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<東京怪談・PCゲームノベル>


アトラスの日に


■或る14日■


 駅まで、とリチャード・レイは運転手に短く告げた。このイギリス人の作家は物腰も丁寧で、無表情ではありながらも人当たりは良い人物だ。だがそのレイがいま渋面を作っているのは、白王社ビルの前に待機していたタクシーが一台だけで、しかもそれが影山軍司郎の黒塗りタクシーであったからだった。
「了解」
 いつものように返事をすると、軍司郎はタクシーを発進させた。

 車内は静かだった。客はふたりいる。
 レイは、今現在身柄を保護している少女を今日も伴っていた。
 蔵木みさとという少女だ。金の目に、死人いろの肌。ふたり乗せているはずなのに、背中に感じる気配はレイのものだけだ。この少女は死んでいるのである。
 みさとの方はと言えば、影山軍司郎がどういった男であるかを聞いてはいるようで、金の視線を軍司郎に送っては、慌てて目を逸らすといった行動を取り続けていた。
 みさとを乗せるのは初めてだ。軍司郎が白王社ビルの前に陣取り、リチャード・レイを監視するのは、大抵レイが何らかの動きを見せたときだった。レイも自分が携わるような事件が危険なものであるということは自覚しているので、みさとをアトラス編集部やホテル、イギリスの自宅に置いていくことが多い。
 今回は、さほど危うい調査ではないのか、はたまたみさとがついて行くとごねたのか。
「きみは蔵木一族の者だったな」
 軍司郎が口火を切るのはめずらしいことだ。フロントミラーの中で、黒いレインコートの少女がぴくりと跳ねた。
「は、はい」
「今日は天気がいい。はしゃぎ回っているよりは、あの応接室で大人しくしていた方がいいだろう」
「……カゲヤマさん」
「貴君に話しているわけではない」
「……わかりました。気をつけます」
 眉をひそめるレイをよそに、みさとは強張った微笑みを浮かべた。世間知らずであるはずだが、歳上に対する態度は悪くない――軍司郎は気分を害さずにすんだ。
 タクシーは駅前に止まり、レイが財布を取り出した。
 レイが代金を支払っている間、みさとはごそごそとポシェットをいじっていた。持ち物まで黒くする必要はないはずだが、彼女はポシェットまで漆黒だった。
 レイはさっさとタクシーを降りたが、みさとはちらりちらりと軍司郎の顔色を伺いながら、しばらく車内に留まっていた。
「……何か?」
 仕方なく軍司郎が切っ掛けをつくってやると、またしてもみさとはぴくりと跳ねた。
 黒手袋をはめた手で差し出してきたものは、可愛らしくラッピングされたキスチョコだ。
「あの、えっと、余りものなんですが……」
 軍司郎は無言だ。
「それじゃ」
 逃げるように、みさとはタクシーを降りた。

 ひとりになった車内で軍司郎はキスチョコを眺め――それから料金表示機に目をやって、ようやく納得した。液晶に表示されている今日の日付は、2月14日だった。記念日(特に戦後に生まれたような新しいもの)に疎い軍司郎は、バレンタインデーの知識などおぼろげなものであった。確か女性が男性にチョコレートを送る日なのだ。好意を寄せる男性には立派なものを、日頃世話になっている男性には無難なものを。
 キスチョコは、無難なものだろう。彼女は、余りものだと言っていた。アトラス編集部や、いつもレイの調査に協力する者たちに配っていたのかもしれない。
 ふん、といつものように無表情のまま鼻であしらうと、軍司郎はチョコレートをダッシュボードの中に投げ込んだ。
 ただ、その素振りはいつもよりもいささか乱暴だった。


 レイは南極近くの無人島に調査に行ってまたもや危うい目に遭ったらしいが、世間的には特に何事もなく、1ヶ月が過ぎた。


 よくわからないが、2月14日にチョコレートを受け取った男性は、贈ってくれた女性に何かお返しをしなければならないらしい。お返しをする日は3月14日と定められているようだ。何故そんなことをしなければならないのか、そして何故3月14日なのか、軍司郎の疑問は尽きなかったが――彼はタクシーを降り、白王社ビル内のアトラス編集部に入った。そろそろ日付が変わろうとしていた。
 彼にはお返しを直接渡す気など毛頭なかったのだが、そうせざるを得なくなってしまった。応接室に置くなりその辺の記者に託すなりするつもりでいたのだが、蔵木みさと本人がエレベーターを待っていたのである。
「あ」
 階段を上ってきた軍司郎がみさとの姿を認めて、階段から聞こえてきた足音にみさとが振り向いていた。
「こんばんは、影山さん」
 一瞬驚いたような表情を見せたみさとも、すぐにぺこりと頭を下げて、そう挨拶をした。
「レイさ……先生なら、いませんよ。先生の忘れ物取りに、あたしが来ただけですから。何かご用があったら、あたしが――」
「きみに用がある」
 軍司郎はそれを買ったときと全く同じ渋面で、みさとにお返しの菓子を渡した。店員は軍司郎が何も言わなかったというのに、可愛らしくラッピングをした。みさとは受け取りながら、可笑しげに笑い――すみません、と微笑しながら唇を噛んだ。
「影山さんが買ったんですか? ……なんか、買ってるところ想像したら、笑っちゃいました。ごめんなさい」
 かさこそと菓子の包みをいじりながら、みさとは微笑を苦笑に変える。
「ひとのこと言えないか。あたしもこんな格好でチョコ買うの、ヘンですよね」
 彼女はまた唇を噛んだ。
「恥ずかしかったな……」

 軍司郎がクマのかたちのクッキーを買うのは初めてだったが、みさともキスチョコやハート型のチョコを買うのは初めてだった。

 さもありなんと、軍司郎は思った。
「……きみの用は済んだのか」
「はい」
 みさとは小脇に抱えたレポートをぱたぱたと振った。
「送っていこう」
「え? ……お願いできるんですか?」
「タクシーは何のためにあると思っている?」
 エレベーターが来て、ドアが開いた。


 みさとが恐れ、避けるべき陽光はない。
 ホワイトデーのお返しには間に合った。
 そんな時刻だ。
 料金メーターが音もなく勘定を続け、車内には沈黙が満ちていた。作家は、今夜は都内のビジネスホテルに泊まっているらしい。
「陽葬って、あるんです」
 ふと、みさとが呟いた。
「あたしたち、歳を取っても怪我しても死なないから、もう動けなくなったお年寄りを殺してあげるの。そのとき初めて太陽を見られるんです」
「……」
「レイさんは、あたしが200歳になったときは、もういませんよね。誰があたしを、日向に出してくれるんだろ――」
「わたしを呼ぶか」
 軍司郎は仏頂面で言い放った。
「わたしはきっと、まだ生きているだろう」
 フロントミラーの中のみさとはきょとんとしていた。それから、俯いて唇を噛み、小さく笑った。
「ありがとうございます」
 軍司郎の言葉を、みさとがどう受け止めたのか――軍司郎が知るところではない。冗談だと思ったかもしれない。陳腐な慰めだと受け取った可能性もある。素直に言葉の通りに受け止めたかもしれない。
 どうでもいいことである以前に、詮索出来ることではない。
「ありがとうございました」
 ホテルが視界に入り、みさとはもう一度礼を言った。ポシェットに手が伸びる。
 軍司郎は黙って、料金メーターの電源を落とした。
「回送中だ」


 円の中に、炎にも似た星の印。影山タクシーのアンドンは光っている。
 夜の闇の中で、軍司郎は黒尽くめの少女から受け取ったマスコットを凝視した。
「よく特徴をとらえている」
 ぽつりと独り言を漏らすと、彼はマスコットをフロントミラーにくくりつけた。
 三脚、鉤爪のある両手、頭部のかわりに生えた渦を巻く触手は、月に向かって吼えている。一般人が見ても、前衛芸術品としか捉えられないようなかたちのマスコットだ。
 軍司郎がタクシーを発進させ、奇妙なマスコットはちろちろと揺れた。




<了>

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   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)
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【1996/影山・軍司郎/男/113/タクシー運転手】

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               ライター通信
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 いつもお世話になっております、モロクっちです。
 ……意外な内容のご依頼(笑)。影山様、律儀で素敵です(笑)。それにしてもみさとがときどきヘンな人形を作るという設定がノベルに生かされたのは実は初めてです。
 みさとが作ったマスコットは、影山様に所縁のある御方のものにさせていただきました。『闇に吼えるもの』が出てくる作品て読んだことないんですが、この姿のインパクトはスゴイものが。御大がたの想像力はかなりアレなものであると思うと同時にクトゥルフって素晴らしいと思うのであります(笑)。