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<東京怪談ウェブゲーム アトラス編集部>


鬼龍の里にようこそ!

【オープニング】

「鬼龍の里……誰を取材に行かそうかしら」

 と、碇麗香が、本日数度目になる溜息を、また漏らした。
 編集長の椅子に浅く腰掛け、形の良い足を組み、片肘は机に乗せて、中途半端に頬杖を付き……ちょっと小首を傾けて窓越しに曇り空を見上げる姿など、どこぞの雑誌の美人写真集にそのまま売り込めるほど、実に、アンニュイな雰囲気を醸し出している。
 もっとも、その姿に見惚れることの出来る人間は、実は、アトラスの実態を知らない者だけに限られるのだが。
 碇麗香は、鬼である。
 少なくとも、ここに籍を置く某平社員は、そう確信している。
 もちろん、面と向かって、それを言えるはずもない。心の奥底で、ばれないように、こっそりこっそりと、主張するのみである。
「三下!」
 不機嫌も顕わに呼びつけられ、某平社員こと三下忠雄は、端で見ていて哀れになるほど、飛び上がった。
「はいぃぃ……」

 ああ、また、自分が、訳のわからない取材に行かされるのだ。
 何て言った? 鬼龍の里? 鬼と龍?? 名前からして、得体が知れない。何だか、和風な化け物がウヨウヨといそうではないか!
 怖いよぅ……。

 三下は、今まで願いを叶えてもらった試しのない神様に、人生何万回目かのお祈りを、懲りもせずに、捧げてみた。
 でも、また、行かされるんだろうな…………きっと。
 諦めモード満載で、がっくりと項垂れた時、不意に、麗香の優しげな声が、頭の上に降ってきた。

「そんなに嫌なら、今回は、行かないで良いわ。三下くん」

 初めて、お祈りが通じた一瞬。
 碇麗香の背後に、間違いなく、後光が差して見えた。

「編集長ぉぉ……」

 他のバイトやら暇人やらを数人呼びつけて、碇麗香が、彼らに、取材の内容を伝え始めた。

「古い伝統文化を大切にしている里でね。そこの人々の素朴な暮らしぶりや、伝わっている伝説なんかを、取材してきて欲しいの。完全に自給自足の村だから、あらゆる物を、自分たちの手で作り上げているらしいわ。染め物、機織り、陶芸、刀鍛冶……。温泉もあるんですって。ちょうど里の重要な祭りも終わって、村人たちにも時間が出来たから、ゆっくりおくつろぎ下さいって、里長が言っていたわ」

 その里長ってのが、これまた清楚な美少女なのよね〜。
 碇麗香の話は続く。
 三下は、自らが、騙されたことを知った。
 そう。
 今回の取材は、幽霊取材ではないのだ。
 古き遺産、伝説の探索。探求。
 素朴な里人たちとの、交流。
 聞けば聞くほど、羨ましい。羨ましすぎる!

「編集長…………ぼ、僕も……」
「馬鹿言ってないで、使い物になる原稿の一つでも、さっさと仕上げて来なさい」

 下っ端の意見は、あっさりと、却下された。
 ご愁傷様である。





【木霊】

 既に、二度目となる訪問者も、多い。
 彼らが予想したとおり、鬼龍は、相変わらず、何も変わらぬ姿のままに、そこにあった。
 山々を飾る、色鮮やかな紅葉の紅蓮。野を埋め尽くす、若葉の萌葱。
 春の彩りの中に、秋が映える。秋の雅の中に、春が息づく。
 気候は穏やかで、大地は実り豊かだった。耳を澄ますと、同時には決して現れないはずの秋鳥と春鳥が、仲睦まじく自慢の喉を披露している声が、遠く、確かに、聞こえてくる。
 アトラス編集部で、取材に名乗りを上げたのは、ほんの五人ほどに過ぎなかったが、噂が噂を呼んで、最終的には、一行は、なんと十五名もの大所帯になっていた。
 中でも、村上涼、守崎兄弟、シュライン・エマにとっては、鬼龍は既に馴染みの土地だ。一度しか足を運んだことがないはずなのに、なぜか、複雑な道が、手に取るように頭の奥に浮かんでくるから、不思議だった。
 絡み合っていた木々の枝葉は、誘い込むように、独りでにその戒めを解いて、彼らを迎え入れた。
 途中、通り掛かった紫草の野は、花々が、一斉に、同じ方向を向いていた。

 風が吹いているわけでもないのに……。

 前回は、里長が自ら客人を迎えに来たが、今回は、別の村人が案内をする予定になっていた。
 駅のホームで、おとなしく、里人が現れるのを待っているはずだったのだ。
 が、物珍しさから、守崎北斗が蜂の巣穴をつついたりした時点で、そんな悠長なことは、言っていられなくなった。
 何しろ、豊かな大自然に育まれた、巨大なことこの上ない、蜂の群の大群である。それが怒りも顕わに追いかけてくる光景は、冗談抜きにして、物凄く怖い。
 一行は、それこそ脱兎のごとく逃げ出した。
 捕まったら、二目と見られないご面相になるのは間違いない。いや、下手をすれば、そのまま命を落とすことも、十分にあり得る。
 
 そして、必死に走って逃げているうちに、気が付けば、見覚えのない山の中に入り込んでいた次第であった。
 
「でも、何となく、こっちじゃないかって……見当は付くのよね」
 山中の遭難という緊急事態にも関わらず、シュライン・エマは、どこかのんびりと構えている。
 彼女の知っている鬼と龍は、悪戯に、人の命を奪ったりはしない。荒神であると同時に、守神でもあった。更には、謳い手として受け入れてもらったという、自負もある。
 頭の中に、道筋が、奇妙な確信を伴って浮かび上がってくるのは…………きっと、彼女自身の中に、鬼神龍神への信頼が、芽生え始めているからだろう。
「誰か……見ているわ」
 イヴ・ソマリアが、立ち止まる。
 彼女の後ろにくっ付くようにして歩いていた花瀬祀と橘沙羅が、不安そうに顔を見合わせた。
「誰かって……?」
 視線の先には、確かに、一人の男の子の姿があった。
 年の頃は、七、八歳くらいだろう。髪も瞳もくっきりとした漆黒で、それとは対照的に、肌の白い子供だった。
「ねぇ……君、里の子?」
 イヴが話しかけると、男の子は、さっと逃げるように身を翻した。足場の悪い山中を駆けるのに、張り出た樹根や、切り株に引っ掛かる様子もない。それどころか、足音の一つも全く立てなかった。
 そして、また、樹木の陰に半分身を沈めて、じっとこちらを見つめている。
「何か、伝えたいことでもあるのかしら?」
 シュラインが、首をかしげる。
 彼女が近づいても、男の子は、逃げる素振りを見せなかった。
「ねぇ、僕、名前は?」
 シュラインの問いに、男の子が、答えた。
「木霊」
「コダマ?」
「うん」
 おずおずと、男の子が、シュラインの手を握る。
 触れた指先は、驚くほど冷たかった。血の通った人のものとは、到底思えないほどに。
「唄……大好き。また歌ってね」
 ほとんど聞き取れないほどの小さな声で、男の子が、呟く。一瞬、人懐っこい笑顔を見せた。問い返そうとしたシュラインの手を振り解き、男の子は、今度こそ、絶対に追いつけない遠くへと駆けて行ってしまった。

「里へは、そのまま、真っ直ぐ歩いて。僕が導くから……」
 
 声だけが、その場に残る。
 イヴがシュラインに尋ねた。
「知り合い?」
 シュラインが笑った。
「知り合いといえば、知り合いね」
「どういう意味?」
「木霊よ。木霊の精霊」
「精霊って……」
 イヴと祀と沙羅が、同時に、シュラインの顔を凝視する。木霊に好かれた謳い手は、懐かしそうに、子供が去った方向を見つめていた。

「覚えていてくれたのね……。嬉しいわ」
 
 鬼龍の里は、やはり、何も変わらない。
 神がいる。精霊がいる。当たり前のように、彼らが人の前に姿を現して、親しげに語りかけてくる。また歌ってね、と囁いたのは、木霊の精。ならば、どこかで、風の精も見ているのかもしれない。
「里は……まだ遠いのかしら?」
 シュラインが、誰にともなく、問いかける。木々が一斉にざわめいて、目には見えない人ならざる者が、それに答えた。

「もう少し」

 深い緑の切れ間に、晴れた空を背景として、幾筋も、幾筋も、細い煙が立ち昇っているのが、見えた。
 
「無事、着いたようね」

 木霊と風が導いたその先に、あの懐かしい幻の里の光景が、広がっていた。





【彩藍】

 鬼龍は、技術者たちの集まりなのだ。
 一人一人が、何らかの伝統的な技を、必ず引き継ぐ。それは、鍛冶であり、陶工であり、細工であり、染め物でもある。織物の術は、鬼龍の女なら、誰もが当たり前の知識として、持っている。
 鬼龍が自給自足の生活を続けてきたのは、煩わしい掟や伝統に囚われてきたからではない。外に求める必要がないからだ。
 常に、自然の恵みが、共にある。原始の生き方に、身を委ねる。
 それが、正しい姿かどうかは、わからない。
 変化を拒むつもりはない。停滞を尊ぶつもりもない。去る者は追わないし、求める者は受け入れた。それでも変わらずに続いてきたのは、この場にこそ、彼らの原点が、明らかに存在しているからなのだ。

 シュライン・エマ、イヴ・ソマリアの二人は、夕紗(ゆうさ)という名の染め物職人を、里長に紹介してもらった。染め物を生業とする里人は鬼龍には多いが、中でも、この夕紗が、一番の彩藍染めの技術者なのだという。
 鬼龍での染め物は、彩藍(さいらん)染め、と呼ばれている。鬼龍にのみ生息する「彩藍」と呼ばれる植物があるのだが、この花は、春と秋とで全く違う色の花を付けるのだ。
 彩藍の秋染めは、鮮やかな朱。彩藍の春染めは、深い紺。もちろん、他にも様々な植物が染料として用いられるが、これが、鬼龍では最も馴染んだ色とされている。
 
 夕紗は、客人たちの顔を見るなり、いきなり、露骨に迷惑そうな顔をした。
 もてなそう、という気は、さらさら無いらしい。
 見たけりゃ勝手に見れ、と、ぶっきらぼうなことこの上ない態度である。里長の許可が出ているので、家の中に上がり込んでも何も言わなかったが、黙々と背中を見せて作業をしており、取り付くしまもなかった。
「どうする?」
「どうしたものかしら……」
 女二人が、ひそひそと囁き交わす。とてもじゃないが、和やかに語りかけるような雰囲気ではない。
「お前たち、何日、この鬼龍にいるんだ?」
 不意に、染め物師が、手を止めて、問いかけた。
「三日間です」
 シュラインが答える。夕紗は、もともと無愛想な顔を、さらに不機嫌そうに引き締めた。
「三日か。それじゃ、無理だな……」
「無理って……何が?」
 イヴが尋ねる。
「時間が足りない。たった三日では、彩藍染めは出来ない。せめて、一週間あれば、お前たちにも実際に触らせてやれるのだが……」
 彩藍染めは、とにかく手間がかかる。基本に忠実に従うのなら、まずは染料を作るところから始めなければならないのだ。それだけでも数日はかかるのに、更に、型彫り、糊置き、といった、熟練者でも緊張を強いられるような難しい手作業が、休む間もなく続々と待ち構えている。
 本染めに入ったら、浸漬、着色、乾燥の手順を、二十回も三十回も、根気よく繰り返す。気の遠くなるような話だが、ここで手を抜いたら、彩藍の艶やかな色の全てが死んでしまう。
 本当に、地味な作業なのだ。
 美しい反物一つが出来上がるまでに、どれほどの労が重ねられているのかを知る者は…………ほとんど、いない。
「見るだけで、十分よね?」
 シュラインが、連れを振り返る。イヴが、すかさず同意した。

「わたしは、里の伝統を見に来たの。邪魔をしに来たわけではないわ」

 どうぞ、続けて下さいな。
 女二人が、部屋の隅に寄り、行儀良く正座する。夕紗は、絹布を巻いた頭をバツの悪そうに一掻きすると、借りてきた猫のごとく大人しくなった客人たちを、やはりぶっきらぼうな口調で呼び寄せた。
「真似事くらいなら、させてやる。ただし、指が染まっても、責任は持たんぞ」
 鬼龍の染め物師の指先は、長年触れ続けた彩藍で、青く染まっていた。色素が沈着して、もう取れなくなってしまっているのだろう。じっと見つめるシュラインの視線に居心地の悪さを感じたのか、さっと手を引っ込めた。

「見ていて気分の良いものではないだろう」

 そうだろうか?
 シュラインが、首をかしげる。
 気味が悪い、などと、思うはずがない。
 青く染まった指先こそが、この人の、職人としての誇りそのものに違いないと、考える。
 伝統を受け継ぎ、伝統を残す手だ。見た目からは計り知れない多くのものを、背負っている。魔法のように、色鮮やかな彩を生み出す。敬意を払いこそすれ、馬鹿にするはずがない。

「帰る時に、時間があれば、もう一度ここに来い。手ぶらでは帰りにくいだろう。土産代わりに、彩藍の反物を持っていけ」

 相も変わらず、愛想のない人間だ。
 だが、その言動を腹立たしく感じることは……無かった。





【唄を捧ぐ】

 村を見下ろす、小高い丘の上の大樹。
 丘全体に根を張り巡らせているような、その神木の根元に立ち、イヴ・ソマリアは、もう随分と長いこと、小声で唄を口ずさんでいた。
 ずっと続けてみたが、木霊は現れてはくれない。風の精の訪れもない。
 神の姿も見えないし、居るかどうかも、正直、よく、わからなかった。
 わたしが魔の者だからかもしれない、と、考える。
 異境の神が、異境の魔性を、好いてくれるはずがない。
 人間の神話を紐解けば、すぐにわかる。
 国が違えば、神々は争い合うのだ。界が違えば、その拒絶は、並大抵のものではないだろう。

「鬼龍…………鬼と龍。鬼神と、龍神」

 受け入れてはもらえない?
 この世界の者でなければ。
 唄すらも聴いてもらえない?
 この世界の者でないから……。

「ソマリア様」

 丘の中腹から、少しずつ近づいて来る人影は、この郷の長だった。ちょうど西日を背にしているので、黒く沈んだ輪郭としてしか、その姿を捉えることは出来なかった。
「唄の時間も、終わりかしら」
 少し疲れた面持ちで、イヴが呟く。もうそろそろ、食事が用意される頃なのだろう。一人だけ席を外していては、他の皆に余計な心配を掛けるかも知れない。イヴの正体を知っていれば、心配などするはずもないのだが…………身に備わった力とは関係なく、ここには、人の安否を気遣うことの出来る人間が、数多いる。
「戻った方が良さそうね」
 一つ大きく伸びをして、イヴが歩き始める。里長が、急に立ち止まった。
「もう戻られますか」
 イヴが、不思議そうに首をかしげた。
「迎えに来たんじゃないの?」
「いえ……。唄を、聴きに来たのです」
「唄……を?」
「はい」
 真面目な顔つきで、神官の少女が頷く。少しの間、イヴは、返事が出来なかった。
「どうして…………だって……わたしの歌、聴いたことなんて……」
「あります。直接ではありませんが……。草間様のお宅で」
「え? え……?」
「テレビ、というもので。ソマリア様が、おりました。とても綺麗な声で……。もし、鬼神さまと龍神さまに唄を捧げられるのなら、ご一緒させてもらおうかと…………少し、図々しいことを、考えてしまいました」
 でも、無理強いは、いけませんね。
 今度は、里長が歩き始める。イヴが呼び止めた。
「わたしの声は……届くの? 魔の者である、わたしの声が、鬼神様と、龍神様に」
「届きます。それに、鬼龍では、ソマリア様は、魔の者とは言いません。想う心を持つもの全て、鬼龍では、人と呼びます」
「でも、わたし、鬼龍の唄を、一つも知らない……」
「どの国の歌でも、どの界の歌でも、それが、隔てになることは、ありません。ソマリア様が、今、心に浮かんだ曲を、歌って下さい」
「どの国の歌でも、どの界の歌でも……」



 イヴが口にしたのは、滅びかけた、自らの界の歌。
 アイドルとして全盛を極める、華やかなこちらの代表曲ではなく、遠く、遠く、朧に霞む、壁の向こうの、忘れ去られかけた、故郷の歌。

 木霊と風が、それぞれに実体を持ち、イヴを見守る。
 語り手を取り囲み、共に歌った。



「届いたかしら」
「届きました。確かに」
 いつの間にか、日がすっかり落ちていた。
 本当に、夕食に出遅れそうだ。熾烈な温泉争奪戦にも、このままでは、負けてしまう。
「教えて欲しいの」
 秘境の湯の一番風呂を獲得する前に、一つだけ、聞きたいことがある。
「何でしょう?」
「この里で、神は、何を意味するの?」
「神……ですか」
「ええ、そう。神様」
「神は……」
 ほんの一瞬、里長は、考え込んだ。言葉で簡単に言い表せるものではないのかも知れないと、イヴは、思った。

「神とは……」
「神とは?」
「律です」
「律?」
「はい。根源です」



「わたくしたち、鬼龍の民は、それを、界の意思と呼びます」





【何はともあれ宴会開始!】

 さすが、十六人もいる、今回の団体様ご一行。てんでバラバラに行動しているため、日没になっても、誰が居るんだか居ないんだか、さっぱりわからない状態だった。
 硝月倉菜は、イヴ・ソマリア、シュライン・エマ、柏木アトリの三人と一緒に、少し遅い夕食の支度に取りかかった。
 出されるものをただ食べるのではなく、どうせなら、鬼龍自慢の食材をふんだんに使って、自分たちで作ろうという話になったわけである。
 メニューは……。
「タラの芽の天ぷら、大好き……」
 柏木アトリが、幸せそうに、ほこほこと熱い湯気を上げる天ぷらを、頬張る。油も衣も漬け汁も、全てが体に優しい天然素材である。しかも、まだまだ、たくさんある!
「ふきの煮付けって、意外に簡単ね。マスターしたわ!」
 ついに和食にまで手を出したか。イヴ・ソマリア。しかし、彼女の恋人が、ふきの煮付けを好むかどうか、甚だ怪しい。努力が無駄にならないことを祈るばかりである。
「このお醤油、いい味ねぇ……。この菜種油も良質だし……。お味噌も美味しいし……。欲しいなぁ……。武彦さん、ほっといたら体に悪いものばかり食べるし……」
 食材よりも、調味料に目を付けるあたり、さすがはシュライン・エマ。別にねだったわけではなく、ごく自然に、味噌と醤油と菜種油を、里長から手に入れた。
「全体的に、薄味なんですね。それに、ここの料理、色が綺麗……」
 里人の料理の仕様は、丁寧だった。一つ一つの食材の持ち味を殺さないように、大切に、少しずつ、仕上げて行く。楽器作りもまた然り。これが、鬼龍の民全員に共通する、仕事に対する姿勢なのだろう。
「なんか、良い匂いがしますね……」
 匂いにつられて、柚品弧月が台所に顔を出す。揚げたてのタラの芽の天ぷらに手を伸ばしたら、ぴしゃりとシュラインに甲を叩かれた。
「お行儀が悪い!」
「イヴさんだって摘み食いしてるじゃないですか」
 弧月が、恨めしげに人気アイドルを眺めやる。一際大きな天ぷらを口の中に放り込むと、イヴは、羨ましげな青年の前で、ぺろりと指に付いた油を舐めて見せた。
「わたしたちはいいのよ。自分たちで作ったんだもの。当然よね?」
「あ、じゃあ、俺も手伝います」
「下心見え見えですよ。柚品さん」
 同じく匂いに惹かれて現れた槻島綾が、苦笑する。手ぶらではなく、大きな籠の中に、釣れたての川魚を溢れんばかりに持っていたので、女たちが歓声を上げて彼に群がった。
「きゃー! 凄い! どうしたの。これ!」
「真名さんに村を案内してもらうついでに、ちょっと、釣りにも行ってきたんですよ。ここの魚は警戒心が薄くて、素手でもこんなに取れました」
「素手で取ったの!?」
「明日あたり、皆さんも挑戦してみてはいかがですか? 素手での魚釣りなんて、滅多に味わえるものではありませんよ」
 食材が増えたところで、次に考えたいのは料理法だが、これは、柚品弧月の意見が、全員一致で取り入れられた。
「炭火で焼いて、塩をふって食べるのが、一番旨いと思いますよ。酒のつまみにも丁度良いし」
「……それなら、いっそのこと、外で皆で食べない? 星を見上げて、虫の音を聞きながら」
 硝月倉菜が、言葉を添える。部屋の中でお上品に碗を並べるのも悪くはないが、どうせ人数が揃っているのだ。初めて会った者もいるし、以前から知人の関係にある者もいる。短い期間とはいえ、同じ里で、同じ時間を共有する仲間同士、他人行儀は忘れて、大いに騒ぎ盛り上がりたいというのが、この時の皆の本音だった。
「真名さんに聞いてみますよ。テーブルとか、必要なものを借りてきましょう」
「俺も手伝います」
 男二人が、力仕事を担当してくれた。面白そうだと、里人が、頼みもしないのに、あれこれと手伝ってくれたりもした。あっという間に、野外パーティーの席が設けられる。アトリと倉菜が、大皿を次々と並べていった。
「酒は?」
 相沢久遠と葛西朝幸が、便乗しに現れた。用意があらかた終わったところで登場するのが、何とも言えず、彼ららしい。
 弧月が、任せて下さいと、なんと、樽を抱えてきた。飲む気、呑まれる気、満々である。
「鬼龍の銘酒、『彩藍(さいらん)』と『雪焔(せつえん)』!」
「ど、どこから手に入れて来たのですか……」
 槻島が、やや呆れたように、頭を抑える。何だか、宴会モードに突入しつつある感がするのは……きっと、気のせいではないだろう。
「里長からもらいました。彼女、かなりの酒豪だそうですよ」
「えぇ!?」
「鬼龍の里人は、水代わりに、酒を飲むとか。全員、とんでもないザルだそうです」
 里長自らが言っていたのだから、間違いない。あのわずか十六歳の女の子が、可愛らしい顔をして、ぐびぐびと酒を飲む光景など……綾にしてみれば、何やら悪い冗談のような話だが、逆に見てみたい気もするから困りものだ。
「うーん……」
「それなら、私も頂こうかしら」
 硝月倉菜が、励まされたように、綾の隣で、にっこりと微笑む。キミもですかと、綾は、もはや注意する気力も失っていた。
「未成年なのに……」
「まぁまぁ。固い話は言いっこなしさ」
 相沢久遠が、倉菜に、早速、酒を勧める。倉菜が、まじまじと久遠を見つめた。何処かで見た顔だ、と、思う。見覚えがあるのは当然だろう。久遠はモデルだ。雑誌やテレビを連日騒がせているので、お山で隠棲でもしていない限り、彼の姿は、何処かで見かけたことがあるはずである。
「では、保護者代わりの、大人の方の許可も下りたことですし」

 かんぱーい!

 普段はクールな倉菜が、あえて、音頭取りに名乗り出た。
 人が好き、と、鬼龍の職人と語り合ったあの時の余韻が、まだ、体の奥に残っているのかも知れない。皆でざわめくこの光景が、何だか、ひどく、愛おしく感じられてたまらなかった。
 輪の中に溶け込んで、人垣の一つとなる。都市ではなかなか拭えない壁が、今、ここでは、要らないものと、確信できる。素直になれる。馬鹿になれる。旅と田舎が、いつもとは違う姿を、引き出してくれていた。

「トモ! こら! どさくさに紛れて、飲み過ぎるな!」
「久遠兄ちゃん〜。あっはっは〜! 久遠兄ちゃんがいっぱいいる〜」
「こ、この酔っぱらい……」
「大丈夫? 葛西さん。顔真っ赤だけど……」
 と、倉菜が不安げに朝幸を眺める。そういう彼女も、四杯目だ。しかもペースが速い。ものすごく速い。
「硝月さん……。僕は、葛西くんの軽く三倍は飲んで何ともないキミの方が、怖いですよ……」
 槻島が、さらに頭を抱える。
「皆さん、強いですね……。私も頑張ります!」
 いや。柏木アトリ。努力は素晴らしい美徳だが、頑張りどころが、明らかに違う。
「か、柏木さん! そんな一気したら駄目ですよ!」
 柚品が、慌てる。何しろ、酒を持ち込んだ張本人である。急性アル中が出たら、非難の矢面に立たされること、間違いない。しかも、普段は酒などとはあまり縁の無さそうな、清楚可憐な女性が飲んだくれるとあっては、とても放置などしておけない。危険すぎる!!
「いっちばーん!! イヴ・ソマリア、歌います!!」
 イヴが、酔っぱらいにしては、あまりに見事な喉を、惜しげもなく披露する。宴会には付き物の歌が、人気アイドル、イヴ・ソマリアの歌とは、羨ましい限りである。こんな贅沢は滅多にない。滅多にないが……聴衆が酔いどればかりなのが、むしろ悲しい事実だった。
「二番はエマさんが!! イヴさんの次に歌える方は、エマさんしかいません!!」
 結構酒が入ってきた、柚品弧月。微妙に呂律が怪しい。
「歌いたいのは、山々だけど……ここで私まで壊れたら、取り返しの付かない事態になりそうな気がして、恐ろしいわ……」
 理性が、彼女を踏み止まらせる。草間興信所で、さすがは宴会慣れしている身。どこまでも大人な女性である。
「じゃあ、二番!! 葛西朝幸、歌ってついでに踊りますっ!!!」
「ト〜モ〜!! いい加減にしろ、この酔っぱらい!!!」
「あ、相沢さん! 落ち着いて!! ……って言うか、その炎、どこから出したんですかー!!!」
 槻島の虚しい制止の声が、闇の静寂に、木霊した。
 そして、宴会の夜は、さらに容赦なく更けて行く……。

 終わりは、まだ、見る気配がない。





【ゆったりと】

 賑やかな大宴会のその後には、温泉が待っている。これこそが、シュラインとイヴ、二人の目当てだったと言っても過言ではない。
 日本に住んでいると、大体において、温泉好きになるものである。それは、外国人だろうが、異界人だろうが、変わりはない。自分の国や世界には少ないものだから、かえって、思い入れは深いかも知れない。
「あぁ……生き返るわ」
 鬼龍の湯は、美肌の湯。成分を調べた訳ではないが、里人の顔を見ていれば、容易に判断が付く。みな、すこぶる肌が綺麗なのだ。これは大いに楽しまなければ、罰当たりというものである。
「お酒ももらってきたし。おつまみも用意したし」
 鬼龍の里のあちこちに、大小様々な岩風呂が点在している。巨大なものもあれば、ちんまりと家族で過ごすような小規模なものもある。男女の別なく混浴なのが気になったが、顔を出すのは、森の獣たちくらいのものだった。
 里人は、のんびりと風呂を楽しんでいる客人たちのいる場所に無粋に踏み込んだりはしないし、同行してきた男たちは、この二人の風呂になど、もっと怖くて近寄れないだろう。
 命あっての物種である。袋叩きにされた後では遅いのだ。
「何だか、歌いたくなってしまうわねぇ……」
 歌の上手い者同士、顔を見合わせる。
 二人の口から、全く同じ旋律が、流れ出た。

「冬こもり 春さり来れば 鳴かざりし 鳥も来鳴きぬ 咲かざりし 花も咲けれど 山を茂み 入りても取らず 草深み 取りても見ず
 秋山の 木の葉を見ては 黄葉つをば 取りてそ偲ふ 青きをば 置きてそ嘆く そこし恨めし」

「春山ぞ我は」
「秋山ぞ我は」

 お湯からあがった彼女らは、気付かなかった。
 時期を過ぎて、とうの昔に花を散らしてしまった寒桜が、またひっそりと、蕾を膨らませていたことに。

 鬼龍の精霊たちは、歌が好きなのだ。
 いつでも、答える声を用意して、伸ばした手が触れるほどに、ごく近くに、在り続ける。

「また、おいで」
「また、来てね」
 




【前夜】

 鬼龍の里の、狭い畦道を縫うようにして、人影が、歩く。
 一つ、二つ、と、確実に、影の数が増えて行く。
 厚い雲に翳る儚い朧月が放つ、わずかな光も避けるようにして、影は、やがて、一つ所に集まった。聳え立つように上へ上へと続く階段を登り切ると、そこには、黒光りする社があり、彼らは躊躇う様子もなく、中へと踏み込んだ。扉を閉めた。
 静寂が、濃く、重く、色を落とす。
「この鬼龍に、また、外の人間が来る」
 唐突に、口を開いたのは、老人。
 集まっている者たちの中では、群を抜いて、彼は、年老いていた。いかにも厳格そうに引き結んだ口元を、怒りとも嘲りともつかぬ強烈な負の感情が、小刻みに震わせている。
「あの娘は、この鬼龍の伝統を、ことごとく汚す気か」
「元来、外の者には見せてはならぬ仕来りの祭儀を、ああも簡単に、開放したからな」
 また別の里人が、肩をすくめる。仕方ない、と、彼は言った。
「あの雁夜(かりや)の、妹だ。素直に見えて、実に反抗的だ。内心、壊れてしまえばよいと、考えているのやも知れぬ。神官の家系に生まれた者の、これは、いわば、宿世だな」
「壊れてしまえばよい、か。恩も忘れて、よく言った」
「私が言ったわけではない。さて、それよりも、客人たちはどうする?」
「一人、二人、来た時と帰る時の人数が違えば、もう二度と、ここに来たいなどとは思わぬだろう」
「それは面白い」
 影たちが、笑った。笑ったが、声はない。無音のまま、唇だけを歪めるような、奇妙な笑い方をした。
 それで良い。通夜よりも陰気なこの場に、明るい声は似合わない。陽気な殺意など、不気味なだけだ。
「この鬼龍を守るためだ。我らに間違いはない」

「そうかな?」

 どん、と扉を蹴破る音がして、全員が、はっとそちらを見た。
「流(ながれ)!」
「やれやれ。愚鈍な長老方が、何やらコソコソと集まっているかと思ったら。客人たちに悪ふざけの相談か。この郷の古狸は、よほど、外の世界が嫌いと見える」
「お前……いつ、東京から」
「ついさっき」
 流、と呼ばれた男は、里人ではあるが、里に半永久的に住んでいるわけではなかった。とうの昔に鬼龍を出て、今は、日本の数多ある都の中では最も乱雑な不夜城に、紛れるように住んでいた。
 故郷にたくさんの客が来る、と聞いて、大急ぎで戻って来たのだ。くだらない事を画策する輩が、一見平和に見えるこの里にも、獅子身中の虫のように蔓延っていることを、彼は、本能でちゃんと知っていたわけである。
「俺だけではないぞ。長老方。采羽(さいは)も戻ってきている。それに、この里では、所詮、あんたらは少数派だ。里には、外の人間に好意的な者の方が遙かに多いのだからな」
「邪魔する気か」
「当然だろう。そのために、わざわざ東京から戻ってきたんだ。俺も、采羽も、決して暇な身ではないというのに」
「鬼龍を見限り、勝手に出て行ったお前たちが、何を今更!」
「見限ったわけではないさ。ここは、俺の故郷だ。たとえ、一年の半分以上は、住んでいなくとも」
「裏切り者!」
「人聞きの悪い。俺は変化には抗わないだけだ。それこそ、神の意志とやらだろう?」
「神を騙るか。お前が。鬼龍に生まれながら、神を信じたこともない、お前が!」
 馬鹿が。
 流が呟く。いよいよ月明かりも消えて真の暗闇となった空間に、乾いた笑い声が、響いた。
「教えてくれ。長老方。神とは何だ。ただ自由でいたい者を、縛るだけの存在か」
「流!」
「今回は、諦めることだな。鬼龍の客人は、鬼龍の美しい部分だけを見て、満足して帰るんだ。お前たちの悪趣味な悪戯は、ことごとく失敗に終わる。忘れるな。里長は真名だ。お前たちじゃない。くだらん手出しをしてみろ。鬼龍の太刀方(戦士)の名にかけて、誓って、貴様らを皆殺しにしてやるからな!」
 扉が、閉まった。来た時と同じく、耳を塞ぎたくなるような、大きな音を立てて。

「くっ……。あれが、この鬼龍の鍛冶師の筆頭とは」
「今回は、見合わせよう。奴のことだ。本当に、何をするかわからぬ」
「どのみち、奴には、時間がないしな」
「ああ……そうだ。そうだった」
 影たちが、笑った。今度は、声のある笑い方だった。

「鬼龍の筆頭鍛冶師で、三十歳まで生きながらえた者は、いない。どうせ、流も、あと五、六年で、いなくなる運命だ……」





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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
参加PC様
【0086 / シュライン・エマ(しゅらいん・えま) / 女性 / 26 / 翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務所】
【0381 / 村上・涼(むらかみ・りょう) / 女性 / 22 / 学生】
【0554 / 守崎・啓斗(もりさき・けいと) / 男性 / 17 / 高校生(忍)】
【0568 / 守崎・北斗(もりさき・ほくと) / 男性 / 17 / 高校生(忍)】
【0778 / 御崎・月斗(みさき・つきと) / 男性 / 12 / 陰陽師】
【0921 / 石和・夏菜(いさわ・かな) / 女性 / 17 / 高校生】
【0992 / 水城・司(みなしろ・つかさ) / 男性 / 23 / トラブル・コンサルタント】
【1294 / 葛西・朝幸(かさい・ともゆき) / 男性 / 16 / 高校生】
【1548 / イヴ・ソマリア(いう゛・そまりあ) / 女性 / 502 / アイドル歌手兼異世界調査員】
【1582 / 柚品・弧月(ゆしな・こげつ) / 男性 / 22 / 大学生】
【2194 / 硝月・倉菜(しょうつき・くらな) / 女性 / 17 / 女子高生兼楽器職人(神聖都学園生徒)】
【2226 / 槻島・綾(つきしま・あや) / 男性 / 27 / エッセイスト】
【2489 / 橘・沙羅(たちばな・さら) / 女性 / 17 / 女子高生】
【2528 / 柏木・アトリ(かしわぎ・あとり) / 女性 / 20 / 和紙細工師・美大生】
【2575 / 花瀬・祀(はなせ・まつり) / 女性 / 17 / 女子高生】
【2648 / 相沢・久遠(あいざわ・くおん) / 男性 / 25 / フリーのモデル】
NPC
【0441 / 鬼龍・真名(きりゅう・まな) / 女性 / 16 / 神官】
【0977 / 鬼龍・流(きりゅう・ながれ) / 男性 / 24 / 刀剣鍛冶師】
【0978 / 鬼龍・采羽(きりゅう・さいは) / 男性 / 25 / 奏者】

お名前の並びは、番号順によります。
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■         ライター通信          ■
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こんにちは。ソラノです。
総勢十六名の多人数ノベル、やっと完成しました。
人数が人数なので、必ずしも、皆様の希望が100パーセント取り入れられているわけではないことを、まずは、お詫びいたします。
ただ、現段階の私の持てる力で、精一杯、書かせて頂きました。
途方もなく長くなっている方もいます。まとめ能力のない未熟なライターで、申し訳ありません。

基本的に、プレイングの内容、雰囲気を、重視しました。
純粋に、知人同士で小旅行を楽しみたい方は、グループノベル形式で、終章【前夜】を覗いて、明るい雰囲気を目指しています。
一方、プレイングに、
・ 里長や鬼龍の職人と話す
・ 鬼龍の神や精霊に歌や祈りを捧げる
・ 鬼龍の社、神木が気になる
等、鬼龍に関する事柄を書いて下さった方のノベルには、NPCが登場したり、鬼龍ならではの何らかの不思議現象を目にしたりと、少し、内容が突っ込んだものになっています。(中には、NPCとのツインノベル形式になっている方もいます)
NPCが登場すると、話を進めやすいので、つい長くなってしまいます。その分、読みにくいかも知れませんが、どうかご了承下さい。

あと、色の話です。
すみません。お土産を、と考えていたのですが……これ以上長くするわけにはいかないと、削ってしまいました。
今後、依頼文等でお見かけすることがありましたら、何かの折に使わせて頂こうと思います。

それでは、今回、鬼龍の里へいらして下さった皆様、本当にありがとうございます!
里長一同、心よりお礼を申し上げます♪