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『 St.Valentine In the Tea Room 』
妹との待ち合わせに、その店を選んだのには、あまり理由がなかった。
それはもちろん、最愛の妹と出かけるのだから――最低限のチェックは欠かさなかった。
ヴァレンタインメニューのケーキがおいしいとか、ハーブティの種類が多いだとか―― そういったことは年頃の少女として、ごく当たり前のチェック事項だ。
ちょっとみそのには分かりにくい点があって――そこは、もうひとりの妹に確認してもらったのだけど。
(でも、わたくしがこの店に惹かれるのは、別の理由がある気がいたしますの……)
ぼんやりとした予感。
けれど、それは外れないだろうとの確信もある。
可愛らしい妹。可愛くて、大事で――自分の手の中で綺麗な娘にかわりつつある、あの子。
みそのにとって、家から離れたその店まで出かけることは、結構な手間が必要だったのだが。
(あの子の可愛い姿を見られるなら、わたくし、少しくらいの手間は惜しみませんわ)
みそのは微笑みながら――何度か道を間違えて、それからやっと見つけた店の扉に手をかけた。
□ ■ □
「いらっしゃいませ」
扉を開けると、柔らかな男性の声で挨拶が聞こえた。
店内は明るすぎず暗すぎず、みそのにはちょうどいい。
普段の巫女衣装ではないにせよ、みそのの服は、やはり黒だった。
「私は、この茶房の店主です。御客様の立っていらっしゃる場所から2歩目の足元に段差がありますから、お気をつけください」
「ありがとうございます。でも、わたくしなら大丈夫ですわ」
にこりと笑って、みそのは――首をかしげた。
店の中に、妹の気配がない。
――おかしいですわ。
待ち合わせの時間まで、もう少しありますけど――あの子は、けして、わたくしを待たせたりするような子ではありませんのに。
わたくしを待たせたりするくらいならと、待ち合わせよりも必ず早く来る子ですのに。
店の入り口で立ち止まったままのみそのに、店主が穏やかな足取りで近付いてきた。
「……失礼ですが、もしかして、『お姉様』でいらっしゃいますか?」
さきほど、お姉さまと待ち合わせをしているという、可愛らしいセーラー服の御客様が見えられましたが。
「ええ。わたくしの妹ですわ」
みそのは、首をかしげたまま考えた。
「この店に、あの子の気配は残ってるのですけど……」
わたくしを探しに出てしまったのかしら。
そう言うと、店主は言いにくそうに溜息をついた。
「妹様は、ただいま、その……」
なんとも言いようがなく、店主はカウンターの上に無造作に置かれた本に視線をうつす。
つられて視線を動かしたみそのは、すぐに気がついた。
置かれているのは、御菓子の本。
けれど、それが放つものは、本以外の気配。
みそのなどは、その致命的な運動音痴のせいか――料理の得手不得手を運動音痴のせいにするのもどうか――、まったくと言っていいほど料理もできないのだが。
――あの子なら。
少しばかり危険なものであっても、御菓子が気になって、気配に気付かずに開いてしまうかもしれない。
「……困った子ですわ」
「申し訳ありませんが、どのくらいで彼女が妹様を解放する気なのか……残念ながら、私では」
悪魔憑きの本とは言いましても、あまり害のないものです。こういった性質のよくない悪戯や行動は思いつきましても、本当に生気を吸うほどの強さはございません。
みそのを安心させるように店主は笑みを浮かべ――みそのを安心させるように店主は笑みを浮かべ――実のところ、妹について何の心配していなかったみそのなのだが――、続けた。
「暫くすれば、無事に戻られるかと思います。お待ちいただけますか?」
「そうさせていただきます」
どうしても戻ってこないようなら強硬手段で取り戻すのも辞さないと、その思いは胸に秘めたまま、みそのは肯く。
気付いてないのか、気付かないふりをしているのか、店主はいたって柔和な笑顔のままだ。
「この時期、ヴァレンタインに合わせたケーキセットが女性には好まれております。待ちながらお食べになりますか?」
言われてみれば、店内には甘いかおりがしていた。
チョコレートと生クリームのにおい。
甘ったるいそれに、みそのとて心をひかれないわけではなかったけれど――きっぱりと首をふる。
「わたくし、妹と『待ち合わせ』をしておりますの。ひとりで食べるわけにはまいりません」
「本当に仲がよろしいんですね。妹様も、さきほど同じことをおっしゃいました」
店主は、初めて営業用ではない笑顔を浮かべると、みそのをテーブルのひとつへと導き、奥からローズヒップの香のするピンク色のハーブティを運んできた。
「さきほど、妹様にお出ししたのと同じものです。お飲みになってお待ちくださいませ」
「いただきますわ」
みそのは微笑んで、ティーカップに手をのばした。
くすくす。くす。
こらえているつもりなのに。
ふふっ。ふふふっ。
どうしても笑みがこぼれてしまう。
わたくしが、あの子の鞄に入れておいた、『あれ』は役にたったかしら。
ええ。きっと役にたちましたわね。
わたくしの可愛い、あの子。
あの子が、わたくしの期待を裏切るなんて、そんなことは考えられませんもの。
「楽しそうですね」
空になったカップに、新しい御茶をそそぎにきた店主が言う。
「妹様は、みその様にとって真実、大切な『妹背の君』でいらっしゃるのですね」
「ええ、もちろん。あの子は、わたくしの大切なな『妹』ですもの」
いまごろはどんな格好をしているのかしら。
どんなことになっているのかしら。
わたくしの想像よりも楽しい思いをしているのかしら。怖い思いをしているのかしら。
想像はつきないが、言えることは、ただひとつ。
どんなに想像をしても、あの子の口から語られることよりはつまらないということ。
だから、わたくしのところに早く戻ってきなさい、―――。
心中で妹の名前を呟き、みそのは新しく用意された御茶を口にした。
ハイビスカスの色が濃いそれは、少しだけ血の色に似て――。
□ ■ □
「もうすぐ2時間ですか……困りましたね」
ことん。小さな音をたてて、カウンターに置かれたのはマッチ箱。
みそのは、カップの底に残っていたローズティを飲み終え、ソーサーに戻した。これで御茶は3杯目。
視線を、ゆっくりと本に向ける。
――マッチは必要ありませんわ。あの子なら、そろそろ戻ってきますもの。
タイミングをはかったように、カウンターの上に置かれていた本が、眩しく光った。
みそのは、その光の中に現れる愛しい妹の姿をしっかりととらえていた。
「おかえりなさいませ」
にこやかに――どこか、ほっとしたような声で迎えたのは、この茶房の店主。
「お戻りが遅いので心配しておりました。もう少しで、非常手段をとるところです」
わたくしは、心配しておりませんでしたわ。
1時間半を過ぎた頃から、少しどきどきとしていた心臓の音に知らないふりをつらぬいてから――みそのは気付いた。今日は、カメラを持ってきていない。
妹と一緒に出かける予定だったから、何かあれば、妹のカメラを使うつもりだったのだ。
「あたし、夢を……」
きょとんとしたような妹の声。
「違いますよ。その証拠に、お姉様は2時間も待っていらっしゃいます」
店主の言葉に反応したように、妹が自分を見た。
光がこぼれるような笑顔。それから、はっとしたように恥じらいに染まり、頬から首筋までを朱に染めてゆく。
――この姿を撮りそこなうなんて、わたくしとしたことが。
小さく溜息をついて、けれど、みそのは思いなおした。
恥らいに染まる妹は可愛い。
でも――それよりも、わたくしを見つけたときの、あの笑顔。
何にも変えられませんわ。
写真なんかにうつして、他の誰かに見られたら、大変。
わたくしの心の中だけに、ひっそりとしまっておくことにいたしましょう。
「おかえりなさい」
みそのは、にっこりと笑って妹を迎えた。
上はセーラー服、下はスカートの代わりに蛇のきぐるみを着てぴょこぴょこと飛びよってくる――この仕草。
なんて可愛らしいんでしょう。
どうしてこんな格好をしているのか、それも後で問い詰めなくてはなりませんわ。
また、可愛らしいこの子をひとりじめにできるのかしら。
みそのは期待にどきどきしはじめた胸をおさえて、妹をじっくりと眺めた。
「お姉様、お待たせしてごめんなさい」
「いいえ。事故なら仕方がありませんわ」
そうでしょう?
結果的にとはいえ、姉の自分を待たせてしまったことを、本当に困り果てているらしい妹に、みそのは笑んだ。
謝ることはありませんわ。
だって、あなたはわたくしに、これからあなたを問い詰めるという楽しみをくれたんですもの。
「買い物には、また今度」
「でも……っ」
「だって、その制服はわたくしも気に入ってますもの。あなたが、とっても可愛く見える制服」
早く帰って、きちんと洗わなければなりませんわ。
全てを見通しているような姉の発言に、妹は「はい」と素直に肯いた。
大好きなお姉様にやさしい言葉をかけてもらえること。それは、とても嬉しいこと。
鞄を取り、店主からおみやげにとケーキを渡される妹を見送り、みそのは手元へ視線を落とした。
みそのの手にあるのは、妹がさっきまで持っていたデジタルカメラ。
撮った映像がすぐに見られるという、とても便利なもの。
そこに映っているのは妹の記念撮影の写真だけではなく、誰かがこっそりと撮ったのか――着替え中の画像までが納められている。構図から見て撮ったのは女性だろうか。男性の視線のいやらしさはないから。
これは保存しておく必要がありますわね。
「――ええ、わたくし、本当に怒ったりしませんわ」
ケーキの箱を手に笑顔で戻ってくる妹を眺め、みそのは囁く。誰にでもなく。
だって、わたくし、こんなに楽しく誰かを待っていたのは今日が生まれて初めてですもの。
くすくすと笑う。
傍へ戻ってきた妹の髪に指をからめると、その髪に甘くキスを。
「お、お姉様!?」
買い物は、また今度。『陸』での買い物なんていつでもできるんですから。
数日くらい遅れたところで、たいした問題ではありませんわ。
それに――
みそのは、うろたえて頬を赤くしている妹をみて、婉然と微笑んだ。
――こんなに可愛いあなたを見ていてもいいのは、世界中で、わたくしひとりだけと決まっておりますもの。
― 了 ―
那季 契
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