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<東京怪談ノベル(シングル)>


La Vida Acustica
                                  〜冬の晴れ間に浮かぶ、雲のような〜


[骨董屋] 
 陽光うららかな、ある冬の朝。
 空に浮かぶ雲はうっすらと白く棚引いて。
 光を浴びてキラキラと煌きを返すショーウィンド。
 やがて来る春を思わせるような柔らかな空気に思わず心が弾む、そんな今日。
「‥‥‥?」
 何気に通りすぎた店の前。
 そして、視界の端に引っかかっただけの物、だったはずなのに。
「へぇ‥‥‥バンド‥‥‥ネオン?」
 耳になれない名前。外見はアコーディオンに似ているが、左右に配されたボタンのようなものは明らかにそれではない事を示している。
「12000円‥‥‥かあ」
 実際、この楽器がその値段で出されていると言う事は、有り得ない話である。
 外見も壊れている様子もないので、置物としても十分行けるだろう。
 と。
 佇んでいるのは柚品・弧月。
 御財布はもちろんおっけーと言っている。
 このバンドネオンが家に置いてある光景を思い描いてみる。
 ‥‥‥なかなか、悪くないですね。
 うん、と大きく頷くと、その骨董屋のドアを開ける。
 そして、他の物を見るでもなくそのバンドネオンの前に立った。
「すみません、これを見せて欲しいのですが」
「‥‥‥ああ、それか‥‥‥」
 誇らしげに店頭に飾っているのか、と思いきや、骨董屋の主人の顔が覿面に曇る。
「そうかい、あれをね‥‥‥‥‥‥」
 あまりの唸りっぷりに少々心許なくなった弧月。
「音がならない、とかそう言うものですか?」
「いや‥‥‥そう言う訳じゃ‥‥‥‥‥‥そうだ、お客さん」
バンドネオンを展示台の上から降ろして、弧月の前に差し出す。
「あんた、音楽は好きかい?」
「え、ええ。もちろん」
 その答えを聞いて、なにやらじいっとバンドネオンを見つめる店主。
「で、その楽器についてはどのぐらい知っているんだ?」
 問われて、一瞬言葉に詰まる。
 だが、嘘をついてまで買うものでもないと思った。それで売ってもらえないのであれば、仕方ないだろう。
「実は殆ど知らないんです」
「‥‥‥ほほう。この楽器に興味があるのかい?」
「え、ええ」
 店主はそれを聞いて、一つ軽く溜息をついた。
「あんた、今時間あるか?」
「あ、はい。ありますけれど」
 奥のテーブルを指差して座るようにと促す主人。
「商談と行こうじゃないか。あんたももっと安く手に入れたいだろ?」
 そう言ってにやりと笑う店主にやや気おされながらも言われるままにテーブルに腰を落とす。
「コーヒーがいいか? 紅茶がいいか? 緑茶がいいか?」
「紅茶でお願いします」
 奥に入っていった店主がコーヒーと紅茶とシュガーポットを盆に載せて戻ってきた。
「では、はじめようか。このバンドネオンは1900年代初頭に作られたAlfredArnold社のディアトニック・バンドネオンと言う物だ。通称AA(ドブレ・アー)って言うブランドの物で、彼の悲劇の天才アストル・ピアソラの使っていたメーカーとして知られている。それでなんだが‥‥‥現在のアルゼンチンタンゴの主流の楽器なんだが‥‥‥ディアトニック・バンドネオンは通称『世界で一番習得の難しい楽器』と言われているんだ」
「世界で一番‥‥‥ですか」
 難しい、と言われて見ると,ボタンの数がやたらとついており見た感じからして難解な楽器だ。
「右手の高音部に38、左手の低音部に33。合せて71個のボタンがついている。ディアトニックの場合、伸ばした時と縮めた時では音階が違う。しかも、左右の手どちらでその動作を行なったかと言うのでも、また違う音階になる。つまり、1つのボタンにつき4つの音が出る楽器だって事だ」
「‥‥‥‥‥‥すごい、ですね。何かお話を聞いてますます欲しくなりました」
「飾り物にするなら、やめたほうが良いと思うが」
 その店主の台詞に、何か引っ掛かりを覚えた。大体ひかないなら売らないと言うのであれば、その旨言えば良いはずなのだが。
「折角ですから、やってみたいと思います」
「そうか! そうかそうか‥‥‥」
 喜色万面で頷く店主。
 そして、何やらさらさらと筆を走らせた。
「消費税込みで5000円でどうだ?」
「え!! いや‥‥‥嬉しいのですが、どうしてですか?」
 苦笑して、店主はコーヒーを口に含む。
 そして、首を勢い良くひねってこきりと音を鳴らした。
「いや‥‥‥なんと言うかね。そのバンドネオンとは腐れ縁みたいでね。まあ、やる気がなくなったらまたここに売りに来ると良いよ」
 今にも鼻歌でも歌い出しそうな上機嫌さに今まで以上に引っ掛かりを覚えるが、弧月も苦笑して値段の書いてある紙を手に取った。
「判りました。それでは、5000円でよろしくお願いします」
 専用のケースに入れて貰い、御金を払って取引成立。
 手にずっしりとくるバンドネオンの重み。
 小春日和の暖かな風を受けて、弧月は軽い足取りで街並みの中へと消えていった。

[そして、我が家]
マンションのドアを空けて、急ぎ足で居間に行くと包みを開けて中からバンドネオンを取り出した。
 そして、それを慎重に膝の上に載せると、恐る恐るそれに触れて見る。
 ひんやりと冷たい感覚、そして確かな存在感。
「さて‥‥‥どんな方が使われていたのでしょうか‥‥‥」
生前の奏者の事が判れば、それに付随して技術のほうも判るだろうと思い、弧月は指先に精神を集中し、込められた記憶に没入しようとした、その時。
 開いてもいない窓の外から風が吹いてきて、寒さに身震い‥‥‥いや、風なんかではない。
 霊気だ。
『Hola, ?Comoandas? !Buendia!』
 声に驚いて顔を上げてみると、がっちりとした体格の初老の老人がそこに立っていた。
 どうやらスペイン語? のようだが、言っている事はわかる。
「‥‥‥こんにちは」
『良く我が愛器を買ってくれたね! いやいやいやコイツはまだ生きてるんだ。埃被って死んでいくようなヤツじゃないんだ! 良いかい見たまえ、この色艶といい輝きといい、まるでたおやかな貴婦人の黒髪のようにしなやかに輝いているだろう!! それにだね‥‥‥』
 赤茶けて焼けた肌は太陽と風に晒されて出来、深く刻まれた皺は彼の生きてきた年月に作られたもので。
 生きてきた歴史を訴えかけてくるかのように、いかに素晴らしい楽器で良いものなのかを切々と語る老人を弧月は暖かい視線で見つめていた。
『そこで、君にお願いがある。このバンドネオンの演奏家に成ってもらえないか? 技術的な事なら私の全てを伝授しよう。それに‥‥‥これは私の勘だが、君には天賦の才能と言っていいものが備わっている気がする‥‥‥‥‥‥‥‥‥この生きているバンドネオンを朽ちさせたくは無いのだ、頼む‥‥‥』
 講師付きの楽器なんて、ある意味お得ですね。
 もちろん、自分で使っていた楽器を粗末に言う者などいないだろう。
 だが、あそこまで熱意を持って惚れ込んでいるのだから、それに答えてみるのもまた一興と言う物ではないだろうか。
「わかりました。それでは、よろしくお願いします」
 そして、その瞬間から物凄い難解なバンドネオンの練習が始まった。

−−−<左手ボタン配置>−−−−−−−−−−−−−−−−−<右手ボタン配置>−
                             B #G G F
         G# A#C#FG#          C# A F# E D#
      E A G D# F A# F        C D G A# C D
       D A C E C G        B E C# F# A C E
      E G# B D F# C# F#      A F A#G#B D G#B
     D B G A D# F# D#C  A# D# F D#F# A C#G
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 まずはこのボタンの配置を覚えなければ成らないのだが、これは一見すると非常にランダムに配置されているように思う。
 だが、弧月はサイコメトリーの 能力によって老人の記憶を辿ってこの位置を何とか把握しようとするが‥‥‥。
『違う! そうじゃないんだ!!』
 ようやく、指がボタンを外さなくなった辺りから、急に老人の指導にも熱が入ってくる。
『弧月、何回言ったらわかるんだ!? 音を出すときに蛇腹を揺らすんじゃない!!」
「はい」
 一音一音を明確に、曖昧にごまかす事は絶対にいけないと、老人は繰り返し繰り返し同じ事を言う。
 そして、ようやく。
 何か、曲のフレーズみたいなものを奏でる事が出来た。
 形になった感動に不覚にも、微かに目が潤む。
 サイコメトリーと言う力があったにしろ、弧月の上達振りは脅威的と言うしかなかった。
 そんな弧月の頭の中では、と言うと。

 圧倒的な勢いで渦巻く、老人の生きてきた記憶。
 街頭で、流して演奏をする毎日。夏の暑さを避ける事無く、雨の日や雪の日は軒下を借りて。
 心で奏でる音楽が、未熟な十指に、手に、腕に、身体に、そして頭に染み渡っていく。
 指が次のボタンを探す。
 音楽は鳴り進む。
 遅れて、追いついて、だけど‥‥‥次は?
 違う! そうじゃない!!
 老人の発した声ではない。弧月が自分の指にそう、語りかけていた。
 
『今日は、ここまでにしよう』
 老人のかけた声で、我に返る弧月。
 圧倒的な集中力で、バンドネオンの中に没入していたのだ。
「後少しで、後少しで何かつかめそうなんです!」
『弧月。人間の集中力と言う物には限界がある。それは霊力にしてもしかりだ。魂を削って奏でる音には確かに特別な力が働くだろう。だが、お前はまだそれをするべきじゃない』
 力の使いすぎを、老人は心配しているようだ。
 説得されて、大きく息を吐く。
「ボタンの位置はだいぶ掴めたと思います。初めはばらばらでどうしようかと思っていたのですが、慣れ進むに従って、そこにある事が必然な気がしてきました‥‥‥けれど、まだ音を正確に発声させていない気が‥‥‥します」
 無言で老人は、後ろに下がるように両手で押すような仕草を見せる。
「な、なんですか?」
『そのまま手を後ろに』
 言われて素直に手を出すが、ここは弧月の家の中。
 何処に何があるかぐらい‥‥‥。
「あっ、熱ッ!! 何を、させ」
『それだっ!!』
 ストーブの天板に手をつかされて、反射的に手を上げていた。
「何がそれなんですか? ぁちち‥‥‥」
『それだよ、今ストーブから上げた指! 一音一音の音をハッキリさせるには、躊躇無く押して迷いなく指を離すんだ!』
 赤く張れている中指を、取りあえず水道水に‥‥‥付けようかと思ったが、やめた。
「この痛みが、教えてくれると思います。言われた事の意味を。明日もよろしくお願いします」
 そう言ってから、バンドネオンを取りあえず同居人の一番少ない、そして女の霊の居ない、客間に使うつもりだった二階の角部屋に鎮座させる。
「今日は有難う御座いました。 御休みなさい‥‥‥」

 そんなこんなで、長時間練習したり、大学を終えてから練習したり‥‥‥。
 気がつくと、一週間が過ぎていた。
 脅威的な進歩を見せた弧月は、指定されたフレーズを、老人の指示するリズムで弾きこなす事が出来るようになっていた。
『うむ、だいぶ固さが取れてきた。熱中するのも必要だが、自分でそれをコントロールできないようでは意味が無いからな』
「それはきっと、ボタンの位置を覚えられたからだと思います。そしたら慌てる事無く、追いかけられる事無くコントロールできるようになりました」
『ではそろそろ、一曲やってみようか』
 待ちに待っていたその言葉に軽くガッツポーズしてしまうが、にやにやと笑う老人と目が合って、所在無くその手を膝の上に降ろした。
『いやいや、もっと喜びたまえ。日本人と言うものはこう、少し大人し過ぎるのではないかね?』
「あ、いや‥‥‥なんか」
 こう言うタイミングというのは一回テンションがしおしおと下がると、結構はづかしいものとなってしまう訳で。
 曖昧に笑ってごまかして見る。
『まあ、いいだろう。そのケースの中に楽譜が何綴か入っている。私のオリジナルだがな』

[‥‥‥ 無題 ? ]
 取りあえず、楽譜を借りて一人で見てみる。
 練習曲‥‥‥と言うには難しいような。ピアノの曲をアレンジした物であろうか。
 所々に、と言うか結構多く、AとCと打たれているのが、普通の楽譜と違うように見えた。
 サイコメトリーしてみると、老人がその楽譜を書いたのは‥‥‥恐らく最晩年。
 死の床にあっての時のようだった。
 決して見易い物とは言えないが、こもっている念は相当鬼気迫っている。
「しかして、これを何故に‥‥‥」
 音楽家としての絶章曲。
 それは、最後の輝きをこの世に留めようとする、怨念にも似た気力であろう。
 それにしても、曲は随分と高い音域で展開される明るい曲‥‥‥まるで、春の空の下で踊るタンゴのように、軽やかに、楽しげに。
『まとまったら、やってみようか?』
 ‥‥‥じりじりとした焦燥感。
 自分の技量が、この曲に果たして追いつくのだろうか。
『どうした? やはりやめようか?』
「‥‥‥いえ。やります!」
 そして。
 広広とした、一階の居間。
 洋館独特の天井の高い部屋の真ん中に椅子を置いて、弧月はゆっくりと腰掛ける。
 いつもなら、方々から霊圧の掛るこの部屋も、今日は何故かシンとして、漂う空気すら身を正しているかのように思えた。
 浅く腰掛けた椅子の上。
 そして、バンドネオンを開く。
 切なく、それでいて楽しい音色‥‥‥一音一音を大切に、それでいて躊躇無く!
 楽譜を見るうちに判ってきた、AとCの意味。
 Abriendo  と、 Cerrando。
 アプリエンド  セランド。
 つまりそれはバンドネオン独特の作業である、開く、そして閉じるの記号だったのだ。
 それがわかった事で、更にスムーズに曲は展開していく。
 自らすら、踊り出したく‥‥‥いや、立ちあがってリズムを刻みながら‥‥‥ついには、踊るようにして身体を揺らしつつ、演奏する!
『そうだ、そうだ弧月!』
 老人の手拍子響く中、そして曲は最高潮へ!
 そこから、終曲へと向かっていく。



                     ♪‥‥‥.



        『VivaAmigo! MuchasGracias!!』
 老人がそう吠えた瞬間、周りから拍手の洪水が押し寄せてきた!
 見ると、おかしな共同生活を送っている面々が、何時の間にやら周りを取り囲んでいたではないか。

「み、みんな‥‥‥」
『良くやってくれた。これだけの期間で、十分聞ける物に仕上げるなんて、やはり儂の目に狂いは無かった!』
「有難う御座います!」
 やはりあそこまで厳しく指導を受けて、こう褒められるとかなり嬉しいものがある、が。
『だが、まだまだこれから。今のレベルでは町で流しもできないぞ。これからまた練習だ!』
「え、ええっ!?」

 さてさて。
 弧月が老人を満足させるレベルまで、辿りつくのか。
 つけるなら、一体いつの事なのか。
 今は全くわからないが、こうしてこの洋館にまた一人住人が増える事になりました。
 ほら、今日も。
 バンドネオンの音色が、響いています。


                                          FIN

(ラ・ヴィーダ・アクースティカ・邦題:音楽的生活)




















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ライター通信 彩色町出張所
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他のPCさんとお隣さんになるかもしれません。
―――ご近所同士で今まで以上に交流の輪が広がるかも?
詳しくは「異界:東京都西多摩郡彩色町」
http://omc.terranetz.jp/creators_room/room_view.cgi?ROOMID=476
をご覧下さい。
ここに登録されている住所は、異界「東京都西多摩郡彩色町」に関する作品においてのみ有効です。連動表示されていない、他のクリエーターの作品では反映されませんので、ご注意を。連動の確認はあやいろ倶楽部よりご確認ください。