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<東京怪談ノベル(シングル)>


東へ西へ

 運送会社である有限会社飛脚便のモットーは、遅配をしない事。それは、社長を筆頭に確実に守られている。雨の日も雪の日も、吹き荒れる風の強い日でも。そのトラックはどのような障害にも負ける事なく、走り続けている。
「ああ、いいでやんす……」
 社長である流・耀(ながれ よう)はハンドルを握り締めたままそう呟いた。愛車である愛翔号に流れているのは、浪曲である。
「天気も良いし、気持ちもいい。それに加えて調子もいい!ああ、いいでやんすねぇ」
 ほわん、と耀は微笑む。風を切って進む愛車は、驚くほどいい進みを見せている。渋滞には引っ掛からないし、暴走するような車も見受けられない。ただただ、風を切って進んでいくのだ。
 耀は思わず鼻歌を交える。浪曲の響きも、いつも以上に冴えているような気持ちになるから不思議だ。長い時間座っておかなければならない運転席も、ずっと握り締めておかなければならないハンドルも、耀にとっては全く苦にはならない。
(これは、あっしの半身みたいなものでやんすからねぇ)
 そっと心の中で思い、耀は小さく笑った。ハンドルを握り締めているという実感が、運転席に座っているという実感が、耀にとって嬉しいものであるなのだ。
「まだまだ時間に余裕があるでやんす」
 耀は時計を見ながらそう呟いた。時計は丁度、正午を指していた。
(昼時でやんすね)
 そう思うと、お腹がぐう、と鳴った。思わず耀はハンドルを握り締めたまま苦笑する。
「まだ時間に余裕があるし、昼にするでやんす」
 くくく、と笑ってお昼を取る場所を探した。
「ええと、色んな店があるでやんす……どこがいいでやんすかねぇ」
 きょろきょろと見回し、一軒の店に目が止まる。以前、商品を配達した事のある蕎麦屋である。
「これも何かの縁でやんす!」
 耀はにっこりと笑い、蕎麦屋の駐車場にトラックを入れる。そしてきちんと鍵をかけ、蕎麦屋の暖簾をくぐった。
「いらっしゃいませー」
 明るく声をかけられ、耀はにかっと笑い返してカウンターの席に着いた。何を食べようかとメニューを見ていると、店主が奥から出てきた。
「お、耀ちゃんじゃねーか!らっしゃい!」
「あっしの事、覚えていてくれたでやんすか?」
「当然だ!ついこの前、届けてくれたばっかりじゃねーか」
「嬉しいでやんすねぇ」
 耀が照れながら言うと、店主は豪快にがはは、と笑う。
「こんな可愛い耀ちゃんが届けてくれたんだ!忘れる訳がねーや」
 店主はそう言い、耀を見た。耀は小柄だ。それなのに、愛車であるトラックは豪快に運転するし、どんなに重い荷物であろうとてきぱきと積み下ろしをする。元気が良いのは勿論、義理人情にも厚い。その上、耀は飛脚便の社長なのだ。運送会社界では、有名人となっている。
「どれがいいでやんすかねぇ。どれも美味しそうでやんす」
 メニューを見ながら、耀はそっと呟く。卵をぽとんと落とした月見蕎麦もおいしそうだし、ニシンが丸ごと入っているニシン蕎麦も美味しそうだ。はたまた、山の幸ふんだんの山菜蕎麦も捨て難いし、オーソドックスに天麩羅蕎麦というのもいいかもしれない。ともかく、メニューの種類が多いのだ。
「お勧めとかはないでやんすかねぇ?」
 耀は決めかね、店主に尋ねた。店主は「そうだなぁ」と呟き、それからにやりと笑った。
「じゃあ、お勧めを出そうかね」
「おお、楽しみでやんす!」
 店主は悪戯っぽく笑い、調理場に立った。打ったばかりの蕎麦を切り、ゆでている。耀はそっと思い出す。この店に届けたものを。
(確か、クール便だったでやんすねぇ。鰹節と昆布と、蕎麦の実だったでやんす)
 ぼんやりと、届けたものを思い返す。
(という事は、蕎麦粉はここで作っているでやんすね)
 一気に蕎麦に期待が膨らむ。そうして、いい匂いをさせながら耀の前に蕎麦が置かれた。卵とニシンと山菜と天麩羅の入った、具沢山の蕎麦。
「……これは」
「ほら、耀ちゃん迷っていただろ?おまけだ、おまけ」
 耀はじわ、と涙を浮かべてからそれをぐいっと手で拭った。蕎麦を一口啜り、にかっと笑う。
「さすが、昆布と鰹の出汁がちゃんと出ているでやんすね」
「おお、耀ちゃんが届けてくれたもんだからな」
「蕎麦もここで粉にしているだけあるでやんす」
「耀ちゃん、そんな事まで覚えているのかい」
 店主が小さく驚いて言うと、耀はにかっと笑った。
「それがあっしの仕事の一環でやんすから!」
 蕎麦を美味しく平らげ、汁を全て飲みきり、耀はぱしんと手を合わせた。
「ごちそうさまでやんす!」
「おう、美味しかったかい?」
「美味しかったでやんす!で、いくらでやんす?」
「ああ、いいよいいよ。こうして耀ちゃんが来てくれただけで嬉しいんだからさ」
「そうは行かないでやんす!」
 耀はそう言い、そっと千円札を置いた。店主は苦笑し、レジから500円を手渡す。
「全く、耀ちゃんにはかなわねーな」
「美味しいものを食べさせて貰ったら、ちゃんと払うのが礼儀でやんす!」
 耀はにかっと笑ってそう言い、店を後にする。口の中に、出汁の味がまだ残っている。
「満足でやんすねぇ」
 耀は今一度店を振り返り、再び笑った。
(また、配達できたらいいでやんすねぇ)
 トラックに乗り込みシートベルトをし、キーを差し込んでエンジンをかける。その途端、耀の顔つきが少しだけ変わる。昼を堪能していた顔から、仕事に打ち込む顔に。
「行くでやんすよ」
 耀はそう呟き、発進させる。一刻も早く、荷物を届ける為に。


 浪曲を小さく口ずさみながら、耀はちらりと時計を見る。もうすぐ目的の場所に到着するのだ。到着予定時刻よりも、きっちり10分前である。
「配送遅延だけは、絶対にしないでやんすよー」
 耀はそう言い、にっこりと笑う。そうして、周りを確認しながらトラックを止めて外に出た。荷台に行き、配達する荷物を一つ取り出す。ちょっと重めの荷物なのだが、耀は軽々しくひょいっと持ち上げた。
「これでやんすね」
 耀はにっこりと笑って荷物を持ち、家の門の方に行ってチャイムを押した。ピンポン、という涼やかな響きが家中に響いた。中から「はーい」という声が聞こえてくる。
「どうも、飛脚便でやんす」
「あら、耀ちゃんじゃない。……いつものように、10分前ね」
 そう言って、家人は時計を見て微笑んだ。
「配達時間に遅れる事だけは、したくないでやんすから」
「そう。素敵ね」
 家人はそう言ってにっこりと笑った。耀もにっこりと笑う。
「有難うでやんす。それがあっしの仕事でやんすから」
 耀はそう言い、荷物をそっと玄関の床に置いた。荷物に貼ってある伝票を引き剥がし、にっこりと笑う。
「ここに、ハンコかサインをいただけるでやんすか?」
「ええ。……はい、これでいいかしら?」
「大丈夫です。有難うでやんす」
「耀ちゃん、いつも有難うね」
 何気ない言葉だ。だが、一番嬉しい言葉である。耀はにかっと笑い、そっと帽子を被りなおす。貰った言葉を、噛み締めるかのように。
「それがあっしの、仕事でやんすから!」
「いつも元気ねぇ。そんな華奢なのに、パワフルだしねぇ」
「そんなぁ」
「ほら、これも随分重いのに」
 家人は配達された荷物を持ち上げ、笑った。耀は顔をそっと赤らめてにかっと笑った。
「気をつけて持ってくださいでやんす。じゃあ、あっしはまだ次があるんで」
「そう、気をつけてね」
「有難うでやんす」
 耀は帽子をひょいっと取り、頭を軽く下げた。そしてそれを見て家人はにっこりと笑いながら手を振った。
「耀ちゃん、本当に有難うね!」
 耀はにっこりと笑い返す。そうしてトラックに小走りで駆け寄り、運転席にひょいっと乗り込む。シートベルトをかけ、小さくにかっと笑う。
「それが、仕事でやんすからね」
 キーを差し込み、エンジンをかける。途端に全身に伝わってくる、愛車である星翔号の響き。
 耀はそれを実感しながら、アクセルを踏み込む。次の配達場所に行く為に。


 運送業界ではちょっとした有名人である、流・耀。彼女は小柄な体に沢山の力と元気を詰め込んでいる。いつでも元気印の耀。本人は気付いていないかもしれないが、周りの人間はその元気に助けられているのだ。
 耀は元気を周りに与え、耀は大好きな一言を貰う。「有難う」の一言を。そうしてその一言を元気に変え、耀は再び頑張るのだ。
 東へ西へ、荷物と元気を配達する為に。

<元気と荷物は星翔号に積み込まれ・了>