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<東京怪談ウェブゲーム アトラス編集部>


鬼龍の里にようこそ!

【オープニング】

「鬼龍の里……誰を取材に行かそうかしら」

 と、碇麗香が、本日数度目になる溜息を、また漏らした。
 編集長の椅子に浅く腰掛け、形の良い足を組み、片肘は机に乗せて、中途半端に頬杖を付き……ちょっと小首を傾けて窓越しに曇り空を見上げる姿など、どこぞの雑誌の美人写真集にそのまま売り込めるほど、実に、アンニュイな雰囲気を醸し出している。
 もっとも、その姿に見惚れることの出来る人間は、実は、アトラスの実態を知らない者だけに限られるのだが。
 碇麗香は、鬼である。
 少なくとも、ここに籍を置く某平社員は、そう確信している。
 もちろん、面と向かって、それを言えるはずもない。心の奥底で、ばれないように、こっそりこっそりと、主張するのみである。
「三下!」
 不機嫌も顕わに呼びつけられ、某平社員こと三下忠雄は、端で見ていて哀れになるほど、飛び上がった。
「はいぃぃ……」

 ああ、また、自分が、訳のわからない取材に行かされるのだ。
 何て言った? 鬼龍の里? 鬼と龍?? 名前からして、得体が知れない。何だか、和風な化け物がウヨウヨといそうではないか!
 怖いよぅ……。

 三下は、今まで願いを叶えてもらった試しのない神様に、人生何万回目かのお祈りを、懲りもせずに、捧げてみた。
 でも、また、行かされるんだろうな…………きっと。
 諦めモード満載で、がっくりと項垂れた時、不意に、麗香の優しげな声が、頭の上に降ってきた。

「そんなに嫌なら、今回は、行かないで良いわ。三下くん」

 初めて、お祈りが通じた一瞬。
 碇麗香の背後に、間違いなく、後光が差して見えた。

「編集長ぉぉ……」

 他のバイトやら暇人やらを数人呼びつけて、碇麗香が、彼らに、取材の内容を伝え始めた。

「古い伝統文化を大切にしている里でね。そこの人々の素朴な暮らしぶりや、伝わっている伝説なんかを、取材してきて欲しいの。完全に自給自足の村だから、あらゆる物を、自分たちの手で作り上げているらしいわ。染め物、機織り、陶芸、刀鍛冶……。温泉もあるんですって。ちょうど里の重要な祭りも終わって、村人たちにも時間が出来たから、ゆっくりおくつろぎ下さいって、里長が言っていたわ」

 その里長ってのが、これまた清楚な美少女なのよね〜。
 碇麗香の話は続く。
 三下は、自らが、騙されたことを知った。
 そう。
 今回の取材は、幽霊取材ではないのだ。
 古き遺産、伝説の探索。探求。
 素朴な里人たちとの、交流。
 聞けば聞くほど、羨ましい。羨ましすぎる!

「編集長…………ぼ、僕も……」
「馬鹿言ってないで、使い物になる原稿の一つでも、さっさと仕上げて来なさい」

 下っ端の意見は、あっさりと、却下された。
 ご愁傷様である。





【鬼龍の神官】

 一日早い、鬼龍への旅。
 なぜ、そうしようと考えたのかは、わからない。
 誰かに呼ばれたような気もするし、ただの偶然だった可能性も捨てきれない。
 ただ、槻島綾は、別段何の違和感もなく、部屋を出た。
 始発もまだ走っていないような早朝に、東京駅のホームに立つ。
 列車は、ほんの数分も待たずして、現れた。朝霞の中から、いきなり湧いて出たように、無人にしては長い車体を、綾の前に滑り込ませる。
 アトラスからもらった時刻表では、出発は、明日になっていた。ぞろぞろと、総勢十六名もの団体様で、行動する予定になっていたのだ。
「僕だけ、一日早い訪問なんて、おかしな話だけど……」
 早く乗れ、と、叱りつけるように、ベルが鳴り響く。綾は一つ頷くと、さほど多くもない荷物を抱え、ほとんど乗客のいない車両へと、一歩を踏み出した。



 彼が予想したとおり、鬼龍は、相変わらず、何も変わらぬ姿のままに、そこにあった。
 山々を飾る、色鮮やかな紅葉の紅蓮。野を埋め尽くす、若葉の萌葱。
 春の彩りの中に、秋が映える。秋の雅の中に、春が息づく。
 気候は穏やかで、大地は実り豊かだった。耳を澄ますと、同時には決して現れないはずの秋鳥と春鳥が、仲睦まじく自慢の喉を披露している声が、遠く、確かに、聞こえてくる。
「あれ……?」
 ふと、森の中で、気付いたことがある。
 どうやら、迷子になってしまったらしい。
「まいったな……」
 この要領の悪さが、何だか逆に自分らしいと奇妙に納得しながら、綾は歩いた。間違いなく遭難しているはずなのに、不思議なことに、焦りも不安も感じなかった。
「でも、日が暮れるまでには、里に着きたいな……」
 頭上を振り仰ぐ。丈の高い翠の天蓋の合間から降り注ぐ陽光は、まだ、真昼の色だった。
 渡る風の中に、水の香を嗅いだ。
 
「滝……?」

 低い唸り声が聞こえる。何かの生き物の声かと一瞬思ったが、すぐに、違うことがわかった。
 これは、水音。せせらぎが激しさを増し、量を増し、無数の岩にぶつかりながら、地を一気に下り滑る音。
 やがて、目の前に、雄大な景色が広がった。
 剥き出しの岩の地面を、うねるように這う、川の流れ。そこだけ緑が切り取られて、ぽっかりと、綺麗に森が無くなっている。遠目には、川は青く光って見えた。滝から飛散した幾つもの飛沫が、小さな虹の輪を作り、七色の影を水面と空に描き出している。
 そこに、ひっそりと佇む、白い人影。
 若い女だ。まだ、少女と言っても良い。足には何も履いていなかった。着物姿で、どこか思い詰めたような表情で、じっと川を見つめている。
「あ……」
 彼女が、歩く。
 水の中に、服を着たまま、ざぶざぶと入って行く。川は予想外に深かった。まだ中程までも来ていないのに、既に胸が水に浸かっていた。
「ま、まさか、自殺っ!?」
 綾が、慌てて川に飛び込む。派手に水音がするまで、彼女の方は、そこに人がいたことに気付かなかったらしい。振り向いて、呆然とした顔をした。
「誰……」
「はやまっては駄目ですよ! そんなに若い身の上でっ!!」
 後から落ち着いて考えれば、入水自殺のはずがなかったのだが、その時は、とにかく助けなければと一生懸命だったのだ。
 腕を引っ張り、水から彼女を引き上げる。無我夢中で力の加減を忘れたので、綾も、相手の少女も、しこたま水を飲んでいた。二人揃って、岸辺で激しく咳き込むこと、約五分。途方に暮れたような表情で、少女が、綾を見上げた。
「あの……」
「何があったかは知りませんが、そんなことで世を儚んでは駄目ですよ! 生きていればこそ、何か良いこともあるのかも知れませんし」
「いえ。あの……世を儚んだわけでは……。わたくしは、禊(みそぎ)に来ただけで……」
「え……」
 禊。罪や穢れを払うために、川などで身を清めるという、あれである。
 特に巫女や神官などにとっては、珍しくも何ともない儀式。様々な古書などで、綾もそれについては知識を持っていたし、実際に目にしたこともあった。
 改めて川を見ると、確かに、この場は、自殺をするには流れが穏やかすぎる。第一、狭すぎる。カナヅチならともかく、多少なりとも泳ぎの心得のある者は、苦しげに藻掻いているうちに、向こう岸へと着いてしまうことだろう。
「す、すみません。勘違い……でした」
 綾が、何ともバツの悪そうな顔をする。
 少女が、急に、くすくすと笑い出した。
「いえ……。たぶん、わたくしが、あまりに深刻な顔をしていたので、そう思われたのでしょう。わたくしは……里の者も、これは知らないのですが……泳げないのです。水が怖くて……いつも、禊の時には、体が竦んでしまうのです」
 内緒ですよ?
 少女が、唇の前に指を当てた。こみ上げる笑いを、真面目な顔つきで隠して、綾が頷く。

「申し遅れました。わたくしは、真名(まな)と申します。鬼龍の里長を務める者です」
「槻島綾(つきしまあや)です。鬼龍の里の取材に来ました。アトラスからの依頼で……」

 里長が案内をしてくれると、ものの十分も経たないうちに、鬼龍の村へと辿り着いた。


 
「実は、鬼龍は、初めてではないのですよ」
 何の因果か。偶然か。槻島綾は、鬼龍の祭儀に居合わせたことがある。招待されたわけではなく、艶やかな舞を、春秋の色に染まる草木を、ただ、遠く、眺めやるばかりだった。
 涼しい風の吹き抜ける、崖の上に腰掛けて、思わぬ幸運に我を忘れて魅入っていた綾に、話しかけてくれた老人がいたことも、むろん、忘れたわけではない。
 今回、綾は、その老人に会うのが、楽しみの一つとなっていた。
 人の手の加わらない素のままの原石に、またいつか、と、約束をした。その約束が、思いのほか早く、叶えられようとしている。
「名前すら、聞いていなかったけれど……」
 探し出すのは、きっと、難しくはないはず。
 運命に呼び寄せられたように、一日早く、鬼龍を訪れた。何かが起こりそうな気配を感じる。誰かに出会えそうな予感がある。
「真名さんに、一つ、お伺いしたいのですが」
 鬼龍のことなら、誰よりも詳しく把握しているに違いない里長が、今、隣にいてくれるのも、心強い。
 少ない思い出を頼りに、綾が尋ねる。鬼龍の里人でありながら、あんな遠間から重要な祭儀を眺めていた、奇妙な老人。衰えた視力で、必死に舞方の姿を追っていたその懸命さが、綾の心に、ずっと、長く、尾を引いていた。

「彼に…………会ったのですか」
 
 一瞬の間を置いて、里長が聞き返す。そうですか、と、彼女は、嘆息とも安堵ともとれる複雑な表情を、一瞬、見せた。
「ずっと、不思議に思っていたのです。誰が、遠くの物を近くに映す道具を下さったのか、と。あれは……槻島様だったのですね」
「双眼鏡……」
「槻島様にとっては、何気ない親切だったのだと思います。ですが、藤早(とうさ)にとっては、何にも勝る贈り物でした。十年ぶりに、籐早は、里の祭儀を見ることが出来たのです。一人の旅行者の気遣いが、それを、可能にしてくれました」
「どういう……意味ですか?」
「ご案内します。籐早の元に」
 里長が、歩き始める。
 期待と、ほんの微かな不安を抱きながら、綾は、小さな後ろ姿を追いかけた。



「籐早は、鬼龍の楽器職人です。自らの作った楽器が、どのような音色を響かせるか、風と木霊の近くで、確かめなければなりませんでした。ですから、いつも、祭儀の時には、人の輪に加わらず、山より遠く眺めるだけだったのです」
 十年前から、目を患い、老人は、確かな視力を失った。生涯の技である楽器作りにも支障を来すほどの、急速な衰えだったという。だが、それを誰にも気付かせず、ほとんど見えない目で、崖の上に立ち続けた。
「たった一人の、息子すら、気付かなかったのです。ずっと……」
 里長の足が、早まる。
 村の畦道を通り抜け、森の中を縫うように進んで行く。狭い道はあまり整備されておらず、ひどく歩きにくかった。

「籐早は、ここにおります」

 辿り着いた先は、墓地。
 里人の敬虔な人柄を表すかのように、思いの他、墓石も卒塔婆も清潔に整えられていた。鬼龍は土葬の風習が残っているらしく、墓は、一つ一つが、現代の日本のものと比べると明らかに大きく、中に遺体を納めたらしい不自然な土の盛り上がりを見せていた。
「亡くなって……!? まさか。あれから二ヶ月も……」
「景色を大きく見せる道具……双眼鏡、でしたか。あれを、ずっと、返さなければ、と言っておりました。約束を叶えることが出来て、籐早も、喜んでおりましょう」
 まだ真新しい墓石を見つめる。享年六十一歳となっていた。綾が予想したよりは、ずっと若い。
「信じられません」
 綾が呟く。

 こんな結果を、望んでいたわけではない。
 双眼鏡など、返してもらわなくても良かった。あれは、老人にあげたのだ。眼鏡があるから、要らないと、ちゃんと伝えたはずなのに……。

「今日、綾様にお会いできて良かった。今日が、籐早がここに留まれる最後の日だったのです。明日では、間に合いませんでした」
 里長の言葉の意味が、すぐには、綾には理解できなかった。
 何を言っているのだろうと、訝しげに少女を見つめる。口を噤んだ二人の耳に、よく知っている旋律が流れ込んできたのは、次の瞬間のことだった。

「これは……春秋争いの」
「籐早です」
「え」
「籐早の音です。籐早が……吹いております。最後まで、聴いてあげて下さい」

 まさか、と、綾は笑おうとした。
 既に亡くなった人間が、笛を吹く?
 そんな事が、あるはずがない。
 あるはずがないと、知ってはいるのだが……その反面、信じたがっている自分に、苦笑せざるを得ない。
 里長が、籐早が笛を吹くのは十年ぶりだと、教えてくれた。十年ぶりに、奏でるための笛を手にする亡き人の音色は、少したどたどしく、時々勝手気ままで、その分、情が、より一層、籠もっているようだった。
 手本のような、旋律ではない。
 祭儀の真の奏者とは、比べようもないほどに、未熟。
 それでも……。

「本物、なのですね。本当に、亡き人が、吹いている……」

 不思議な余韻を残して、笛の音が途切れる。
 しばらくの間、綾は、曲が終わったことにも気付かなかった。

「ありがとうございます」
 里長の声に、はっと正気付く。
 懐かしい音が、まだ、胸の中に、耳の奥に、頭の隅々に、漣のような波紋を残していた。

「戻りましょうか」
「この双眼鏡は、やっぱり、籐早さんに差し上げます」
「……ですが」
「必要でしょう。きっと。鬼龍の祭儀を、見逃さないように」
「よろしいのですか」
「籐早さんに、持っていてもらいたいのです。原石のお礼です」

 要らない、とは、里長は言わなかった。黙って受け取り、墓に供え、そして、深々と、頭を下げた。

「一つだけ、教えて下さい」
「はい」
「籐早さんは、いつ、亡くなったのですか」
「ちょうど、今日で、四十九日目です」

 何となく、その返答は、わかっていた。
 驚きもしなかった。
 ここは、そういう場所なのだ。
 少しずつ、何かが、違う流れの中に息づいている。
 
「籐早は亡くなりましたが、鬼龍の技は、息子である采羽(さいは)に受け継がれております。鬼龍の音が、途切れることは、ありません」

 続いていく。
 細く、長く、そして、確かに。
 世間に、華やかに知らしめる必要はない。本当に残したいものは、たった一つで、構わない。

「鬼龍は変わりません。鬼龍は揺らぎません。外の流れの影響を受けず、ここは、緩やかな時を刻んでいきます。そういう場所なのです」

 たくさんの人が鬼龍を訪れることで、のどかな古の風景が崩れるのではないかと、綾は不安に思ったものだ。だが、鬼龍にとっては、それすらも無用の心配だった。
 鬼龍は変わらない。鬼龍は揺らがない。それは、里人全員が、生まれながらに知っている事実。感じている真実。

「里を、ご案内いたします。槻島様」





【何はともあれ宴会開始!】

 さすが、十六人もいる、今回の団体様ご一行。てんでバラバラに行動しているため、日没になっても、誰が居るんだか居ないんだか、さっぱりわからない状態だった。
 硝月倉菜は、イヴ・ソマリア、シュライン・エマ、柏木アトリの三人と一緒に、少し遅い夕食の支度に取りかかった。
 出されるものをただ食べるのではなく、どうせなら、鬼龍自慢の食材をふんだんに使って、自分たちで作ろうという話になったわけである。
 メニューは……。
「タラの芽の天ぷら、大好き……」
 柏木アトリが、幸せそうに、ほこほこと熱い湯気を上げる天ぷらを、頬張る。油も衣も漬け汁も、全てが体に優しい天然素材である。しかも、まだまだ、たくさんある!
「ふきの煮付けって、意外に簡単ね。マスターしたわ!」
 最近、料理猛特訓中のイヴ・ソマリア。しかし、彼女の恋人が、ふきの煮付けを好むかどうか、甚だ怪しい。努力が無駄にならないことを祈るばかりである。
「このお醤油、いい味ねぇ……。この菜種油も良質だし……。お味噌も美味しいし……。欲しいなぁ……。武彦さん、ほっといたら体に悪いものばかり食べるし……」
 食材よりも、調味料に目を付けるあたり、さすがはシュライン・エマ。別にねだったわけではなく、ごく自然に、味噌と醤油と菜種油を、里長から手に入れた。
「全体的に、薄味なんですね。それに、ここの料理、色が綺麗……」
 里人の料理の仕様は、丁寧だった。一つ一つの食材の持ち味を殺さないように、大切に、少しずつ、仕上げて行く。楽器作りもまた然り。これが、鬼龍の民全員に共通する、仕事に対する姿勢なのだろう。
「なんか、良い匂いがしますね……」
 匂いにつられて、柚品弧月が台所に顔を出す。揚げたてのタラの芽の天ぷらに手を伸ばしたら、ぴしゃりとシュラインに甲を叩かれた。
「お行儀が悪い!」
「イヴさんだって摘み食いしてるじゃないですか」
 弧月が、恨めしげに人気アイドルを眺めやる。一際大きな天ぷらを口の中に放り込むと、イヴは、羨ましげな青年の前で、ぺろりと指に付いた油を舐めて見せた。
「わたしたちはいいのよ。自分たちで作ったんだもの。当然よね?」
「あ、じゃあ、俺も手伝います」
「下心見え見えですよ。柚品さん」
 同じく匂いに惹かれて現れた槻島綾が、苦笑する。手ぶらではなく、大きな籠の中に、釣れたての川魚を溢れんばかりに持っていたので、女たちが歓声を上げて彼に群がった。
「きゃー! 凄い! どうしたの。これ!」
「真名さんに村を案内してもらうついでに、ちょっと、釣りにも行ってきたんですよ。ここの魚は警戒心が薄くて、素手でもこんなに取れました」
「素手で取ったの!?」
「明日あたり、皆さんも挑戦してみてはいかがですか? 素手での魚釣りなんて、滅多に味わえるものではありませんよ」
 食材が増えたところで、次に考えたいのは料理法だが、これは、柚品弧月の意見が、全員一致で取り入れられた。
「炭火で焼いて、塩をふって食べるのが、一番旨いと思いますよ。酒のつまみにも丁度良いし」
「……それなら、いっそのこと、外で皆で食べない? 星を見上げて、虫の音を聞きながら」
 硝月倉菜が、言葉を添える。部屋の中でお上品に碗を並べるのも悪くはないが、どうせ人数が揃っているのだ。初めて会った者もいるし、以前から知人の関係にある者もいる。短い期間とはいえ、同じ里で、同じ時間を共有する仲間同士、他人行儀は忘れて、大いに騒ぎ盛り上がりたいというのが、この時の皆の本音だった。
「真名さんに聞いてみますよ。テーブルとか、必要なものを借りてきましょう」
「俺も手伝います」
 男二人が、力仕事を担当してくれた。面白そうだと、里人が、頼みもしないのに、あれこれと手伝ってくれたりもした。あっという間に、野外パーティーの席が設けられる。アトリと倉菜が、大皿を次々と並べていった。
「酒は?」
 相沢久遠と葛西朝幸が、便乗しに現れた。用意があらかた終わったところで登場するのが、何とも言えず、彼ららしい。
 弧月が、任せて下さいと、なんと、樽を抱えてきた。飲む気、呑まれる気、満々である。
「鬼龍の銘酒、『彩藍(さいらん)』と『雪焔(せつえん)』!」
「ど、どこから手に入れて来たのですか……」
 槻島が、やや呆れたように、頭を抑える。何だか、宴会モードに突入しつつある感がするのは……きっと、気のせいではないだろう。
「里長からもらいました。彼女、かなりの酒豪だそうですよ」
「えぇ!?」
「鬼龍の里人は、水代わりに、酒を飲むとか。全員、とんでもないザルだそうです」
 里長自らが言っていたのだから、間違いない。あのわずか十六歳の女の子が、可愛らしい顔をして、ぐびぐびと酒を飲む光景など……綾にしてみれば、何やら悪い冗談のような話だが、逆に見てみたい気もするから困りものだ。
「うーん……」
「それなら、私も頂こうかしら」
 硝月倉菜が、励まされたように、綾の隣で、にっこりと微笑む。キミもですかと、綾は、もはや注意する気力も失っていた。
「未成年なのに……」
「まぁまぁ。固い話は言いっこなしさ」
 相沢久遠が、倉菜に、早速、酒を勧める。倉菜が、まじまじと久遠を見つめた。何処かで見た顔だ、と、思う。見覚えがあるのは当然だろう。久遠はモデルだ。雑誌やテレビを連日騒がせているので、お山で隠棲でもしていない限り、彼の姿は、何処かで見かけたことがあるはずである。
「では、保護者代わりの、大人の方の許可も下りたことですし」

 かんぱーい!

 普段はクールな倉菜が、あえて、音頭取りに名乗り出た。
 人が好き、と、鬼龍の職人と語り合ったあの時の余韻が、まだ、体の中に残っているのかも知れない。皆でざわめくこの光景が、何だか、ひどく、愛おしく感じられて、たまらなかった。
 輪の中に溶け込んで、人垣の一つとなる。都市ではなかなか拭えない壁が、今、ここでは、要らないものと、確信できる。素直になる。馬鹿になる。旅と田舎が、いつもとは違う姿を、引き出してくれていた。
「トモ! こら! どさくさに紛れて、飲み過ぎるな!」
「久遠兄ちゃん〜。あっはっは〜! 久遠兄ちゃんがいっぱいいる〜」
「こ、この酔っぱらい……」
「大丈夫? 葛西さん。顔真っ赤だけど……」
 と、倉菜が不安げに朝幸を眺める。そういう彼女も、四杯目だ。しかもペースが速い。ものすごく速い。
「硝月さん……。僕は、葛西くんの軽く三倍は飲んで何ともないキミの方が、怖いですよ……」
 槻島が、さらに頭を抱える。
「皆さん、強いですね……。私も頑張ります!」
 いや。柏木アトリ。努力は素晴らしい美徳だが、頑張りどころが、明らかに違う。
「か、柏木さん! そんな一気したら駄目ですよ!」
 柚品が、慌てる。何しろ、酒を持ち込んだ張本人である。急性アル中が出たら、非難の矢面に立たされること、間違いない。しかも、普段は酒などとはあまり縁の無さそうな、清楚可憐な女性が飲んだくれるとあっては、とても放置などしておけない。危険すぎる!!
「いっちばーん!! イヴ・ソマリア、歌います!!」
 イヴが、酔っぱらいにしては、あまりに見事な喉を、惜しげもなく披露する。宴会には付き物の歌が、人気アイドル、イヴ・ソマリアの歌とは、羨ましい限りである。こんな贅沢は滅多にない。滅多にないが……聴衆が酔いどればかりなのが、むしろ悲しい事実だった。
「二番はエマさんが!! イヴさんの次に歌える方は、エマさんしかいません!!」
 結構酒が入ってきた、柚品弧月。微妙に呂律が怪しい。
「歌いたいのは、山々だけど……ここで私まで壊れたら、取り返しの付かない事態になりそうな気がして、恐ろしいわ……」
 理性が、彼女を踏み止まらせる。草間興信所で、さすがは宴会慣れしている身。どこまでも大人な女性である。
「じゃあ、二番!! 葛西朝幸、歌ってついでに踊りますっ!!!」
「ト〜モ〜!! いい加減にしろ、この酔っぱらい!!!」
「あ、相沢さん! 落ち着いて!! ……って言うか、その炎、どこから出したんですかー!!!」
 槻島の虚しい制止の声が、闇の静寂に、木霊した。
 そして、宴会の夜は、さらに容赦なく更けて行く……。

 終わりは、まだ、見る気配がない。





【目覚めたその後に】

 いつごろ終わりを迎えたのかも定かではない、この大宴会。
 比較的、酔いの浅かった槻島綾が目覚めたのは、日がようやく出始めたばかりの早朝だった。
 とん、からら、と、規則正しく、不思議な音がする。昔、どこかで聞いたことがあるような響きだった。惹かれるように、歩く。
「あ……」
 狭い部屋を埋めるように、天井までも届く、大きな木製の機織り機械。
 里長が、機を織っていた。
「あ……おはようございます」
 彼女が手を止めると、音が止んで、静寂が戻った。
「ご、ごめんなさい。この音で、目が覚めてしまったのですね」
 綾が慌てて手を振った。
「いえ。違います。目が覚めて、音に気付いたのです。懐かしいような、不思議な気がして……」
 日常的に、機織りをするような、そんな田舎に住んでいた経験は、綾にはない。
 音は、耳慣れないものであるはずだった。

 それなのに……。

「何を、織っているのですか?」
 後ろから、綾が機械を覗き込む。青を基調とした鮮やかなとりどりの糸があり、それが複雑に絡み合い、見事な一枚の風景画を描き出していた。
「この鬼龍の景色を、織っています」
「もしかして……もうすぐ、完成ですか」
 景色は、既に形になっていた。
「皆様が、お帰りになる頃までには。槻島さま、よろしければ、お土産としてお持ちいたしませんか?」
「え!? 良いのですか!?」
「わたくしが、余り糸で、片手間に織ったものなので、申し訳ないのですが……」
「いただきます! 是非!」
「では、槻島さまがお帰りになるまでに、仕上げておきましょう」
 また、里長が、手を動かし始める。静かすぎる空間を、穏やかな音が満たした。木目と木目が、触れ合う気配。細い糸が、残り少ないわずかな隙間を、確実に埋めて行く。

「また、この鬼龍に、お出で下さいますか?」
 里長が、尋ねる。
 彼女には、名を呼んでくれる友人は、綾を含め、数えるほどしかいないのだ。寂しいのかも知れないと、ふと、思った。
 里人は、彼女のことを、里長、と言う。礼儀正しく、そして、味気ない呼び方だった。自分の名も忘れてしまいそうだと、彼女が笑う。誰かに呼んでもらわなければ、確かに、記憶は、薄れ行くばかりだろう。

「また、来たいですね。ここには」
「お出で下さい。何度でも」
「何度でも……歓迎して、もらえますか」
「お待ちしております。また、皆様で、お越し下さい」

 足を運ぶたび、「鬼龍」の新しい顔が、増えて行く。
 艶やかな彩藍の花と、悪戯好きな精霊と、触れられる実体すら持ち合わせて、風や木霊が、おいでと囁く。

「これを、記事にするのは、大変ですね」

 一人一人が、何かを、感じた。
 言葉で言い表すのが難しい、感覚のみで構成された、異境の界の、遠い…………まほろば。
 
「とりあえず、僕たちが、呼びますよ。真名さんが、自分の名前を、忘れてしまわないように」
 その時、柏木アトリが、そっと、扉の隙間から、顔を覗かせた。
「そろそろ、皆さん、目が覚めてきたようです。朝ご飯の支度、手伝いに来たのですが……」
 どこか照れ臭そうに、彼女は、小さく首を竦めた。
「お米、どこにあるのでしょう? お櫃が見つからなくて……真名さん? どうして笑っているのですか?? わ、私、何か変なこと、言いました??」
「いえ……」
 
 また一人、友人が、増えた。
 真白な雪道に、足跡が残るように、振り返った後ろに、大切なものが刻まれる。

「さぁ、朝餉の支度を始めましょうか」





【前夜】

 鬼龍の里の、狭い畦道を縫うようにして、人影が、歩く。
 一つ、二つ、と、確実に、影の数が増えて行く。
 厚い雲に翳る儚い朧月が放つ、わずかな光も避けるようにして、影は、やがて、一つ所に集まった。聳え立つように上へ上へと続く階段を登り切ると、そこには、黒光りする社があり、彼らは躊躇う様子もなく、中へと踏み込んだ。扉を閉めた。
 静寂が、濃く、重く、色を落とす。
「この鬼龍に、また、外の人間が来る」
 唐突に、口を開いたのは、老人。
 集まっている者たちの中では、群を抜いて、彼は、年老いていた。いかにも厳格そうに引き結んだ口元を、怒りとも嘲りともつかぬ強烈な負の感情が、小刻みに震わせている。
「あの娘は、この鬼龍の伝統を、ことごとく汚す気か」
「元来、外の者には見せてはならぬ仕来りの祭儀を、ああも簡単に、開放したからな」
 また別の里人が、肩をすくめる。仕方ない、と、彼は言った。
「あの雁夜(かりや)の、妹だ。素直に見えて、実に反抗的だ。内心、壊れてしまえばよいと、考えているのやも知れぬ。神官の家系に生まれた者の、これは、いわば、宿世だな」
「壊れてしまえばよい、か。恩も忘れて、よく言った」
「私が言ったわけではない。さて、それよりも、客人たちはどうする?」
「一人、二人、来た時と帰る時の人数が違えば、もう二度と、ここに来たいなどとは思わぬだろう」
「それは面白い」
 影たちが、笑った。笑ったが、声はない。無音のまま、唇だけを歪めるような、奇妙な笑い方をした。
 それで良い。通夜よりも陰気なこの場に、明るい声は似合わない。陽気な殺意など、不気味なだけだ。
「この鬼龍を守るためだ。我らに間違いはない」

「そうかな?」

 どん、と扉を蹴破る音がして、全員が、はっとそちらを見た。
「流(ながれ)!」
「やれやれ。愚鈍な長老方が、何やらコソコソと集まっているかと思ったら。客人たちに悪ふざけの相談か。この郷の古狸は、よほど、外の世界が嫌いと見える」
「お前……いつ、東京から」
「ついさっき」
 流、と呼ばれた男は、里人ではあるが、里に半永久的に住んでいるわけではなかった。とうの昔に鬼龍を出て、今は、日本の数多ある都の中では最も乱雑な不夜城に、紛れるように住んでいた。
 故郷にたくさんの客が来る、と聞いて、大急ぎで戻って来たのだ。くだらない事を画策する輩が、一見平和に見えるこの里にも、獅子身中の虫のように蔓延っていることを、彼は、本能でちゃんと知っていたわけである。
「俺だけではないぞ。長老方。采羽(さいは)も戻ってきている。それに、この里では、所詮、あんたらは少数派だ。里には、外の人間に好意的な者の方が遙かに多いのだからな」
「邪魔する気か」
「当然だろう。そのために、わざわざ東京から戻ってきたんだ。俺も、采羽も、決して暇な身ではないというのに」
「鬼龍を見限り、勝手に出て行ったお前たちが、何を今更!」
「見限ったわけではないさ。ここは、俺の故郷だ。たとえ、一年の半分以上は、住んでいなくとも」
「裏切り者!」
「人聞きの悪い。俺は変化には抗わないだけだ。それこそ、神の意志とやらだろう?」
「神を騙るか。お前が。鬼龍に生まれながら、神を信じたこともない、お前が!」
 馬鹿が。
 流が呟く。いよいよ月明かりも消えて真の暗闇となった空間に、乾いた笑い声が、響いた。
「教えてくれ。長老方。神とは何だ。ただ自由でいたい者を、縛るだけの存在か」
「流!」
「今回は、諦めることだな。鬼龍の客人は、鬼龍の美しい部分だけを見て、満足して帰るんだ。お前たちの悪趣味な悪戯は、ことごとく失敗に終わる。忘れるな。里長は真名だ。お前たちじゃない。くだらん手出しをしてみろ。鬼龍の太刀方(戦士)の名にかけて、誓って、貴様らを皆殺しにしてやるからな!」
 扉が、閉まった。来た時と同じく、耳を塞ぎたくなるような、大きな音を立てて。

「くっ……。あれが、この鬼龍の鍛冶師の筆頭とは」
「今回は、見合わせよう。奴のことだ。本当に、何をするかわからぬ」
「どのみち、奴には、時間がないしな」
「ああ……そうだ。そうだった」
 影たちが、笑った。今度は、声のある笑い方だった。

「鬼龍の筆頭鍛冶師で、三十歳まで生きながらえた者は、いない。どうせ、流も、あと五、六年で、いなくなる運命だ……」





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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
参加PC様
【0086 / シュライン・エマ(しゅらいん・えま) / 女性 / 26 / 翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務所】
【0381 / 村上・涼(むらかみ・りょう) / 女性 / 22 / 学生】
【0554 / 守崎・啓斗(もりさき・けいと) / 男性 / 17 / 高校生(忍)】
【0568 / 守崎・北斗(もりさき・ほくと) / 男性 / 17 / 高校生(忍)】
【0778 / 御崎・月斗(みさき・つきと) / 男性 / 12 / 陰陽師】
【0921 / 石和・夏菜(いさわ・かな) / 女性 / 17 / 高校生】
【0992 / 水城・司(みなしろ・つかさ) / 男性 / 23 / トラブル・コンサルタント】
【1294 / 葛西・朝幸(かさい・ともゆき) / 男性 / 16 / 高校生】
【1548 / イヴ・ソマリア(いう゛・そまりあ) / 女性 / 502 / アイドル歌手兼異世界調査員】
【1582 / 柚品・弧月(ゆしな・こげつ) / 男性 / 22 / 大学生】
【2194 / 硝月・倉菜(しょうつき・くらな) / 女性 / 17 / 女子高生兼楽器職人(神聖都学園生徒)】
【2226 / 槻島・綾(つきしま・あや) / 男性 / 27 / エッセイスト】
【2489 / 橘・沙羅(たちばな・さら) / 女性 / 17 / 女子高生】
【2528 / 柏木・アトリ(かしわぎ・あとり) / 女性 / 20 / 和紙細工師・美大生】
【2575 / 花瀬・祀(はなせ・まつり) / 女性 / 17 / 女子高生】
【2648 / 相沢・久遠(あいざわ・くおん) / 男性 / 25 / フリーのモデル】
NPC
【0441 / 鬼龍・真名(きりゅう・まな) / 女性 / 16 / 神官】
【0977 / 鬼龍・流(きりゅう・ながれ) / 男性 / 24 / 刀剣鍛冶師】
【0978 / 鬼龍・采羽(きりゅう・さいは) / 男性 / 25 / 奏者】

お名前の並びは、番号順によります。
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■         ライター通信          ■
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こんにちは。ソラノです。
総勢十六名の多人数ノベル、やっと完成しました。
人数が人数なので、必ずしも、皆様の希望が100パーセント取り入れられているわけではないことを、まずは、お詫びいたします。
ただ、現段階の私の持てる力で、精一杯、書かせて頂きました。
途方もなく長くなっている方もいます。まとめ能力のない未熟なライターで、申し訳ありません。

基本的に、プレイングの内容、雰囲気を、重視しました。
純粋に、知人同士で小旅行を楽しみたい方は、グループノベル形式で、終章【前夜】を覗いて、明るい雰囲気を目指しています。
一方、プレイングに、
・ 里長や鬼龍の職人と話す
・ 鬼龍の神や精霊に歌や祈りを捧げる
・ 鬼龍の社、神木が気になる
等、鬼龍に関する事柄を書いて下さった方のノベルには、NPCが登場したり、鬼龍ならではの何らかの不思議現象を目にしたりと、少し、内容が突っ込んだものになっています。(中には、NPCとのツインノベル形式になっている方もいます)
NPCが登場すると、話を進めやすいので、つい長くなってしまいます。その分、読みにくいかも知れませんが、どうかご了承下さい。

あと、色の話です。
すみません。お土産を、と考えていたのですが……これ以上長くするわけにはいかないと、削ってしまいました。
今後、依頼文等でお見かけすることがありましたら、何かの折に使わせて頂こうと思います。

それでは、今回、鬼龍の里へいらして下さった皆様、本当にありがとうございます!
里長一同、心よりお礼を申し上げます♪