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<東京怪談ウェブゲーム アトラス編集部>


鬼龍の里にようこそ!

【オープニング】

「鬼龍の里……誰を取材に行かそうかしら」

 と、碇麗香が、本日数度目になる溜息を、また漏らした。
 編集長の椅子に浅く腰掛け、形の良い足を組み、片肘は机に乗せて、中途半端に頬杖を付き……ちょっと小首を傾けて窓越しに曇り空を見上げる姿など、どこぞの雑誌の美人写真集にそのまま売り込めるほど、実に、アンニュイな雰囲気を醸し出している。
 もっとも、その姿に見惚れることの出来る人間は、実は、アトラスの実態を知らない者だけに限られるのだが。
 碇麗香は、鬼である。
 少なくとも、ここに籍を置く某平社員は、そう確信している。
 もちろん、面と向かって、それを言えるはずもない。心の奥底で、ばれないように、こっそりこっそりと、主張するのみである。
「三下!」
 不機嫌も顕わに呼びつけられ、某平社員こと三下忠雄は、端で見ていて哀れになるほど、飛び上がった。
「はいぃぃ……」

 ああ、また、自分が、訳のわからない取材に行かされるのだ。
 何て言った? 鬼龍の里? 鬼と龍?? 名前からして、得体が知れない。何だか、和風な化け物がウヨウヨといそうではないか!
 怖いよぅ……。

 三下は、今まで願いを叶えてもらった試しのない神様に、人生何万回目かのお祈りを、懲りもせずに、捧げてみた。
 でも、また、行かされるんだろうな…………きっと。
 諦めモード満載で、がっくりと項垂れた時、不意に、麗香の優しげな声が、頭の上に降ってきた。

「そんなに嫌なら、今回は、行かないで良いわ。三下くん」

 初めて、お祈りが通じた一瞬。
 碇麗香の背後に、間違いなく、後光が差して見えた。

「編集長ぉぉ……」

 他のバイトやら暇人やらを数人呼びつけて、碇麗香が、彼らに、取材の内容を伝え始めた。

「古い伝統文化を大切にしている里でね。そこの人々の素朴な暮らしぶりや、伝わっている伝説なんかを、取材してきて欲しいの。完全に自給自足の村だから、あらゆる物を、自分たちの手で作り上げているらしいわ。染め物、機織り、陶芸、刀鍛冶……。温泉もあるんですって。ちょうど里の重要な祭りも終わって、村人たちにも時間が出来たから、ゆっくりおくつろぎ下さいって、里長が言っていたわ」

 その里長ってのが、これまた清楚な美少女なのよね〜。
 碇麗香の話は続く。
 三下は、自らが、騙されたことを知った。
 そう。
 今回の取材は、幽霊取材ではないのだ。
 古き遺産、伝説の探索。探求。
 素朴な里人たちとの、交流。
 聞けば聞くほど、羨ましい。羨ましすぎる!

「編集長…………ぼ、僕も……」
「馬鹿言ってないで、使い物になる原稿の一つでも、さっさと仕上げて来なさい」

 下っ端の意見は、あっさりと、却下された。
 ご愁傷様である。





【里へ】

 既に、二度目となる訪問者も、多い。
 彼らが予想したとおり、鬼龍は、相変わらず、何も変わらぬ姿のままに、そこにあった。
 山々を飾る、色鮮やかな紅葉の紅蓮。野を埋め尽くす、若葉の萌葱。
 春の彩りの中に、秋が映える。秋の雅の中に、春が息づく。
 気候は穏やかで、大地は実り豊かだった。耳を澄ますと、同時には決して現れないはずの秋鳥と春鳥が、仲睦まじく自慢の喉を披露している声が、遠く、確かに、聞こえてくる。
 アトラス編集部で、取材に名乗りを上げたのは、ほんの五人ほどに過ぎなかったが、噂が噂を呼んで、最終的には、一行は、なんと十六名もの大所帯になっていた。
 中でも、村上涼、守崎兄弟、シュライン・エマにとっては、鬼龍は既に馴染みの土地だ。一度しか足を運んだことがないはずなのに、なぜか、複雑な道が、手に取るように頭の奥に浮かんでくるから、不思議だった。
 絡み合っていた木々の枝葉は、誘い込むように、独りでにその戒めを解いて、彼らを迎え入れた。
 途中、通り掛かった紫草の野は、花々が、一斉に、同じ方向を向いていた。

 風が吹いているわけでもないのに……。





【風の声を聞く】

 葛西朝幸が目を付けたのは、村一番の大木。
 小高い丘の上にそびえ立ち、里全体を見下ろすように、悠々と天に向かって緑の巨大な天蓋を広げる勇姿に、まずは素直に圧倒された。
 途方もなく太い幹は、齢数千年を数えても、なお、枯れた印象が一切無い。老いを忘れて、若いまま、ただ重い歴史だけを、そこに刻み続けてきたかのようだった。

 里を見てきた。
 里を守ってきた。
 神木、と、誰かが言った。
 自然界の、意思が宿ると。

「ここには、風の神様も、いるのかな……」
 自分の胴よりも太い枝に腰を下ろし、目もくらむような高さから、朝幸は下界を眺めやる。
 木を登っている途中、この恐ろしい高度から一度落ちたのだが、張り出た枝葉が受け止めてくれて、怪我もなかった。
 大丈夫?と囁く声を、一瞬、聞いた。
 あれは、きっと、風の声。
 間違いない。風が、その眷属である朝幸を、助けてくれたのだ。
「あれは…………社?」
 里を東西に挟む位置に、人工の盛り土の山が、二つある。長い階段を登りきったその先に、それぞれ、黒い社の姿が見えた。平屋作りだが、天井はかなり高い。この里の規模からは考えられないほど、広さがあった。一年や二年で完成を見るものではないだろう。
「誰が、いつ、どうやって、作ったんだろう……」
 学校の教科書で学んだような、つまらない歴史しか、朝幸は知らない。
 新聞の見出しを拾う作業にも似た、面白くもない事実の羅列。事実の裏に見え隠れした真実に触れる機会は、あまり無い。
 歴史の影には常に人がいて、心があった。
 それは、今の時代、古い記録から追って行くしか手段がないが、この鬼龍には、直接、それらを見守ってきた証人が、数多居る。
 風であり、水であり、土であり…………「神」と呼ばれる、古き者たち。
「トモ!」
 遙か下方で、自分を呼ぶ声がする。
 相沢久遠だ。弟分の姿が見えないので、探しに来たのだろう。
「ここだよ!」
 久遠兄ちゃんも、登っておいで。
 朝幸が笑う。風が、ざあっと、一際強く、薙いだ。
 俺に木登りをさせる気かと、間髪入れず、不機嫌な答えが返ってきた。
「降りてこい、トモ!」
「もうちょっと!」
 社の更に向こうに、青い、蒼い、水の連なりが見える。
 湖があるのだろうか? 朝幸はじっと目を凝らした。

「違……う」

 湖ではない。
 花だ。
 真っ青な、花……!
「青い……花畑」
 思わず引き込まれそうになる。身を乗り出しすぎて、あっと思った瞬間には、体の下から、枝が消失していた。
「うわ……!」
「トモ!?」
「落ち……」
 ふわりと、何かが、背中を持ち上げる。あり得ない翼が、落下の速度を弛め、地面に激突する体を包み込んだ。向こう側が透けるような、白い羽の残像。かすり傷もなく、朝幸は、草の上に横たえられた。
「助かった」
 ほう、と、息をつく。これは叱られるなと、首をすぼめて見上げた久遠の瞳が、深紅に染まっていることに、朝幸は、やや遅まきながらも、ようやく気付いた。
「何だ。今のは……」
 久遠が、自分の瞼に手を当てる。人の目では見えなかったものが、妖狐の瞳には、確かに、形ある者として、映っていた。
「久遠兄ちゃんも、見た?」
「見たって……」
「風の精霊」
「精霊?」
 棚引く衣か。白い羽か。
 第六番目の感覚が捉えた、真白い気配。
「なるほど……」

 ここが、鬼龍。
 鬼と龍の里。
 人ならざる者が住まう、幻の界。夢と現の、狭間の郷。

「久遠兄ちゃん、向こうに、青い花畑が見えたんだ。行ってみようよ」
「あるかもしれない……ここなら。鬼龍なら」
 純青の大花の海原。現実に、そんなものがあるとは、思えない。
 だが、ここでは、科学の理屈がどれほど無意味なものか、よくわかる。
「しっかり案内しろよ。トモ」
「お任せあれ!」

 水と見紛う青い花。
 幻の光景が、現実と……重なる。





【温泉で一波乱?】

 青い花の海原は、結局、見つからなかった。
 神木の上から確かに見えたのだから、この鬼龍のどこかには、あるはずなのだ。
 だが、土地に慣れない外の人間だけでは、探せない。
 案内役が欲しいと思ったが、生憎と、手すきの里人は見つからなかった。仮に見つかったとしても、里人の全員が、それを知っているわけではない。
 鬼龍には階級は無いが、それぞれに役目がある。神の声を聞く神官。様々な技を伝授して、里の生活を支える技術者たち。村の細かな運営を任される、長老。彼らでなければ、知り得ない事実が、あまりにも多いのだ。
「青い花畑……見たかったな」
 朝幸が、残念そうに呟く。頼りにならないと責められるかと思ったら、兄貴分は、笑いながら、まぁいいさと、弟の頭を軽くこづいた。
「ここでは、あれもこれもと望みすぎたら、かえって、何も手に入らないのかも知れないな」
 不思議な場所だ。
 久遠の中の魔の部分が、この里に着いた時から、何か大きな力を感じて止まない。だからと言って、決して頭を押さえつけられているような圧迫感はなく、ただ、気配だけを、織る。
「動き回ったら、汗だくだ。せっかくだから、温泉にでも浸かるとするか」
 意地の悪い微笑を浮かべて、久遠が相棒を振り返る。
 人前で裸になるのがどうにも恥ずかしい朝幸は、すかさず逃げようとしたが、首が絞まるくらい襟首を掴まえられて、あっさりと捕獲された。
「おい。僕と一緒に風呂に入るのが、そんなに気にくわないって言うのか?」
「ち、違うってば! ただ、俺、誰かと一緒に温泉なんて、あまり経験ないから、ちょっと恥ずかしいなって……」
「女じゃあるまいし。安心しろ、トモ。誰もお前の裸なんか見やしない。そういうのを、自意識過剰っていうんだぞ」
「く、久遠兄ちゃんの意地悪〜!!」
 どうして、自分の周りの大人たちは、宿敵兼師匠の魔術師といい、こうも意地悪な輩ばかりが集まるのだろう?
 我が身の不運を呪う朝幸の、やっぱり風呂は嫌だぁぁ!!という絶叫も、鬼龍の神には通じなかったようである。
 哀れ、美形の保護者にかっさらわれて、田園風景の向こうに二人が消えた後、たまたま近くにいた一つの人影が、ふいと現れて、恐ろしいことを口走った事実など、むろん、旅行者たちは、知る由もなかった。
「向こうにあるのは、温泉ではなく、源泉なんだが……」
 走って行って、追いかけて教えてやるのが、親切というものなのだろう。が、人影は、軽く肩をすくめただけで、まぁいいかと、身を翻した。
「鬼龍で迷子になることもあるまい。妖狐が同行しているし、もう一人は、風の精霊に好かれているようだしな」
 実は、彼は、久遠と朝幸が探していた青い花畑から、ちょうど戻ってきたところだったのだ。別の旅行者たちを、案内してやっていたのである。
 後日、これが朝幸と久遠にばれて、一悶着起こすことになろうとは…………まぁ、あえて、それについては触れないでおこう。



 温泉にゆったり浸かるとすれば、そこは、背中を流し合うのが、お約束というものである。
 嫌がる朝幸をかなり強引に湯の中に沈めると、久遠は、それはそれは嬉しそうに、タオルと石けんを持ち出してきた。この妖狐、なんだかんだ言って、朝幸を苛めるのが大好きなのである。
 いや、そこにはもちろん愛情が漂っているのだが、逃走手段をことごとく封じられた挙げ句の、非常に押し付けがましいお世話なら、どうも素直には喜べない。おまけに、久遠は、怒らせると、とてつもなく怖いのだ。
「く、く、久遠兄ちゃん、痛いって! 痛いってば本気で!!」
「……トモ。おまえ、ちゃんと風呂に入っているのか? 凄い垢の量だぞ」
 そりゃあ、肌の色が変わるくらい擦られたら、垢の一つや二つ出るだろう。どうも、最近の妖狐は手加減を知らなくて困る。
「うわーっ! 本当にやばいって!! 久遠兄ちゃん、ストップ! 痛い痛い痛いーっ!!!」
 ほとんど絶叫である。
 仕方なく、久遠は、弟分を解放してやった。
 凄まじく痛かった分、綺麗にはなっているはずだ。温泉が染みることこの上ないが。
「久遠兄ちゃんの意地悪……」
「綺麗になっただろ? 男前になったんじゃないか?」
「久遠兄ちゃんに言われたくない……」
「子供は風の子だ。ほら、元気に泳いでこい」
 恨みがましく一睨みした朝幸だが、良くも悪くも無邪気な、その性格。広い露天風呂を独り占めにしているうちに、機嫌もすっかり治ってしまい、後は、これまたお約束で、ばしゃばしゃと湯を掻き分け、泳ぐ泳ぐ。
 ぼんやりと湯加減を楽しんでいた久遠の背後に回り込むと、思いっきり、水鉄砲を飛ばしてやった。
「うわっ!」
「やった! 大当たり!!」
「この……」
「え、そんな、本気で怒らなくても……って、久遠兄ちゃん、湯を煮立てるの反則だってば!! そりゃないよー!!!」
 一日目からして、朝幸の身に危険が迫る。
 頑張って…………残り三泊四日を、生き抜いてもらうとしよう。





【何はともあれ宴会開始!】

 さすが、十六人もいる、今回の団体様ご一行。てんでバラバラに行動しているため、日没になっても、誰が居るんだか居ないんだか、さっぱりわからない状態だった。
 硝月倉菜は、イヴ・ソマリア、シュライン・エマ、柏木アトリの三人と一緒に、少し遅い夕食の支度に取りかかった。
 出されるものをただ食べるのではなく、どうせなら、鬼龍自慢の食材をふんだんに使って、自分たちで作ろうという話になったわけである。
 メニューは……。
「タラの芽の天ぷら、大好き……」
 柏木アトリが、幸せそうに、ほこほこと熱い湯気を上げる天ぷらを、頬張る。油も衣も漬け汁も、全てが体に優しい天然素材である。しかも、まだまだ、たくさんある!
「ふきの煮付けって、意外に簡単ね。マスターしたわ!」
 ついに和食にまで手を出したか。イヴ・ソマリア。しかし、彼女の恋人が、ふきの煮付けを好むかどうか、甚だ怪しい。努力が無駄にならないことを祈るばかりである。
「このお醤油、いい味ねぇ……。この菜種油も良質だし……。お味噌も美味しいし……。欲しいなぁ……。武彦さん、ほっといたら体に悪いものばかり食べるし……」
 食材よりも、調味料に目を付けるあたり、さすがはシュライン・エマ。別にねだったわけではなく、ごく自然に、味噌と醤油と菜種油を、里長から手に入れた。
「全体的に、薄味なんですね。それに、ここの料理、色が綺麗……」
 里人の料理の仕様は、丁寧だった。一つ一つの食材の持ち味を殺さないように、大切に、少しずつ、仕上げて行く。楽器作りもまた然り。これが、鬼龍の民全員に共通する、仕事に対する姿勢なのだろう。
「なんか、良い匂いがしますね……」
 匂いにつられて、柚品弧月が台所に顔を出す。揚げたてのタラの芽の天ぷらに手を伸ばしたら、ぴしゃりとシュラインに甲を叩かれた。
「お行儀が悪い!」
「イヴさんだって摘み食いしてるじゃないですか」
 弧月が、恨めしげに人気アイドルを眺めやる。一際大きな天ぷらを口の中に放り込むと、イヴは、羨ましげな青年の前で、ぺろりと指に付いた油を舐めて見せた。
「わたしたちはいいのよ。自分たちで作ったんだもの。当然よね?」
「あ、じゃあ、俺も手伝います」
「下心見え見えですよ。柚品さん」
 同じく匂いに惹かれて現れた槻島綾が、苦笑する。手ぶらではなく、大きな籠の中に、釣れたての川魚を溢れんばかりに持っていたので、女たちが歓声を上げて彼に群がった。
「きゃー! 凄い! どうしたの。これ!」
「真名さんに村を案内してもらうついでに、ちょっと、釣りにも行ってきたんですよ。ここの魚は警戒心が薄くて、素手でもこんなに取れました」
「素手で取ったの!?」
「明日あたり、皆さんも挑戦してみてはいかがですか? 素手での魚釣りなんて、滅多に味わえるものではありませんよ」
 食材が増えたところで、次に考えたいのは料理法だが、これは、柚品弧月の意見が、全員一致で取り入れられた。
「炭火で焼いて、塩をふって食べるのが、一番旨いと思いますよ。酒のつまみにも丁度良いし」
「……それなら、いっそのこと、外で皆で食べない? 星を見上げて、虫の音を聞きながら」
 硝月倉菜が、言葉を添える。部屋の中でお上品に碗を並べるのも悪くはないが、どうせ人数が揃っているのだ。初めて会った者もいるし、以前から知人の関係にある者もいる。短い期間とはいえ、同じ里で、同じ時間を共有する仲間同士、他人行儀は忘れて、大いに騒ぎ盛り上がりたいというのが、この時の皆の本音だった。
「真名さんに聞いてみますよ。テーブルとか、必要なものを借りてきましょう」
「俺も手伝います」
 男二人が、力仕事を担当してくれた。面白そうだと、里人が、頼みもしないのに、あれこれと手伝ってくれたりもした。あっという間に、野外パーティーの席が設けられる。アトリと倉菜が、大皿を次々と並べていった。
「酒は?」
 相沢久遠と葛西朝幸が、便乗しに現れた。用意があらかた終わったところで登場するのが、何とも言えず、彼ららしい。
 弧月が、任せて下さいと、なんと、樽を抱えてきた。飲む気、呑まれる気、満々である。
「鬼龍の銘酒、『彩藍(さいらん)』と『雪焔(せつえん)』!」
「ど、どこから手に入れて来たのですか……」
 槻島が、やや呆れたように、頭を抑える。何だか、宴会モードに突入しつつある感がするのは……きっと、気のせいではないだろう。
「里長からもらいました。彼女、かなりの酒豪だそうですよ」
「えぇ!?」
「鬼龍の里人は、水代わりに、酒を飲むとか。全員、とんでもないザルだそうです」
 里長自らが言っていたのだから、間違いない。あのわずか十六歳の女の子が、可愛らしい顔をして、ぐびぐびと酒を飲む光景など……綾にしてみれば、何やら悪い冗談のような話だが、逆に見てみたい気もするから困りものだ。
「うーん……」
「それなら、私も頂こうかしら」
 硝月倉菜が、励まされたように、綾の隣で、にっこりと微笑む。キミもですかと、綾は、もはや注意する気力も失っていた。
「未成年なのに……」
「まぁまぁ。固い話は言いっこなしさ」
 相沢久遠が、倉菜に、早速、酒を勧める。倉菜が、まじまじと久遠を見つめた。何処かで見た顔だ、と、思う。見覚えがあるのは当然だろう。久遠はモデルだ。雑誌やテレビを連日騒がせているので、お山で隠棲でもしていない限り、彼の姿は、何処かで見かけたことがあるはずである。
「では、保護者代わりの、大人の方の許可も下りたことですし」

 かんぱーい!

 普段はクールな倉菜が、あえて、音頭取りに名乗り出た。
 人が好き、と、鬼龍の職人と語り合ったあの時の余韻が、まだ、体の奥に残っているのかも知れない。皆でざわめくこの光景が、何だか、ひどく、愛おしく感じられてたまらなかった。
 輪の中に溶け込んで、人垣の一つとなる。都市ではなかなか拭えない壁が、今、ここでは、要らないものと、確信できる。素直になれる。馬鹿になれる。旅と田舎が、いつもとは違う姿を、引き出してくれていた。
「トモ! こら! どさくさに紛れて、飲み過ぎるな!」
「久遠兄ちゃん〜。あっはっは〜! 久遠兄ちゃんがいっぱいいる〜」
「こ、この酔っぱらい……」
「大丈夫? 葛西さん。顔真っ赤だけど……」
 と、倉菜が不安げに朝幸を眺める。そういう彼女も、四杯目だ。しかもペースが速い。ものすごく速い。
「硝月さん……。僕は、葛西くんの軽く三倍は飲んで何ともないキミの方が、怖いですよ……」
 槻島が、さらに頭を抱える。
「皆さん、強いですね……。私も頑張ります!」
 いや。柏木アトリ。努力は素晴らしい美徳だが、頑張りどころが、明らかに違う。
「か、柏木さん! そんな一気したら駄目ですよ!」
 柚品が、慌てる。何しろ、酒を持ち込んだ張本人である。急性アル中が出たら、非難の矢面に立たされること、間違いない。しかも、普段は酒などとはあまり縁の無さそうな、清楚可憐な女性が飲んだくれるとあっては、とても放置などしておけない。危険すぎる!!
「いっちばーん!! イヴ・ソマリア、歌います!!」
 イヴが、酔っぱらいにしては、あまりに見事な喉を、惜しげもなく披露する。宴会には付き物の歌が、人気アイドル、イヴ・ソマリアの歌とは、羨ましい限りである。こんな贅沢は滅多にない。滅多にないが……聴衆が酔いどればかりなのが、むしろ悲しい事実だった。
「二番はエマさんが!! イヴさんの次に歌える方は、エマさんしかいません!!」
 結構酒が入ってきた、柚品弧月。微妙に呂律が怪しい。
「歌いたいのは、山々だけど……ここで私まで壊れたら、取り返しの付かない事態になりそうな気がして、恐ろしいわ……」
 理性が、彼女を踏み止まらせる。草間興信所で、さすがは宴会慣れしている身。どこまでも大人な女性である。
「じゃあ、二番!! 葛西朝幸、歌ってついでに踊りますっ!!!」
「ト〜モ〜!! いい加減にしろ、この酔っぱらい!!!」
「あ、相沢さん! 落ち着いて!! ……って言うか、その炎、どこから出したんですかー!!!」
 槻島の虚しい制止の声が、闇の静寂に、木霊した。
 そして、宴会の夜は、さらに容赦なく更けて行く……。

 終わりは、まだ、見る気配がない。





【ゆったりと】

 賑やかな大宴会のその後には、温泉が待っている。これこそが、シュラインとイヴ、二人の目当てだったと言っても過言ではない。
 日本に住んでいると、大体において、温泉好きになるものである。それは、外国人だろうが、異界人だろうが、変わりはない。自分の国や世界には少ないものだから、かえって、思い入れは深いかも知れない。
「あぁ……生き返るわ」
 鬼龍の湯は、美肌の湯。成分を調べた訳ではないが、里人の顔を見ていれば、容易に判断が付く。みな、すこぶる肌が綺麗なのだ。これは大いに楽しまなければ、罰当たりというものである。
「お酒ももらってきたし。おつまみも用意したし」
 鬼龍の里のあちこちに、大小様々な岩風呂が点在している。巨大なものもあれば、ちんまりと家族で過ごすような小規模なものもある。男女の別なく混浴なのが気になったが、顔を出すのは、森の獣たちくらいのものだった。
 里人は、のんびりと風呂を楽しんでいる客人たちのいる場所に無粋に踏み込んだりはしないし、同行してきた男たちは、この二人の風呂になど、もっと怖くて近寄れないだろう。
 命あっての物種である。袋叩きにされた後では遅いのだ。
「何だか、歌いたくなってしまうわねぇ……」
 歌の上手い者同士、顔を見合わせる。
 二人の口から、全く同じ旋律が、流れ出た。

「冬こもり 春さり来れば 鳴かざりし 鳥も来鳴きぬ 咲かざりし 花も咲けれど 山を茂み 入りても取らず 草深み 取りても見ず
 秋山の 木の葉を見ては 黄葉つをば 取りてそ偲ふ 青きをば 置きてそ嘆く そこし恨めし」

「春山ぞ我は」
「秋山ぞ我は」

 お湯からあがった彼女らは、気付かなかった。
 時期を過ぎて、とうの昔に花を散らしてしまった寒桜が、またひっそりと、蕾を膨らませていたことに。

 鬼龍の精霊たちは、歌が好きなのだ。
 いつでも、答える声を用意して、伸ばした手が触れるほどに、ごく近くに、在り続ける。

「また、おいで」
「また、来てね」
 




【前夜】

 鬼龍の里の、狭い畦道を縫うようにして、人影が、歩く。
 一つ、二つ、と、確実に、影の数が増えて行く。
 厚い雲に翳る儚い朧月が放つ、わずかな光も避けるようにして、影は、やがて、一つ所に集まった。聳え立つように上へ上へと続く階段を登り切ると、そこには、黒光りする社があり、彼らは躊躇う様子もなく、中へと踏み込んだ。扉を閉めた。
 静寂が、濃く、重く、色を落とす。
「この鬼龍に、また、外の人間が来る」
 唐突に、口を開いたのは、老人。
 集まっている者たちの中では、群を抜いて、彼は、年老いていた。いかにも厳格そうに引き結んだ口元を、怒りとも嘲りともつかぬ強烈な負の感情が、小刻みに震わせている。
「あの娘は、この鬼龍の伝統を、ことごとく汚す気か」
「元来、外の者には見せてはならぬ仕来りの祭儀を、ああも簡単に、開放したからな」
 また別の里人が、肩をすくめる。仕方ない、と、彼は言った。
「あの雁夜(かりや)の、妹だ。素直に見えて、実に反抗的だ。内心、壊れてしまえばよいと、考えているのやも知れぬ。神官の家系に生まれた者の、これは、いわば、宿世だな」
「壊れてしまえばよい、か。恩も忘れて、よく言った」
「私が言ったわけではない。さて、それよりも、客人たちはどうする?」
「一人、二人、来た時と帰る時の人数が違えば、もう二度と、ここに来たいなどとは思わぬだろう」
「それは面白い」
 影たちが、笑った。笑ったが、声はない。無音のまま、唇だけを歪めるような、奇妙な笑い方をした。
 それで良い。通夜よりも陰気なこの場に、明るい声は似合わない。陽気な殺意など、不気味なだけだ。
「この鬼龍を守るためだ。我らに間違いはない」

「そうかな?」

 どん、と扉を蹴破る音がして、全員が、はっとそちらを見た。
「流(ながれ)!」
「やれやれ。愚鈍な長老方が、何やらコソコソと集まっているかと思ったら。客人たちに悪ふざけの相談か。この郷の古狸は、よほど、外の世界が嫌いと見える」
「お前……いつ、東京から」
「ついさっき」
 流、と呼ばれた男は、里人ではあるが、里に半永久的に住んでいるわけではなかった。とうの昔に鬼龍を出て、今は、日本の数多ある都の中では最も乱雑な不夜城に、紛れるように住んでいた。
 故郷にたくさんの客が来る、と聞いて、大急ぎで戻って来たのだ。くだらない事を画策する輩が、一見平和に見えるこの里にも、獅子身中の虫のように蔓延っていることを、彼は、本能でちゃんと知っていたわけである。
「俺だけではないぞ。長老方。采羽(さいは)も戻ってきている。それに、この里では、所詮、あんたらは少数派だ。里には、外の人間に好意的な者の方が遙かに多いのだからな」
「邪魔する気か」
「当然だろう。そのために、わざわざ東京から戻ってきたんだ。俺も、采羽も、決して暇な身ではないというのに」
「鬼龍を見限り、勝手に出て行ったお前たちが、何を今更!」
「見限ったわけではないさ。ここは、俺の故郷だ。たとえ、一年の半分以上は、住んでいなくとも」
「裏切り者!」
「人聞きの悪い。俺は変化には抗わないだけだ。それこそ、神の意志とやらだろう?」
「神を騙るか。お前が。鬼龍に生まれながら、神を信じたこともない、お前が!」
 馬鹿が。
 流が呟く。いよいよ月明かりも消えて真の暗闇となった空間に、乾いた笑い声が、響いた。
「教えてくれ。長老方。神とは何だ。ただ自由でいたい者を、縛るだけの存在か」
「流!」
「今回は、諦めることだな。鬼龍の客人は、鬼龍の美しい部分だけを見て、満足して帰るんだ。お前たちの悪趣味な悪戯は、ことごとく失敗に終わる。忘れるな。里長は真名だ。お前たちじゃない。くだらん手出しをしてみろ。鬼龍の太刀方(戦士)の名にかけて、誓って、貴様らを皆殺しにしてやるからな!」
 扉が、閉まった。来た時と同じく、耳を塞ぎたくなるような、大きな音を立てて。

「くっ……。あれが、この鬼龍の鍛冶師の筆頭とは」
「今回は、見合わせよう。奴のことだ。本当に、何をするかわからぬ」
「どのみち、奴には、時間がないしな」
「ああ……そうだ。そうだった」
 影たちが、笑った。今度は、声のある笑い方だった。

「鬼龍の筆頭鍛冶師で、三十歳まで生きながらえた者は、いない。どうせ、流も、あと五、六年で、いなくなる運命だ……」





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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
参加PC様
【0086 / シュライン・エマ(しゅらいん・えま) / 女性 / 26 / 翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務所】
【0381 / 村上・涼(むらかみ・りょう) / 女性 / 22 / 学生】
【0554 / 守崎・啓斗(もりさき・けいと) / 男性 / 17 / 高校生(忍)】
【0568 / 守崎・北斗(もりさき・ほくと) / 男性 / 17 / 高校生(忍)】
【0778 / 御崎・月斗(みさき・つきと) / 男性 / 12 / 陰陽師】
【0921 / 石和・夏菜(いさわ・かな) / 女性 / 17 / 高校生】
【0992 / 水城・司(みなしろ・つかさ) / 男性 / 23 / トラブル・コンサルタント】
【1294 / 葛西・朝幸(かさい・ともゆき) / 男性 / 16 / 高校生】
【1548 / イヴ・ソマリア(いう゛・そまりあ) / 女性 / 502 / アイドル歌手兼異世界調査員】
【1582 / 柚品・弧月(ゆしな・こげつ) / 男性 / 22 / 大学生】
【2194 / 硝月・倉菜(しょうつき・くらな) / 女性 / 17 / 女子高生兼楽器職人(神聖都学園生徒)】
【2226 / 槻島・綾(つきしま・あや) / 男性 / 27 / エッセイスト】
【2489 / 橘・沙羅(たちばな・さら) / 女性 / 17 / 女子高生】
【2528 / 柏木・アトリ(かしわぎ・あとり) / 女性 / 20 / 和紙細工師・美大生】
【2575 / 花瀬・祀(はなせ・まつり) / 女性 / 17 / 女子高生】
【2648 / 相沢・久遠(あいざわ・くおん) / 男性 / 25 / フリーのモデル】
NPC
【0441 / 鬼龍・真名(きりゅう・まな) / 女性 / 16 / 神官】
【0977 / 鬼龍・流(きりゅう・ながれ) / 男性 / 24 / 刀剣鍛冶師】
【0978 / 鬼龍・采羽(きりゅう・さいは) / 男性 / 25 / 奏者】

お名前の並びは、番号順によります。
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■         ライター通信          ■
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こんにちは。ソラノです。
総勢十六名の多人数ノベル、やっと完成しました。
人数が人数なので、必ずしも、皆様の希望が100パーセント取り入れられているわけではないことを、まずは、お詫びいたします。
ただ、現段階の私の持てる力で、精一杯、書かせて頂きました。
途方もなく長くなっている方もいます。まとめ能力のない未熟なライターで、申し訳ありません。

基本的に、プレイングの内容、雰囲気を、重視しました。
純粋に、知人同士で小旅行を楽しみたい方は、グループノベル形式で、終章【前夜】を覗いて、明るい雰囲気を目指しています。
一方、プレイングに、
・ 里長や鬼龍の職人と話す
・ 鬼龍の神や精霊に歌や祈りを捧げる
・ 鬼龍の社、神木が気になる
等、鬼龍に関する事柄を書いて下さった方のノベルには、NPCが登場したり、鬼龍ならではの何らかの不思議現象を目にしたりと、少し、内容が突っ込んだものになっています。(中には、NPCとのツインノベル形式になっている方もいます)
NPCが登場すると、話を進めやすいので、つい長くなってしまいます。その分、読みにくいかも知れませんが、どうかご了承下さい。

あと、色の話です。
すみません。お土産を、と考えていたのですが……これ以上長くするわけにはいかないと、削ってしまいました。
今後、依頼文等でお見かけすることがありましたら、何かの折に使わせて頂こうと思います。

それでは、今回、鬼龍の里へいらして下さった皆様、本当にありがとうございます!
里長一同、心よりお礼を申し上げます♪