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<東京怪談ノベル(シングル)>


僕が僕らしくあるだけで

 僕は、決して、文を書くのは得意ではないはず。
 いや、ラブレター執筆などという特殊能力は、この際、置いといて。僕は、今、本当に、真剣に悩んでいるんだ。
 別に、これと言って、上手い言い回しも浮かばない。洒落た表現なんて、もっともっと、無理な話だ。
 でも、事実ありのままに報告する能力には、自信がある。
 嘘を交えず、見栄を張らず、起こったことを、正確に文章で書き表す。簡単なようで、これがなかなか難しい。
「はぁ……」
 ちょっと気持ちがくじけそうになった。
 真実のみを記した文書を、僕は、署で、夕方からひたすらコツコツ書き続けている。このパソコン時代に、手書きだ。ボールペンを握り締めている手が、ずきずきと痛んだ。
「はぁぁ……」
 幸せが、もう、十回は逃げてしまっているような気がする。壁際で、ひとり不幸を噛みしめる可哀相な僕の傍らを、何人もの先輩たちが、うきうきと、帰宅のために通り抜けて行った。
「がんばれよー」
 応援ありがとう。先輩たち。
 でも、手伝ってやるとは、口が裂けても言ってくれないんだ。いや、わかってはいるんだけどね……。
 もう少し、目に見える愛情も欲しいな……なんて。
「さっさと書け。書かんと何時までも帰れないぞ」
 ヒーローは精進あるのみ。
 上司の叱咤激励を力に変えて、僕は、始末書という名の報告書に、一生懸命、専念したのだった。
 


 事の起こりは、とある小学校の防災訓練。
 校内行事だからと簡単に済ませずに、わざわざ消防署から専門家を呼んだ先生たちの英断に、僕は迷わず拍手を送りたい。
 火事にしろ地震にしろ、普段からの備えが大切なのだ。いざその時になって慌てても、体が覚えていなければ、良い判断、良い行動は導けない。
「だから訓練あるのみなんだ! そうですよね、先輩!」
「はいはい。わかったから。せいぜい転ばないように頑張ってくれ」
 と、先輩は、僕の決意に水を差すようなことを平然と言って、高学年生の指導に走って行った。先輩だって、入った時は、燃えるファイアーマンだったはずなのに……時の流れがもたらす惰性って、恐ろしい。
 僕は絶対に冷めたりしないぞ! 僕の中の情熱の炎が消えることはないんだ!
「阿呆。俺たちに必要なのは、不完全燃焼の根性じゃなくて冷静さだ。お前も先輩たちを見習って、奴らの十分の一で構わないから、とっとと身に付けろ」
 がす、と、上司に後頭部を殴られた。
 ひ弱な昨今の新人なら、上司のいびりにいじけたりもするのだろうが……きつい一言は愛情の裏返し。僕は、ここで、必要とされていることを、ちゃんと知っている。
 そう。めげるはずがない!
「ご指導ありがとうございます!!」

「お前は長生きするぜ……」

 と、上司と先輩が、誉めてくれた。
 さぁ、訓練開始だ!
 


 訓練も、現場も、僕はいつでも全力投球。
 特に、見ていて危なっかしい低学年の指導を任されたから、否が応にも、力は入る。
 いったん、チビッコたちを三階の大教場に集め、そこで要領を一通り話した後、いよいよ、実施訓練が始まった。
 誘導役の僕に従って、あらかじめ指定された逃走経路を、素早く駆け抜ける。練習と侮ってはいけない。いつでも本気で全力投球しなければ、意味がないのだ!
 と、いうわけで、僕は、火事場の怖さについて、とっても懇切丁寧に語ってあげた。
「バックドラフト。焼性のガスが溜まった密閉空間のドアが急に開かれることで、爆発的な燃焼を起こす」
「フラッシュオーバー。熱蓄積で室内温度が上昇し、部屋全体が一気に燃え上がる」
 他にも、炭化した人間の死体は、まるで椅子に座っているような格好になるとか。大抵は、火で焼かれる前に、煙で窒息するんだとか。混み合った現場では、逃走の際、集団転倒に巻き込まれて、押し潰され圧死する可能性だってあるんだとか。
 エトセトラ、エトセトラ……。
「こ、怖いよぅ……」
 女の子が、泣き出した。
 火災現場の怖さを理解してくれたらしい。
 僕の情熱が通じたんだ!
「真剣に聞いてくれてありがとう!!」
 足に縋り付いてくる小さな体を抱き上げる。この命を守ることが、僕に与えられた使命なのだと考えると、誇らしさで一杯だった。やっぱり、消防は、僕にとっては天職だ!

 …………え。
 火災が怖かったんじゃなくて、僕があまりに真剣でビビったって、どういうことですか。先輩……。
 
 
 
 まぁ、とにかく、一通り話ながら、僕は子供たちを連れてひた走った。
 目の前には、炎。黒煙。当初使う予定だった学校東側階段は、とても通り抜けできる状態ではなくなっていた。火の唸り声が聞こえる。ぱちぱちと次々に飛び移って、景色全体が赤く濁って見えた。
 熱い。物凄く。
「最近の訓練は、本格的だな……」
 まるで、本物の火災現場だ。
「僕から離れないで!」
 使えない階段は放置して、別の逃走経路を考える。昨夜、今日の訓練のために、学校内部の構造を隅々まで丸暗記したことが、思わぬ役に立った。
 念入りに、夜中に学校に忍び込んで、この目で検索もしたんだ。…………ああ、もちろん、不審者と間違われて、お巡りさんに職務質問されたなんて、上司には秘密だ。
「こっちだ!」
 火は、新校舎の方が勢いが強い。
 今は使われていない旧校舎の方にも、確か、階段があったはずだ。僕は急いだ。新旧の建物を結ぶ渡り廊下は、一部が、丸ごと抜け落ちていた。大人の僕なら軽く飛び越えられる程度の破損だけど……小学校低学年には、さすがにきつい。
 ここは、僕が、格好良い所を見せなければ!

「校内備品を、有効かつ大胆に使おう、実施要領その一!」
 
 僕は教室に駆け込むと、そこに設置されている黒板を、むしり取った。
 一枚では心許ないので、他の教室も回って、三枚ほど。
 それを、橋代わりにする。僕って頭いい!?

 でも、これだけの人数がいれば、鈍くさかったり臆病だったりする子はいる。二人が、新校舎にまだ残っている。足がすくんで動けないようだ。
 これこそ僕の出番だ!
「大丈夫!」
 と、僕が言った途端、渡り廊下の床が、メリメリと音を立てて、落ちた。大人の僕の足を持ってしても、これは飛び越せない。
 背後からは火が迫っている。
 僕は迷わず決断した。

「校内備品を、有効かつ大胆に使おう、実施要領その二!!」

 消火ホースを、掴む。それを、某アメリカ州の牛飼いよろしく、頭の上でぐるぐると回した。先端には、消化器の重り付き。
 投げた。
 僕って、天職は、カウボーイかもしれない。素晴らしいコントロールに、自分で自分を誉めてやりたくなった。
 ホースは、旧校舎の天井の剥き出しの梁に、見事に絡まった。僕は、二人の子供を抱えて、今度はターザンよろしく、落ちた床を飛び越えた。
「お兄ちゃん、かっこいい!」
 やんやの拍手喝采。
 生きてて良かった。今日の僕、まるで本物のヒーローじゃないか。
 ……そんなことを思ったなんて、これも、もちろん、上司には秘密だ。



 校庭に着くと、まずは、互いに互いの顔を確認させた。
「みんな! 全員揃っているかい!? いない子がいたら、僕に報告するんだ! いいね!?」
 はーい!と、全員から、元気な返事が返ってくる。
 生徒たちは、僕を見上げて感動してくれた。
 先生たちは、僕の仕事ぶりに、歓声を上げている。
 防火訓練にこんなに必死に取り組んでくれる学校、初めてだ。
 僕は人気者だった。僕自身、感極まっていた。この高揚感がおさまるまで、本当に、気付かなかったんだ。
 周りを飛び交う、サイレンの音。野次馬の悲鳴。上司の……怒鳴り声。
 
「こ、この馬鹿タレがぁぁ! 何をもたもたしていたんだ!! 訓練開始から、どうして四十分もかかるんだ!?」

 いや。なにせ、火事場の怖さを語るのに必死で。
 時間の経過を忘れていたなんて、口が裂けても言えない。

「報告書だ!! 始末書だ!!! 減給だぁぁぁ!!!」

 この二分後、僕は、火事が本物だったことを知った。



 そして、現在に至る。
 コツコツと、文書を書いているわけである。
 出来上がったので、とりあえず、上司に見せた。我ながらいい出来だと思ったのだけど……。
「没!」
 まるで、どこかの雑誌社のおっかない編集長のようだ。今の上司。ということは、僕が哀れな編集員か。ああ…………僕の努力の結晶が、シュレッダーの中に吸い込まれて消えてゆく。

「おーい。客だぞ。客」

 先輩の一人に、不意に声をかけられて、そちらを振り向くと……あの小学校の生徒たちが、たくさん集まって、僕の前に立っていた。
「お兄ちゃん、ありがとう! 今日はとっても楽しかった!」
 一斉に、頭を下げる。
 わざわざお礼を言いに来てくれたのだ。帰り際も、何度も何度も振り返って、手を振ってくれた。

「櫻、良かったなぁ、低学年が相手で」

 上司が、しみじみと呟く。僕は、その声に込められた嫌みになど欠片も気付かず、ただただ、何度も頷くばかりだった。
「もういい。報告書は。俺が代わりに書いてやる。世の中、お前みたいな馬鹿な奴も必要だって、今回、俺はよくわかった」
 馬鹿な、という一言だけ、僕の耳には届かなかった。
「お前はそのまま変わるなよ。櫻……。俺が許す。お前はそのまま突っ走れ。いいな」
 僕の上司は、厳しい人だけど、とても尊敬できる人でもある。

 変わらずに。

 僕は、しっかりと、その言葉を胸に刻んだ。
 そうだ。僕は、変わらなくてもいいんだ。このままで。
 僕を僕として必要としてくれる人がいる。

「一番星です!」

 夜闇に包まれた空に、星が輝いていた。
 僕は、報告書をありがたく上司にお願いして、帰路についた。

 本当に、気持ちの良い帰り道だった。