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恋愛未満友情以上
バレンタインデー当日は、もしかして、俺って結構人気者!?―――と、思ってしまうくらい予想以上のバレンタインチョコレートが全国のファンの子達から届き、龍神吠音(たつがみ・はいね)はアイドル事務所とまではいかないまでも、ボクサーとしては異例なほどのチョコレートを頂いた。
どうも、最近の格闘技ブームはボクシング界にも余波が来ているらしく、確かに試合会場でも彼氏に連れて来られたというわけでなく、女の子同士の連れ合いも珍しくなくなってきたように思える。
「それにしても、ちょっとすごいよなぁ」
吠音は大きな紙袋4つ分になる自分宛のチョコレートをまるで他人事のように眺めて感心していた。
本来なら鼻高々になるところなのだろうが、日が経つにつれ吠音はかなり沈んでいた。
そう、目に見えて判るくらい。コンディションも落ちている。
サンドバックを叩く音も、パンチングマシーンを叩く音も、いまいち普段の切れがない。
そんな状態でスパーリングしたところで、上手くいくはずがない。
「こぉら、吠音、何やってやがる!半端な気持ちでリングに立つぐらいなら降りちまえ!」
トレーナーがしゃんとしない吠音に檄を飛ばす。
吠音はリング下においてあったペットボトルの水を頭から被って、
「頭冷やしてきます」
と、ジムを飛び出してロードワークに出た。
調子の悪さの原因はわかっていた。
もう完全にこのスランプはメンタル面から来ている。
バリバリに自覚はあったし、原因が何かもはっきりしている。
そう、吠音はバレンタインに本命である矢塚朱姫(やつか・あけひ)から義理チョコすら貰えなかった―――それが、この調子の悪さの原因だった。
吠音だって男だ、ファンの子達からの大量のチョコレートはそりゃあ嬉しい。
それに、朱姫には彼氏が居る朱姫から本命チョコを貰うことが出来ないことだって、悔しいけれどもう判りきっていた。
だけど、せめて親友だというなら義理チョコくらいは欲しかったし、実をいうと悲しいかな吠音の気持ちには全く気付いていない上に吠音を親友と言って憚らない朱姫なら、きっと本命じゃなくても義理チョコくらいはくれるんじゃないかという妙な確信があったのに―――どっこい、蓋を開けてみればチョコどころかメールすらその日には入ってこなかった。
貰えるなら、朱姫の作る料理が謎料理ばかりだけれども、手作りでも全然良かったくらいだ。
「あ〜ぁ、バレンタインからもう10日も過ぎてるのに俺って女々しいよなぁ」
ロードワークのコース途中にある土手に寝そべって空を仰ぎ見る。
ふさぎ込んでいる吠音の心とは裏腹に、快晴でなんだかやるせなくなってくる。
―――吠音。
バレンタインからずっとそんな事を考えつづけていたせいで、とうとう空耳まで聞こえるようになってしまったらしい。
「吠音―――」
―――あー、もう空耳は良いんだよ空耳は!
声を振りきるように寝返りを打った吠音だったが、
「吠音!!」
と、突然耳を引っ張られた。
「この耳は飾りなのか?」
見ると、制服姿の朱姫が、寝転がった吠音の横にしゃがみ込んでいる。
「朱姫!?」
どうやら、空耳だと思い込んでいたが、空耳ではなかったらしい。
慌てて吠音は飛び起きた。
「ジムに行ったらロードワークに出たって言うから……探したぞ」
そう言って無造作に、何かを渡された。
「……これって」
「バレンタインチョコだ。別に、遅れたわけではないからな」
そう言って朱姫は吠音が何か言う前に釘を打つ。
「どうせ、吠音はファンの子達から沢山貰うんだろう? だからそれに紛れないようにわざとずらしたんだ」
いつも話す時は人の目をまっすぐ見て話す朱姫にしては珍しく、吠音から目をそらしてそ言った。
朱姫が吠音に抱いているのは決して恋心ではない。
恋心ではないけれど、朱姫にとって吠音は恋ではないけれど特別な相手には違いない。
だから、吠音にバレンタインチョコを渡すことは決めていた。
恋ではないけれど―――
「でも、“義理”なんて言葉にされるのは嫌だったんだ。絶対“義理チョコ”なんかじゃないからな」
照れ隠しなのか、少し拗ねたような怒っているようなそんな顔をして、だから14日には渡さなかったんだと朱姫は言う。
朱姫の話しを聞いているうちに、さっきまで塞ぎ込んでいたのが自分でも不思議なくらい暖かい感情が吠音の胸を一杯にする。
愛しいとか、かわいいとか、嬉しいとか―――口にしてしまえば陳腐でありきたりな言葉にしかなりそうになくて、吠音は力いっぱい朱姫を抱きしめた。
「吠音、痛い……痛いって」
朱姫にそう言われて、
「ご、ごめん」
と、吠音は慌てて抱きしめていた腕を緩めた。
「ジムの人が言ってたぞ、チョコが貰えなかったくらいで調子を落とすなんて……って」
「べ…別にそんなんじゃねぇよ」
「全く甘えん坊だな、吠音は」
そう言って朱姫は鮮やかに笑う。
甘えん坊というところには多いに異論を唱えたい吠音だったが、そんな笑顔を見せられては言えるはずもない。
結局は惚れた方が弱いのだ。
「まぁ、いいか」
そう自分に言って、吠音は空に向かって大きく拳を突き上げた。
―――やったぜ!!
その台詞は言葉にしなかったが。
Fin
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