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<東京怪談・PCゲームノベル>


音楽都市、ユーフォニア ─巣鴨崩壊後日談─

【1c:2003-12-20】

──全く、あの怪し気な少女は……。

 彼女には一応、感謝している。妹が殺された犯人を追い詰めるよう、彼等を集めてくれたのも彼女なら身の振り方に困った自分をここ、リンスター財閥総帥邸に住み込みで働けるよう取次いでくれたのも彼女、結城・レイだ。
 ──が。
 あの騒々しい性格にだけは辟易する、と、先程までここに居たレイが割ったカップの後片付けを命じられて取り残された陵・修一は眉を顰めてやや御機嫌斜だった。
「──痛、」
 うっかりした、……破片で、軽く指先を切ってしまった。眉を顰めて思わず口を付けようとした所で、修一の視界に映った手がそれを遮った。
「駄目ですよ、雑菌が入って仕舞いますからね」
「……あ、」
 ──たまに見掛ける、屋敷の人間だ。……確か、総帥とも近しい青年で、──誰だったか、と思案する傍から、彼が触り気無く触れた指先の傷は──すっ──と跡形も無く消えてしまった。
「え?」
「ね? もう痛く無いだろう? ──怪我はね、医師に任せておきなさい」
「……医師?」
 修一は首を傾いだ。
「陵君、気がそぞろなようだけど?」
「……集中力が散漫にもなりますよ、」
 一つに、今現在屋敷に不在のセレスティが、敵の本拠地でどんな危険に遭遇するか分からない事。一つに、どうやら今夜が山場らしい、──妹を殺した男が裁かれる。
「心配は無いと思うけれどねえ。……私は、そこは信じていますよ」
「……情けないんです、自分では何も出来ず、総帥の傍に付いて助ける事も出来ない自分が」

 にっこり。

 思い掛けないキラキラした明るい笑顔が返り、修一は寧ろ面喰らったように唖然として黙った。
「可愛いですねえ、君」
「……何を仰ってるんですか……、」
「その、殊勝な心掛けが」
「──は、」
 でも、と彼は、まるで子犬か年下の子供にでもするように(実際、彼は修一より年上だったが、……随分と)ぽんぽん、と修一の頭を軽く叩いた。
「だけど冷静にならないと駄目ですよ? ──主人は、あれで一旦興味を持った事には大胆ですからねぇ。傍に付いていられない時には、信じて待つ。それが出来ないと、この先、君の方が持たないよ」
「……止めて下さい」
 クールそうな見掛けに拠らず、純情な青年である。修一はじろり、と抗議の目でその手を払い除けた。
「あ、これは失礼。(と、謝った割には如何にも面白そうな表情だ)……でも、今の事は本当ですよ。待つ事。そしてその間、主人が、求めている事を察して行動出来れば、尚良いですねえ」
「何が出来るんですか、僕に」
「さあ、それは考えるとして」
「……、」
「何となく、分からないかい? 主人が、今後考えそうな事と云って。……ヒント。主人は、興味のある事にお金は惜しまないですよ」
「……、」
 修一は、ふと何かに気付いたように表情を変えた。──頭は良い、と彼が目を細めた所で、然し彼は未だ不満があるようだった。
「気が落ち着かなくて仕方無いんです、」
 ふふん、と修一の目の前の青年は目を細め、悪戯っぽく輝かせた。
「あなたはどうも、生真面目すぎるようだね。……仕方無いねえ、じゃあ、ちょっとした余興をお見せするよ」
 彼は徐ら、今まで修一が片そうとしていたカップの残骸の上に手を翳し、──まるで、見えない力で吸い寄せながら放り投げるような動作をした。
 ──と、次ぎに落下して来た時には元通りの形に、繋ぎ目一つ見えず姿を取り戻したボーンチャイナのカップ、……それをぱし、受け止めた青年が、呆気に取られる修一へとにこやかに微笑みかけた。
「……どうだい、少しは気晴らしの手伝いが出来たかな?」
「……、」
 呆然としている修一にカップを手渡し、青年は軽やかに踵を返した。
「このカップは、主人のお気に入りだったのだよ。──きれいに洗うように、命じて置いて下さいよ」

【2c:2003-12-21】

「御無事で何よりです」
 深夜を過ぎて、巣鴨より帰還したセレスティ・カーニンガムを屋敷のポーチで迎えた秘書は、丁寧且つやや素っ気無い程冷静な口調でそう告げた。
「変わりはありませんか?」
 セレスティは、先程までの騒動での疲れなど全く感じさせない優美な口調で留守を預けた部下を気遣う。
「……はい、」
「何よりです」
 セレスティは、自らの車椅子を押そうと差し伸べられた主の冷たさに目を細めた。
 寒空の下を、日付が変わっても帰還しない主人の身を案じて待ち続けていたらしい修一の事は、──常日頃は心配性な事だ、と苦笑せざるを得ない。が、この時のセレスティには何と健気で忠実な事だろう、と思えた。
「……こんなにも冷えて」
 セレスティは彼の冷たい手に、自らの華奢な指先を沿えた。が、修一は「結構です」と丁寧ながら冷たい調子でその手を退けた。

──……僕は、ただ秘書としての信頼さえ頂ければ充分だ。

 セレスティの書斎へ入った所で、修一は懐から書類を取り出した。普段、一日の財閥内の出来事を報告でもするかのように淡々とした調子で言葉を継ぐ。
「差し出がましいかとは思いますが、東京コンセルヴァトワールの人材に関するデータを収集して置きました。お疲れであれば、報告はまた明日──いえ、朝に」
「そうですね、──では、資料だけ先に頂いて置きましょうか。後程、見せて頂きます」
「は」
 ──進歩したものだ。それとも、流石の心配性な秘書も、自分が興味を持った事柄に関与している内は云っても無駄だと諦めただろうか?
 デスクに書類を置いて身を引いた修一を笑顔で持って眺め、セレスティは思案した。──だからこそ、彼は信頼出来る。云わなくとも、先にセレスティの望む情報を察知して行動してくれる。
「それでは、僕はこれで。──Oidhche mhath.(お休みなさい)」
「陵君」
「はい?」
 未だ何か、と機敏に振り返った修一が戸惑いを隠せない程に優しい言葉を、セレスティは次いだ。
「あなたの働きには非常に感謝しておりますし、また優秀さには関心します。ですが、次ぎに君に求めることは御自分の身体を気遣う事ですね。君はいつも朝早いのですし、こんな時間まで起きて、外に立っている事は関心しません」
「……総帥、」
「──君の慣れた言葉で告げましょう。『お休みなさい』」
「……、」
 修一は未だ姿勢を保って両手を背中に組んでいたが、その言葉には堪え切れずにとうとう頭を下げて顔を俯けてしまった。
「……修一君」
 ──総帥、と俯いたままの修一の声は震えていた。
「僕は、何も出来ませんでした。千鶴子を殺した男が裁かれようとしている時にも、総帥が敵の本拠地で危険な目に遭われている時にさえ、何一つ」
「……陵君」
 ──顔を上げなさい、とセレスティは美しい微笑を浮かべて忠実な秘書の顔を覗き込む。
 それに応じ、何かを吹っ切ったように身体を起こした修一の表情は再び、彼らしい冷静でビジネスライクなポーカーフェイスに戻っていた。
「ですから、せめてもの僕に出来る事を」
 と、修一は確りした手付きでどこからとも無く取り出した一本のVHSを差し出す。
 セレスティは笑顔を、やや苦み掛かった風に眉を動かしながら手を差し伸べた。
「──これは?」
「魔法少女天音神・孝の変身場面の、決定的映像です」
 優秀なるこの秘書が、東京コンセルヴァトワールの人材データをリスト化するのには物の1時間も要さなかった。手持ち無沙汰に、再び気分が散漫になりかけた彼はその間、更に自分に出来る事は無いかと逡巡した結果、ビデオカメラを片手に孝が冨樫の枕許に立った現場へ駆け付けて(恐らくは音源テープだけでは総帥の知的好奇心は満たされまいと、映像までを入手すべく)フォーカスカメラマンと化したのである。
「……陵君」
 セレスティは目を細め、片手でビデオテープを、もう片方の手を修一の端正な頬へ伸ばした。
「あなたは何と優秀な部下なのでしょう。──不謹慎ですが、水谷に感謝したくなりますね。君と私を引き合わせてくれた、幻想交響曲事件の発端者である、彼に」
「全ては総帥の意のままに」
 修一は片膝を付き、胸に手を当てて静かに頭を下げた。
 
→ビデオの内容は【1d:2003-12-21】へ。

【3c:2004-01-1X】

「ダブリンは如何でしたか」
「ええ」
 新年の里帰り、基いアイルランドへの旅行から帰国した翌日の午後、留守の間の執務の報告に書斎を訪れた修一が珍しく気易い事を訊ねた。
「素晴らしかったですよ。ささやかですが、お土産です」
 ──と、セレスティはロールトップデスクの上に『ささやか』と云うにはいささか豪勢過ぎる程の土産品を並べた。生ハム、チーズ、キャビア、チョコレート……、と、土産というものは旅先での楽しさを待人にもお裾分けするものであって、要は気持ちの問題である。屋敷に住み込み、且つ仕事人間の彼がこれらの品物を如何に片付けるか、まで気遣う必要はあるまい。
「有難うございます」
 彼もまたそうした困惑は表情に出さない。寧ろ、主人が土産を贈る人間のリストに自分の名前まで留めておいてくれた事を表に出さない内心で喜んだようだ。
「──彼女も、喜んでいたでしょう。私はアイルランドを知りませんが」
「ええ、何よりでした」
 カーニンガム総帥、案外隅に置けない。新年のアイルランドへの帰省は、リンスター財閥の本拠地へ総帥自らが新年の挨拶回りをせねばならない恒例行事のようなものだったが、今年は同じくアイルランドを母国とする恋人を伴っていたのである。
 そう、答えて目を細めたセレスティの笑顔はこの上無く穏やかである。所で、と彼は、そうしたセレスティの様子を多少は寂しそうながらに微笑ましく見守っていた修一に訊ねた。
「こんな歌を御存じですか、『ぺキン、ベルリン、ダブリン、リベリア──』、」
「……は? ──失礼、アイルランド民謡ですか?」
 修一は怪訝な表情である。仕事人間もまた、日本の歌謡曲には詳しくなかった。
「いえ、日本の歌手の歌です。私は余り詳しくないのですが、彼女が歌って教えてくれました。陵君はずっと日本ですから御存じかと思ったのですが」
「及ばずながら」
「結構です」
 ──そこで雑談は終わった。一旦ビジネスの話が始まれば、修一は基より、セレスティも中々にシビアである。
「先ずは、年末からお願いしていた事の進行状況を」
 修一が頷いて手にしていた書類を繰った。
 年末からお願いしていた事、とはつまり東京コンセルヴァトワールの残存勢力への対策、及び巣鴨騒動の後始末である。
 秘書に一任したからには、仕事である。元々、リンスター財閥は芸術への造詣の深いセレスティが総帥の座に就いているからして、これまでにも文化活動の助成を行って来た。セレスティはただ自らの興味や友好関係だけで先の騒動の後始末まで引き受けた訳では無い。ビジネスにならない事は、結局責任が曖昧に終わる。
 ならばいっそ、この際新しく財団を設立して音楽活動の助成までもを、リンスター財閥の活動の一環として取り上げようという話だった。
「先ず、ユーフォニアハーモニーホールですが、土地と建物を権利ごと買い上げました。総帥の仰った通りの予算内でしたので、私の責任で契約致しました。内訳はこの通りです」
「結構です」
 早ければ早い方が良い。件のホールは、一体どこの組織が、──東京コンセルヴァトワールとの関連のある組織が欲しがるか分からない。リンスターが押えておけば、そうした人間の手に渡って再び「壮大な実験」と称された悲劇の舞台に使われる事も無い。
「予算の縮小で留学先から呼び戻された学生達については、以下の通りの奨学制度を財団の方から提案してあります。開始は新年度ということで4月からですから、返答待ちです。60%は同意すると思いますが」
 奨学制度とは、日本の多くの奨学金制度と似たようなものである。今後、音楽の勉強を続けたければ、申請する事で毎月決った額の奨学金を低利子と無理の無い返済方法を設定して貸し付ける。その上で、特に優秀な成績を残した人間や国外への留学を希望する者があれば審査の上、公費留学も予定する。
「この件、学生の援助に関してはルクセンブルク女史の設立した法人『EOLH』とも主旨を同じくするので、今後は提携しての活動が望まれます。例えば、彼女がホテルで定期的に企画しているミニコンサートへの出演者を中からも募ったりと、ですが」
「──『EOLH』、」
 セレスティはその単語を反誦した。……あ、失礼しました、と修一が説明を付加する。
「──と、決ったようです、法人名が。綴りはE、O、L、H、」
「──大鹿、……保護する者」
 目を伏せて笑みを浮かべた口唇から低く、そう呟いたセレスティに、今度は修一が首を傾いだ。
「……如何にもルクセンブルク嬢らしい。──ルーン文字ですね」
「……、」
 知らない事には口を出さない。修一は黙っていた。
「──それと、一度御旅行中に電話で伺った事ですが、」
「ああ、東京ムジカオーケストラですね。どうなりました?」
 旅行の間、滅多な事では一旦任された事の細かな決定をいちいち電話でセレスティに伺いを立てたりはしない修一が決定を求めて来た。

『オーケストラ一個、後援という事でスポンサーに付く事は可能でしょうか』
 旅行中に水を差した事を侘びてから、電話口の彼が意外な事を口にした。
「どちらの?」
 幾ら芸術を愛するとは云え、ビジネスだ。どこのアマチュアオーケストラだろうと「はいどうぞ」と軽率な返答はしない。
『東京ムジカオーケストラ』
「──……、それは」
『そうです、冨樫・一比がインスペクターとして在籍している商業オーケストラです』
 11月に、セレスティは修一と共に練習場を訊ね、冨樫に面会した、彼のオーケストラである。
「何故、東京ムジカを?」
『東京コンセルヴァトワールの残存勢力の分布を調査していたのですが、幹部クラスはともかく、今後の大きな駒と成り得そうな中堅の奏者ですね、……結城氏のような。それらの人間が、殆ど東京ムジカに集められているんです』
「──成る程」
 セレスティは電話口で軽く頷いた。──合点が行った。その構造上、どうしても内部に年功序列の力関係が出来易い商業オーケストラに於いて、普通、第一奏者とインスペクターを兼任する人間が冨樫のように30少し過ぎ、という事は殆ど有り得ない。あるとすれば、団員自体が若手の奏者のみで構成されている場合だ。ソリストとしても新進の若手ばかりを集めたオーケストラらしいという事は予備知識としてあったが、そうした形で今後の手駒を管理していたとは。
『彼等にも、今後はリンスターがスポンサーに付くから、他の勢力に依存する事なく純粋に演奏活動だけを続けるように、と打診すれば悪い結果にはならないと思いますが』
 要は、スポンサー兼監視役としてリンスターが君臨すれば、という訳だ。
「結構です。詳細は陵君に一任します」

「こちらがその関係資料ですが、──このオーケストラに関しては応仁守音楽事務所とのコンタクトを図って行ければと思います。応仁守音楽事務所、──柾君が現在所属している事務所ですが。クラシック系ではありませんが、ポップス界には大きな権限を持つ事務所ですし、こちらの社長はそうした事に理解が深い。一度電話でお話しただけですが、中々鷹揚そうな人物でした」
「──、」
 セレスティは思わず、くす、と忍び笑いを洩した。応仁守音楽事務所社長、応仁守・雄二の大方の人間は知っているだけに。──鷹揚、か。今は好評価だが、この生真面目な秘書は、実際に雄二と対面すれば目眩を起こすだろう。(既に、『柾君』と口にした時点で一瞬間遠い目をした彼は)
「ルクセンブルク嬢の『EOLH』、応仁守音楽事務所。──楽しくなりそうです」
 両手を組んでデスクに置き、セレスティは焦点をどこか遠く彼方へ向けた目で呟いた。
「件のクローン合唱団ですが、こちらは完全に応仁守事務所が引き受けると」
「そうですか、ではそちらは応仁守氏にお任せしましょう」
 そう答えながら、セレスティは修一から受け取った書類に目を通し始めた。東京ムジカオーケストラの所属団員全ての名前とパート名がリストアップされているが、細かな席次などは未だ未定らしい。
「インスペクターには誰を?」
「前任のまま、冨樫氏を」
「──陵君、」
 セレスティは書類に掛けていた手を止め、はっきりした声を出した。然し修一はそうしたセレスティの反応は予測していたようで、背筋を伸ばした姿勢を整然と保っていた。
「件の証拠(魔法少女の)映像にもあったように、天音神氏の合体、記憶操作に拠って(と、ここで修一は斯様な事をさっくりと言葉にしてしまった自分に一瞬間、遠い目をした)総帥や巣鴨での出来事を記憶していません。が、東京コンセルヴァトワールとの繋がりはどうにもなりませんし、それを云えば他の団員にも同じ事です。結城氏とは元々先輩後輩であっただけに今後接触が無いとは限りませんし、少年期の結城レイ、磔也の面倒を見ていたのが彼である事を考えると、今の所は大人しくしているらしい結城磔也を今後どうして挑発するかも分かりません。フランスのシドニー・オザワとも繋がっているようですし。であれば、逆に目の届かないような末席に配置するよりは監視もまた行い易い立場に置いて、行く行くは東京コンセルヴァトワールよりはリンスターへ忠心してくれれば良いと思います、──簡単には行かないでしょうが、彼に関してはこれが最善策だと私は考えます」
「──宜しいでしょう」
 笑みを浮かべたセレスティへ、修一は深い礼をして応じた。
「有難うございます」
「──あとは、稼働するだけですね。応仁守事務所と共同企画が出来れば、新しく設立した財団へ知名度や活動範囲からも必ず良い結果が出るでしょう。……個人的に、私も楽しみですね。応仁守氏とビジネスや音楽の話が出来れば」

【4c:2004-03-XX】

「──ヴィジュアルオペラ。……成る程、そうした手段もあるのですね」

 応仁守音楽事務所との連絡を取り合う内、件の柾・晴冶が今現在ヴィジュアルオペラに取り組んでいる事が分かった。
 元々、幻想交響曲を映像化しようとしていた程であるから管弦楽曲と最新技術を駆使した映像との集大成には関心が強かったようだ。年末に、何やかやと大騒ぎしながら屋敷へ上がり込んで来て葛城・樹を拉致基い狩り出して行った撮影も、その試作品としての映像だったらしい。
 が、この背景には如何にゲージュツカ柾・晴冶と云えどもただ勢いだけでは突っ走れない障壁と成り得る問題が多く存在していた。
 先ず、奏者の云い分と映像側の都合の問題。音源の権利の問題。大掛かりな組織であるオーケストラが、柾の微妙な要求をどこまで受け入れてくれるか。
 無論彼なのでそこで挫折はしなかったようだが、脳内の93%が芸術で占められている彼が、残りの貴重な7%の内殆どをそうした権利問題に費やす程には深刻な障壁だった。
『応仁守さんにもっと早く云えば良かったのよ』
 セレスティに対する電話口で愛らしい声で溜息を吐くのは、イヴ・ソマリア──トップアイドルにして魔界の女王の妹、幻想交響曲では行動を共にした少女だ。柾を自らも所属する応仁守音楽事務所へと連れて来た責任でも無いだろうが、彼女は辛抱強くも、既に事務所内の殆どの凡人は一線を引いてしまった柾の話を聞いてやっていたそうだ。
『応仁守さんは、権利問題で使えない音源があるなら何とでもするって云ってるし、それに、ウチの事務所で引き取った合唱団よね、それも好きに貸すって。でも、矢っ張り良いオーケストラは欲しいそうなのよね。……セレスティさん、何とかならないかしら?』
「ああ、それでしたら」
 と、セレスティは極気楽に請け合った。
「丁度良い。新しく設立した財団がスポンサーのプロのオーケストラをお貸ししましょう。練習場もコンサートホールも私共の所有する物ですから、柾君の好きにお見えになって構いません、とお伝え頂けますか」
『了解☆』
 と元気良く答えてから、イヴは、──あ、と思い出したように言葉を次いだ。
『セレスティさん、アレ、有難うございました☆ ……オペラの音源テープ、』
「──ああ、はい」
 ──すぅっ、とセレスティは目を細めた。麗しい青い瞳にやや妖し気な光が煌々と瞬いた、──気がするが、気の、所為であろう、……多分気の所為……。多分……。
「お役に立ちましたでしょうか?」
『ええ、そりゃもう☆ あんまり素晴らしい歌声で。……ほらぁ、私とは正反対の歌じゃない? 何しろ、天使の歌声なんだもの……』
「何を仰います? あなたのセイレーンの歌声も、本当に素晴らしいですよ」
 きゃあ、とはしゃいだ声がした。──その直後、途端に冷めた声でイヴが付け足した言葉は、こうだ。
『それを歌ってるのが孝だと思うと、可笑しくて可笑しくて』
「お楽しみ頂ければ倖いです」
 
 何故、あなたが倖いと云う。

 ……。

『柾さんが、良い題材を探してるのじゃないかと思って、ダビングして彼にもプレゼントしたわ☆』
「そうですか。彼のお気に召すと良いですね」

 だから、……。

『応仁守さんは、応仁守音楽事務所はこれから、破壊と暴力の文化遺伝子<ミーム>に対して友好と協和のミームを広げて行く、って仰ってるの。ウィンお姉様から聞いた話では、何とか云う東京コンセルヴァトワールの一味の女がこう云ったそう。“今の時代、ミームはどうやって散らばって、どこで誰がコピーしているか分からない”って。確かに今はマルチメディアの時代だものね。私が歌手やってるから、良く分かるわ。……柾さんがヴィジュアルオペラってジャンルを確立出来れば、それこそ、マルチメディア時代の救いになるミームが生まれると思わない?』
「そうした考えもありますね。──宜しくお伝え下さい、リンスター財閥は、その為にも、また総帥の個人的な芸術愛からも、助力は惜しまない、と」
『はぁい☆ ……あ、そろそろ出番だわ。今、──の収録なの。年末にニューヨークでレコーディングしたアルバムからのシングルカットなの、テレビではこれが初公開だから、良ければ観てね☆』
「ええ」

 受話器を置き、セレスティは珍しく私用の為に秘書を呼び出すべく、別の内線へ回線を繋いだ。
『はい、陵です』
「──陵君、申し訳ありませんが、テレビの録画予約をお願い出来ますか」
 そろそろ、こうしたプライベートな頼み事を出来るまで、彼とは打ち解けられる関係が築けたと思う。
『構いません。今日ですか』
 用件が何であっても生真面目な彼が、既にインターネットでテレビ番組表を探している事が、幽かに聞こえるキーボードを打つ音で分かった。
「いえ、放映日は分かりません。──という音楽番組です、それの、ソマリア嬢が出演なさる回を」
『畏まりました。録画が終了しましたらDVDメディアに焼いてお持ちします』
「お願い致します」

 ──顔を上げると、彼が扉口に立っていた。
「──君ですね。陵君に、アドバイスをしたらしいのは」
「彼、大分使えるようになったでしょう?」
 にっこりと微笑んだ彼に、セレスティは苦笑を浮かべた。
「あまり虐めてはいけませんよ。真面目な子なのですから」
「虐めません? ──楽しいですよ、ああいう生真面目なタイプが、少しずつ柔軟になって行くのを見るのは」
 歩み寄って来た彼が、ロールトップデスクの上に一枝の桜が活けられたフラワーベースを置いた。
「──?」
「良いでしょう? たまには、こうした日本の四季の花も。早咲きの一枝です、どうぞお楽しみ頂ければ」
「──そうですね」

 もう、桜の咲く季節か。日本では、新しい一年の始まる時期だ。
 ──本年度も、リンスター財閥に益々の発展と繁栄を。

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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【1883 / セレスティ・カーニンガム / 男 / 725 / 財閥総帥・占い師・水霊使い】

【0931 /  田沼・亮一 / 男 / 24 / 探偵所所長】
【1548 / イヴ・ソマリア / 女 / 502 / アイドル兼異世界調査員】
【1588 / ウィン・ルクセンブルク / 女 / 25 / 万年大学生】
【1787 / 応仁守・雄二 / 男 / 47 / 応仁重工社長・鬼神党総大将】
【1831 / 御影・涼 / 男 / 19 / 大学生兼探偵助手?】
【1990 / 天音神・孝 / 男 / 367 / フリーの運び屋・フリーター・異世界監視員】
【1985 / 葛城・樹 / 男 / 18 / 音大予備校生】
【2194 / 硝月・倉菜 / 女 / 17 / 女子高生兼楽器職人(神聖都学園生徒)】

NPC
【陵・修一 / 男 / 28 / 財閥秘書】

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■         ライター通信          ■
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件の音源は確かにソマリア嬢へお届け致しました。
今回は陵をどやし付けて見ましたが、何分根が生真面目な人間なので少々外した行動を取ってしまったようです。
映像、お楽しみ頂ければ良いのですが。

アフターフォローまで万全の総帥へは相変わらず頭が上がりません。
第一作目からの御参加と合わせて、深くお礼申し上げます。

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