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<東京怪談・PCゲームノベル>


音楽都市、ユーフォニア ─巣鴨崩壊後日談─

【1d:2003-12-21】

 ──とん、と敏捷な猫のように僅かな振動も誘引しない、軽やかな足取りで彼は異空間より降り立った。

「……ったく……、」
 
 そこはこざっぱりとした部屋である事が夜目にも分かった。壁は殆どがシンプルな棚で覆われており、楽譜や音楽書と思しい書籍やCD、レコードとそのプレイヤーなどが整然と並んでいる。蛍光塗料でぼんやりと光る壁時計は深夜0時を回っていた。
 彼は視線を寝台へ向ける。静かに横たわっているのは1人の男性だ。サイドテーブルには水が残ったままのグラスと、ハルシオンの錠剤が置かれていた。
 睡眠誘導剤で眠りに落ちているらしい男は、寝返り一つ打つ気配が無い。そこは安心だった。
 ──がしがし、と彼は深緑色の短髪を大雑把な手付きで掻き回した。
「……こゆ役目って、ホントはアイツの方が適任なんだけどなぁ……、」
 
 だが、致し方ない。
 「総帥」の命令なのである。

「……、」
 ふう、と溜息を吐いた後再び顔を上げた彼の瞳に、獲物を狙う肉食動物のように鋭い光が緑色に瞬いた。

──ちくしょー、なるようになれ、だ!

「チェンジ☆ フュージョン!」

 ──斯くして、東京コンセルヴァトワールの幹部にして東京ムジカオーケストラの第一奏者兼インスペクター、 冨樫・一比の自宅には淡い緑色の髪を垂らし、金色の瞳を輝かせた美少女が1人。
 魔法少女あまねちゃんである。
 彼女が今現在行っている事は、眠りのままに合体材料に(再び)されてしまった冨樫の記憶操作である。
 今回、彼は色々と知り過ぎた。自分や仲間の能力に関する事は忘れて貰わねばなるまいし、今後、レイや磔也に関わる事が無いようにも防御策は打って置く。
 
──但し、恐怖感情は残して置いて下さい。……ええ、そうですね。少々の事には動じない方のようですから、そこは倍増しても良いかも知れません。

「しっかし、2日連続で同じ相手かよ……、」
 仕事は行いつつ、彼女はソプラノ声域の涼やかな声では特に乱暴に聞こえる口調で吐き捨てる。そこまで不満が蓄積していても、それでも矢張り総帥命令は絶対だった。

──天音神君の事を思ってのお願いなのですが。……辛かったでしょう? 私は、大切な仲間があんな酷い仕打ちを受けた事を許しはしませんよ。仇を取る方法を教えてあげましょう。……簡単な事です。

「もう一回やれば万事オーケー、か……、」
 なんだかなあ、と首を傾がない訳には行かない。

 ──あまねちゃんは気付いていなかった。その時、僅かに開いたカーテンの向こうの窓の外に、1人の人間の目があった事を。ついでに何か電化製品の稼働する音もしていた事を。

→【2c:2003-12-21】

【2d:2004-02-1X】

「詳しく説明しなさいよ、孝!」

 鋭い視線と語調で詰め寄るイヴに、天音神・孝(あまねがみ・こう)は一瞬間だけさっと身を引いて肩を竦めた後、「かいつまめば」と長い溜息を吐いて答えた。
「かいつまむんじゃ無いの! まぁーったく、何かウィンお姉様もレイさんも妙に慌ただしいとは思ってたのよね。そうしたら、何ですって? 音楽を暴力として扱おうとする組織があって、レイさんと弟君はそれに利用されてたんですって? ──何でそんな大事な事云わないの! そうと知ってれば舞ちゃん(※朝比奈・舞/イヴ・ソマリアの分身が使用している偽名)を寄越すなり何なり、したのにぃ、」
 そうだった。
 年末に起きた巣鴨ユーフォニアハーモニーホール騒動を、彼女、イヴ・ソマリアは年が明けて既に2月も中旬に入ろうかという今になって知ったのである。然も、それには自分の眷属が最初から関わっていたとか。
「……忘れてた」
 云い訳では無く、本当の事を正直な表情で孝は答える。
「忘れてたぁ!? どうしてよ、孝、その事件が持ち上がった11月から、年末にも何度も会ってたじゃないの」
「イヴに会った時にはすっかり忘れてたんだよ」
 くしゃ、と頭髪を片手で掻き混ぜながら孝は首を傾ぐ。

──全くもぅッ! 脳天気なんだから……。

 天然記念物的な天然さでのらりくらりと答える孝には、イヴの気色もそこで削がれた。

──……まあ、孝が脳天気なのはあながち本人の所為だけでも無いけど……。

「それにしたって、孝がレイさんと合体して怒りを買ってるから何とかしてくれって云った事でさえ、その事関連だったんでしょ? 大体、その時に云いなさいよ」
「あ、そうだった。忘れてた」
 ぽん、と孝が膝を叩いた音が、目眩を誘引しそうな程気楽な響きを伴ってイヴの聴覚に入って来た。
「全く。……本当、そうと知ってれば」
「つか、イヴさあ、年末は会う度会う度に忙しいっつってただろー? ニューヨークでレコーディングだとか、賞取りレースがどうとか、特番の収録がどうとか」

──……何で肝心な事は忘れてる癖に、そういう雑談だけは覚えてるのかしら……。

 30%演技増しで憂いを込めた溜息を吐き、イヴは髪を掻き上げた。
「忙しかったわよ、確かに。大体、芸能人って年末が一番忙しいのよね。毎年年末はそうだって云うのに、今年はニューヨークでのレコーディングまで入って。……これがまぁた、とにかく厳しいプロデューサーだったのよ」

『リテイク』

 思い出すだけでも溜息が出るわ、と肩を竦めたイヴの脳裏に、涼しい笑顔で自信のあったテイクを一蹴した彼のプロデューサーの淡々とした声が響いた。

『伴奏とのピッチが1hz、違う』

「……にしても、あの硝月ってプロデューサー……。実力も地位もあるかもだけど、この私にあそこまで云う人、そうそういないわよ」
「ふーん?」
「ニューヨークでもカリスマ扱いの日系プロデューサーなんだけど。……でもぉ、ぜぇったい、個人的な感情が入ってたと思うのよねぇ」
「イヴ、嫌われたんだ?」
 にこにことして孝は云う。
「違うわよ! 大体、嫌いな歌手のレコーディングなんか手掛け無いような人よ。アルバイトさえ選べない孝とは違うの。何だかね、留学してるお嬢さんが年末年始の帰省を取り止めたんですって。それが家に男の子を泊めてるからだとか何だとか。まあ、不機嫌にもなるわよね。でも、それを私に向けるなんて、信じらんなぁい、」
 ……大体、常人であれば、孝の現在の情報量でそのプロデューサーだとかお嬢さんだとかはたまた彼女が泊めている男の子だとかの正体には気付いた筈だ。が、彼は孝なので、何しろ魔法少女あまねちゃんなので、気付かない。
「それに、年が明けてからも忙しかったのよ、特訓で」
「特訓? 歌の?」
「それは毎日いつでもやるコト。……バレンタインよ。手料理の特訓」
 ここで、孝の感覚がこっちの世界寄りであれば「イヴの手料理を食べさせられる予定の恋人」に対して合掌した所だ。が、孝の味覚もイヴの世界と同じ感覚なので、彼は「ふーん」としか思わない。
「そうそう、その失敗作だけど、孝にもあげるわ」
 イヴは徐ら、肩に掛けていたショルダータイプのハンドバッグから可愛らしい小箱を取り出し、背伸びしながら、ぽん、と孝の頭の上に置いた。
「何だ?」
「チョコレートよ。……ああ、孝は知らないのよね。こっちの世界じゃ、毎年2月14日には女の子から恋人にチョコレートを贈るの。まあ、日本は、だけど。その失敗作だけど食べられない事は無いから、あげるわ」
 ──ぱっ、と孝の表情が俄に輝いた。
 別段、相手がいかに美少女だろうと(その気になれば本人もトップアイドル、イヴ・ソマリアに勝るとも劣らない美少女に変身出来る訳であるし)眷属化して久しい(かれこれ数百年)イヴから贈り物を貰った所で何ら嬉しい事も無い。孝が喜んだのは、それが食べ物だったからである。
「いやぁ、嬉しいな〜、そっか、そんな良い習慣があるんだ。……レイさんにも期待してみよっかな」
「そう、レイさんだけど」
 ハンドバッグを仕舞いつつ、イヴは(未だ少し現金極まりない孝に呆れつつ)顔を上げる。
「援助の話は分かったわよ、貸してあげる。だから、レイさんには出来る限りのお手伝いをしてあげなさい。──そんな事があって、辛いだろうし。孝の脳天気な顔が側にでも在れば、多少は気が紛れる筈だわ。ただしちゃんと遣繰りするのよ。あんまりあの子に貢ぎ過ぎないで」
「って借金扱いかよ、おい」
「当然、お姉様の為なんだから」
「……給料アップ、交渉してみるかなあ……」
 まあそれはお任せとして、と次に顔を上げた時には、イヴの表情にやや影のある笑みが差していた。
「今さら、年末に起きた事をどうこう云う気は無いわ。──私が今孝に訊きたいのはね、水谷さんの肉体をどうしたかって、コト」
 その背徳に溢れた魅惑で以て妖艶に輝いたイヴの笑顔にも孝の表情は変わらない。ただ、淡々と「捨てたよ」と答えただけだ。
「どこに?」
「幻想の刑場」

【3d:2004-02-13】

「磔也、今硝月さんの家に転がり込んでるみたい」
「またか」
 孝が微妙な心境で呟いた。……あの娘なあ……。
「じゃ、年末から一回も会ってないのか、磔也には?」
「うん、……一応、着替えでも持って行ってやって、ついでに説教して来ようかと思ったんだけど」
 そこでレイは言葉を切り、肩を竦めた。
「だけど?」
「──怒られちゃった、」
「怒られた? レイさんが、硝月嬢にか? 何で」
「難聴者を放っておくなんて信じられないって、……まあ、そうよね──、あーあ、私、駄目だなあ、今だって、ついうっかり磔也の事なんか忘れてたし」
 殊更明るい声で戯けてみせるレイに、孝は軽い憤りを覚えた。
「信じられないって、……ああ、それ酷くないか? だって磔也こそ、肝心な事はなんも云わなかったんだろ?」
「自分から云う訳無いじゃない、……ガキなんだから。……姉が、ちゃんと見ててやるべきだったのよね、本当は。田沼さんがしっかり叱ってくれたけど、ああいう事も本当は私がやんなきゃ駄目だったのよね。……って、あの娘になら怒られても仕方無いわ、私。……初めて見たし、あんな磔也。多分、あの娘には磔也も心を開ける何かがあるんだろうなー、……私じゃ、駄目だったみたい」
「……レイさん、気にしてるんだ?」
「ま、多少はね」
 と、レイは両手をポケットに突っ込みながら俯いた。
「……怖かったんだもん。余計な事云ったら、またいつキレるか分かんない奴だったから、結局、アレよ、事勿れ主義」
「……何があったんだ?」
 さっさと歩くレイに付いて、片手で自分のバイクを担ぎ(!)更にもう片手でレイのロードバイクを押してやりながら、孝は何とかその後ろを追った。
「んーとね、……ちょっとした大喧嘩、したのよ、昔。それで怪我しちゃって。あれで、矢っ張り男の子よね。腕力は割とあるから、……それから怖くなっちゃってね、磔也の事」
「怪我!? 殴ったのか!?」
 男が年上とは云え女性にに暴力を振るうとは何事だ。──と、ややフェミニストの気がある孝は目を見開いた。
「だから、ただの姉弟喧嘩だってば、磔也だけが悪い訳じゃないのよ」
「そんでも駄目だろー、やっぱ殴っちゃ」
 孝はバイクを降ろし、良し、と腕を組んで頷いた。
「そりゃ、同じ男として一言云ってやらなきゃ駄目だな。うん」
 ……そこで磔也が謝れば、2人の仲を修復する切っ掛けになるかもしれない。
 そんな意図も含めつつ、孝は今にも倉菜宅へ乗り込みそうな気配を見せた。
「止めてってば! それに、その時は冨樫さんが助けてくれたの、だから本当に何ともなかったんだって、」
「……と、」
 孝は俄に視線を在らぬ方向へ向けた。
 ……まずい。
 孝にとっては非常に不利な話題だった。
 レイはレイで、孝には構わず1人寂しそうな溜息を吐いていた。
「まあ、あんな事になっちゃったけどね。でも、冨樫さんだけは本当に嫌いになれないなあ。……私、学校とか行ってなかったから、友達居なかったのよ。パパは忙しかったけど、冨樫さんはいつも遊んでくれた。お祭りの縁日に連れて行ってくれたのも冨樫さんだし、高名なソリストが来日した時にコンサートの楽屋口にこっそり入れてくれたのも冨樫さん。……分かるかなあ、凄く良い思い出なのよ。総帥にも注意されたし、これからはそう会う事も無いだろうし施設の人には注意するわ。でも、きれいな思い出まで厭になりたくないの。……甘い?」
「いや……、……良いんじゃ無いかなあ、」
「ありがと」
 にこ、とレイは微笑んだ。あまり無邪気な笑顔だったので、──少々、疚しい所のある孝は髪をくしゃくしゃと掻き回して殊更視線を背けた。
「孝君は優しいわね」
「いやあ、その……、……はは、」
「だからね、あまねちゃんの時はちょっとショックで、大分孝君の事悪く云っちゃった。ごめんね」

──云えない……。

 とてもじゃ無いが白状出来ない、と孝は冷汗と誤摩化し笑いを浮かべながら思った。
 何が疚しいと云って、その、レイには「とってもきれいな思い出」らしい冨樫の事だが。

 ──性懲りも無く、また「やっちゃった」とは口が裂けても白状出来そうに無かった。

 昨年暮、巣鴨ユーフォニアハーモニーホールでの事件直後の事である。
 一同が実銃を持って乗り込んで来た磔也だのクシレフだのにかまけている間に、シドニーが冨樫を連れて逃げ出した。その時は制止出来なかったが、何も、全員が全員ただ手を拱いてそれを眺めていただけでは無い。
 ホールでの騒動が一段落した後に、孝は総帥から色々なお仕事を命じられた。──クシレフが抜けた後の水谷の肉体の処理だとか、あまつさえ出来ることなら闇に、可能ならばクシレフや何かと共に消滅させてしまいたかった魔法少女あまねちゃんの歌声を録音したテープの回収まで。
 それから冨樫との2度目の合体も……。

「孝君、これからも側──じゃない、仕事、手伝ってくれる?」
「勿論、」
 即答したのは決して、都合の悪い話題を反らす為じゃないぞ、俺はそんな、磔也みたいに姑息な真似はしないぞ、──多分。
「良かった」
 にこ、と屈託無い笑顔を浮かべたレイに、多少のぎこちなさを含んだ笑顔を孝は返した。──こっそり、肩を落としつつ。

──駄目だ。

 ポーカーフェイスで平静を取り繕うような小細工が出来ない自らの性格は、オペラ当日の冨樫との会話で良く分かった。
 この分では、とてもじゃ無いがボロを出すのが怖くて賃金引き上げの要求など切り出せそうに無い。

──ま、良っか。

 細かい事は気にしない。
 ただアテもなく異世界調査するよりは、「メッセンジャー」のレイに付いて回った方が効率も良いだろう、と自らに云い訳を下し、孝は独り合点した。

「明日も宜しくね」
「了解」

【4d:2004-02-14】

 世間はバレンタインデー。
 世の中の男女が浮き足立つこの時期も、孝は相変わらずレイの奴隷、基いメッセンジャー業の助手に扱き使われていた。
 そこは容赦も情緒も無しだが、この日の彼女は珍しく、昼時になって「休もう」と孝を誘って手近な公園にロードバイクを駐めた。
 孝は手に、近くのコンビニエンスストアで購入した2人分の肉饅を抱えていた。心持ち、その量は孝一人と、年頃且つ痩身をキープしているレイ2人分には多い気がするが、内訳は訊かずに置こう。然し、レイが割り勘を拒否したのだけは事実だ。
「孝君、チョコレートあげようか? ヴァレンタイン、知ってるでしょ?」
 ──え、と孝の瞳が(単純に食欲から)輝いた。
「え、良いのか? うわ、嬉しいな?、」
「〜♪」
 レイは上機嫌で、何故かチャイコフスキーのカンツォーネを口ずさみながらメッセンジャーバッグから魔法瓶を取り出した。別に用意したピンク色の紙コップに暖かいココアが注がれ、甘い香りで孝の幸福感を刺激しながら差し出された。
「はい、ホットチョコレート。ただのココア、とか云うんじゃ無いわよ。インスタントじゃ無いんだから」
「いやー、嬉しいな、丁度寒かったし、有難とー、レイさん」
「お返しは今日の労働で先払いさせてあげる」
「……、」
 ──払うのか、それも先払い……。
 
──ったく……、イヴにだって借金中だっつーのに……。

 呆れながらも、孝は一先ず今現在のシチュエーションには有り難い、暖かい飲み物の恩恵を享受する事にした。
「とか云って、あんた、結構貰ってるんじゃないの? 意外とモテそう」
 自らは魔法瓶の蓋をひっくり返したコップでココアを飲みながら、レイはそう云って孝を揶揄かう。──最後の一言が余計だが。
「んな事無いよ、……あー、チロルチョコとか貰った……。後はイヴが義理でくれたけど、それだって本命の失敗作なんだぜ」
「え? ソマリア嬢の手作り? 見たい! どんなの?」
 ネタとしてどこぞの雑誌に売りはしないだろうな、──でないと、レイさん自身が危ないぞ……。
 などと要らない心配をしながら、孝は「これ」と何気無く、素っ気無いラッピングの菓子箱を取り出してレイに差し出した。
「見て良い?」
「良いよ」
 レイは好奇心に満ちた様子で箱を空ける。
「ハート型だ。……可愛いじゃない。……ふーん、これの完成品を、今頃ルクセンブルク氏が貰ってるって訳ねえ……」

 ──と。
 
 徐ら、「ごそり」と云う物音が菓子箱から響いた。
「……、」 
 ごくり、とレイが息を飲んだのが分かった。──が、孝には何故レイがそこまで身体を硬直させているのかが分からない。
「ん? どした、レイさん?」
「ねえ……、……このチョコレート、今、……動かなかった?」
「そりゃ、動くだろー」
「動くもんですか! 常識として!!」
「?」
 孝にしてみれば、レイの言葉の方が不思議である。……何で? 食べ物が蠢いちゃ変か? 
 然し、そうしている間にもレイの目の前で再び、イヴ・ソマリアの手作りチョコレートは可愛らしいハート型のその姿を「ずるり」と変形させて蠢いた。
「……、」
 レイの背筋を、冷たい物が通り過ぎて行った。

──錯覚じゃない、私の目の錯覚じゃ無いわ!

 ある程度の怪奇現象には耐性も理解もあるつもりだった。が、食べ物が蠢く程恐ろしい事は無い。見ただけで、自分の喉から胃に架けてが踊るような感覚がする。

「きゃあぁぁぁぁぁぁぁぁぁ────っ!!」

「レイさん? おい、どした? レイさん?」
「助けて……、……私、発狂したくないわ……、」
 それだけをようやくの掠れた声で呟くと、レイはふらり、と片手を翳して卒倒してしまった。間一髪で、慌てて腕を差し出した孝は抱き留める事が出来たが──。
「レイさん、おい、レイさ──ん、」
 相変わらず分からない。何故彼女が気を失ったのか。食べ物が蠢くは当然の魔界出身の孝は、目眩でも起こしたのでは無いか、とひたすら心配するばかりだった。

【5d:2004-03-XX】

「孝君、今日は一日私お休み貰うから。臨時は取らなくて良いわ、でも常連の届物は片付けちゃってね」

 朝一番、突然レイが一方的な用件を告げに押し掛けて来た。
「えー、……俺一人かよ」
「文句云わないの。その代わり今日は時給250円ずつ上乗せして上げる。気前良いでしょう」
 元々が安時給の癖に何を偉そうな、とは思うが……。
「デートなの。……じゃあ、そういう事で宜しく!」

──まあ良いか。

 元気な彼女の後ろ姿(相変わらず、速い……)を見送りながら思う。
 磔也も持ち直して、今はとある紹介屋の許に身を寄せながら日々フライパンだの何だのの応酬を繰り広げているそうだ。
 相変わらず磔也は孝を刺し殺す機会は常に伺っているだろうし、こちらから近寄るとさっさと逃げてしまうから孝の話など素直には聞いてくれないだろう。
 レイと磔也の間に発生した傷の溝を埋めてやるのはそうそう簡単では無いと思う。だが、少しずつでも修復を手伝えれば良いな、と思う。

 さて、今日は監視者が居ないのだから反則、基い異空間召還に拠る移動も自由だ。意外と楽かも知れない。
 取り敢えず朝飯でも、とコンビニエンスストアに向かおうと孝が通りに出た所で、反対側から、携帯電話で通話、余所見をしながら歩いて来た男が居た。

「ですから、そこの練習時間の変更だけ、弦セクションに回して下さい。管の方は僕で──」
 
 どん。
 余所見したまま孝に気付かなかった彼の肩が、まともにぶつかった。
「あ、失礼」
「……、」
 孝は、ただ黙って視線を返しただけだった。が、何気無い様子で詫びた男は孝の顔を見た途端、不安気に表情を曇らせた。──やや、目に脅えがあった。
「……何か?」
「いや、……失礼」
 彼自身、何をそんなに恐れたのか分からないようだったし、孝に見覚えも無かったようだ。首を傾げつつ、そそくさと孝の脇を通り過ぎて行く。

「……あんたも、元気そだね」

 独白のように孝は呟いた。──一応、効果はあったらしい。
 その言葉は男には聞こえなかったようで、背後では彼がまた再びどこかへ携帯電話を発信しているのが分かった。

「──あ、お早うございます。冨樫ですが。実は今日の会わせで時間変更が──、」

 2度目の合体は上手く行ったようだ。
 冨樫は、孝を覚えていないが倍増操作された恐怖の感情だけは、流石の彼にも残っていたらしい。

「……それとコンマスに伝えて貰えますかね? 今日、例の何か若い映像作家が来ますよね。まあ、無茶な注文付くと思いますけどそこそこは聞いてあげて下さい。彼、バックにリンスターと応仁守音楽事務所付いてるんで。──じゃ、」

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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【1990 / 天音神・孝 / 男 / 367 / フリーの運び屋・フリーター・異世界監視員】

【0931 /  田沼・亮一 / 男 / 24 / 探偵所所長】
【1548 / イヴ・ソマリア / 女 / 502 / アイドル兼異世界調査員】
【1588 / ウィン・ルクセンブルク / 女 / 25 / 万年大学生】
【1787 / 応仁守・雄二 / 男 / 47 / 応仁重工社長・鬼神党総大将】
【1831 / 御影・涼 / 男 / 19 / 大学生兼探偵助手?】
【1883 / セレスティ・カーニンガム / 男 / 725 / 財閥総帥・占い師・水霊使い】
【1985 / 葛城・樹 / 男 / 18 / 音大予備校生】
【2194 / 硝月・倉菜 / 女 / 17 / 女子高生兼楽器職人(神聖都学園生徒)】

NPC
【結城・レイ / 女 / 21 / 自称メッセンジャー】
【冨樫・一比 / 男 / 34 / オーケストラ団員・トロンボーニスト】

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■         ライター通信          ■
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酷い雇い主です。
良いのでしょうか。
宜しければ今後も彼女をサポートしてやって下さい。
情報屋としてもあまり役には立っていないようですが。

因みに磔也からは未だ宿敵認定されておりますが、悪しからず。執念深いようです。

最後ですが、初回からの御参加有難うございました。
一回一変身も楽しませて頂きました。

x_c.