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『marine snow ― 海に降る雪の中の恋人たち ― 』
「ねえ、知ってる?」
「何を?」
「マリンスノーって」
「マリンスノー・・・・・・海雪?」
「イエス。海に降る雪」
にこりと笑った彼女。
そして彼女は言った。
「泳げないあなたに代わって、私が見てきてあげる、海に降る雪を。それをたーんと聞かせてあげるから、だからあなたはそれでイメージを膨らませて、海に降る雪の絵を描いて」
「君が見てきた海に降る雪よりも綺麗な絵を?」
「ばか。本物のあの綺麗で幻想的な光景はどんなにすごい画家でも描けないわよ。同様に写真家でも写真には撮れないわ」
「言うね、君は。しかも恋人に向かって」
「だって本当の事ですもの」
「僕が本物よりも綺麗に描けないのなら、それは君の伝え方が悪いから」
「ひどぉ」
「ひどくない。ひどくない。ほんとのこと。だって君には絵のセンスは無いだろう。中学の美術の時なんて・・・」
「そ〜れ〜を〜言〜わ〜な〜いで〜」
「言います」
そう言ったら彼女は僕の唇に唇を重ね合わせた。そしてほんの少し唇を離して囁く。
「口封じ」
そして僕らは唇を重ね合わせたままベッドに寝転んだ。
それが去年の夏の始まりの思い出。
彼女との最後の思い出。
彼女は海に潜り、そしてその海から帰ってこなかった。
そして僕は君が消えた海を前に何枚も何枚も海の絵を描き続けた。
いつか僕が描き続ける海の中に君がいるかもしれないから・・・。
******
ここ最近、気になる事がある。
それは私が滞在している民宿のすぐ近くにある浜で海の絵を描き続けている男性の絵描きだ。
彼は朝早くから夜遅くまで海を前に絵を描き続けている。それはとても綺麗な絵なのだが、しかし私がその絵から感じる物は絶望的なまでに死であった。
その絵描きは死を望み、死に憧れ、しかし死にきれずに絵を書き続ける自分に深い絶望をしていた。
おそらくはその死への憧れの理由は彼の絵の中にいる女性だろう。
夕暮れ時の海の中で、気持ち良さそうに泳ぐ美しい人魚。
「こんにちは」
毎日、海で一緒になる犬をつれた老婆がたおやかな笑みを浮かべて私に頭を下げた。私は潮風にたなびく髪を押さえながら彼女に挨拶しかえす。
「こんにちは」
私は海のすぐ近くの古びた民宿に滞在していた。
どうして私が、その民宿に滞在し、こんな季節に海に毎日足を運んでいるかというと、私は元が人魚なだけに暑いのが苦手でだから冬が楽だからという実に単純な理由で。
冬の海は人影もなく物悲しい感じがする描写を文豪たちはとても綺麗な言葉で書き表しているが、実際に私が目にする冬の海には、様々な光景があった。
冷たい風と乱暴な波を好み、ヨットを楽しむ若者。
砂浜に佇み、スポーツカイトを飛ばす子ども。
そして犬を連れて私と同じように散歩する老人。
釣り人。
それから冬の海を前に朝から晩までずっとそこにある海の光景を描いている若い男の絵描き。
そう、私はその絵描きの描く絵にとても惹かれていた。
「こんにちは。今日もその絵は完成する事はありませんか?」
私がそう言った理由は、彼はいつも下書きから始め、そして塗りにかかるのだが、その筆は最後の人魚を塗る段階で止められてしまって・・・
「ええ。残念ながら、ね」
彼は苦笑いを浮かべながら絵を破ってしまった。そう、いつも彼は人魚を塗る段階で筆を止めてそしてそこまで描いた絵を破ってしまっているのだ。
私が彼を見るようになってからずっと。
「そこの民宿の宿泊客ですか?」
「ええ。ちょっとまとまった休みが取れたので」
「そうですか」
彼はにこりと笑った。しかしその笑みはとても空虚なものに見えた。彼は私と顔を見合わせて、会話をしているがしかし、彼には本当には私が見えてはいないし、会話もしていないのだ。彼が語りかけているのは絵の中の人魚だけ。そうそれ故にその人魚には色は塗られないし、その絵が完成する事はない。
私は彼とさして当り障りの無い会話をして、その日は別れた。
******
「さあ、どうぞ、お客さん」
浴衣の裾を折って私は座布団の上に座ると、民宿の主である老婆に勧められるままに冷やされたグラスを手に取って注がれたビールを喉に流した。
「いい飲みぷっりだねー。さすがに若い人は違うねー」
老婆はにこにこと笑いながらグラスにビールを注いでくれて、そして色んな昔話を聞かせてくれた。老婆の声は耳に心地よく、巧みな話術は充分に私を楽しませてくれた。こういうのも悪くはない。
「ところで」
「なんですか?」
グラスのビールに口をつけていた老婆は私に顔を向けた。
「浜の画家の青年はご存知ですか?」
老婆はちょこんと小首を傾げて、眼を瞬かせた。そしてぽんと手を叩いて、
「ああ、あの画家さんね」
「ええ」
「一年前にふらりとやって来て、海の絵を描き始めたんですよ。それ以外は知りませんねー」
「そうですか」
私は視線を窓の向こうに見える夜の浜辺に向けた。
******
「こんにちは」
「こんにちは」
もう日課となっている夕方の浜辺の散歩。そしてすっかりと顔見知りになった老婆と笑顔で挨拶をかわして、私は、そこに立った。
一枚の完成した絵の前に。
キャンバスの中に描き表れされたのは見事な海中の世界。
その透き通るような青の中に降る真っ白な雪。
marine snow
その海に降る雪の中に人魚がいた。
それともう一人…彼も。
「綺麗な絵ですね。本当に・・・」
・・・この絵を見ていると泣きたくなる。
私は絵にそっと触れた。情報保有物に触れる事で私はそれが持つ情報を知る事が出来る。それが絵にも活用できるかどうかは賭けだ。
そしてその賭けという奴は私の勝ちだった。
そっと瞼を閉じる。
脳裏に浮かぶのはとても綺麗な女性と、その彼女が囁いた声。
『マリンスノーってのはね、1950年代に北海道大学の研究者たちに名づけられた海中懸濁物の名前なの。うん、なんかそう聞いちゃうと、ロマンも欠片も無いんだけどさ、だけど本当に綺麗なんだよ。現在ではこのマリンスノーっていう名前は世界中で使われているんだって。ほら、空から降る雪ってのは大きさも形もほぼ揃ってるじゃない。粉雪やぼたん雪がまざるようなことはないけど、だけどねマリンスノーは様々な形と大きさをしたものが同時に存在するの。球状や彗星状、糸状に…それに平板状みたいなものもあってね。うん、すごいよね。本当に。それを聞いてからのずっと夢だったんだ。誰か大切な人と一緒にマリンスノーを見るのが。あーぁ。それなのにどうして私は金槌君を好きになっちゃうかなー?』
くすくすと笑う・・・彼の最愛な人。
******
誰もいない夜の海。
私は杖を放すと、不安定な砂浜の砂を踏みながら海へと向かった。
コートを脱ぎ、
シャツを脱ぎ、
ズボンを脱ぎ、
靴を脱ぐ。
そして一糸纏わぬ姿となった私は冬の夜の海に入った。
陸上では不自由な足も海中では自由に動く。
海面上は荒れた海も、潜ってしまえば季節に違わず同じ顔だ。
こぽこぽと口から泡を零しながら、私は足を動かしてあっという間に沖へと出る。
陸に上がった人魚は泡となって消えた物語があるが、幸いにも私は泡となって消えはせずに母なる海へと迎えいれられる。
深い母なる海の慈愛の手に包まれるような海水の中を泳ぎながら、私は海を泳いだ。
「セレスティ」
いつの間にか私の周りには多くの同胞たちがいる。そしてその中の一人が私に微笑みかけて、先を指差す。
ぐんとスピードを上げて戯れるように泳いでいく同胞たちの後を私は追いかけた。そして私はそれを目にする。
海の中に降る雪の中で、
ワルツを踊る一組の人魚のカップル。
それは私が見たあの絵描きの青年とそして彼女。
海に降る雪はそんな二人を祝福するように綺麗に舞い、
そして同胞たちも、お互いの身体をぎゅっと抱きしめあう二人の周りを…唇を重ね合わせた二人の周りを祝福するように泳いでいる。
私は海の中に降る雪の中で起こった一つの奇跡について神に感謝するように、ちょうど真上にあって、そして二人を照らすかのように海中にまでその美しく優しい蒼銀色の光の筋を零す満月を見上げる。
そう、満月はただそこにあって、
そして二人もただそこでいつまでもいつまでもいつまでもその今までのお互いの時間を埋めるように唇を重ね合わせていた。
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セレスティの屋敷にある自室の壁には一枚の絵が飾られている。
それは名も無き一人の画家の青年が描いたマリンスノーの中で抱き合う人魚のカップルの優しい愛に満ち溢れた絵。
**ライターより**
こんにちは、セレスティ・カーニンガムさま。
ライターの草摩一護です。
お洒落で大人のラブストーリーを書こうと想って筆を進めていましたらこうなりました。
マリンスノーというのはずっと書いてみたい物だったので、書けて本当に嬉しいです。でもいささか本当にしんみりとした感じになってしまいましたね。^^;
↑を目指して書いていたのですが、その感は少しでもあるでしょうか?
うーん、今回のノベルについては書きたい事は多々あるのですが、今僕の胸のうちにある物を言葉にする筆力は残念ながら無いのです。すみません。
セレスティさんは、今回のノベルにどう感じられましたでしょうか?
少しでもセレスティさんに何かを感じていただいてもらえたら、それは本当に今回ほど作者にとって幸いな事はありません。
さて、がらりと話題を変えさせてくださいね。
本当にPCミニミニ全身図、すごくすごく嬉しかったです。
作者にとって、本当にこれほどまでにものすごく嬉しいことはありません!!! 光栄です。
そんなにもゴス王子、気に入っていただけてありがとうございました。^^
教えていただいてすぐに飛んでいって拝見させてもらったのですよ。
本当にものすごくかわいいですよね。素敵です。
あれは以前にニュースでやっていたのを思い出して、それで書かせてもらったのですよ。^^ これは使えるって。
ん、でも確かにセレスティさんぐらいに長身でスタイルが良ければ、どんな服でも着こなしてしまうので、本当にゴスロリファッション界のゴス王子なんて夢ではないでしょうね。
そのまんま社交界の会場に行ってもおかしくないぐらいに決まっている事でしょう。
いつかこのイラストをイメージして、何かを書いてみたいと想います。^^
それでは今回はこの辺で失礼させてもらいますね。
本当にいつも嬉しいお言葉をいただきありがとうございます。
それでは。
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