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<東京怪談ノベル(シングル)>


銀に香りし、白に染まりし

 さんざめく河原のすすき。
 風の色は紅葉色から、透明感の増す冬色へと変化していた。車窓から眺める奈良の風景は心をどこか和ませる。と同時に、望郷の念に捕らわれるのは何故なのだろう。
 路線バスに揺られて、目的地に想いを馳せた。いつもの気侭な旅。以前、京都までは足を運んだことがあるが、奈良から飛鳥へは初めての旅行だった。今だ近代化されていない、時の止まった土地と風景。これから行く、石舞台は特にそれを感じさせてくれるに違いなかった。
「あれぇ、あんたさんも石舞台に行かれるんかね?」
 突然の呼びかけに、僕は閉じていた目を開けた。声の主を探すと、空席だった右に初老の女性が座っていた。
「え? ……ええ」
「お名前はなんとおっしゃる? うちの孫によう似とりんさるんでな」
 人懐こい老婆の笑顔は、驚いていた僕の心を解きほぐす。老婆は手していた蜜柑をひと房手渡してくれ、「甘いけんね」と言った。
 皺だらけで暖かな老婆の手。こちらの胸まで暖かくなる。
「槻島と言います。おばあさんは、こちらの方なのですか?」
「いえいえ、今息子夫婦の家に遊びに来とるんですわ。石舞台が好きでなぁ」
 残り少ない乗車時間の間、僕らは言葉を交わし合った。歩む速度が違うからと、僕の「一緒に石舞台を見ましょう」との誘いは断わられた。手を振って歩き出す。振り向くと、老婆は何度も頭を下げてくれた。
 風景だけではない。旅には出会いが用意されている。そのだだ一瞬だけの出会い――その後、永遠に会うことがなくても、互いの記憶のどこかには必ず残る思い出。それだけでも、見知らぬ土地へと足を運ぶ価値はあるというものだ。

 飛鳥寺から南に下り、飛鳥川を渡って西に行くと橘寺や川原寺に出るが、石舞台は逆に東南のへと順路を取る。なだらかな坂道を登ると、土産物店などが並び始め、石舞台の入り口へと繋がっていくのだ。
 僕はガイドマップを開いて、俯瞰図を確認した。まず見えてきたのは巨大な石だった。古墳となっているこの石の下からは、たくさんの埋葬品が見つかっていると書かれてあった。
「なんて、大きいのだろう……。どうやって、これを運んだのか?」
 つい疑問を口にしてしまうほどの巨大な石。 ニ石ある内の北側が64トン、南側が77トンもあると言う。写真など真実ではない。目の前に立って見上げれば、人とはこんなにも小さいものなのかと、可笑しくも謙虚な気持ちになってくる。
 観光客の多い場所。けれど、喧騒は去り、巨石と己とたったふたりになって、遥か過去と同じ風を受けているのだと胸が熱くなる。

 九重の季節巡りし 飛鳥地の
 石に命を馳せし時 永久なる心
 我に染み入り

 文章を生み出す者として、僕は常に想いを言葉にしてきた。今日もまた、新しい自分と出会い、新しい言葉の連なりと出会った。僕は胸ポケットから愛用の眼鏡を抜き取り、持ち歩いているメモ帳に詩を書き込むと、空を見上げた。灰色の石と曇天の空は境を異とせず、まるでどこまでも続く同じ色の世界のように果てがない。
 と、僕の視界に白い物が入り込んだ。山の向こうから白い帯がやってくる。目に眩しい。
 そのひとつが群れより、一足早く僕の目に届いた。
「――雪? 雪か……もう、そんな時期なのか」
 凍雲から、数え切れないほどの白い雪が降り始めた。大きな綿毛の如く、牡丹雪。風もいつの間にか凪いで、雪はまっすぐに僕へと向かって落ちてくるかのようだ。
 そっと手を伸ばす。手の平に身を預けた結晶は、一瞬光ってすぐに消えた。残る雫。

 だからこそ、旅を愛している。
 同じ場所を訪れても、二度と同じ光景を見ることは叶わないだろう。
 ここに立って、神々しく透き通った気持ちになる。
 神と人が共にひとつの世界に住んでいた時代。そこから、遥か時が経っても何も変わらない風景と、時と共に変わっていく風景。ふたつを時同じく、双眸に焼き付けて帰ることの出来る幸せ。
 僕は噛み締めていたい。いつまでも。

 思考している僅かの間に辺りは銀世界。
 僕の肩にも白く雪が積もる。そっと掃うと、煌いて風に舞った。

□END□
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 こんにちは、ライターの杜野天音です。素敵な物語を書かせて頂けて、本当にありがとうございました。
 思いついた言葉をメモする描写、実は私のクセだったりします。槻島さんはエッセイストなので、私の感覚に近いものがあり、とても親近感を持ちました。奈良の石舞台は行ったことがないのですが、行ってみたくなりました(*^-^*)
 気に入って頂ければ幸いです。ありがとうございました!