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<東京怪談ノベル(シングル)>


雪誘う 幸せのかたち

 寒い。
 忙しい。
 疲れた。
 嫌だ。
 帰りたい。
 帰りたくない。
 死にたい。
 生きたくない――。
 行き交う人々の表情から、心情を予想してみる。
(なんでかなぁ?)
 悪い言葉しか、思い浮かばない。
 夜半まで働きづめの人々。帰路につく足取りは疲労に満ちていて、皆一様に同じ顔をしていた。
(とにかくつまらなそう……)
 コンクリートの上に敷いた新聞紙。その上で薄い毛布に包まって雑踏を眺めていた私は、そんなことを思う。
(働いて、働いて)
 彼らは家に帰り、あたたかいベッドで眠るのだろう。その前には、冷たいご飯が待っているかもしれない。
(ねぇ――それは幸せ?)

     ★

「はぁ……今夜は冷えるなぁ」
 そんな言葉を吐きながら、おじさんが私の横を通り過ぎた。
(冷えるはずだよ)
 だって雪が……ほら、降ってきた。
 私は舞い降りてきた雪の一片を、手の平で受け止めた。当然観賞する間もなく消え失せる。
(一瞬の命)
 だからこそ美しい、雪。
 雪を見ると、私は思い出す。
 2つの、ターニングポイントを。



 物心つく前から、両親は私にほとんど関心がなかった。両親が最も関心を寄せる事柄は、自分たちの経営する複数の飲食店のことであり。私はただ家に付随する家具のような存在だった。
(そこに”ある”ことは、容認されている)
 タンスに衣類をしまうように。食器棚に食器を戻すように。両親は私を扱った。それは”世話”ではなかった。
 私は家具として一日中家の中にいた。幼稚園なんてものにも、当然行かせてもらえなかった。
 私の話し相手は、テレビ。スイッチを入れられ消されるテレビは、私と同じようなものだった。
 私はテレビの映し出す美しい世界の虜になり、それを自分で再現するために指がおかしくなるくらい落書きをした。
(ある意味それが、私の”芸術”の原点)
 両親が家に帰ってきた時、その落書きの山が散らばっていたことがあったけれど。家具は落書きなんかしないから、彼らはそれを見えない物として扱っているようだった。
 結局私は自分で片付けた。
 また、描くために。
(そんなふうに)
 私は家具だったのだ。
 それでもただ一度だけ、母が私に関心を寄せたことがある。
(――殺すために――)
 私を自分の子供だと認めた。
 首に手を伸ばした。
 思ったよりも温かかったその手は。
 容赦なく絞めつけた。
(今にして思えば)
 あれは唯一の、”母親らしい”行動だったのだ。
 私は薄れゆく意識の中で、窓の外を見ていた。正確には、目を奪われていた。
 家具の1つであり、ほとんど外に出ることのなかった私が。
(初めて目にした)
 テレビ越しじゃない、本物の雪。
 それが降り落ちる瞬間――。



 両親を失った私は、遠縁の親戚に引き取られた。
 私に拒否権はなかった。
「まだひとりでは生きられないだろう?」
 クエスチョンマークのついた肯定文。
(本当は、嫌だったくせに)
 そう思っても、もちろん口には出さない。
 それがその家で生きるための、最低限の譲歩だった。
(でも――)
 その家は、私にとって最悪な場所だったのだ。
「厳格」
「窮屈」
「退屈」
 いらないものが3拍子揃っていた。
 あれこれと干渉されることに慣れていない私だけに、我慢できなかった。
(私はもう、家具じゃない)
 もっと自由に生きたい。
 初めて存在を認められたあの日に、私は学んでいた。
(いつ死ぬかなんて、わからないんだ)
 あのまま殺されていたかもしれない自分。
 そうしたら外の世界をこの目で見ることのないまま、私は――
「そんなのは嫌だっ!!」
 叫んで、その家を飛び出した。
(私はもう、いつ死んでも構わない)
 でもその時に、後悔するのだけは嫌なんだ。
 だからいつでも楽しく生きていたい。
(楽しんで生きたい!)
 飛び出した世界には、白い雪が舞っていた。

     ★

(ねぇ――それは幸せ?)
 自分にしか聞こえない声で、問い掛ける。
 急ぎ足で歩く大人。騒ぐ若者。
(それが幸せ?)
 訊いてみたかった。
 だって私は、今とても幸せなんだ。
 あんたたちに負けないくらい――いや、きっとあんたたち”なんか”以上に。
(端から見れば)
 明らかに私の方が不幸せなのだろう。
 帰る家も待つ人もない。
 私はこれから、この薄い毛布に包まったまま寝るのだ。
(――それでも)
 私は酷く満ち足りた気分だった。
 私が望んでいたすべては、今ここにあるのだから。
(こういう幸せも、あるってことだよ)
 不幸せそうに歩く人々に囁く。



 ――ねぇ、あんたは今死んでも、幸せだったって言える?





(終)