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色に染めにし
季節は春。麗らかな声でウグイスが鳴いている。
風は暖かな南風に変り、生まれたばかりの甘い香りを乗せて私の頬を撫ぜた。
「うーん、良い天気だわ。桜の花も嬉しそうね」
ゆっくりと伸びをする。淡い黄色のカーディガン。鳥の子色とでもいうのかな。
さえずっている小鳥たちも、春を喜んでいるようだった。
私はあまり外交的ではない。幼い頃から病弱で、外界と接する機会が少なかったし、庭に遊びにくる鳥や虫たちを眺めていれば幸せだった。けれど、兄の言葉に私はもっと外に出て、人と交流しようと心に決めた。
「せっかく元気になったんだ。好きにしていいんだぞ。俺はいつでも傍にいるから……」
それは兄からの優しい励ましのメッセージ。もっと積極的にならなくちゃ、ずっとおんぶにだっこで甘えているだけでは、見守ってくれている兄に申し訳ないと思った。
兄からは、外界にあるたくさんの素晴らしさを教わった。だから――。
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「学校もお休みだし、何をしようかな」
休日の過ごし方を散歩に決定して、私は歩き始めた。
目的もなくのんびりと散策して歩くのは、本当に楽しい。特にこんな良い天気で、暖かな陽射しが溢れる午後ならなおさら。
「おば様、こんにちは。ジャーニーちゃんも、こんにちは♪」
「あら、結珠ちゃん。散歩?」
「ええ、すごく良い天気だから誘われてしまいました」
出会ったのは、隣に住んでいる女性だった。パグを飼っていて、いつも爽やかな笑顔の隣人。
遠ざかっていく背中に手を振って、再び足を進めた。革靴の音がアスファルトに反響して、リズミカルな音楽を奏でている。土手沿いの道には、つくしや菜の花が咲いている。
「今日もきれいね」
通りかかる猫や草木に挨拶をする。いつものこと。彼らから流れ込んでくる暖かな気は、私をいつでも幸せな気分にしてくれた。
桜並木に差しかかった。暖かい日が続いたせいか、もう3分咲きくらい。ほろこび始めるたくさんの蕾たち。空気の色さえも、淡い桜色に染まっているかのようだった。
私は胸いっぱいに深呼吸する。
「今度お兄ちゃんと来たいな」
お弁当を美味しそうに食べている兄の姿を想像して、笑みが零れる。と、鳥たちが心配そうに話すのが聞こえた。おしゃべりを邪魔しないように、そっと傍に寄って耳を傾けた。
『そう、じゃやっぱり今年は咲かないのかなぁ?』
『川主の桜はとっても綺麗で蜜も甘いのに、残念だわ』
『寂しいね……』
頷き合う小鳥。どうやら桜の木の一本が元気がなくて、咲かないらしいということだった。
川主の桜というのはどこにあるんだろうか?
私はその場を離れると、ゆっくりと歩き出した。きっとこの並木の中にあるはずだから。
「これだわ……なんて大きな木なの」
桜色の風がそこだけ途切れていた。他の木々がほんのりと色を乗せているのに対して、灰色の幹だけの川主の桜。その名の通り、土手沿いの桜並木の中では一番大きな木で、川を守っている主のよう。
私は手の平を幹に当てた。
「どうしたの? 元気がないのね」
話しかけたけれど、返事はなかった。よく見ると、幹は瑞々しさを失い皮がめくれかけている。枝先に小さくて堅い蕾はつけているようだが、どれも開く気配すらない。
――生命力が衰えているのかしら……?
それとも桜の木の精霊が機嫌を悪くしているのかな?
長く続く土手の道。
私はちょっと周囲を確認して、人の姿がないことに安堵する。
手を枯れた幹にかざした。
そして、歌う。心を込めて――。
「♪ さぁ、元気を出して 風があなたを誘っているわ
緑の小道 桜色のカーテン 鳥たちが待っているわ
芽吹きの力は残っているはず 大丈夫だから勇気を出して ♪」
私に力があるなら叶うはず。
春を共に喜ぶ幸せを手助けしたいから。
幹に体を寄せながら、祈るように小さな声で続ける。
「ああ、よかった。もう、大丈夫ね!」
耳に届いたのは感謝の言葉。顔を上げると、青空に桜色が滲んでいた。
春は桜と一緒にやってくる。
風と心を柔らかな色に染めて、これから始まる新しい季節を予感させる。
「また、お兄ちゃんと会いに来るね」
贈る言葉に、川主の桜は枝のざわつきで答えた。
満開になったら、さぞかし見事な風景になるはず。私は桜の力になれたことを幸せに感じながら、散歩を再開した。
兄と私。
桜色の中で過ごす時間を楽しみにしつつ。
□END□
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初めまして、ライターの杜野天音です。
すごく柔らかなお話で書いていて、私まで幸せな気分にさせて頂きました。結珠さんの優しさの滲み出る物語は、きっとお兄さんとの楽しい時間へとつながっていくのでしょうね。気に入って頂ければ幸いです(*^-^*)
それでは今回はありがとうございました!
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