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<PCシチュエーションノベル(ツイン)>


キミと見る景色


 たとえば『永遠に続く愛』なんてものを信じることは出来なくても、一瞬一瞬に刻み込まれていくこの心地よい感動なら、信じてみてもいいと思う―――――



 時計の針が日付変更線をこえたやや肌寒い部屋の中で、両手がキーボードの上を走る。
 カタカタとリズミカルに打ち込まれていく文字達が、画面下四分の一の場所に並んでは更新されていく。

 > 明日あたり時間ある?(01:52:00)
 > ん〜?試験も終わったし、しばらくヒマかな。(01:52:57)
 > 迎えに行くからさ、出かけないか?待ち合わせはいつものとこで。ドライブしよう(01:53:45)
 > いや、構わないけど……どうしたのさ?(01:55:02)
 > ん〜?深い意味はない方向で。んじゃ、明日な。時間は11時でいいか?(01:56:47)
 > 了解。じゃあ明日(01:57:59)
 > おう。じゃあ、おやすみ(01:58:16)

「明日、11時…か」
 こうして相棒との短いやり取りを終えた藤井葛は、オンラインゲームを終えて窓を閉じる前に残されたログをしばし眺める。
 気のせいかもしれないし、気にするようなことでもないと思う。
 ネット世界では日課と呼ぶに等しい頻度で彼と会い、架空の世界で冒険を繰り広げているが、リアル世界で約束を取り付けて遊びに行くのは今までそう多くはなかった。
 だが、ここに来て(正確には自分の大学院入りが確定したあたりから)彼は頻繁にこういった誘いを掛けてくれるようになった気がする。
 気がするのだが……実際のところどうなのか、葛には判断がつきかねた。
「ま、深い意味はない方向で、って言ってたし」
 突き詰めていくと何が出てくるのか分かるような知りたくないような、そんな曖昧な感覚を振り切るように、プツリとパソコンの電源を落とす。
 ついでに自分の思考も一緒に終了させて、居候がまるくなって眠っている隣の部屋へパジャマを取りにいくため立ち上がった。
 明日の朝はいつもの休日より少し早い。
 これ以上の夜更かしはドライブに響いてしまうかもしれないと思いながら、葛は明日の準備を一通り終えてからベッドに向かった。


 目覚まし時計が鳴ってから2時間。約束の時間がゆっくりと背後に迫ってくるのを感じながら、葛は手作り弁当なるものを用意していた。
 緑の居候はまだ夢の中だ。
 彼を起こさないようにコートを羽織り、彼の分の朝ごはん兼昼ごはんをレンジの中へ入れて書置きを残すと、葛はやや慌しく弁当の入ったカバンを抱えて家を飛び出した。
 途中、ふわりとよい香りに誘われて足を止めて見上げると、垣根から梅の花をつけた枝が顔を覗かせていた。
「……へえ」
 ネットと論文に終始して家から出ない生活を続けていたら、きっとこんな外界の変化にも気付かないままだったと思う。
 葛は外に出る口実を与えてくれた和馬にほんの少しだけ感謝しつつ、待ち合わせ場所に急いだ。


 指定された喫茶店に隣接する駐車場を見て回ると、彼と彼の車はすぐに見つかった。
「よお、おはよう」
 にっと、車のボンネットに腰掛けて待っていてくれた藍原和馬は、コートのポケットから右手を出して軽く振ってみせた。
「ん、おはよ。じゃあ行こうか」
「では、お姫様はこちらへどうぞ?」
 ヘラリとおどけた笑みを浮かべながらも、和馬は恭しく頭を垂れ、葛の手を取った。
 マフラーに顔を埋めながら、彼にエスコートされるまま、助手席にもぐりこむ。
 普段と変わらないはずの挨拶が微妙にぎこちなく感じるのは、たぶん昨日思い至った疑問のせいだ。
 だが車が発進し、他愛のない会話を交わしていくうちに、その緊張もすぐに解ける。
「どこに行くとか予定あるわけ?」
 何気なく運転席に納まった彼に聞いてみる。
「ん?ナイショ。今回は全部俺にお任せコースだからな、葛はミステリーツアーの同行者的ノリでよろしく」
「いや、よろしくって言われても」
 はぐらかすのも楽しいと言いたげな、子供みたいな答えが帰ってくる。
 思わず吹き出しそうになる葛は、付け足すように自分の膝に載っているカバンをちょっとだけ持ち上げて見せた。
「ちなみに、食料はこっちが握ってるから」
「え!?何々?それって手作りってことか!?」
「そう、手作り。しかも今朝作った新鮮なやつだから心して食べるように」
「おお!すげえ!葛、大好きだ!」
 ニコニコとご機嫌度がさらにアップしたらしい和馬は、いきなりぐいっとアクセルを踏み込んだ。
「え?か、和馬!?」
 乗っている側の人間にはあまり実感がわかないが、それでもみるみるメーターが60を越え80を越えていくとさすがに不安を煽られる。
 なによりここは高速ではなく一般道なのだ。
 当然信号はあるし、歩行者だって今は見えなくてもいつ飛び出してくるか分からない。
「ちょ、ちょっと、スピード落としなって!」
 よく、免許を持つと他人の運転の良し悪しも分かってくるというが、今の状況はそれ以前の問題だと思う。
「はいはい、じゃあちょこっとスピーと落としましょ」
「うわ!?」
 ご機嫌な口調のまま、今度はいきなりの減速に、身体が重力に耐えられず前のめりになる。
 それでも自分が苦しいとか怖いとか感じるギリギリで抑えられているあたりが憎らしい。
 多分、よく分からないけど運転の腕は確かかもしれない。
 だが正直これはあまり心臓に宜しくないアトラクションだ。
「和馬!?」
「怒るなって。いや、だって嬉しかったし」
 悪びれもなく答える彼に、葛は深い深い溜息をつく。
「あ、ちなみに飲み物は持ってきてないから」
「了解。途中でしっかり調達しましょ、お嬢様」
「前見て、前!」
 いちいち嬉しそうに反応する和馬に、運転免許を持っていないながらも気が気でない。
 食料は自分が握っているが、こちらの命は向こうが握っているというのはなかなかにスリリングこのうえない状況だ。
 今まであまり意識していなかったが、今日、葛ははっきりと悟った。
 助手席に座るということは、相手に命を預けるということなのだ。
 あんまり調子に乗せて、またとんでもない走行をされてはこちらの心臓が目的地に達するより先に天国に召されてしまう。
 だが、どこかでこんなやり取りにほっとしている自分もいて少しおかしい。
 昨日から微妙に引き摺っていた緊張は、ここに来て完全に吹っ切れてしまった。
 和馬はやはりいつもどおりの和馬だったし、自分もやはりいつもどおりの自分だ。
 この年齢不詳ながらも子供としか思えない彼と車で一緒に冒険するのだ。
 それはどこか、ネット世界の分身たちにも重なりそうな昂揚感だった。
 ようやく、葛もわくわくして来る。
「あ、そうだ。この音楽、お前好みかと思ったんだけど、どうよ?」
 ハンドルから片手をはずし、和馬はアタッシュボードの上に置かれていたMDを取り出すと、そのままオーディオに滑り込ませた。
 『READY』の文字が画面にデジタル表示され、じっと見守ってしまった葛の前で『START』に変わると共に音楽は滑らかに開始される。
 流れ出したソレは、今まで聴いたことのないまったく新しいジャンルではあったが、確かに葛が好きだと思えるものだった。
「……よくこっちの好みが分かったね」
「おう。愛のなせる業ってヤツ?葛の好みならはずさない自信あるぜ?」
「あ〜……つまり一歩間違うとストーカー?」
「そこで一歩を間違えんなよ、失敬な!俺たち相思相愛だろ!?共に幾多の困難を乗り越えて、愛と勇気で頂点を目指してんじゃねぇか」
「それはゲームの話だろ!?」
 和馬の軽口に思わず反射的に手を上げそうになったが辛うじてそれを押し止め、とりあえず言葉のみのツッコミを入れておく。

 窓から見える景色はあっという間に向こう側へ押し流され、道路標識など確認するヒマもなく過ぎ去っていった。

 普段遠出をすることのない葛には珍しい景色がいくつも展開されていく。
 弁当は、途中のサービスエリアで買い込んだジュースと共に、郊外の海に隣接した森林公園のベンチに座って食べた。
「うわ!唐揚げに玉子焼きにタコさんウインナーまで!すげえ、王道!感激!有難う、葛ぁ!!」
「!!」
 けして上手ではないが、4年間の一人暮らしでしっかり上達した葛の料理に、和馬は過剰な愛情表現(いわゆる抱きつき攻撃)で感謝の意思を伝えようとした。
 が、その辺は可及的速やかに辞退させてもらった。
 この際、柔道や合気道など洗練された数々の妙技を披露しなかったのはせめてもの情けだ。
 夏とは違う寒々しい表情を見せる浜辺とは別に、公園は既に春の訪れを告げて柔らかく花を咲かせている。
 移り変わる季節がそこには確かに存在していた。


 だが、やはり2月の日はまだまだずっと短い。
 いつの間にかぽつぽつと街の明かりが夜の中に浮かび上がる頃、どこに向かっているのか検討もつかなかった和馬の車は、ある高台に停車した。
「到着。こちらへどうぞ」
 乗った時と同じように助手席の扉を和馬の手によって恭しく開けられ、エスコートされるまま、葛は最終目的地と思しき場所へ降り立った。
「じゃん」
「うわっ」
 嬉しそうに両手を広げて、葛の視界を遮っていた彼の大きな身体が避けられると、そこには一面に広がる光の海が眼下に広がっていた。
 言葉を無くし、ただ呑み込まれそうな光の洪水に息を止めて見入る葛。
「いい眺めだろ?」
 得意げに、隣に立つ和馬が笑う。
「うん。すごい」
 単純に凄いと思った。だから夜景から眼を放せないまま、何度も頷き、素直に言葉を返す。
「こんなにきれいなとこがあるなんて知らなかった」
 2月の風はまだ冷たいけれど、それでも春の気配を含んで僅かに緩む。
 地上の星と天上の星の間に立って、しばらく2人はじっと人々の生活が織り成す優しい明かりを眺めていた。
 隣に居る相手の温度を感じられそうなほど近くで、時間だけが緩やかに流れていく。
 それはけして気まずいものでも息苦しいものでもなかった。
 やんわりと自分たちを包み込む、仄かな沈黙。
「あのな」
 心地よい空気を壊さないように、そろりと和馬が言葉を紡ぎだす。
「ここ、俺のお気に入りの場所なんだ……いや何もなくても、とりあえず車飛ばして来たいって思える場所で……葛にも見せたかったんだ」
 珍しくはにかんだ笑みを浮かべる和馬は、どこか遠い存在のような錯覚を自分に与える。
 自分の好きな景色を見てもらいたいとか、覚えていて欲しいとか、それは一見純粋な好意とも取れる。
なのに、なんとも言いようのない焦燥感とも不安ともつかない感情を掻き立てられるのは、彼の揺らいだ瞳が『いつか来る別れ』を想定し、それを受け入れてしまっているせいなのかもしれない。
「……和馬?」
「ん?」
 時々ひどく優しげな彼の目は、多分、自分では想像すら出来ない長い時間を過ごしてきた者だけが持つ特有の光なのだろうか。
「あのさ、また来よう?ここ以外でもさ、他にもいっぱい、あんたのお気に入りの場所を見に行くのもありだと思うんだけど」
「葛……ど、どうしよう…俺、今までで一番嬉しいかも」
「?」
「サンキュ!」
「――――――っ」
 勢いあまって抱きついてきた相手に、半ば上げかけた悲鳴をギリギリで飲み込み、葛は本日2度目の深い溜息をついてそれを甘んじて受け入れた。
 少し、調子に乗せすぎたかもしれない。
 だが子供みたいにはしゃぐ彼をたしなめるのも気がひけて、とりあえずここまで連れて来てもらった礼の変わりに広い背中を軽く叩く。
 まるで大きな子供をあやしている気分だ。
 そういえば、耳に届く鼓動はどちらのものなんだろうか。
「また来ような、葛。俺、まだ他にもいっぱいお前に見せたい場所とか行きたい場所とかあるんだ。だからな、また、俺と出かけような?」
 何度も繰り返し約束を口にする和馬がいっそ微笑ましくさえある。
 だからつい、
「ああ」
 と、抱きすくめられた胸の中で、溜息と笑いと呆れと他もろもろの感情を込めて溜息と一緒に頷きを返した。
「10年後も20年後も、せっかくだから……」
 約束は大切なもの。
 かつて10年後の約束をしたあの子はもうここにはいないけれど、それを信じて待つことが出来た時間は嘘じゃない。
 誰かと何かを共有する。
 大切な人と大切な時間を共に過ごす。
 それは自然の摂理というひどく限られた時間の中で貴重な一瞬なのかもしれない。
 それでも。
 こんな約束を交わすことが出来、楽しみに待てる自分はもしかすると結構幸せなのかもしれない―――――

 永遠は信じられなくても、この瞬間はホンモノだと確かに感じられるなら、それで十分ではないかと思う。

「さて、次はいつどこに行こうか?」




END