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<東京怪談ノベル(シングル)>


トーキョー・ホリディ
・プロローグ
『日曜ですか?…ええ、予定はないですけど』
 そう答える忠雄。電話の向こうは、何やらざわざわと騒がしい。
「もしかして、今忙しいですか?」
『いえ、そうじゃなくて…ああ、もう、違いますって。だいいち男の人なんだし……ってそれも違いますよぉぉっ』
 送話口を途中塞いだのだろう、くぐもった声が向こうから聞こえて来る。ややあって再び音が戻り、
『すみません、騒がしくて。でも、どうしたんです?急に…』
「なに、デートに誘おうかと思っただけですよ」
 一瞬の沈黙。
『あ…あの…デートですか?――あ、こらっ、そこメモしないで』
 今度は送話口を塞ぐ間もなかったらしい。ごとん、と受話器を置く音、ばたばたと遠ざかって行く足音、そして少し経って再び受話器を持ち上げる音。
『度々すみません…』
「誘っているのはこっちですからね、それは構いませんよ。それじゃ、日曜…9時頃迎えに行きますから」
『え?あ、ちょっと…』
 返事など必要ない、とばかりに電話を切ると、ケーナズはその日のことを思い浮かべてか楽しそうにくすっと笑みを浮かべた。

     * * * * *

 青いポルシェを建物の前に止め、窓から少し身体を乗り出す。そうしながら片手で軽くクラクションを鳴らすと、窓から忠雄がひょこんと顔を出し、何やら慌てたようにすぐ顔を引っ込め、ほとんど待つ事無く玄関から飛び出してきた。
「おはよう」
「あ、おはようございます」
 車から降りたケーナズが、助手席のドアを開け、にっこり笑って「どうぞ」と促す。まだ今日どうして誘われたのか分からないままに、人目を気にしてかきょろきょろあたりを見回して、大人しく車に乗る忠雄。

「あの…」
「どうしました?」
 穏やかなBGMを流しながら、落ち着かなげにシートに座っている忠雄が運転席に顔を向ける。眼鏡抜きだとあまりモノが見えづらいのか、目を細めながら。
「今日はどういった用事なんですか?」
「用事が無かったら誘ってはいけない?」
 からかい声でそう訊ねると、そういうわけではないんですけど…と、何やら頼りない声で返事が返ってくる。
 その様子に吹き出しそうになるのを堪え、
「この間、眼鏡を壊してしまったでしょう?こちらから1つプレゼントさせてもらおうかと思いましてね。…この間ご馳走になったことですし」
 仕事がらみで会うことが多いだけに、私服姿の忠雄など滅多に見る事もない。口に出した表向きの口実に恐縮する忠雄を鏡越しにちらっと見て小さな笑みを浮かべる。
「そう言えば、今は眼鏡は?」
「あ…一応持っています。応急処置なので度はあんまり合ってないですけど、無いよりはマシなので」
 忙しくて買いに行く暇も無いし、それに結構高いですし、と眼鏡抜きの照れ笑いを浮かべた忠雄が、自分の持ってきた…仕事でも良く見かけるあっさりしたデザインの黒いポーチの中から眼鏡ケースを取り出した。
 表に、『老眼鏡』と書いてあるケースだった。
「…それは?」
「駅の売店で買ったんですけど…これしかなくて」
 本当にとりあえず、という使い方しか出来ないらしい。それを見て苦笑しつつも、
「なら尚更今日誘わせてもらって丁度良かったみたいですね」
 言いつつ、当初はまずドライブがてらどこかで軽い食事でも、と考えていたルートを変更し、軽くアクセルを踏み込んだ。

     * * * * *

「そうですね…お客様。でしたら、こういうのは如何です?」
 先程から店主と向かい合わせでどうしたら良いか分からずあわあわと何か言いかけ、ケーナズの茶々で言葉を発するタイミングを失った忠雄は、ガラスケースの上にずらりと並べられた色とりどりの眼鏡を呆然と眺めていた。
「縁にダイヤをあしらった此方のデザインなども最近では人気あるんですよ。ごく普通の、飾り気のないように見えて実は、というタイプですね。どうでしょう?」
「…成る程。確かに、部品の一部にしか見えないようになっているんですね」
 受け取った忠雄からひょいとその眼鏡を受け取って様々な角度から見、そうなんですよと嬉しそうに解説を始める店主の言葉を聞き流しながら、忠雄に手ずからかけてやり、「どうです?」と訊ねる。
「で、でもダイヤなんて柄じゃないでよ」
 普段かけている眼鏡よりも縁が薄いせいかすっきりとまとまって見える忠雄を脇から見てふぅむ、と呟き。
「悪くないと思うんですけどねぇ」
 その言葉にもぷるぷると首を振って、困った顔をする忠雄。とにかく遊ばれていることは分かっているのだろうに逃げられず、店主と2人で次々と出してくるのを止められずにいて。
 ――ようやく、かなりの時間が過ぎた頃。壊れた眼鏡とそっくりなデザインのモノを見つけ、渋る2人に負けず「これにしますっっ」と必死で主張。何とか目的の物を手に入れることが出来たのだった。

「どうしました?なんだか、疲れているみたいですけど」
「…あんなに選ぶのに苦労したのは初めてです…」
 再び車上に戻り、シートにもたれかかった忠雄にくすくすと笑う。
「――あ、でも本当にいいんですか?その…待ってもらえるんでしたら、次のボーナスに今日の分お支払いしますけど」
「何、いいんですよ。言ったでしょう?この間のお礼だって」
「それ以上に遣ってますよ…」
 シンプルなデザインとは言え、買った店が店でもあり、素材の良さもあったらしく会計の読み上げる声を聞いて目を剥いたまま…未だにその金額が頭の上を回っているらしい忠雄が困ったように呟く。
「遠慮のし過ぎは相手にも失礼になりますよ?――こういう時は、3度まで遠慮するフリをして貰ってしまえばいいんです。…確か日本人特有の技でしたよね。ハラゲーとか言う」
「ちょっと違いますけど。ええ、でも確かにそうですね。…でも、ほら、値段にもよりますし」
「――なら。それに見合うだけの礼をすればいいんじゃないですか?と言うわけで、もう少しお付き合いくださいね」
「え」
 にっこりと。
 バックミラー越しに、実に楽しそうな笑みを浮かべたケーナズは、ええと、ええと、と何か言い出そうとしている忠雄に切り出す隙を与えず、
「まあまあ。車だから終電も気にしなくていいですし、なんなら明日朝会社に着くまでお付き合いしてもいいですから」
「いや、それは、さすがに、その…」
 もうこの時点で逃げられる筈も無く。
 この少し後に、小さなファミレスで食事を摂る2人の姿があった。
「そんなに緊張しなくても。別に取って食べようなんて思ってませんよ」
 今のところは、と笑いながらさらりと言う。忠雄の箸を持つ手がぴた、と止まって恐る恐るケーナズを見上げてくる。くくく、と小さく笑って、
「冗談ですってば」
 ぱたぱた手を振りながら忠雄を安心させるように言う。
「…で、ですよね。そうだろうと思ってました、あははは…」
 白々しいながらもなんとか体裁を保ったらしく、少し落ち着いたところを見計らってもう1つの話を切り出す。
「仕事だから仕方ないとは言え、あんまり心配かけないで下さいね?この間みたいな事がまたないとは限らないんですから」
「い、いやな事言わないで下さいよ…せっかくあの夢も見なくなったって言うのに」
「それはすみません。ああ、それでですね。そう言うときがまたあった時は、私に連絡すればいいんです。直ぐに飛んで行きますよ。それこそ、仕事中でもね」
 眼鏡の奥の、青い瞳は嘘を付いている様子はまるで無い。
 ――尤も、冗談を言う時にも本気としか思えない目をしているから始末に悪いのだが。
「ありがとうございます。…そうならないのが一番嬉しいですけどね」
 それでも、心配してくれてありがとう、と照れくさそうに笑うのを見て、ケーナズが目を細めた。

     * * * * *

「ええ〜っと…本気ですか…?」
 都内にあるアトラクション施設の1つ、最新式のギミックを取り入れたという噂のお化け屋敷の前で、忠雄がひくっと顔を引きつらせる。その隣には嬉しそうに目を細めつつ頷いてみせるケーナズの姿が。
「当然でしょう?なかなかこう言った場所は1人では入り難くてですね。誰かいい生贄…いやいや、友人がいないかと思っていたところなんです」
 さあ行きましょう、ほらほら、と背中を押されつつも入り口間際で必死に抵抗する忠雄。
「だ、駄目ですよ…こういう所弱いんですから。知ってるでしょう?」
「勿論。でなかったら誘いませんって」
 いやぁぁぁぁ、という悲鳴も空しく。
 係員が唖然とする程の勢いで、1人の青年がもう1人を片手で軽々と引きずって行った。引きずった側の青年はそんなに力があるように見えないだけに、係員の驚きも大きかった。

 ――虚ろな視線を彷徨わせている忠雄を乗せたカプリオレが滑るように進んでいる。恐らく気が付いた忠雄が見たら、再び目を回すのではないかと思うだけのスピードで。
「楽しかったですねー」
 ご満悦のケーナズに、応える声はない。
 魂の抜けた顔をしてシートにこてんともたれかかっているだけ。
「やっぱり、疲れましたか。…まあ、あれだけ気絶したり悲鳴上げたりしていればねえ。化かす側にしてみればありがたいお客様だったと思いますけど」
 事実、その声に釣られて恐怖を倍増させていた他の客が何組もあった。出口から出てきた忠雄の様子を見て、興味を引かれアトラクションへと向った者も居る。
 ――本人は報われないけど、ね。
 唇にそっと笑みを浮かべ、声に出ないそんな言葉を呟くとBGMのボリュームを少し絞った。
 彼の家に帰り着くまであと少しの間。
 …嫌がりながらも結局は付き合ってくれたこの男の体が少しでも休まればいいと。

「着きましたよ」
 疲れからか、少しうとうとしていた忠雄がドアを開ける音にはっと身を起こす。
「ああ…すみません。寝ちゃってましたか」
 途中からね、と笑いながら答え、その言葉を聞いて恐縮する忠雄にはい、と言いながら手渡した紙袋がある。
「……え、これ…いいんですか?」
「今日出かけることを知られてたじゃないですか。袖の下でしたっけ、無いと困るでしょう?」
 袖の下と言うよりこれ以上うるさく言われないための口止め料に近いかもしれない。そう思ったか、忠雄が曖昧に笑ってありがとうございます、と深く頭を下げる。
「いえいえ。此方こそ楽しませてもらいましたし」
 見上げる忠雄ににっこりと微笑んで見せると、身体を起こして外へと導いた。
「おやすみなさい」
「…ええ、おやすみなさい。また今日みたいに一緒に出かけられるといいですね」
「…少し、遠慮したいです…」
 そこだけは笑いながら、手を振る忠雄。車に乗り込んで軽く手を上げると静かに車をスタートさせた。

・エピローグ
 有意義な1日だったな、と眼鏡の位置を直しながら、自然に口の端に浮かんだ笑みは酷く穏やかなもので、普段の皮肉めいた冷たい光は何処にも無く。
 次は何処に誘うかな。絶叫コースターなんかも弱そうだし…。
 容易に想像が付く忠雄のへろへろ度合いを計りながらいくつかの候補地を思い浮かべ――そしてくす、と笑う。
 ――その時、携帯が鳴り響いた。そこから流れてくるのは、『ある種の仕事』の時のみに使用している曲。
「――はい」
 片手でハンドル操作をしながら携帯を耳に当てる。
「――――」
 暫く黙って向こうの言葉を聞いていたが、
「分かりました。これから伺います」
 その一言でぷつりと電源を切って助手席に放り投げた。
 目から感じられるのは冷徹な光のみ。
 やがて、薄く開いた唇からごく僅かな冷笑が漏れ、

 ――ぐん、と思い切りアクセルを踏み込んだ。

-END-