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<東京怪談・PCゲームノベル>


アトラスの日に


■後に続く者■


 店主は、いい加減な坂だと言っていた。だらだらといつまでも続くつもりなのだと。
 そんな坂を上りきったところにある骨董屋から、黒尽くめの少女が出てきた。少女は一度店を振り返り、幸せそうに静かに微笑んで、ポクポクと夜道に足音を響かせながら走り出す。雨など降ってはいないのに、彼女はレインコートを着ていて、黒いゴム長靴を履いていた。

 坂を下りたところでは山岡風太が、巨大アパートあやかし荘に住むアトラス記者の三下に、編集長からの言伝(「あなた、明日こそ原稿持ってこないと取り返しのつかないことになるわよ」)と、山のような資料を渡すという簡単なバイトを済ませたところだった。アルバイトは大学の帰り道に、珍しく外に出ていた編集長から有無を言わさず押しつけられたものだった。風太の帰路があやかし荘への道でもあることを知っていたらしい。
 夜が始まったばかりで、あやかし荘の中はともかく、外は静かだった。
 聞こえてきたポクポクという足音に、ぴくりと風太は顔を上げる。
 もしかしたら、と、そう思った。

「蔵木さん」
 風太が呼びかけると、黒尽くめの少女は立ち止まった。
「……山岡さん」
 少女は驚いたようだったが、嬉しそうにも微笑んでいた。満面の笑みで、彼女は風太にぺこりと頭を下げる。
「こんばんはぁ」

 みさとはこのまま最寄りの駅に向かい、保護者の作家と泊まっているホテルに帰る予定だと言った。風太は、自転車を15分ほど漕げばもう自宅だ。駅はマンションとは反対方向にあったが、彼の口をついて出たのは「送るよ」という言葉だった。ここで車でも持っているなら格好もついたのだがと、風太は心中で苦笑した。みさとの方は、風太が車だろうが自転車だろうが徒歩だろうが、一緒に歩いてくれることには素直に感謝したようだ。唇を軽く噛んだ後、頭を下げて礼を言った。
「にしても、こんな夜にひとりで何してたの? 調査のお手伝い?」
 自転車を押しながら何気なく尋ねると、みさとは唇を噛んで俯いた。
「勉強を教えてもらってるんです。えと、この坂のてっぺんにある骨董品屋さんに」
「ああ」
 風太も見たことがあるし、その店の店主と店員もちらりとアトラス編集部で見たことがある。何でも、有名であるらしい。
「へえ、勉強好きなの?」
「今まで授業なんて受けたことなかったから、楽しくて」
 恥ずかしそうに言った後、みさとは風太を見上げて首を傾げた。
「山岡さん、勉強嫌いなんですか?」
「いやあ……」
 風太は苦笑して肩をすくめた。
「苦痛だってほどじゃないけど、まあ、面倒臭いね」
 言ってから彼は気づくのだ。
 みさとは本当に、高校に通っていないのだろうか。今まで授業を受けたことがないと言うことは、義務教育すらも受けてはいないのかもしれない。
 だがそれを尋ねることははばかられた。尋ねたい、だけに留めておくことにした。いつか過去を尋ねたときに見せたみさとの顔色を思い出せば、臆病になってしまう。この際臆病で構わない、と彼は思った。なるべく人を傷つけないようにして生きていきたいからだ。強い風が吹いて、ときにわけもなく苛つくことがあっても。
「その『先生』は、いい先生?」
「はい、とても」
 みさとがあまりにも真っ直ぐにそう答えたので、少しばかり風太はその『先生』が羨ましくなった。
「そっか」
 暗いフードの中の笑顔は眩しくて、風太は思わず空に目を移してしまった。

 きらり、と東京のくすんだ空の中で輝いたのは――

「流れ星だ、見た?」
 風太は歓声のようなものを上げて、空を指そうとした。
 自転車が倒れた。
 ごおぅ、と黄の風が吹き、みさとの黒いフードを彼女の頭から引き剥がす。

 宇宙の中に浮かぶ星の並びが、箒星によって一瞬変えられただけなのだ。それはこの宇宙では、常に起きている変化だった。星というものは常に動き、ひとところに留まってはいない。星が留まって見えるのは、見る者が宇宙を見ることが出来ないほど小さな存在である証。
 人間が星の動きを読めないのは、人間がまだ未熟で、下等であるからだ。
 宇宙を渡る風と、箒星のような旅人に比ぶれば――
 嗚呼、溜息もつきたくなるほどに、愚かで小さな存在だ。
 ただのひと吹きで消し飛ばそう。

「――太さん――風太さん! 大丈夫ですか?!」

 ぴたん、
 水の落つる音。
 その声には水が満ちている。

「風太さん!」

 身体に触れるその手は、湿った死人のものなのだ。
 蛞蝓のようにぬめり、膨れ上がろうとしている。濁った匂い、黴と苔。
『あああ、触れるな、汚らわしい』
 然れども、旅人は去る。フォーマルハウトをかすめ、アルデバランを遮ったのはたかが一瞬のことなのだ。


 先程の吐き気と嫌悪感は何だったのだろう。それに、自分が何故倒れているのかも、風太はわからなかった。自分の傍では、自転車が倒れている。後輪がカラカラと寂しい音を立てて回っていた。
「……大丈夫ですか?」
 傍らに膝をついていたみさとが、心配そうに風太を見る。風太は身体を起こした。頬を軽く擦り剥いたが、どこも大した痛みはない。
「ごめん、ちょっとつまずいたんだ」
 そういうことにしておこうと、風太は照れ笑いを浮かべて起き上がった。
「ほんとうに?」
「うん、ホントに」
 まだ心配そうなみさとの金の視線から逃れるために、風太は自転車を起こした。実際、身体には何の不調もない。擦り剥いた傷がじりじりと熱く、かゆみを帯びているだけだ。
「……よかった」
 みさとが微笑んだ。
「ごめん、心配かけて」
 風太は相変わらずの照れ笑いだ。


 ぼんやりとしているが、あのとき、確かにみさとが疎ましくなった。憎かったと言うべきほどに。感じたのは湿った蛞蝓の表皮と、日陰でひっそりと腐った水の臭い。
 みさとは駅に入っていった。幸せそうにしていた。勉強することがそんなに嬉しいなんて、と今更ながら風太は呆れにも似た驚きを抱いた。みさとに直接過去を尋ねることは出来ないし、保護者のリチャード・レイに聞くのは畏れ多い。
「いつか話してくれたらな……」
 呟いて、風太は自転車に跨った。
 ふと、知らず顔が夜空に向けられる。
 彼はこうして、無意識のうちに夜空をみることが多かった。幼い頃からの癖のようなものだ。彼が「また見上げていた」と気づくのは、決まって夜空に黄の星のようなものを見出したときだった。
「……何だっけな、あの星。星座なんか忘れたからなあ」
 風太はまたしても呟くと、空から前に目を戻し、自転車を漕ぎ始めた。


 其は、後に続く者。
 牡牛座で輝く1等星、アルデバラン。
 かの星が照らし出すのは、人知を越えた星の中の湖。
 湖の中のもの。
 箒星がかすめたそのときに、かれはふと思い出したように目を開けた。




<了>

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   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)
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【2147/山岡・風太/男/21/私立第三須賀杜爾区大学の3回生】

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               ライター通信
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 モロクっちです。お任せゲームノベル、二度目のご発注ありがとうございます! 相変わらず指名率高いみさと嬢にライター苦笑であります(笑)。
 不安な結末、書いてみました。にしても本人たちは自ら望んで向こうの世界に入ったわけではないので不幸に拍車がかかっていますね。クトゥルフの醍醐味と言えば、愚かな探求者の自業自得っぽい結末なのですが(笑)。
 それでは、この辺で。
 またのご発注お待ちしております。