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<東京怪談・PCゲームノベル>


闇風草紙 〜休日編〜

□オープニング□

 僕はどうしてここにいるんだ……。
 逃げ出せばいい。
 自分だけ傷つけばいい。
 そう思っていたのに――。

 関わってしまった相手に心を許すことが、どんな結果を招くのか僕は知っている。
 なのに、胸に流れる穏やかな気配。
 僕は、僕はどうすればいいんだろうか?
 今はただ、目を閉じて声を聞く。
 耳に心地よい、あんたの声を――。


□穏やかな風景の中で ――天薙撫子

 目覚めて知る。ここがどこであるかを。
 格子の木目が栄える天井。黒光りする柱と床の間。そっと飾られた山茶花の甘い香り。長年愛用されていたのだろう畳みは、きっちりと拭き上げられ変色すらしていない。障子に襖。そのどれも純和風な作りの部屋。
 僕は布団から体を起こした。
「今日こそは出ていかなければ、もう引き返せなくなる……」
 心臓が突き刺されたように痛む。彼女の暖かな手を知っている。優しく柔らかな声が僕を癒すと知っている。けれど、僕は出て行かなければ。
 彼女と再会した時、誰にも見せぬよう誓った封門を見せてしまった。彼女は僕を支えてくれた。意識を失ったのは神社を降りてからだったか……。記憶はプツリと切れ、目覚めた時僕はこの布団に寝かされていた。

 ――その時のことをおぼろげに覚えている。覚醒と幻惑の中でどれが本当の現実だったのか……。
「未刀様、気になさらないでしっかり休んで下さいね」
 意識のない僕に問いかけるように、囁くように彼女、天薙撫子は額に冷たい何かを置いていく。それはとても気持ちよくて、一瞬目覚めた僕を深い眠りへと誘った。
 恐ろしい夢も見た。あの瞬間――。
    目の前には、これから友人になれたかもしれない彼の姿。
    それが歪む。寄生した妖が彼の体を絡め取り、変化させ変貌させていく。
    父が言い放つ。
    「封ぜよ」と。
    当時の僕にはその言葉から逃げる力を持っていなかった。
    暗い闇が姿を現し、彼を吸い込んでいく。閉まりかけた一瞬。
    彼が微笑んだ。
    僕はその時誓ったんだ。もう誰も傷付けたくない、もう封門は開かないと。
    なのに。僕は……。

 手が空を舞う。何かを掴み取るように、そう彼の手を掴みたかったんだ。
「わたくしがいつでも傍におります……」
 甘く香る声。柔らかな手に僕の強張りうろたえる手握り締められた。伝わってくる体温と穏やかな気持ち。目覚めた時知った。彼女がずっと傍についていてくれたことを。だから尚更。
「僕は出ていかなければ」
 そっと起き出す。
 目覚めた時、彼女は僕の体に寄り添うように眠っていた。小さな寝息。手の平は僕の胸を暖めるように置いてある。気恥ずかしさと今まで感じたことのない感情が湧きあがるのを感じた。無意識に手が伸びる。黒く艶やなかな髪がひと房、頬にかかっていた。それを撫でるように避けた。
 あの時の指先が痺れる感覚はなんなのだろう……?
 もう忘れなければならない。僕は、朝がまだ早いことを確認して、玄関へと向かう。ここは離れで外へと出るには、母家の長い廊下を通ることになる。ゆっくりと進む。角を曲がった瞬間、失敗に終わったことを僕は知った。
「もっと体を休めてあげないといけませんよ。未刀様」
 優美に笑う天薙の姿。
「天薙……僕は、やはり出ていった方がいい」
「いいえ、もうあなたはここの家の人間ですわ。未刀様が一人で傷つくのを、わたくしはもう見たくありません」
「……」
 何も言えなかった。正座し凛と背中を伸ばした着物姿の彼女。それは遠い昔失った母の姿に似ている。僕を産んですぐに死んでしまった母に。

 部屋に戻り、天薙が用意してくれた朝食を取っていた。そこに声がかかった。太く低い声。
「失礼してもよろしいかな」
「あ…ああ」
 入ってきたのは天薙の祖父。世話になっているこの家の主だった。入るなり、僕の隣に座った。
「アレは頑固者ぞ。一度決めたら梃子でも動きよらん。未刀殿も覚悟して、どうぞ撫子をよろしく頼みます」
 深々と頭を下げられ、僕は慌てた。
「か、顔を上げてくれ……彼女には感謝してる、けど」
「いづれ分かって頂ける日が来る。撫子もあなたにもの。このことは撫子には内密に。怒るでな」
 そう言うと、老人は立ち上がった。追おうとする僕を制止して人差し指を立てた。
 閉まった襖。僕は彼女のことを考え始めていた。

                            +

 あれから幾日も経った。僕はようやく歩きまわれるぼとに回復した。それは体だけではなく心においても。
 原因を僕は知っている。
「もうお目覚めになったのですか? まだ朝早いですわ」
「天気がいいから……眩しくて」
 僕は目を細める。太陽をこんなにしっかりと見たのはいつ振りだろうか。日の光が暖かだったことすら忘れかけていた。繰り返される日々。部屋と地下室の行き来。食事の時間さえもない。ただ、剣を振り空腹を満たし、また剣を振る。そして眠る。その永続的とも思える暮らしの中で、こんなにも穏やかだったことはない。
 それは彼女のおかげ。天薙の。
「これをどうぞ」
「ああ……ゴメン」
 差し出されたのは座布団。僕は座っていた廊下の板から腰を上げ敷いた。横にチョコンと彼女も座った。
 肩が僅かに触れる。
 ここ数日。彼女がごく近くにいると緊張してしまうようになっていた。普通は変わらないのに、隣に座られたり顔を覗き込まれたりすると、頬が上気し、心臓が痛くなるのに気づいた。気づいてしまってからは、理由は分からないけれど体が熱を帯びて痺れてしまうのだ。
 彼女に気づかれぬよう、そっと間を離す。触れない程度に。けれど、離れてしまうと寂しくなるのは何故だろう……。
 癒されていく体と心。
 それと反比例するかのように、僕は彼女の傍で落ちつきを無くしていた。
「今日は暖かくなるようですわ……ほら、あの紅梅ももうすぐ蕾が開きますし、春はすぐそこですわね」
「天薙……春が好きなのか?」
「どうしてです?」
「いや、嬉しそうな顔をしたから」
 天薙はクスクス笑い、僕の目を見つめた。そして微笑む。
「春が来るから嬉しいんじゃありませんわ。未刀様とこうして一緒に庭を見られることが嬉しいんです」
「……あ、いや」
 返答に困る。彼女の瞳はいつも真っ直ぐで、僕を捕らえて離さない。
 付け加えるように天薙は言った。
「前から思っていたのですけれど、わたくしのことはどうぞ撫子と呼んで下さい」
「ど、どうして!?」
 突然の言葉に驚く。常識から隔絶されていた僕だが、女性を下の名で呼ぶことは親しいものにしか許されないことくらい知っている。顔が赤くなる感覚を初めて知った。
 頭に血が昇って冷静さを失っていく。
「え……あの、お嫌でしたか? ただ、未刀様にはそう呼んで欲しくて……」
 彼女の顔も頬に朱が射し、僅かに下を向く。
「いや、ゴメン……。その突然で、嫌なわけじゃなくて……」
「未刀…様」
 彼女の伏せた睫毛が目に飛び込む。ゆっくりと上下するそれに見入られた。小さく光る雫が乗っている。
 僕は無意識に唇を寄せた。
 それは一瞬。
 僕自身ひどく驚いて体を引いた。彼女もまた、顔を上げ頬を赤らめていた。
 長い沈黙。それを破ったのは彼女だった。
「……わたくし、もう決めたのです。一人で何もかも背負い込まないで下さい。あなたは1人じゃありません、私が共にいますから。私も家族も何もかも承知ですから、迷惑をかける等と心配しないで下さい」
「僕は甘えてしまう――」
「良いじゃありませんか、もう家族同然だから、甘えたっていいじゃありませんか」
「……撫子。ありがとう」
 先ほどの気恥ずかしさも忘れて、僕は彼女の肩に額を寄せた。嬉しかったから。

 ――誰も僕を気遣ってくれる人などいなかった。
    気づきたくなかったんだ。本当は寂しいんだということに。
 
 心の充足。それは僕に与えられるはずもない夢だと思っていた。でも、共に歩こうとしてくれる人がいる。僕は話さなければならない。すべてを。
 彼女を――撫子を僕の運命に巻き込む愚かさに目を閉じないように、しっかりと前を見据えよう。
 それがきっとこの暖かな言葉への返事になるから。

「ウ、ウホン……あー朝食の用意はまだかな」
 ビクリと体を反転させると老人の姿。彼女が慌てて立ち上がり「すぐ仕度します」と言って台所へと去った。
「手を出すには早いと思うがの……」
「いや、僕は――」
 老人は豪快に笑うと、庭にある松の木を指差した。
「松の葉は針のようになっておる。けれど、優しく触れば痛くはない。お前さんの受けた傷はまだ痛むかもしれんが、それは時間とそして撫子の優しさで治癒されていくことだろうよ」
「……分かってる。もう、ずっと前から」
 あの初めて出会った夜から、僕は撫子の瞳に守られていたんだ。
 僕は庭にこだます鳥の鳴き声をいつまでも聞いていた。
 彼女が呼びにくるまで。


□END□ 

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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

+ 0323 / 天薙・撫子(あまなぎ・なでしこ) / 女 / 18 / 大学生(巫女)

+ NPC / 衣蒼・未刀(いそう・みたち) / 男 / 17 / 封魔屋(逃亡中)

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■         ライター通信          ■
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 休日編は如何でしたでしょうか? ライターの杜野天音です。
 プレイングに指定がないのに甘くしてしまいました。ちょっと不安ですが、未刀には「撫子」と呼んでもらいたかったので。撫子さんの暖かな微笑みに包まれ、未刀は幸せ者ですね。自分と共に歩いてくれる人――人生の中でたったひとりのはずです。出会いは偶然ではなく運命だったのかもしれませんね。
 気に入って頂ければ幸いですvv

 次回は「戦闘編」。4月中旬まで受注はお休みさせて頂きます。詳しい予定については「東京怪談〜異界〜 闇風草紙」にてご確認下さい。
 3度目のご依頼、ありがとうございました!