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闇覗き
------<オープニング>--------------------------------------
「三下ー、写真いいの集まった?」
「は、はいぃぃ?」
じろぉり、と部下を睨む碇麗香。それだけで竦み上がってしまう三下忠雄。手元で何かやっていたのか、ばさばさと書類が落ちる。
「なぁ〜にやってるのかな、タダオクン?」
腰に手を当てたまま、にっこりと笑うその表情の後ろに青い炎が見えた気がして、慌てて足元に散らばった封書や紙を掻き集めた。
「今月号で使うからやっておいて、って言ったと思ったけど?」
「…い、一応候補だけは…これ以上の絞込みは勘弁して下さい。夢に出てくるんですよ、あの目が」
自分の机の中で一番遠い場所に置いておいた封筒を指先で摘んで恐る恐る渡す。
中を改めると、二段に仕切られた片方は弾かれた写真の束、もう片方には候補と言うだけあって目立つ事この上ないモノが数枚。
中でも、どこかの建物の中で、鏡に映りこんだ余計なモノ――被写体と、カメラを構えた撮影者の『後ろ』からぬぅと覆い被さるように写ってしまった人影が圧巻だった。その視線は写真を見ている者を見ているようで、一瞬背中に意識を集中させてしまう。
なるほどね、と呟いて元通りに封筒に戻し、ぽん、とそれで三下の頭を叩く。
「――柳川先生に観て貰ってきて。候補もそれ以外もね」
「ああああああ、それもやるんですかぁぁぁぁ?」
麗香からの返事がある訳は無く。
三下はこの寒空の下、編集部から追い出され、そして。
――それきり行方が分からなくなった。
「先生の所には寄ったらしいんだけどね。それから戻って来ないのよ、あの馬鹿。現物持って何処をうろついてるんだか、締め切りは近いって言うのに」
苛々と麗香が告げる。
「とにかく、写真は取り戻してきて。このままだと記事に穴が開くわ。…ああ。ついでに三下もね」
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「行方不明ですか。穏やかじゃありませんね」
車椅子の上で連絡を受けたセレスティ・カーニンガムは話を聞いて一言そう言った。
その後で、
「分かりました。私でできることがあれば、お手伝いします」
助かるわー、と言う麗香の声を電話越しに聞きながら、次の日の予定は全てキャンセルするようにと連絡を入れた。
次の日、約束の時刻に丁度間に合うように編集部の前に立つ。中へと入ると、既に何人かが待機しており新たな人員の登場に軽く頭を下げて挨拶してきた。此方からも挨拶を返しつつ、狭い編集部の中をすいすいとすり抜けて歩いて行く。
これで殆どの者が揃ったようで、1人が早速と集中に入り残った者達でこれからの行動予定を考え始めた。
「そう言う訳で先生の所に行こうと思うんだけど…って、この場の人達皆そうみたいね」
百合枝の言葉にゆったりと頷くセレスティ。其処へやってきた最後の1人にシリルが嬉しそうな顔をしながら近寄り、何事か話し合っていた。どうやら、シリルの誘いを断り、彼女なりの方向で調べを進めるつもりらしい。
「そうですか…分かりました。私も気になっていましたから、後で合流するかもしれませんね」
「分かったわ。行ってらっしゃい」
皆を見送る緋玻を、その向こうのソファの上で真剣な表情で未だ集中を繰り返しているケーナズを見やり、そして邪魔をしないよう静かに外へと出て行った。
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その『先生』の家は、ごく普通の住宅地にあった。小さな門をくぐって奥まった部分に小さな木の表札が立てかけてあり、其処に墨で『柳川鬼観華』の名が書かれている。丁寧にカタカナで『ヤナガワキミカ』と振り仮名を振っているのを見ながら、呼び鈴を押した。昔懐かしいブー、という音が聞こえ、暫くして「はいはいはいはい」というせわしない女性の声と共にがらりと玄関が開く。
「――どうしたの?忠雄ちゃんならいないわよ」
化粧っ気のない、ぱっと見普通の主婦です、と言われても違和感の全く無い女性が皆の顔を見るなり、開けた戸に手をかけながらそう言い放った。
きょとんとした皆の顔に気付いたのか、あらぁ?と今度はその女性が不思議そうな顔をし。
「違うの?でもあなたたち、彼を探しに来たんでしょ?」
きょろきょろと辺りを見回しながら、他に人がいないことを確認し。まぁいいわ、と呟いて、
「お茶でもどうぞ。何かあったみたいだし、おばちゃんにも話聞かせて頂戴」
そう言い、あっさりと皆を中に通した。
人数分の茶が並び、煎餅の袋を開けながらどーぞー、とほがらかな笑みを浮かべる。その真後ろには大きな祭壇めいたものがあり、果物籠と花束が並んでいて、その差に軽い眩暈を覚えてしまう。
「…特に途中何処かに寄るとは言っていなかったわね」
お茶を啜りながら、思い出すように上を見上げて答える。
「けどねえ。嫌な予感はあったの。だから真っ直ぐ帰りなさいね、って言っておいたんだけど」
こと、と湯飲みをテーブルに置いてふぅ、と息を付いた。
「びっくりしちゃったわよ。麗香ちゃんからまだ戻ってこないって電話来た時にはねぇ」
まだ見つかってないんでしょう?怖いわねぇ、と言いながらもやはり気になるのか表情は冴えない。
「あの写真を良く見たのは彼と先生だけなんです。写真について話してもらえませんか」
セレスティの言葉にええ、いいわ、と言いながらも思い出したのかちょっと身震いし。
「あの写真?――あんまり、良いものじゃないわね。いえ、はっきり言ってかなりマズいわ。軽くお清めはしておいたけれど、あれは見せちゃ駄目なモノよ」
「それって…お祓い済ませたからって掲載は駄目ってことですか?」
「そうね。大体、ああ言った本には寄って来やすいのよ。だって皆怖いモノを期待して見るんですもの。そうでしょ?」
それでご飯食べてるアタシが言える立場じゃないけどねぇ、と鬼観華はくすっと笑い。
「とにかく、アレは駄目。麗香ちゃんもその辺は分かってるみたいだから助かるけどね」
「其処まで駄目だって分かるなら、何か因縁でもあるのか?」
同じような曰くつきの写真を撮ってしまう自らにも鑑みているのか、神妙な顔で鬼観華に尋ねる隆之。だが、鬼観華はぷるぷると首を振り。
「謂れなんて知らないわ。でも、駄目なの。…上手く言えないのがもどかしいわね。ひと目見て、ああ、此れは駄目だ、って分かったのだから」
アタシは多少『感じる』だけのほとんど一般人だもの、と、多少は卑下もしているだろうが、本音が混じっているのは感じ取れた。
「あなたたち程なら、もう少し器用な生き方も出来たんでしょうけどねえ」
――聞けば、元々多少『見えてしまう』『聞こえてしまう』体質で、中途半端故に危険な目に遭ったのも1度や2度ではなかったのだと言う。現在こうして落ち付くまでにはかなりの時間が掛かったとも。
「他に何か、気になることは?」
慶悟が懐から数枚の札を取り出しつつ訊ね、
「そうね。…怒ってはいないわ。けれど、もっと性質は悪いかもしれないわね」
それ以上は分からないわ、ごめんねぇ、と済まなそうな顔をする鬼観華。そんなことないですよ、という会話が少し続いた後、そうそう、と声を上げる。
「気になると言えば、忠雄ちゃん異様に怖がるからねぇ…引張られてしまってもおかしくないわ。この目が気になるんだ、って何度も言っていたから」
気にしないというのも強みの一つなのに、と溜息を付く。
美味しいお茶を戴いて一息付いた後、其々気になっていたことや確認作業に乗り出した。快く電話の使用を許してくれたことに礼を言って電話を掛ける。まずは事務所へ。
折り良く出た麗香に、投稿者の電話番号は知らないかと訊ねると、あるわよ、と殆ど待つ事無く返事が返ってきた。その手際の良さに驚いていると、先程の2人も調べていたのだと種明かしをし、なるほど、と納得する。
そして礼を言って切った直ぐ後に投稿者の家へ。
『――はい、――です』
若い、まだ10代半ばと言った雰囲気の、だが酷くだるそうな声が受話器の向こうから聞こえてきた。
「月刊アトラスの者ですが――」
そう言いかけた途端、電話向こうの声が跳ね上がった。
『あっ、あのっ、さっきも電話もらったみたいなのに、ごめんなさい』
「いいんですよ。…あの写真は貴女が撮影したんですね?」
はいそうですぅ、とひたすら嬉しそうな声に。もー、あんなのが写るなんてびっくりしちゃいましたよー、と、怖がっているような、どこか自慢げな…表情まで想像出来て声を出さずに微笑を浮かべた。
詳しく話を聞くと、学校で有名なホラースポットなのだそうで。その他にも、暴走族と見られる数人が夜間に目撃されたこともあるとかで現実的にも怖い場所らしかったが。
『昼間なのでいいと思ったんです。…で、写っていたらいいなーって…ほら、鏡とかテレビとか変なの写るって言うじゃないですか』
どっちにしても、夜間に来るのだけは避けたかったようだ。一緒に忍び込んだ友人も同意見だったらしく、しょぼいけど怖かったですよー、と嬉しそうに話すのを聞く。
「ところで、何か怖い体験をされたとか」
麗香がちらっとそんなことを言っていたなと思いながら聞くと、急に向こうが押し黙る。よくよく話を聞くと、忠雄と同じく眠ると夢の中に目が出てくるのだそうだ。其れのお陰で眠れないんです、とこの状況には困っているらしく、一気に声がトーンダウンする。
『毎日眠くて…少しうとうとしてたかと思っても直ぐにあの目が邪魔するんですよ』
目としか言いようのないものが彼女を見つめている、ということしか分からないらしく、それ以上の情報は引き出せそうにない。
その後で、実は写真の担当者が行方不明になっていると告げ、そのことに心当たりはないか、と訊ねる。具体的には彼女も何処か呼ばれた気がしたとかそういったことなのだが、それはないらしい。
『この通り、眠くてほとんど外も歩けない状態ですし』
忠雄と違う点は、彼女の方が期間が長いということだけ。だとすると、忠雄だけが行方不明になったということなのだろうか?
『あ――あの、噂なんですけど。私達があそこに写真を撮りに行く前に、良くあの辺でたむろしてた不良達が数人見かけなくなったって聞いた事あります。…それって、何か関係あるんでしょうか?』
やだー、危険なの撮っちゃったの私、と先程までの有頂天さが嘘のように声に怯えが混ざる。
「現在調査中です。――近いうちに結果はお知らせしますので、貴女もその場所には決して行かないで下さいね」
忠告めいた言葉に、わ、分かりました、と震える声が返ってきた。
暫くして、再び作業に一段落着いた面々が顔を付き合せて情報を交換する。
「投稿してきた人物の家に掛けてみました。折り良く本人が出てきたのですが、酷く眠そうなこと以外では身体におかしなことはないそうです。あと、三下君と同じく、目が夢にずっと出てくると…寝不足の原因ですね」
「とは言え、本人行方不明とか言うんじゃなくて良かったよな。…これでまた行方不明が増えたりしたら洒落にならねえし」
セレスティの言葉に被せるように、ごく素直な隆之の言葉に皆が頷きを返す。
「私は念のため編集部にね。動きが無いか聞いたらあの2人、もう撮影した現場に行っちゃったらしいわ」
百合枝はやや不安そうにそんな事を言い。
慶悟は難しい顔のまま、
「――正直、俺は行きたくないな。危険と言うより――なんと言うか、厭な感じなんだ」
何か見たのか、そんな事を言った慶悟には、鬼観華が1人うんうんと頷いていた。
「いや、さっきは曖昧な言い方にどうかと思ってたんだが…済まなかった。アレは確かに、『良くない』モノだ」
「何が…『見』えたんですか?」
セレスティが目を細めつつ訊ね、慶悟は顔の表情を変える事無く、
「『目』―――としか言いようのないモノさ。だが行かなきゃな…見詰め合ったお陰で、俺も今夜からは眠れなくなりそうだ。早いトコ片を付けてしまおう」
他に選ぶ言葉がなかったのだろう、皆の不安を煽るような事を言うだけ言って立ち上がったのだった。
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「うーわぁ。こりゃ、俺でなくても偉いモンが撮れそうだ」
なんというか、それは。
廃病院――そんな言葉が似合いすぎる建物だった。似合いすぎなロケーションに合わせてくれるかのように、風が強くなり雲が空をすいすいと進んで行く。
そして、何よりの問題は。
「此処…越えるんですか?」
中の怖さよりも、入り口の厳重な鎖に、スカート姿のシリルが不安そうな声を上げる。困ったわね、と言ったのは同じく…更に悪い事にタイトなスカート姿の百合枝。
「私も…此処を越えるのは無理ですね」
杖に寄りかかっているようなセレスティが更に困った顔をして皆を見た。
「――山場直前でゲームオーバーか?そりゃまいったな」
何とか元気をつけさせようと言うのか、隆之があっけらかんとした声を出し。本人はこう言ったモノは分からないんだが、と言っている割には、やはり雰囲気に呑まれ掛けているのか表情は冴えない。
「まあ待て。投稿者は――女だったんだろ?」
ええ、と慶悟の言葉にセレスティが頷き。
「それに加え此処はもう廃墟だ。そうなると……」
とことこと。
正門から左右に伸びる塀に沿って歩いていた慶悟が、片方の塀の…門の陰になる部分からすっと姿を消して、そして戻って来て皆を手招きし。
「思ったとおり、抜け道だ」
身体を僅かに屈めたりしなければならなかったものの、割合スムーズに通ることが出来――セレスティだけは百合枝とシリルの2人がそれぞれ支えながら中へと導き、ようやく全員が中に入ることが出来た。
丁度その時、皆に気づいたのかいいタイミングでケーナズが現れ。
――その直後、緋玻が行方不明と聞いて皆が驚くことになる。
「え?田中さんも居場所が分からなくなったんですか?」
びっくりしたような声を出すシリルにええ、と頷くケーナズ。
「随分落ち着いているんだな」
「――気のせいじゃないですか?」
これでもどうしたらいいか困ってるんですよ、と微笑を浮かべながら話すケーナズ。だが、緋玻を心配するかしないか、という点に於いては聞くほうが野暮だとばかりに答えようとはしなかった。
「此処ですよ」
何故か綺麗な鏡の前で、皆が何とも言えない顔をして其れを見る。
「――この鏡を調べている時に、彼女の姿が見えなくなったんです」
ケーナズの説明を聞きながら、周りをぐるりと見渡してみた。鏡を前にして左右に真っ直ぐ伸びている通路は突き当りまで何もないように見える――セレスティの場合、ほとんど見えてはいないのだが、空気の流れや聞こえて来る音で大体検討が付いた。
――只、その通路の構造に何か不自然なモノを感じずには居れなかったが。
鏡を熱心に調べている百合枝達3人。具合でも悪いのか、鏡を見るなり外の空気を吸うために窓際に寄った慶悟と、其れを心配してか近寄って行くシリル。
ある方向からの視線に気付いたのはその時。顔を向けるも只の鏡――だが、視線は鏡の『向こう』から訪れている。
「……?」
首を傾げつつ、杖を付いて近寄ろうとしたその時、
「やめろ、見るな!」
慶悟の警告の叫びに思わず彼の方向を向いて。窓から吹き込む風に思わず目を閉じる。
――そのせいか、
気が付けば、1人だった。
「―――」
鏡の前に立ち、全身を映して見る。細かな部分はどうしても分からないが、ぼんやりとした輪郭を見ればごく普通の鏡に見える。
だが、其処から漂ってくる厭な『気』が間違いなく原因は此処だと示している。
「――どうしたものでしょうかね」
困った顔のセレスティが呟いた時、
ぬぅ、と。
鏡の向こうから、何か黒いモノが姿を現した。
「―――――」
互いに、何も言わないまま、暫く時間が過ぎる。すると、その黒いモノは薄らと…人のような姿になると、顔部分をかくん、と傾げる。そこから出るのは、怯えと――戸惑い。
――あなたは―――
――見えて…いないの?
そして。
おずおず、と言った風な、声とは認識出来ない『声』が耳に届いた。
女性だろうか。目前に浮かぶ影は何らかの色が重なって見えはするが…聴覚や嗅覚で察することが出来ないとなると頼りの無い視力をフル活動させなければならない。
「全くではないのですが…役に立たないのですよ、この目は」
ほんの少し目線に力をこめただけでも、何故だか激しい疲労が身体を襲う。
――あんしん、した。あなたなら――こわくない。
「怖い?…怖がらせているのはあなたでしょう?」
――こわいのは、わたし。
――見られたくないの、だから
――見られないように、するの
「…他の方や、三下さんは…どうしました?」
怯えている様子だけがびりびりと伝わってくる。それなのに、目の前の相手の言葉は、まるで――
――何度も、見るから――見ないでって、言ってるのに――
空気が、震え出す。鏡の在る場所を中心に、小波を起こすように。
まるで、それは――水。
流れに乗せられたか、セレスティの首に巻いていたネクタイがするりと解け、そして目線を殺すように目の上に巻きついた。そのままじわじわと締め上げて行く。
――見ないでね?見ないで、ね?
脅迫めいた声は、あくまでも哀願口調。だが、締め付けはますます苦しくなって行く。
「やめなさい――こんな事をしても、何もならないでしょうに」
次の瞬間、ぎち、と頭蓋に僅かな衝撃が走った、その時に。
『――――――――!!!!』
声にならない悲鳴が、あたりに響き渡った。途端、ふ、と空気が軽くなる。いつの間にか其処此処に気配が出現し、ネクタイをするりと解いて見れば、最初に見た位置からはほとんど変化のない――へたった姿の皆が其処にいた。
緋玻はまだ見当たらないままだったが。
肩で息をしている者、ぐったりと声もなく寄りかかっている者、そして、耳を塞ぎ、床にうずくまっている者…シリル。少し見ても戻ってきた事に気付いていないのか、他の者が見ている中でもまだそのままじっとしていて。心配になり、近寄ってそっと声をかけた。
「大丈夫ですか?」
その声にようやく気が付いたのか、シリルが手を耳から離して顔を上げる。
「あ…だ、大丈夫です。今のは、一体…」
「良くは分かりませんが…少し、疲れました」
解けたネクタイは胸ポケットに畳んで仕舞いながら、ふぅ、と息を付く。
あの存在と話をしただけで…『見』ただけで、激しい疲労が蓄積している。此れを長い間続けて行けば…衰弱するのは間違いないだろう。
杖に縋りながら、窓際によりかかって息を整え、セレスティはそんなことを思っていた。
――かつん、と小さな音が耳に届く。
今まで何処に居たのか分からなかった緋玻が、少し行った所に別の通路があったのだろう、そこから顔を覗かせている。
「…田中さん」
シリルが弱々しげに、それでも嬉しそうに声を上げて立ち上がった。
その声に皆が一斉に緋玻を見、そして立ち上がる。
「こっちよ」
緋玻が、皆を呼んだ。手招きする動きに従って近づいて行くと、どこか悲しげな顔で部屋の入り口に立っている彼女が居る。
「大丈夫か?」
「――平気。それより」
アレを、と指された先を見た皆が言葉を失う。
其処には、
目が。
――いや、其れは目と言い切れないものだった。近寄って良く見た其れは…只の、黒いゴムボール。
其れが――立った姿で固定された骨格模型の両目の窪にぴったりと嵌め込まれ、セロテープでぐるぐると固定されている。その上、マジックだろう、歯を唇に見立てて赤く染め、目の上にはご丁寧に黒々とした眉と大袈裟な長さの睫が書き加えられていた。…髑髏の上に、直接。
其れだけでも眉をひそめてしまいそうなものなのに、その模型の全身に書き加えられた文字や絵は言葉にするも汚らわしい冒涜と陵辱を加えていた。
「―――そうか」
慶悟が、髑髏の直ぐ隣に顔を持って行き、納得したように呟く。
「何だ?」
隆之の声にアレを見ろ、と顎をしゃくると、皆が一斉に其処を見た。
ああ…と、声が洩れる。
割れた窓が。
廊下が。
この部屋から、良く見えていた。
「マジックミラーか…悪趣味な。潰れるわけだぜ」
隆之が酸っぱいモノを食べた時のような顔をする。
「その向こうから写真を撮った訳だな…此れは、間が悪かったと言うべきか?」
「間じゃないわ。こんな場所に踏み込む方が悪い」
緋玻の言葉は酷く冷たくて…実際に、ひやりとするモノを含んでいて。
彼女が何を『見た』のかは分からなかったが、良い物でなかったことだけは確信できた。
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ぼろぼろだったがあり合わせの毛布を見つけてきた百合枝とシリルに礼を言い、数人がかりで骨格標本を丁寧に包んでやり。
此処に来た時よりは随分ましになった空気の中を、忠雄を探して部屋中を漁り…そして、
「三下さん!」
「はい…ごめんなさい、ごめんなさい…もうしませんから…」
戸棚の奥に押し込められていた忠雄が見つかったのは、その後。揺すっても声をかけても、同じ言葉を繰り返すばかりで埒が明かず。更に良く見れば手放すまいとしたのか封筒が腕の中でくしゃくしゃになっていて。
忠雄は手の中で眼鏡を握り潰し、その上更にネクタイで見えないよう目の周りをぐるぐると覆っていた。
「あ…そうか、眼鏡だ」
其の様子を眺めていた慶悟がその手の中に握り潰されている眼鏡を見て、納得行ったように頷いた。
「それって、あれか?『見られたくない』象徴か?」
「まあ、良く見るためのものだしな。おまけに、写真選考で何度も見てたんだろ?怖い怖いって思いながらさ」
隆之の言葉に慶悟が答え、なるほど、とその言葉に納得した何人かが頷いた。
「それにしても」
ネクタイを外してもらい、ややうっ血の跡が残るものの眩しさに気付いたか、ぱちぱちと目をしばたたかせる頼りない編集者を見て、百合枝が複雑な顔をする。
「眼鏡を外して綺麗に見えるっていうのは昔の少女漫画でのパターンだったけど…まさか実際に見るとは思わなかったわ」
ぺたんと床に座った姿勢でまだ良く見えないのかしきりに目をぱちぱちと瞬きしながら皆を見上げている忠雄。
ぷっ、と百合枝の言葉を聞いてその場に居た誰かが吹き出し、
そして、皆なんとなく晴れ晴れとした顔で表に出た。
「いいかい?三下君。…キミは私の大事なペットなんだから、そう簡単に行方不明になってもらっちゃ困るんだよ。分かるかい?」
「ふぁい…わかりました、もうしません…」
ぐったりと弱りきっている忠雄を優先的に助手席へと寝かせ、自らの上着をかけてやり…その後で毛布に包んだ標本を抱いた緋玻を後部座席に座らせてやり。その上で皆と別れて一足先にアトラスへ走らせている車上でのこと。
噛み合ってるんだか噛み合ってないんだか分からない2人の会話に、後ろで聞いている緋玻が小さく笑みを洩らす。「何をしているんでしょうねえ…全く」
帰り道に体力が続かなくなりそうだと、ケーナズに押し切られる形で車に乗り込んだセレスティが小さく呟き、緋玻と目を見交わしてごく小さな笑みを浮かべた。
再び全員が編集部に戻ったのはもう夕闇が濃く街に影を落とした頃。持ち込んだ古びた毛布の中身の説明を聞いた麗香は、開かせる事無く残っていた社員に奥へと運ばせた。
「編集長…」
よれよれのスーツ姿の忠雄が、恐る恐る、といった顔で皆の後ろから顔を覗かせる。倒れないよう、ケーナズが支えてやりながら。
「……」
黙ったまま、麗香は手の平を忠雄に差し出した。きょとんとした青年が可愛らしく首を傾げる。
「――写真は?」
手をひらひらと上下に振り、早く、と音にならない声が出る。ひ、と一瞬竦んでしまうのは習性か、スーツと同じくよれよれの、写真が詰まっていた封筒を手渡した。
「……危険な写真はあったの?」
忠雄が行方不明になっていた事などなかったかのように話を進めて行く麗香。
「は、はいっ、ばっちりありました。先生からも、良くないものだから使わないようにと言われています。――えーと…あ、あれ?」
一枚の写真を取り出した忠雄が良く見えないのか目を見開き、更に近づけてじぃ、と見た後で首を傾げ。
「――消えてます」
そう、言った。どれどれ、と見た他の者の目にも、写真の中に写る奇妙なモノは見えず。友人達と投稿者の写りこんだ姿しか残っていなかった。まあいいわ、と言った麗香が封筒ごと奪い取り、
「残ったのがコレね。ご苦労様」
中身を確認しつつ、柳川の一言コメントを見る。
「ちょっとインパクト足らないけどコレで行くか…三下」
「は、はいっ」
とん、と忠雄の胸元に軽くぶつけるように封筒を渡し。
「先生のコメントと写真のレイアウト任せたわ。今晩中に何が何でも――出来る?」
出来なかったら他に回す――そう言われてこくんと頷き、嬉しそうによれよれの姿のまま口元をほころばせ。
「はい――やります」
はっきりと、頷いた。
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―――後で聞いた話だが。
編集部で出される『おやつ』が忠雄の机の上に、いなくなった日数の分しっかりと置かれていた事。
差し替え用の記事を用意していたにも関わらず締め切りを過ぎても印刷に回そうとしなかった事。
その、どちらも麗香の命令だったらしい。
更に後日談がもう2つ。
…ひとつは、緋玻がケーナズの車に押し込んでまで連れ帰ってきた骨格模型のこと。これは正確に調べてもらい――結果から言えば人骨だった。それも、20前後の…女性のもので。今は綺麗に洗浄され、日を見てアトラスで供養を行うことになっている。
そんな事もするんだな、と出た結果にやはり良い顔をしなかった隆之が麗香の言葉を聞いてほっとしたように笑みを浮かべたのが、印象的だった。
そしてもうひとつは――――
「さー、じゃんじゃん行ってねー。すいませーん、タンにカルビにビール追加ー」
「へ、編集長ぉぉぉぉ」
「やるわねぇ。それじゃ私はハラミとロースと…」
「…藤井さんまで…」
がっくりと肩を落とす忠雄を、ぽん、と叩いた手がある。
「キミはそのくらいが一番似合いますよ――ほら、笑って笑って。今日は皆がキミを救ったことの感謝なんですから。ホストがしょぼくれていては話になりませんよ?すみません、此方にも追加注文を――」
ケーナズの言葉に魂まで抜けたか、虚ろな笑いを浮かべる忠雄。
今日はあの日のメンバーに麗香と忠雄を合わせた総勢9人もの面子が顔を合わせていた。というのも。
「面倒かけたんだから、何か奢れやコラ」
言い出しっぺは隆之。忠雄を見つけ出した後にもアトラスにちょこちょこ遊びに来ては、からかい半分真面目半分であの時の礼をしろと迫り、
「あら、いいわね。…迷惑なら私も被ってるわ よ ね?」
にっこりと笑った麗香が追い討ちをかけ。
「おーし、それじゃあの日のメンバー集めて焼肉行こうぜ、焼肉ー」
隆之が音頭を取った。
忠雄は食欲が無いのか、付け合せのレタスやパセリをぽそぽそと食べ。
麗香はその俯いた頭を肘当てにして次から次へと追加注文し。
――おまけに、誰が――とは言わないがザル並みの酒豪が混じっており。
そして9人とは不吉な、と当たり前のように高い酒をかぱかぱ飲みながら慶悟は呼び出した式に黙々と肉を焼かせていた。
遠慮していたのは――煙が身体に付かない様、頼んだお冷で防御壁を張りながらにこにこと焼きに徹していたセレスティと、おにくおにく、と呟きながらもあまり手を出さなかったシリルくらいのものだろう。
尤も、出来上がった隆之達にシリルの取り皿に山のようにレア肉を置かれてしまった後では、そんなものは何処かの彼方へ飛んでいってしまったようだったが。
緋玻まで、黙して語りはしないもののいつの間にか酒も肉も消えていると言う有様で。
いくらかかったか、伝票を手にした忠雄は何も言わなかった。言えなかったと言うのが正解かもしれない。
その後、家に戻った忠雄が焼肉の匂いをたっぷり持ち込んだお陰で住人に更にいびられたと言うのだが、それはまた別のお話。
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■ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
【0389/真名神・慶悟 /男性/ 20/陰陽師 】
【1466/武田・隆之 /男性/ 35/カメラマン 】
【1481/ケーナズ・ルクセンブルク/男性/ 25/製薬会社研究員(諜報員) 】
【1873/藤井・百合枝 /女性/ 25/派遣社員 】
【1883/セレスティ・カーニンガム/男性/725/財閥総帥・占い師・水霊使い】
【2240/田中・緋玻 /女性/900/翻訳家 】
【2409/柚木・シリル /女性/ 15/高校生 】
NPC
碇麗香
三下忠雄
柳川鬼魅華(やながわ・きみか)
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■ ライター通信 ■
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お待たせ致しました。「闇覗き」をお届けします。
2月の雰囲気に合わせて書いていたのが、いつの間にか春一番も過ぎ何やら4月の陽気とか。其れはあまりに惨いじゃないですか、と思わず言いたくなりますね。あれだけ寒かったこの冬も「暖冬」と言われてしまうんでしょうか。
…めげずに作品はなるべく季節に合わせてやって行きたいと思います。
今回も沢山の参加、有難うございました。
それでは、またの機会にお会いしましょう。
間垣久実
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