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<東京怪談・PCゲームノベル>


真鍮の日に


■つめたいぬくもり■


 彼女の正体は、誰も知らない。シルエットだけが映るプロモーション・ビデオの中に、人々が光月羽澄を見ることはない。 羽澄はlirvaとしての仕事を終えたばかりだった。無貌の歌姫の方の仕事だ。
 覚えているのは、新曲のメロディと歌詞だった。少し冷たい恋の唄だ。羽澄は、冷徹な恋の思い出はさほど持ち合わせていなかった。それでも、彼女は、唄えたのだ。恋の神が降りてきたのだと、彼女は思った。覚えているのは、それを理解した瞬間までだった。
 気がついたときには曲が終わり、レコーディングが終わっていた。ただの1回でOKが出たのだ。よくあることだった。彼女が二度も三度も音を撮るはめになったことは、数えるほどしかない。
 lirvaはミューズ以上の何かを味方につけているのだ――
 その代償はけして小さくない。
 港区を歩く羽澄の足取りは重く、時折よろめきさえしていたのだった。
 プロデューサーが気を利かせて、送ろうかとも、少し休んでいけばとも言ってきた気がする。何故か羽澄はそれを断った。その言葉に甘えなかった自分がよくわからない。
 疲れているのだ。羽澄は朦朧とした意識の中で真鍮の『塔』を見た。
 ある日突然東京タワーを食い尽くして現れた『塔』に、羽澄は深層意識さえ奪われていたのか。それとも、羽澄の中にもとからその『塔』はあったのか――どちらにせよ、彼女は疲れた身体をおしてまで、不可思議な真鍮の『塔』に来ていたのだった。
 どこをどう通って、『塔』まで来たのかも覚えていない。
 覚えているのは、新曲のメロディと歌詞だった。


「おとうさん?」


 気がかりな夢から醒めた気分だった。
 羽澄は目覚め、翠の瞳の中に神父を映す。
 あッ、と彼女は声を上げ、飛び起きた。
 真鍮で出来た翼を持つ男が、腕を広げた。羽澄は神父の腕の中にいたのだ。
「やあ、起きたね」
 蒼い目を細めて、壮年の神父はふわりと微笑む。
 羽澄はどうにも、自分の頬が赤らんでいることに気がついて、それを隠そうとさらに赤面した。彼女は彼女らしくもなく、言葉を詰まらせた。
「エピタフ、あ、私、いつ、ここに……」
「15分くらい前かな。きみたちの時間で測れば」
 墓碑銘と名乗る神父は、ちらりと傍らの真鍮時計を見た。時計は奇妙な速さで進む秒針を持っていた。羽澄が知る時を刻んでいるわけではないようだ。
「……その間ずっと?」
「ここの床とベッドは冷たいからね。いや、僕もけして温かくはないんだけれど。固い床に転がっているよりは、いいと思って。体温はともかく、僕は柔らかいから」
 真鍮天使エピタフの言葉は、歌のように脳裏をかすめ、流れていくばかりだった。羽澄の意識はまた混迷とし始めた。驚きと恥じらいすらも、薄れていこうとしている。たかだか15分の眠りでは、神を降ろした代償は支払えない。
「疲れているようだけれど、lirva」
「……ええ、とても。でも、いやな疲れかたじゃないの」
「そのようだね」
 羽澄はぐるりと、自分が居る場所を確認した。
 寝室のようだった。
 この『塔』には何度も足を運んでいて、主であるエピタフとは何度も会っている。だが、寝室らしい寝室を見るのは初めてだった。ベッドがあり、調度品があり、ドアがあり、暖炉がある。椅子とテーブルもだ。例に漏れず、すべてが真鍮で出来ていた。
 エピタフはベッドに腰掛けていた。布団すらも真鍮で出来たベッドは、確かに寝心地が悪そうだ。だがその不条理を笑うほど、羽澄は醒めてはいなかった。
 羽澄はその場に腰を下ろした。ベッドの下に、ぺたりとへたり込む。真鍮の床はひんやりとしていたが、不愉快な冷たさではなかった。それは、エピタフと同じ、冷たい温もり。
「『何をして、そんなに疲れたんだい?』」
 ずしん。
「……歌を唄ったの。心をこめて歌おうとすると、こうなるみたい。悪いことだとは思ってないわ」
「ああ、そうだね。僕もそう思う」
「……ありがとう」
 唐突な羽澄の礼に、エピタフは首を傾げた。瞳の色が、かちりとまばたきひとつではしばみ色に変わった。
「寝かせてくれて、ありがとうってこと」
「なんだ、そんなことか」
 かちり、と瞳の色が蒼に戻った。エピタフは苦笑していた。
「知らないうちに、ここに来ていたの。……疲れてるなら、すぐに家に……お店に戻ればいいのにね。……それとも、私……」
「でもここは、きみの家ではないよ」
「……」
「けれど、きみがここを選んだのなら、ここはきみにとってそれくらいの価値がある場所だということだ。そう思ってくれるきみを咎めるつもりなんかないし、むしろお礼を言いたいくらいだよ」
「……そう」
「胡弓堂はきみの家だ。それは間違いないことじゃないかな」
「……そうね」
 羽澄は微笑んで、エピタフを見た。
 天使は羽澄と同じような微笑を浮かべているだけだった。
「あなたの家は? どこから来たの? エピタフ」
 霞みがかった意識の中で、羽澄は真鍮のベッドの上に上半身を横たえた。真鍮の布団は、じゃらじゃらとした球を編んで織り成されている。その感触もまた、冷たい温もりに満ちていた。
「前にも、ここに来たことがあるって……言ってたでしょ。……前に来たときは、ここはどんなところだったの?」
 訊いてから、あ、と眉をひそめた。
「……訊いてばかりね。寝惚けてるんだわ。嫌なら、答えなくても――」
「変わらないきみたちがいたから、僕らは変わる手伝いをした」
 羽澄の否定を遮って、神父は微笑みながら答えたのだ。
「僕らはどこにも行かない。いつでもきみたちと一緒に居る。ただ、普段は影になってしまって見えないだけさ。僕らはこの『塔』に居なければならないけれど、僕らの『家』と呼べるものは、そこら中にあるから」
 神父は、軽く壁を叩いた。
 船乗りの声がしたようだった。
 真鍮の寝室の天井が動き、天窓になった。夕焼けが迫る、うすい青空が見えた。
「ただ、前に見たときよりも空が少し――くすんでしまったかな」
 スモッグのことを言っているのだろうか。
 しかしそう言っているわりに、天使は満足げだったのだ。
 霞む空という代償を支払いつつも、人間が成長したということを――喜んでいるようだった。
「……傷つけたくないわ」
「『何を?』」
「あなたを」
「僕はきみが傷つくと、哀しい。きみが傷つけば、僕は傷つくよ。『きみは、傷ついたかい?』」
「いいえ」
「それなら、僕は傷ついていない」

「いちど僕のために歌ってくれるかな、lirva」



  あなたはきっとわかってくれない
  けれどそれでもいいのよ
  もうわかってくれなくたって
  わたしは もうあなたをわかろうとはしないから

  あなたはきっとわかってくれる
  けれどそれはかなわぬのぞみ
  もういくらわかってくれても
  あなたは わたしをもう わかろうとはしないから

  わたしはね きずつけたの
  あのしんちゅうのこうろはくすんでしまって
  きずがついてしまったの
  けれどね いつまでもあのかおりがのこっているのよ
  わかる?
  わかる?
  わかる?

  そう わたしはわかっているの
  いつまでもあなたはそばにいる
  わすれようとしてもきっと
  そう わたしはわかっているの
  あなたをわすれることなんて……

  そう わたしはわかっているの



 あの温もりを覚えている。忘れることのない温もりだった。
 羽澄が『塔』から出たのは、もう日が沈みかけた頃だった。真鍮の塔は鈍い金色に輝いていて、懐かしい写真のような佇まいでそこに在る。
「おとうさ――」
 それ以上は言葉にならなかった。
 それ以上何か言えば、涙がこぼれてしまうだろう。泣けば、羽澄が傷ついてしまったと、あの天使は哀しむだろうか。
 だから彼女は何も言わない、
 目を細めて『塔』を見上げた後、羽澄は家路につくのだった。




<了>

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   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)
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【1282/光月・羽澄/女/18/高校生・歌手・調達屋胡弓堂バイト店員】


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               ライター通信
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 モロクっちです。このたびは試験的な募集にも関わらず、内容お任せゲームノベルの発注、まことに有り難うございました!
 苦労したのは何と言ってもlirvaの新曲の歌詞……(笑)
 エピタフの目の色が変わるその瞬間を見たのは、今のところ羽澄様だけかも。あれです。おっきな目の、紐引っ張ると目の色が変わる、あのお人形がモチーフです。
 ちょっと切ない感じに仕上げてみましたが、いかがでしたでしょうか?