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十六夜月影
●序
あれはいつの事だったのかしら?思い出せない。思い出す事すら敵わないなんて。
草間興信所に、庄田・美江(しょうだ みえ)という女子大生が訪れた。ふわりと揺れるソバージュの髪が、第一印象から感じていた弱々しさをさらに強調させていた。
「……思い出せないんです」
「はあ?」
草間は思わず聞き返す。美江はそんな草間の様子にも気にする事なく、続ける。
「私は昨晩、コンビニでにジュースを買っていたそうです」
「随分、他人事のような言い方だな」
「ええ。私には、身に覚えが無いですから」
草間は口に持っていきかけたコーヒーを、危うく吹きそうになった。
「私は、時々私の知らないうちに出歩く癖があるそうなんです」
「それは、夢遊病とか二重人格とか……」
それならば病院へ行けばいい、と言わんばかりに草間は言う。だが、美江は首を横に振って口を開く。
「残念ながら、その時の私と会っても特に変わった様子は無いそうです。誰に会ったとしても、私は私なんだそうです。別に変わったことも無く、別人とは思えないそうです」
「と、言われても……」
草間はそう言い、今度はちゃんとコーヒーを口にする。
「お願いします。私にどうしてそういう事が起こっているかを調べて欲しいんです」
「それで……何時頃からそれが始まったとか、何かきっかけのようなものがあったとかは無いんですかね?」
「始まったのは……私、去年から一人暮らししているんですけど、それ以前は実家に住んでいて。その時は家族から何も言われなかったんで」
「その時は無かった、という事か。なら、一人暮らしを始めてから?」
「そうですね、始まったとしたらその時期だと思います」
「他に、何か思い当たる事は?」
美江は少し考え込み「あ」と小さく声を上げた。
「今の部屋を決めた時、絶対ここにしようってすぐに決めたんです。妙に懐かしく感じて。でも、最近になって思うんです。どうして、あの時絶対ここにしたかったのかなって」
草間の目が、少しだけ鋭くなる。
「それで、今はどうなんです?今いる部屋でなくても、もういいんです?」
「そう言われると……あまり、出ていきたくは無いですね」
草間は小さく溜息をついた。この興信所の管轄内での依頼に、間違いが無いだろう。
「怪奇探偵事務所を返上できるのは……無理か」
草間はぽつりと呟き、苦笑するのだった。
●集
心は満ち足りている筈なのに、満ち足りすぎている筈なのに、どうしてこんなにも苦しいのかしら。
「元気かしら?」
シュライン・エマ(しゅらいん えま)は青の目で目の前に立っている研究所を見上げながら呟いた。ふわ、と風が吹いて黒髪が靡く。何の変哲も無い、ただの製薬会社の研究所だ。別に茸を作っている研究所であるというわけでもなく、堅苦しく薬の研究をしている所である。それでも、研究所という名前に反応してしまう。
「会いたいわねぇ」
しみじみと呟き、シュラインは小さく笑った。今でもあのぽにっとした感触が、頭から離れない。
と、携帯電話が鳴り響いた。シュラインは「あら」と小さく呟き、相手を確認する。草間興信所からの電話である。
「もしもし、武彦さん?」
「シュラインか。悪いが、すぐに来てくれないか?依頼が入った」
シュラインは草間の声を確かめるように聴き、そっと微笑む。
「分かったわ。すぐに行けばいいのね」
シュラインはそう言って確認してから電話を切った。携帯電話を少しだけ見つめ、口元を綻ばせながらきゅっと握り締めた。
「早く、いかないとね」
小さく呟き、シュラインは携帯電話を握り締めたまま歩き始めた。草間興信所に行く為に。
草間興信所に、総勢6人の男女が集結した。草間に呼ばれた者、自発的に遊びに来た者など、理由は様々ではあったが。
「ええと、記憶が無い事を除けば困っていたり体調がおかしかったりとか、そういうのは無いのよね?」
シュラインが尋ねた。美江は「ええ」と頷く。
「二重人格じゃないなら、三重人格だったりね」
黒髪に黒い目をした影崎・雅(かげさき みやび)が悪戯っぽく言った。美江は「まさか」と言って小さく笑った。緊張が少し解れたようだ。
「夢遊病者に近いんだろうか?」
黒髪から覗く黒の目を少しだけ光らせながら、榊・遠夜(さかき とおや)が言った。胸に使い魔である黒猫の響きを抱いている。美江は「どうなんでしょう」と言い、首を傾げる。
「このお姉さんの中に誰か入っているぴゅ?」
きょとんと大きな緑の目をじっと美江に向け、ピューイ・ディモン(ぴゅーい でぃもん)が言った。銀の髪がふわりと揺れる。
「どうでしょうか。一日、美江嬢と過ごしてみれば分かるかもしれませんね」
銀の髪から覗く青の目を優しく美江に向けながら、セレスティ・カーニンガム(せれすてぃ かーにんがむ)が言った。
「俺はさ、庄田の姉ちゃんじゃなくって部屋に問題があると思うんだけどよ」
茶色の髪を揺らし、口をもごもごと動かしながら守崎・北斗(もりさき ほくと)は言った。青の目は美江ではなく、手元のポテトサラダにある。
「あ、お前また勝手に」
草間が恨めしそうに睨みつける。北斗は「悪い悪い」と、大して悪いとも思っていないように言い、仕方なくポテトサラダを冷蔵庫に収めた。
「ともかく、ここで判断するのは難しいんじゃねーの?」
草間の睨みを誤魔化すかのように、北斗は提案した。
「そうね、寝ている間に記憶を取られているのかもしれないし……もしそうなら、美江さんには問題ないわけだし」
シュラインはそう言って苦笑する。まあまあ、と草間を諌めるかのように。
「美江嬢に誰か別の人物が体験した出来事が重なり合った記憶を提供しているのかもしれませんし」
セレスティはそう言って美江をちらりと見た。美江は「はあ」と気の無い返事をしている。
「別人格の行動じゃないって言うのなら、意識のある中で起こした行動を、後になって何らかの理由で思い出せなくなってるのかもしれないし」
雅はうんうんと頷きながらそう言った。
「何か、悩みがあるとかそういうのは無いのかな?」
遠夜はそう言って、ちらりと美江を見つめた。美江は一瞬びくりと体を震わせ、それから首を横に振った。
「そう言われても……悩みといっても、そういうものは何かしらあるものですし」
美江はだんだん語尾を濁らせながら言った。人間誰しも、小さな悩みを抱えているものだといいたいのだろう。遠夜は苦笑する。そう言う意味で言ったのではない、と。
「僕がお姉さんの夢の中に入るぴゅ!そうしたら、何かいるかもしれないぴゅ」
ピューイはそう言ってにっこりと笑った。美江はきょとんとして首を傾げる。突如夢の中に入るといわれても、実感が湧かないのであろう。
「ともかく、美江さんの部屋に移動しましょうか。ここで問答しても仕方ないし」
シュラインが提案すると、皆が頷いた。美江は立ち上がり、「じゃあ、案内しますね」と言って歩き始めた。
その足取りは、何とはなく軽いものであった。
●場
少しずつ、何かに気付く。満ち足りていたから苦しいのではなく、満ち足りすぎて余っていたから苦しいのではないかと。
美江の住んでいる部屋は、何の変哲も無いアパートの二階だった。
「今時アパートなんて、珍しいな」
雅がきょろきょろと辺りを見回しながら言った。
「そうですか?」
「そうね。最近はマンションの方が多いんじゃないかしら?」
シュラインが言うと、美江は小さく苦笑する。
「本当は、綺麗なマンションの部屋にしようと思っていたんです。でも、この部屋を見せて貰った瞬間……」
「この部屋がいいと思ったんですね」
セレスティが言うと、美江は頷いた。
「不思議なんです。最初はアパートなんて、と思っていました。でも、今となってはこのアパート以上にいい部屋なんてないんじゃないかって思ってきて」
「お姉さんは、この部屋が好きなんだぴゅ?」
ピューイが尋ねると、美江は暫く考え込んだ。
「好き……そうね、好きなのかしら?」
「曖昧だな。……曖昧に言わざるを得ないか?」
遠夜が尋ねると、美江は困ったように苦笑した。
「私にも分からないんです。どうしてこの部屋をこんなにも気に入っているのかなんて。そうして、今もこの部屋以上にいい部屋などないと思っている事が」
「そりゃ、部屋に問題っつーか原因があるからじゃねーの?」
北斗はそう言ってにやりと笑った。『庄田』という表札のついたドアの前に到着したのだ。美江は「どうでしょう」と小さく呟き、鍵をドアに差し込んで開いた。途端、柔らかな風が吹いた。ふわり、と。皆を一瞬だけ包み込み、そうして消えていった。
(何、今の……?)
シュラインは考え込む。風の正体は分からない。今となっては、あの風すらも本当に起きたものであるかどうかすら分からなくなってくる。そう思って皆を見回すと、皆も同じ事を思ったのか、目線がぶつかり合った。目線だけで、今の出来事を確認し合う。
先ほどの風は、確かにあったものなのだと。
「皆さん、どうしました?」
美江が振り返り、皆を見回した。そして「どうぞ」と言って自分は先に入ってしまった。皆、互いに顔を見合わせてから意を決したかのように部屋に入った。
部屋は、何の変哲も無い普通の女子大生が使っている部屋だった。先ほどの異常な風の面影など残さないかのような、至極普通の部屋。
「狭くて申し訳ないんですけど」
美江はそう言って皆に入るように勧めた。
「私、ちょっと調べたい事があるから先にそっちを済ませておくわ」
シュラインはそう言って部屋に入らずに何処かに行こうとした。だが、何故か足が一歩外に出ない。
「……あれ?シュラ姐、調べに行くんじゃないの?」
靴を脱いであがろうとする北斗に声をかけられる。シュラインは小さく息を吐き出し、目を閉じて小さく呟く。
「……私は外に調べに行くの」
きっぱりと、自分に言い聞かせるかのように。そうして、足を踏出す。今度は、きちんと足を踏出せた。
シュラインは自分に暗示をかけたのだ。絶対に出ていけるのだと、自らに。シュラインは振り返り、皆にそっと囁く。美江に聞こえぬように。
「気をつけて。この部屋、美江さんだけじゃなくて皆もきっと外に出さない気だから」
シュラインが言うと、皆が察した。先ほどの、異常な風。あれが皆の足を留まらせているのかもしれない。
「虎穴に入らずんば虎子を得ず……ですね」
セレスティがそっと呟き、それから小さく笑った。
「まあ、俺にはきっと関係ないと思うんだけど」
雅はそう言ってけらけらと笑った。雅には、そう言った力の干渉を受けないのだ。体質的なものらしいのだが。
「気をつけるに越した事は無いな。……ともかく、庄田さんにかけあうしかないみたいだし」
遠夜はそう言ってちらりと美江を見た。先ほどまでのおどおどとした感じは、既に無い。
「お姉さん、嬉しそうだぴゅ……」
ピューイが小さく呟いた。そう、美江は何故だか生き生きとしていた。自らの場所にいるかのように。
「俺らも気をつけるけど、シュラ姐も気をつけたほうがいいぜ」
北斗が声をかけると、シュラインは小さく笑った。そうして、この部屋からそっと出ていくのだった。
●懐
何をしたいの?何を求めているの?どうしたらいいの?……留まる事は、出来ないというのに。
シュラインはアパートの大家の所をノックした。中から、初老の男が顔を出す。
「誰だ?あんた」
「初めまして。私、草間興信所の調査員をやっております、シュライン・エマと申しますけど……大家さんですよね?」
「そうだけど」
「こちらの二階に住んでらっしゃる庄田さんの部屋についてお聞きしたいんですけど」
大家はシュラインがそう言うと、「あー」と言って溜息をついた。
「あの部屋について、いつかは聞かれるとは思っていたけどこんなに早く来るなんてね」
「……というと?」
「あの部屋は、長い間誰も入らなかった、空き部屋だったんだ」
「長い間というと……」
大家は指を折りながら数え、「5年くらいか」と呟いた。
「5年もの間、他の部屋は人が常に入っているのに、あの部屋だけは誰も入らなかった。仕方ない。最近ではマンションの方が、人気があるからな。だから、このアパートに住むのは大体決まっている。元々住んでいるやつらか、人伝で来たか……」
シュラインはそれを聞き、口元に手をやる。
「つまり、あの部屋は庄田さんが入るまで、空き部屋だったということですか?」
「そうだな。結構にな人間があの部屋を紹介されていたが、誰一人として入らなかった。他のマンションや綺麗なアパートに惹かれて、な。だが、あの子は一度で気に入ったと言ったんだよ」
「それが以上だと、大家さんも思っているんですね?」
シュラインが言うと、大家は苦笑した。
「伊達に大家をしてないからね。入居するかどうかくらい、大体見当がつく」
「庄田さんは、入居しそうになかったのに、入居したという事ですか?」
大家は頷いた。シュラインは考え込む。大家の話を整理すると、あの部屋がずっと開き状態であった事、美江はこのアパートの部屋を紹介される直前まではこのアパートにすることすら危ぶまれていた事がわかる。それなのに、美江は一目見て気に入ったのだという。確かに、これは異常だ。
「その、5年前まで入っていた方はどのような方なんですか?」
「普通の、女の子だったよ。大学を卒業して、出ていったんだ。今頃、結婚デモしているんじゃないかな?」
(だとすると……あの部屋自体がやっぱり怪しいわね)
シュラインは考え込む。
(部屋が、人の記憶を欲しがっているのかしら?それとも……)
ガタ、と上で音がした。シュラインは立ち上がり、ぺこりと頭を下げた。
「すいません、ちょっと上が騒がしいかもしれませんけど大目に見てくださいね」
早口でそう言うと、シュラインは慌てて美江の部屋に向かった。そうして、勢い良くドアを開けて叫ぶ。
「皆、何かあったの?」
中は、嵐だった。良く見ると、物質が何も動いていない。だが確かに吹き荒れている強い風。
「……あー、こりゃ何か起こるかもなー」
一人風の干渉を受けていない雅が呟いたのを最後に、皆は意識が一瞬奪われた。
不思議な事に、誰一人としてその風を嫌なものだと思わなかった。寧ろ、何となく懐かしい感触にも思えたのだった。
●還
こうして待つ事すら悲しくて、こうして望む事すら虚しくて。どうしたらいいのかが全く分からなかった。
シュラインは自分が立っている状況を確認する。あの強風によってか、美江の部屋とは違う空間に飛ばされてしまったようだ。
「困ったわねぇ」
何も無い、ぽっかりとした空間。こういった状況に陥るのは初めてではないが、慣れるようなものでもない。
「あら」
空間の中、一人の少女が歩いてきた。美江だ。……否、美江ではない。美江の形をした、少女。
「あなたは?」
「どうしたらいいの?」
シュラインの問いに答える事なく、少女は尋ねる。
「いなくなる。消える。離れていく。それを止めたい。止められない」
「……あなた、部屋ね?」
シュラインが言うが、少女は喋るのをやめない。
「動けると、世界が広がる。広がると、出ていく。一人になる。たった、一人」
少女の言葉に、シュラインははっとする。出ていくのをやめたいと思った部屋は、どうして出ていくのかを知りたかったのではないだろうか。
「だから、美江さんの体を借りたのね……?」
「ふるさと」
突如、少女は呟いた。そうして、にやりと笑う。
「ふるさとになればいい。絶対に、帰ってくる場所になればいい」
例え何処に行こうとも、最終的には帰ってくる。そのような場所になりたいといっているのだろうか。
「5年間、寂しかったのね」
ぽつりとシュラインが呟くと、少女は初めてびくりと体を震わせた。
「でも、美江さんもいつかは出ていくわ。いつまでも、あなたの所にいるわけにはいかないもの」
「だったら……行かないように」
シュラインの体が固まる。少女はにやりと笑う。酷く不気味な笑みだ。
「行けないように、すればいいだけ」
「それは……それはいけないわ!」
思わずシュラインは叫ぶ。すると、一つの場所が目の前に現れた。シュラインの好きな、赤い傘の茸のいる、研究所だ。思わずシュラインは目を見開く。
「これは……」
「あなたはここが好き。好きならいればいい。ずっと」
シュラインは目を伏せ、ぎゅっと手を握り締める。それは解決にはならない。好きだからずっといるのと、好きだからこそずっといないのは、断然違う。
「こういう、居心地の良い場所というのは……提供されるものじゃないのよ。作るものなのよ。一緒の時間を過ごして、得るものなのよ?」
シュラインの言葉に、一瞬少女はたじろいだ。
「こうやって得るものじゃないのよ。こういうものは、あなた自身が作り出さないといけないわ。心に干渉して、引きずり出すんじゃなくて……!」
「いや……」
ぽつり、と少女は呟いた。途端、ぱりん、と硝子の割れるような音が響いた。
気付くと、再び美江の部屋に戻っていた。皆互いに無事を確認した後、美江を見る。ベッドの上で、意識を失ったまま倒れている。
「追い出されるなんて、初めてぴゅ」
ピューイが溜息をつく。そして、目の前を見て指をさした。
「出てくるぴゅ」
そよそよと風が吹き出し、そして一箇所でまとまり、一つの体となった。外見が美江であり、中身は恐らく……部屋。
『どうして?どうして受け入れないの?』
「知っているからよ。皆、自分の大事な場所が代わりの無い所だと知っているからよ」
シュラインは静かに言う。
『出ていくんでしょ?置いていくんでしょ?』
「いつしか、皆新たな場所へと行くものなのですよ」
セレスティが、優しく話し掛ける。
『一人はいや』
「だからと言って、お姉さんを巻き込んだら駄目ぴゅ」
ピューイはそう言って指をちっちっと左右に揺らす。
『寂しいのは嫌』
「あんたがそう言うのは勝手だけど、それを他人に求めるのはな」
雅はそう言って含んだ笑みを浮かべる。目が冷たい。
『どうして行くか分からないし』
「少しだけ人間と同じ行動をしたからといって、全て分かった気になるのはどうかと思うぜ」
北斗はそう言ってくつくつと笑った。渇いた笑いだ。
『ずっといればいいのに!』
そう叫ぶと、風が再び渦巻いた。
「響!」
遠夜がそう叫ぶと、響がタッと地を蹴って少女に向かって行く。一瞬の出来事に少女は不意をつかれ、それを狙って遠夜が少女を押さえ込む。
「僕の目を……!」
遠夜の叫びに、少女は遠夜の目を見つめてしまった。宥めと癒しを与える遠夜の瞳の深淵。深く深く、落ちていく。
『……一人が嫌なだけ。置いていかれたくないだけ。ただそれだけなの』
「そうだな」
遠夜が頷く。だんだん風がおさまっていく。そして、その中でそっと美江が目を覚ました。少女を見て、美江は小さく驚く。自分と同じ姿をしているのだから、当然といえば当然なのだが。
「あなたは……」
「ここの部屋の思念です。……あなたがきっと優しいから、ずっといて欲しいと思っていたようです」
セレスティが言うと、美江は「え」と言ってじっと少女を見る。
「あなたと一緒にいたいって言ってるの」
シュラインが言うと、美江はそっと俯く。
「それは出来ないよな。それでいいんだ」
雅はそう言うと、小さく笑った。
『また置いていくの?また一人にするの?懐かしさを忘れてもいいの?』
「そんな事言っても、仕方ないぴゅ」
悲しそうに、ピューイが呟いた。そして、美江はそっと顔をあげて呟く。
「懐かしさ……」
「……駄目だぜ、姉ちゃん。回想するだけならまだしも、戻れなくなるくらいにまでなったら駄目だ」
懐古感を思い返している美江に、北斗が諌めた。懐かしさはいつまでも縋っていて良いものではない。
「……そう、ね。私はずっと、この場所にいつづけることは出来ないんだもの」
美江がそう言うと、そっと少女が近付いた。遠夜のお陰で幾分か落ち着いた、部屋の思念である少女。美江は笑いかける。
「でもね、私がこの部屋を気に入ったのは本当なの。あなたが私に懐かしさを思わせたからというのもあるかもしれないけど、今でもその気持ちは変わらないわ」
それが部屋の思念がさせているものであるとしても。美江の言葉に、少女は小さく微笑み、そうしてすう、と消えていった。全てが、そうして穏やかに終わっていったのだった。
●影
覚えているから。ずっとずっと、覚えているから。忘れる事もなく縋りつく事もなく、ずっと胸にしまっておくから。
シュラインはふと空を見上げた。満月と見間違うかのような月だった。
「十六夜、ね」
小さくふふ、と笑った。もうあの部屋からは何の違和感もなかった。思念が昇華してしまったのかもしれない。
「あんなに満月に近いのに、少しだけ過ぎたからもう欠け始めているのね」
気持ちを満たされたいと思っていた、あの部屋の思念。もしかしたら、そんな事はいらぬ心配だったかもしれないのに。
そうして、人の行動を知ったならば、記憶を辿る事が出来たのならば、分かった筈なのに。どうして人が新たな場所へと旅立っていくか。
「認めたくなかったのかもしれないわね」
シュラインは小さく呟き、月から目線を逸らして歩き始めた。十六夜月が照らす、道をまっすぐと進みながら。
<十六夜月の光と影がそっと道を照らしつつ・了>
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■ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) ■
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【 0086 / シュライン・エマ / 女 / 26 / 翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員 】
【 0568 / 守崎・北斗 / 男 / 17 / 高校生(忍) 】
【 0642 / 榊・遠夜 / 男 / 16 / 高校生/陰陽師 】
【 0843 / 影崎・雅 / 男 / 27 / トラブル清掃業+時々住職 】
【 1883 / セレスティ・カーニンガム / 男 / 725 / 財閥総帥・占い師・水霊使い 】
【 2043 / ピューイ・ディモン / 男 / 10 / 夢の管理人・ペット・小学生(神聖都学園) 】
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■ ライター通信 ■
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お待たせしました、コニチハ。霜月玲守です。このたびは「十六夜月影」に参加してくださって有難う御座いました。
月シリーズと勝手に名付けている、精神世界をテーマにしたものなんですけど、如何だったでしょうか?尤も、月シリーズに特につながりなどはありません。
今回はオープニング文章が難しかったと思います。すいません。自分では結構簡単だったと思ってました。ポイントは、懐かしさを感じる部屋から出たくないという弱々しい美江でした。
シュライン・エマさん、いつも有難う御座います。急展開の為、情報収集を疎かにしてしまってすいません。思い出の場所、凄く嬉しかったです。きっとあの茸も喜んでいる事でしょう。
今回も個別の文章となっております。宜しければ他の方の文章も見てくださると嬉しいです。
ご意見・ご感想等心よりお待ちしております。それでは、またお会いできるその時迄。
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