コミュニティトップへ
高峰心霊学研究所トップへ 最新レポート クリエーター別で見る 商品別一覧 ゲームノベル・ゲームコミックを見る 前のページへ

<東京怪談ノベル(シングル)>


あの日、この指輪の意味を知る


 封印の指輪。
 あの頃から右手の小指に填めている。
 ふと意識し、真柴尚道はちらりと指輪を見る。
 ウェーブの掛かった長い長い黒髪。
 これも、あの頃から一定の長さ。
 それまでは切ったら切った通り短いままで。
 …それ以前はさすがに、これ程までに長く伸ばしてた事は無かったっけ。


■■■


 むかしむかし。
 日本人の祖母の元。
 幼い尚道は祖母には良く懐いていて、しょっちゅう遊びに行っていた。
 そんなある日の事。
 庭で遊んでいた尚道は、縁側に居た祖母から呼び出された。
 呼ばれた通りにてこてこと素直に祖母の元に歩み寄り、傍まで来ると祖母の隣にちまっ、と座る。
「なぁに? ばあちゃん」
「いいものをあげるよ」
「いいもの!? なに? おかし?」
 嬉々として見上げて来る孫に、祖母は小さく笑って頭を振る。
「…ナオは御菓子が欲しいのかい。でもこれはちょっと違う」
 じゃあ御菓子はまた後であげようね、と祖母は言い、取り出したのは何の変哲も無い小さな指輪。
「?」
 尚道はなんだろう、と首を傾げる。
「ゆびわ?」
「ああそうだよ。これをナオにあげる。ばあちゃんも使った指輪だよ。私がナオくらいの頃にね、偉いお坊さんに貰ったもんだ」
「ばあちゃんもつかった? これ、いいものなの?」
 む? と難しい顔をして、考え込むように尚道は祖母の掌に載せられているシンプルな指輪をじーっと見る。
 と、祖母は尚道の手を取り、取り出したその指輪を確りと握らせた。
「ああ、いいものだよ。とてもありがたいものだ。…これは弱い力なら封印し、強い力なら制御出来る指輪」
「…ばあちゃん?」
「ナオ、これを必ず身に着けておきなさい」
 肌身離さず。
 今すぐはわからないかもしれない。
 それでもいつかわかる日がきっと来る。…望まずとも、わかる日が、来てしまうから。
 心底言い聞かせようとする祖母の声。
 ぎゅっ、ときつく握り締めて来る手。


 ………………この指輪は、きっとナオの助けになるよ。


 生まれ付き、先見の力を持っていたと言う祖母が。
 いつも、ただ、優しく見守ってくれていたその祖母が。
 改まった態度で心底真剣に、尚道に言い聞かせたのはその時が最初で最後。


 以後、尚道はその時貰った指輪を、祖母の言葉に従い、肌身離さず持ち歩いている事になる。
 何故祖母は自分にこんな事を伝え指輪を渡したのか、疑問には思いながらも。


■■■


 時は経ち。
 尚道は高校生になっていた。
 更に言えばその終わり。
 順調に三年に進学し、大学受験も無事終わり、漸くゆっくり出来るようになった時期。
 ある日の学校からの帰宅途中。
 …とある事故が、起きた。


 …それは、世間一般で考えれば特に珍しくも無い事だったかもしれない。
 少なくとも、その時――『俺自身に起きた事と比べれば』。
 事故の理由はわからない。
 ただ、ダンプカーが。
 唐突に車道から逸れ、勢いを緩めもしないまま歩道に乗り上げて来る。
 尚道の居た場所とはほんの少し逸れたそこ。
 あと数歩先に進んでいれば、尚道も巻き込まれ、激突されていた。
 ぎりぎり、巻き込まれずに済んだ位置。
 恐ろしい風がすぐ脇を掠めて通り過ぎていた。
 尚道はその場に茫然と立ち尽くす。


 この交通事故の理由は、飲酒運転だか脇見運転、そんな何か――ありふれた理由だったのかもしれない。
 だが、俺にとっては――『これ以上は無い大きな事故』になった。


 ダンプカーが大破した大音響。
 ぐちゃぐちゃに破れ歪んだバンパー、音と共に細かく砕け散るフロントガラス。


 目の前で。
 あまりにも目の前で。
 あまりにも容易く、一瞬で、前面の原型を無くした大きなダンプカー。
 自分の中の『何か』を喚起させるその映像。
 尚道は凍り付く。


 ………………お逃げ下さい。
 ………………最早これまで。


 ………………急激に流れ込んでくる記憶の洪水。
 ………………『破壊を司る神』の姿。
 ………………その手の中で霧散する『何か』の姿。


 尚道は混乱した。
 今のは、なんだ?


 意識が思考に向かう。
 思わず、今頭に浮かんだ映像と声の源を辿ろうとする。
 が。
 その時。
 まだ勢いが止まり切ってはいなかった、ゆるやかに空転するダンプカーのタイヤ。
 歩道に乗り上げ、バランスを崩していた大きな車体。


 ダンプカーが大きくぐらりと揺れて傾いた。
 そして、尚道の居るその方向に――ゆっくりと。
 四角い無骨な車体が、倒れ込んできた。


 気付いた時には遅かった。
 知らない筈の記憶に囚われ、反応するのが遅れてしまった。


 避けるどころか、見上げる余裕さえも無い。


 頭の上を遮る黒い影。
 頭の中では警告が何度も。
 けれど身体は動かない。
 代わりのように、自分の中で爆発する何か。
 黒い瞳が獄炎の如く赤く染まる。
 額がすぅと縦に裂け。
 開かれた。
 新たな視界が。
 ざ、と髪がうねるように広がる。
 黒い艶やかなその髪が。
 背丈程も伸び、それ自体が意志を持つよう、広がった。


 横転するダンプカー。
 尚道はその下敷きに。


 ――なろうかと言う、刹那。


 あろう事か自分の立っている周辺だけが、抉られたように消滅していたダンプカーを見、尚道は瞠目する。
 今、自分は?
 放っておけば圧死して居ただろうその場所で。
 普通ではありえない壊れ方を晒しているダンプカー。
 自分の中にふつふつと沸いて来る『何か』。
 凶暴な衝動。


 ナニモカモ、スベテヲ壊セ


 ソレガオ前ノ役割ダ


 本能的な『何か』が尚道を衝き動かそうとする。
 訳がわからないながらも、放って置いたらヤバいと悟っていた。
 自分の中に満ちて来る異様な力。
 解放したい衝動に逆らい切れない。
 これは破壊の為のもの。
 このダンプカーどころか、周辺の一切を。
 …世界、すら。
 壊す事が可能な。
 破壊の『神』の。
 強い強い、恐るべき『力』。


 わかってしまった。


 ポケットの中。
 確か。
 反射的に、まさぐる。
 ずっと頭の片隅に置いていた、祖母の言葉。
 …必ず身に着けておきなさい。――これは弱い力なら封印し、強い力なら制御出来る指輪。
 着けているのは学校の手前色々と問題があったのだが…それでも、せめてすぐ手の届く場所にとずっと持ち歩いていたその指輪。
 指先に当たる金属の感触。
 取り出した。


 そして。


 咄嗟に填めたその指輪。
 取り出し、指を見て…填まりそうに思い咄嗟に填めたそこは右手の小指。…ぴったりと合う。
 予めわかっていたかのように。
 今この時、その指に填められるべく造られた指輪であるように。


 安堵する。
 衝動が消えた。
 抑えられた。
 祖母から与えられた、ちっぽけな、何の変哲も無い指輪。
 …少なくともそう見える指輪。
 けれど。
 その効果は絶大で。
 暴走し掛けた俺の『力』は、この指輪を填めただけで――やめろと言う俺の意志の通りに、どうにか治まった。


 ………………『力』の暴走の方、は。


 ただ。
 もうひとつ――こちらは止められず、暴走してしまった、ものがある。


 ………………それは心の中の事。


 知る筈の無い過去の記憶。
 見た事も無い筈の状景。


 ………………想いを寄せていた娘。
 ………………今までの人生ではまったく味わった事の無かった、例えようもない喪失感。


 浮かぶ疑念。
 …俺は、誰だ。
 その疑念に即座に答えを出す『自分』がそこに何故か居る。


 ………………自分の裡から溢れる嘆き。
 ………………爆発するような想いの本流。


 冗談じゃねぇよ。
 なんだよこれ。


 ………………自分を庇って死んだ巫女。
 ………………自分だけ、ただひとり残された。


 誰もいない、滅びた世界。


 …何処が滅びている今のこの世界。
 学校に通って、何て事無い日常を過ごして、そう、つい昨日――つい、さっきまで。
 指輪の意味も知らず、大学への進学も決まって…最後の高校生活をのんびり過ごしている筈だった。


 俺はここに居る。
 …俺は何処に居た。


 あれは何処の話。
 …あれはいつの話。


 額に開いた第三の目。
 足許までも伸びている長い長い黒の髪。
 何もかも壊した俺のこの両手。


 俺は、誰だ。


 ………………叫ぶ自分の声だけが頭に響く。
 ………………血を吐くような慟哭、あまりにも悲痛な記憶。


 あの時、『俺』は。
 あの場所で。


 一時に流れ込んで来る記憶。
 自分の為した一切の破壊。


 俺は、破壊神。
 滅びた世界の。


 そんな事今更思い出したってどうなるって言うんだ。
 …どうしろって、言うんだ。
 全然わかんねぇよ。


 何処へ向けたら良いのかわからない感情が行き場を失い、尚道は混乱する。
 ――…『ナオ、これを必ず身に着けておきなさい』。
 ばあちゃんは俺がこうなるって事を知っていたのかよ。
 破壊の力、制御が効いたのは…抑えられたのは良かった。
 この指輪。
 …確かに言われた通りだったよ。
 今になって思い知った。
 ありがとな、ばあちゃん。
 心の底から感謝する。


 けれどそれだけ――『だけ』なんてこの『力』も甘ったるいもんでもないが、『それ』以上に。
 俺にとっては。


 ………………こんな記憶――心の方が付いて行かない。


 尚道は指に填めた上から、指輪をぎゅっと握り締める。
 …頼れるものが他に無い。


 ………………自分自身すら、危うくて。


■■■


 その日から。
 尚道は、学校へ行くどころか――自分の家にすら、暫くの間、帰宅しなかった。
 …高校の卒業式すら、出る事も無く。
 きっぱりと、誰からも…音信を絶った時期がある。
 初めは、いきなり自分の中に雪崩れ込んできた『もうひとり分』の記憶に混乱し、どうしたら良いかわからなくなって自暴自棄になっていた部分、もあった。
 けれど最終的には――今まで生きてきた自分とその記憶と、自分の中で確り決着を付ける為――に。
 …大学は諦めて、暫く、けれど今度は前向きに、ひとりで考える事にした。
 今までは無かった『遠過ぎる過去の自分』と…なんとか折り合いを付け、これからも、生きていく為に。


【了】