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<PCシチュエーションノベル(ツイン)>


伸ばした手は赤を掴む

 夕日だ。赤い赤い、夕日。飲み込まれるかと思わんばかりに大きな、ただ赤々として恐ろしさすら覚える夕日。
 それは、この草間興信所の屋上にも同様に降り注がれる。望もうと、望むまいと。
「赤いな」
 ぼそり、と守崎・北斗(もりさき ほくと)は呟き、手をそっと夕日にかざした。青の目で見つめる夕日は、それでも赤い事には変わりが無い。光を遮ろうと伸ばした手でさえも、こんなにも用意に赤く染め上げてしまう。
「……本当に、赤いな」
 再び北斗は呟いた。きっと、全身が赤く染め上げられてしまっている事だろう。茶色の髪も、着ている服も、こうしているだけで赤く赤く染められている筈だ。
「こんなに大きくて赤い夕日なんて……もしかしたら久しぶりかも」
 苦笑し、北斗はかざしている手をそっと見る。夕日に染められた手は赤く、そして脈打っていた。自分がここでちゃんと生きている事を示すかのように。
(兄貴は、この夕日を見たら何を思い出すかな)
 北斗はじっと夕日を見つめ、兄である守崎・啓斗(もりさき けいと)を思う。凛と立ち、その緑の目で真っ直ぐに前を見据える啓斗。北斗には分からぬ傷をたくさん抱き、啓斗にしか知り得ぬ痛みを常に伴っている。
 そのどれも、北斗は共有できない。
 こんなにも、顔が同じなのに。同じ遺伝子を持っているのに。
「そういや……」
 ふと北斗は何かを思い出し、小さく笑った。まだ最初の、ぎこちない時期の事を。


 草間興信所に通いだした頃、北斗は疑問をずっと抱いていた。
「なんだよ、その目は」
 煙草をくわえたまま、不思議そうな北斗の目線に苦笑する草間がいた。この草間という男も不思議だった。いつの間にか通っている北斗や啓斗に、何の疑問も抱く事なく、こうして興信所で出迎えるのだから。
「草間さんさー、気にならねぇの?」
「何が?」
「俺らがこうしてここに出入りしているのとか」
 北斗が聞くと、草間は「そう言われてもなぁ」と小さく呟き、煙草の火をぎゅっと灰皿に押し付けた。
「来るなって言ったら、来るのをやめるのか?」
「そういうんじゃねーけどさ。ここって怪奇探偵事務所じゃん?」
「違うぞ。興信所だ、興信所」
 草間は思わず突っ込む。怪奇探偵事務所、という名称を固定させる訳には行かない。
「どっちだっていーって」
「良くないぞ!しっかり覚えておくように。ここは、興信所だ。草間興信所って言う立派な名前があるんだ」
「んー、じゃあその興信所で良いや」
 北斗の言葉に、草間は暫く考えた後「それでいい……」と呟いて大きな溜息をつく。
「その興信所に、こうして俺らみたいな高校生が通い詰めていてもさ、なんとも思わないわけ?」
 草間は置いてあったコーヒーカップを手に取り、一口飲んでからにやりと笑う。
「何も思わないと言ったら、それは全くの嘘だろうな」
「んじゃ、どうして普通に出迎えるんだ?」
「何だ、お前。追い返されたいのか?」
「あーもう、そうじゃないって!」
 ぶう、と北斗が膨れて言うと、草間は苦笑しながら口を開く。
「悪い悪い。お前がそんなに気の利いたようなことを言うのは珍しい気がしてな」
「あのなー。俺だって考えてるっつーの」
「そうか。それは悪かったな」
 大して悪いとも思わず、草間はそう言っって二本目の煙草を口にくわえる。
「俺は調査員を大事にする性質なんだ。使えるものは何でも使うぞ」
「俺みたいな高校生でも?」
「何を言う。お前だって大事な調査員だよ」
「そっか」
 妙に照れて、北斗は言う。草間は小さく微笑み、煙草の煙を吐き出す。
(これで一つは解決したけど)
 北斗はじっと草間を見つめる。一つの謎は解決したが、それはまだ本筋ではない。言わば、序章。この興信所はどうも謎が多すぎる。
「……何だ?まだ疑問がありそうな顔だな」
「え?俺ってば、何かそういう顔してる?」
「しているな。ほらほら、もう良いから全部聞いとけ。ここがこんなに暇なのも、もう無いかもしれんぞ?」
「いや、それはよくあると思うけどさ」
「よくある?」
「暇だって事」
 北斗の言葉に、草間は「おいおい」と真顔で突っ込む。
「ここは結構忙しいぞ!……多分、恐らく……きっと」
 だんだんと語尾が弱くなる草間。北斗は小さく笑い、手で何かを移動させるジェスチャーをしながら「それは置いといて」と言う。
「まあ、それはどうだっていいんだけどさ」
「どうだって……いや、もういいさ。どうだっていいさ」
 諦め半分で、草間はそう言って苦笑した。
「あのさ、ここって興信所だけど……実は何かのビックリ博覧会とか?」
「はあ?」
 草間は盛大に聞き返したが、北斗の顔は至って真面目だった。真面目な顔で、草間に真偽の程を尋ねているのだ。
「ここってさ、おかしくないか?ビックリ人間……いや、人間じゃねー奴もいるから……ビックリ存在博覧会?」
「……どうしてそういう思考に至ったかを聞かせてもらおうか」
 草間は危うく煙草を落としそうになりつつ、そう言って北斗に向き直った。
「だってさ、ここに出入りする所員ってさ、ビックリ能力を持つ奴ばっかじゃん?」
「ビックリ能力……」
 北斗の言葉に、思わず草間は吹き出した。草間の様子に、思わず北斗は首を傾げた。軽く、眉間に皺を寄せながら。
「何か俺、変な事言った?」
「変と言うか……いや、変か」
「どっちだよ?」
「うーむ、両方ともかな」
「両方ぉ?」
 ますます深く刻まれる北斗の眉間の皺に、思わず草間は「まあ聞け」と言って再び煙草の煙を吐き出した。
「お前、本当にここの所員がビックリ博覧会だと思うか?」
「そりゃ、思ってるけど?」
「違うな、本当にビックリ博覧会なのは、所員じゃないんだぜ」
「どーゆー事か、さっぱりわかんねーんだけど」
 不服そうな北斗に、草間は苦笑しながら口を開く。
「俺はてっきり、ここに持ち込まれている事件がビックリ博覧会なのかと思ったんだが」
「それもさ、ビックリ博覧会かもしんねーけど。でもさ、所員もきっちりビックリ博覧会だと思うんだけど?」
 草間は「確かに」と小さく頷きながら言い、それからにやりと笑う。
「だがな、考えてもみろよ。ビックリ博覧会な所員たちと、ビックリ博覧会の事件。本当にそれは同じように『ビックリ博覧会』なのか?」
「はあ?」
「分からないか?……ビックリ博覧会な所員は、その存在自体がビックリな訳だ」
「まあ、そうだけど」
 草間の言葉に、北斗は頷く。それを確認し、草間は続ける。
「じゃあ、ビックリ博覧会な事件はどうだ?それは、その存在自体がビックリなのか?」
 言われてはっとする。北斗は思わず口元に手を持って行き、口を噤む。草間はそれに気付いたようににやりと含んだ笑みを浮かべた。
「気付いたようだな。ビックリ博覧会な事件は、存在自体がビックリなんじゃない。それを引き起こすのも解決するのも、人間だというのがビックリなんだ」
 草間に言われ、北斗は唸る。
(確かに……驚くポイントは、引き起こしたのも解決するのも、人間だという点だな)
 妙な納得感が体中に走った。
「どうだ、恐いだろう?お前が何気に言った『ビックリ博覧会』の真髄は」
「そりゃ、そうかもしんねーけど……」
 北斗はそう言って再び口を噤んだ。不可思議な事件、引き起こした犯人、解決する所員、所員を派遣する興信所主。全てが正に『ビックリ博覧会』なのだ。北斗が何気なく言った言葉が、その異様さを際立たせる。
 ここは、全てが驚きと恐怖で満たされているのかもしれない。
 考え出したら切りの無いことであり、また深く考えると泥沼につかりそうだった。どろどろとした意識、終わらない出口、見えないゴール。
「なんだよ、意地悪だな」
 口を尖らせて北斗が抗議すると、草間は「あはは」と豪快に笑った。
「お前が話し出した事だぜ?俺はそれに答えただけだ」
「ちぇ、きたねー」
 北斗の言葉に、草間は再び笑った。一通り笑うと、ふと笑みをしまって真面目な顔になった。
「それにしても……お前の兄はそういう事を聞きたがらないな」
「兄貴?」
 草間に言われ、北斗は啓斗を思い浮かべる。草間興信所に持ち込まれる様々な依頼や、集まってくる所員達。それらの異様さにも動じない、啓斗。
(そういや兄貴、いつも平然としてるよなぁ)
「分かっているのかもしれないな、そういった恐さを」
 草間はそう言い、短くなってしまった煙草を灰皿に押し付ける。白煙がゆらりと天井に立ち昇り、消えていく。
「それとも、全てに傍観しているのかもしれないな」
「兄貴が?」
 怪訝そうに尋ね返す北斗に、草間は苦笑する。
「さあな。……でも、もし全てに傍観しているのだとしたら凄い事だぜ?あの年で」
(そうだよな……兄貴は、俺と同い年だもんな)
 北斗は気付く。自分と同い年である啓斗。同じ遺伝子をもち、同じように生きてきた筈の啓斗。
(同じ?……違う、同じじゃない)
「どうした?」
 考え込んだ北斗に、草間が心配そうに顔を覗き込んできた。北斗ははっとし、慌てて手を振る。
「な、なんでもねーよ」
「そうか?」
 草間は半分納得せぬままそう言い、再び煙草を口に持っていく。
「まあ、いいだろう。俺にはそこに踏み込む権利なんてないんだからな」
「はあ?」
 草間の言葉に、北斗は聞き返す。草間は煙草をくわえたまま、にやりと笑う。
「だからこその、ここの興信所主だ。だから俺はここにいる」
 北斗は大きく溜息をつく。大袈裟に。
「時々さぁ、わかんねーこと言うよな?」
 草間は笑う。あの、含んだような笑みで。


 北斗は思い出し、小さく笑った。相変わらず全身に赤い光を浴びているままだ。
「あの時の草間はよくわかんなかったけど」
 北斗はじっと夕日を見る。だんだん、見ているのか見られているのか分からなくなってくる。
「草間の事はわかんなかったけど、兄貴の事なら分かる」
 北斗はそう言い、前を見据える。眩しさに、目が眩む。
「兄貴は、傍観していたんだな」
 草間は笑っていたが、北斗には分かっていた。あの年で、北斗と同じ年で、しっかりと傍観しているのだと。
「本当に、兄貴は……」
 北斗はそこまで言い、口を噤む。
(兄貴は、分かっていたんだ。あの時から、そして今も)
 ぐっと北斗は手を握り締める。何も無い空間で握り締めた手は、何も掴んではいない。ただ空を掴んでいるだけだ。
(兄貴は凄い。……それは前からも変わってなくて)
 北斗の中に溢れる、啓斗への思い。尊敬でもなく、妬みでもなく。ただ漠然と存在する啓斗への思い。それはふわりふわりと北斗の中を揺れ動く。眩暈のように。
「強く、なりたい」
 漠然とした思いが、口から出てきた。はっきりとした信念はない。ただ漠然と出てきただけだ。啓斗を思い、この世界を思い、自らを取り巻く環境を思い。
 ただ、強くなりたいのだと。
「やっぱり俺は、強くなりたいよ」
 北斗はそう呟き、握り締めていた掌を開く。やはり手の中には何もなく、自分の手だけがそこに存在していた。
「何も掴んで……いや、掴んではいたか」
 北斗は不意に小さく笑った。苦笑や自嘲にも似た、だがそのどちらとも似てない笑みを。
「俺、強くなりたい」
 再び北斗は呟いた。全身を赤が染め上げる。もうすぐこの赤は消えていくだろう。赤い空間、赤い大気、赤い世界。
 まるで燃えているようだ。
(炎は……いや)
 北斗は手を伸ばして何かを掴んだ。地平線の中に埋もれていこうとする夕日を、逃さないかのように。
 炎だと思った。光だと思った。手で掴み取れるかどうかではない。手で掴み取ろうとしているのだ。北斗はじっと握り締めた手と、沈んでいく夕日を見つめた。
 ただただその赤を、赤く燃える夕日を、自らに焼き付けてしまうかの如く。

<やがて来る闇を待ち構えつつ・了>