く方を見ている。向かい風に立ち向かうようなその姿勢は、周りを吹き荒れる風など一つも受けず、静かに先を見据えている。はっきりしない、だけどさっきの老婆とはあまりにも違いすぎる風貌に吠音は違和感を覚えた。しっかり確かめようにも、この風では目も開けられない。舞い上がった砂に目を傷めてしまう。

 どうも寝台の周りだけ空間を違えたようなその雰囲気が、北の守に当たっている孝の空間操作の余波だということに気付いたのは、既に龍神の力を引き出した後だった。
「東方七宿 青龍よ!水の名とこの御手において願いを援け給え!……邪魔なんだよこの砂埃が!!」
 水鏡の傍で振り上げた右手の方向から、龍のような巨大な水柱が立ち上がる。南北に吹き抜ける風の抵抗を受けず、東の位置から西へ、大きく弧を描いて吠音の周りの風と、周辺に立ちこめた砂埃をさらっていった。
 「ありえねえぞ…この光景…」
 風圧と水圧が全く逆方向に働くなんて、と吠音は思う。風と水が十字に飛び交うその中心地はやはり静かで、寝台の若い女性は相変わらず北の方向を見ていた。
 水に抑えられ巻き上げられた砂は、一直線に西の空へと大道を描いた。泥水のような水柱は吠音たちに一滴も降りかかることなく、蛇のように西の方向へ月を追って。
 濁った水柱の向こうに浮かぶ月は、すっかりその色を白く落としていた。
「白虎大道…」
 吠音の背に張り付いていた自称魔女が、ぽつりと言った。
「……何だそれ」
「最初に言ったでしょう?白虎は西を守護し、地形は大道を司ります」
「あ…ああ、なるほど」
「この泥水の柱、白虎の大道みたい」
 自称魔女は、まっすぐ西に伸びるその水の道を、さっきと同じ遠い目で見つめた。
「それで、あの若い子は誰だ?」
「……さぁ?」
「さぁ…って!」
 前方で吹き荒れる、水で拭い去れなかった風が段々と弱まっていく。よりクリアになる寝台周辺を指して、吠音は聞いたが、自称魔女も分からないようだ。
「秘密主義もいい加減にしないと、苛々してくるな」
「誰でしょうね、あれ」
「…本当に知らねーのか」
「本当に知らないです」
 白髪だった髪は明緑色の髪に変わり、はっきりとは見えないが、その目は金に近い。
 ふっと背中に、自称魔女ではない、暖かい光を感じ、振り返るとその中庭を囲う塀を越えて、金色の日の出が見えた。
「………朝だ」
「……そうですね」
 昇る日の光に今度は目を眇めた。ゆっくり、吹き荒んだ風がおさまっていくのに合わせ、水柱も規模を静めていき、やがて、無風状態になると同時に完全にそれは姿を消した。
「行こう。確かめよう。あの女の子は一体…」
 再び西側、つまり寝台の方向に体を向けて走り出す。後ろからついてくる自称魔女も一緒に。
 ところが、寝台の上には、元の老婆が横たわっているだけだった。
「……どんな手品ですかね?こっちが日の出に一瞬気を取られたところを見計らったのかな?」
「さぁ…?」
「さぁ…って!」
 白髪の老婆が横たわる元の寝台を見て言っていると、北の方角から、孝が歩いてきた。
「あーー、やっぱり余波があったんだな。水柱が見えたからもしかしたらって思ったんだけど」
「そんなことより、いやそれも大事ですけど、風が吹いてる間、このお姫さん、変身してたんです!」
「ほお」
 吠音と自称魔女は必死に考に訴えたのだが、考はどうも明後日の方向を見ている。
「よく見えなかったけど!緑の髪で」
「目が金色でした」
「それはそれは」

 孝が自分で女性に変身し、眠り姫のフェイクになったことを自白したのは、月が西の空に消えてからのことだった。






 自称魔女は二人に聞いた。
「残りの三晩は来て下さいますか?」
「都合が合えば」
「気が向けばな」
 二人はそれぞれに返事をした。元通り、薄い寝息を立ててシンプルな寝台に眠る老婆を背に、自称魔女は曖昧に笑った。
 すっかり日の明けた空は快晴で、二人は眠い頭を抱えて帰路につくことにした。見送る自称魔女は相変わらず寒そうな格好で、門前まで送り出してくれた。
「空間操作ってのはなんとなく分かったけど、あなたがフェイクをやってる時に、お姫さんはどこに?」
「別の場所」
「ってどこですか?」
「別の空間」
「…。」
 どうも堂々巡りな会話をしながら、歩く。
 昨夜、雪の降る中を歩いたその道は中庭から見て南側にあたる。夜は見えなかった研究所の爆発跡地が生々しく窪地になっていた。雨水か、溶ききらなかった雪か、はたまた何かの培養液か、その窪地には濁った水が溜まっていた。
「南…朱雀の治める窪地に水を貯めるって、このことか?」
「青龍、関係なさそうですけど」
「…敬語、いらないんだけどね」
 二人は不自然で不気味な窪地に向かってそんな会話をした後、それぞれの道に分かれた。


 一人、自称魔女は中庭で、横たわる年老いた眠り姫の額を、やっぱり優しく撫でていた。
「人間も魔女も、愚かだわ」
 呟いた。




第一夜 終







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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
【2619 / 龍神吠音 / 男 / 19 / プロボクサー】
【1990 / 天音神孝 / 男 / 367 / フリーの運び屋・フリーター・異世界監視員】


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■         ライター通信          ■
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こんにちわ、相田命です。このたびは「荊姫:第一夜」にご参加くださり、ありがとうございました。
四方だから、四人集めようと思ったのですが、東西と南北、一人ずつでも面白いかもしれないと思い、今回はお二人にお仕事をしていただきました。
基本の舞台が東京(都会)ということで、ある程度現実味のある研究所の要素などは入れてみたのですが、そのせいで事前に告知していたファンタジー色が薄まっていやしないかと不安でございます。
お恥ずかしいことに、今回初めて「何かと戦う」系のお話を書かせていただき、その辺の不慣れさももしかしたら滲み出ているかもしれません。
水柱が東西に飛び、風の流れが南北にあるというありえない光景をなんとか、ご参加くださった方の頭の中に描き出せればと思います。

自称魔女の正体や最後の呟きなど、まだ色々謎の残るところではございますが、それはまた残り三晩ではっきりさせていけたらと思っております。
もし宜しければ、また年老いたお姫様の荊になってくださると嬉しいです。

■龍神吠音様■
改めまして、ご参加ありがとうございました。
お姫様が老婆と言うこともあり、プレイングに書かれていた期待を裏切ってしまう形になってしまいました。その代わり(?)に一晩、ずっと美しい自称魔女と一緒に居ていただきましたがいかがでしたでしょうか。
また北の守の余波という形を通して、龍神様の力をお借りいたしました。
結果、西への大道も表現できまして、大変助かりました(え?)
素敵なプレイングをありがとうございました!