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<東京怪談ウェブゲーム アンティークショップ・レン>


月晶の詞

<序>

 猫の爪の様な細い月が、中空に浮かんでいた、その夜。
 一人の男が、とある店の前に立っていた。
 長くぼさぼさに伸ばした髪に鉢形の黒いよれた帽子を目深に被り、これまた酷くよれて薄汚れた黒いコートを纏い……見るからに、胡散臭い男だった。
 男の前にある店の名は「アンティークショップ・レン」。
 まるで意思あるもののように、辿り着く客と依頼主とを選ぶと言われているその店の前に立っているという事は、ここへ来るべくして来たという事か。
「――……」
 暫し無言で扉の前に立っていた彼は、ややして、ゆっくりとした所作で歩を踏み出した。
 腕に、毛布に包んだ何かを抱えて。

「で。その客が持ってきたってのが、これさ」
 言いながら、この店の店主である碧摩・蓮がカウンターの奥から抱えてきたのは、一人の少年だった。
 歳の頃は、十三、四……くらいだろうか。
 細く繊細な銀糸のような髪に、陶器のように白い肌。真円を描いた月の如く金色の瞳に、それを縁取る長い睫。淡く色づく桜色の唇。
 あまりに整いすぎた感のある顔立ちによく合う真っ白な燕尾服に身を包んだその少年を、店主は近くにあった年代物のロッキングチェアに丁寧な手つきで座らせた。そしてやれやれとでも言うように両手を腰に当てて溜息をつく。
「これだけ置いて出てっちまったんだよねえ、その男。無精髭とか生えてて風体はどこかの浮浪者かって感じだったけど、でもまあ置いてった物自体はご覧の通りなかなかの上物だし、売りに出せばそれなりにいい値はつきそうだとは思うんだけど。マニアとかなら絶対欲しがりそうだしねえ」
 言い終えた直後、ふと視線を感じたのか、彼女が少年に向けていた顔をこちらへと向ける。
「……なんだいその顔。しょうがないだろう、あたしはこれでもここの店主なんだから。売り物にならないものを置いとくわけにはいかないだろう?」
 などと言われても、少年は何を言うでもなく、無言で視線を自分の膝に置いた手へと落としている。幻影黄水晶を丸く磨いて嵌め込んだかのようなつるりとした瞳に天井から吊るされている古びた洋燭に灯る明かりが射し込んで、まるでそこに淡い炎が灯っているかのようだった。光がゆうらりと揺れ、刻一刻と違う表情を作り出している。
 けれどもそんな雄弁な瞳とは裏腹に、視線を揺るがす事もなく無表情で手を見つめている、少年。
 ……彼をじっと見ている内、ふと、何か違和感を感じた。
 はっきりとしない、その、違和感。
 それに気づいたのか、店主がカウンターに戻って其処に置いていた煙管を手にしながら薄く笑った。
「ここへ集まるのは何かしら因縁を抱えたもの。そいつも勿論、その一種」
 声を耳に入れながら、ゆっくりと手を伸ばし、その少年の頬に触れ――ようとしたところ。
「触るんじゃないよ売り物になるかもしれない大事な商品に!」
 一息に吐き出された、店主の叩きつけるような叱責に阻まれた。だが、びくりと身を竦ませた自分とは違い、その少年は微塵も動じたりしない。
 ――やはり、何かが、おかしい。
「で。その『いわく』ってヤツなんだけどね。なんでもそいつ、自分の名前を忘れちまってるらしくてね」
 煙管を器用に手の中でくるりと回して口許に運び、店主は声のトーンを元に戻して淡々と告げる。
「名前を思い出させてやってくれ、とその男は言い置いて出て行ったんだ。もし駄目ならそのまま売り物にして貰っていい、とね」
 名前を、思い出させる? という事は、この少年は記憶喪失か何かなのか?
「まあうちとしては名前なんて思い出させて貰えないほうが売り物に出来て有難いんだけど、まあ一応客からの指示だし、無視する訳にもいかないだろう? 店の信用問題にも関わるしさ」
 そこであんた達の出番って訳さ。
 そう言いながら、彼女は黒い瞳を宙でゆうるりと渦を巻いている煙管の紡ぐ白煙へと向けた。
「こいつに、どうにかして自分の名前を思い出させてやってくれないかい?」
 ああ付け足しとくと、と言を継いで店主は唇を僅かに歪め、笑った。
「そいつ、言葉を喋れないからね。無理矢理聞き出すってのは無理だよ」
 その言葉を受けてもう一度視線を向けて見やった少年は、やはり、ただ黙したままじっと自分の手を、長い睫に縁取られた月の眼で、見下ろしていた。
 感情のこもらない、瞬きさえせぬ冷めた瞳で。


<想う、事>

 それにしても、と。
 シュライン・エマは、件の少年からふと視線を外した瞬間に、まるで狙っていたかのようにその青い眼に飛び込んできた物を、妙に真剣な顔つきでじっと見つめていた。
 それに気づき、碧摩が煙管を手に彼女の方を見やる。
「なんだい、そんなに気になるのかいアレが」
「うーん……」
 気になるというか何というか。
 僅かに答えに淀みを持たせたシュラインに、ああ、と碧摩が何かに納得したような声を上げた。そして煙管の先でシュラインが見つめていた物を指し。
「ああいうのがアンタの趣味かい? んん、なかなか買い手つかなくてどうしたもんかと思ってたんだけど、アンタ、どうだい? 買ってかないかい? 算盤なら顔見知り特別価格にして安く弾いとくけど」
「絶対イヤ」
 速攻でお断りする。
 が、その眼はまだ、同じところを見つめていた。
 その視線の先にあるのは、壁に下げられた妙な面だった。縦長の、ちょっとへろっとしたその顔は、見ていると妙に和むというか脱力を誘うというか……何とも言えない味がある。妙に鼻筋が通っているのは美形に見せるためなのか何なのか……。
 色々と、微妙な面構えをしている。
 だがそれが妙に気にかかるのは、おそらく。
「似てるのよねえ……」
 またここ最近姿を見ていない、根性が微妙にひねくれ曲がった、にこにこ笑顔で年がら年中黒スーツを纏っている、あの青年に。
 そういえば、一応前に住所を聞いていた京都の実家の方にバレンタインデーにチョコを送ったはずなのだが、ちゃんと食してくれたのだろうか?
 もし食していて礼の一つも寄越さないのなら、それはちょっとどうなのよ、と問い詰めても問題ない気はする。いや、自分とあの人物との間柄ならむしろ文句の一つくらい堂々と言ってやってもいいかもしれない。
 親子にも似た妙な信頼関係がある間柄なら。
 ――共に、一人の人の死を悼み、胸に刻まれた深い傷の痛みを分かち合って泣いた、間柄なら。
(……あれから、どうしたんだろう……)
 病室で声も立てずに泣いていたその姿を思い出し、シュラインは軽く唇を噛んだ。
 便りがないのは元気な証拠なのか。
 それとも、心に穿たれた傷があまりにも重すぎて、動けずにいるのだろうか。
 一人、泣いていないだろうか。
(……あんまり心配かけてるんじゃないわよ、バカ)
 思うと同時に溜息をついた、その耳許に。
「……眼の部分をくりぬいて、後ろから発光ダイオード入れて光るようにしてるんだけど、どうだい? 夜、電気消した部屋に眼を光らせながらぼぅっと浮かび上がるあの顔……一風変わった素敵なインテリアになる事間違いないよ?」
「絶対却下」
 いつの間にか自分の背後に移動して来て、肩にぽむと手を置き低く囁くように語る碧摩を払いのけるようにして、シュラインはようやくお面から眼を離し、本題へとその顔を向け直した。
 周囲にいる者たちに眼もくれず、やはりずっと手許に視線を落としている、その白い衣装の少年。
(……何となく、宝石っぽいと思うのよね)
 柔らかく光を照り返している、蜂蜜色のその瞳。
 それを見ていると、何となく、内包結晶を思い起こさせられる。光が炎のように揺らめいて見えるそれは、もしかしたら本当に石で、その石の内部にある内包結晶の加減で光の反射が複雑化し、炎の揺らめきのように見えるのかもしれないと思ったのだが。
 そんなシュラインの思いを他所に、無言を保ったまま無表情に、ただじっと自分の手を見つめている少年。
 ふっと、シュラインは短く溜息をついた。
(……名前……)
 思い出したら、少しはその整った容貌に、微笑を浮かべてくれるだろうか?
 何となく、彼の笑った顔を見てみたいなと、思った。


<名を導く為に>

 カウンターに戻って帳簿に視線を落とし、完全に事態をその場に居た者たちに預けた碧摩をちらと見やってから、その「事態を預けられた者」の内の一人、黒の単と袴の上に紺青色の袖括りの紐を通した白い式服を纏った少年が口を開いた。
 黒髪に黒い瞳、そして黒く艶やかな毛を持つ猫を足許に従えた、彼。
 名を、榊 遠夜(さかき・とおや)と言う。鎌倉市内にある神室川学園に通いつつ陰陽師をしている高校生である。
「なんとか、名前を思い出させないと……ですね」
 その身に纏った、静かで穏やかな空気をそのまま声として紡いだかのような柔らかな声に、頷いたのは中性的な美貌を持つ女性だった。
 草間興信所に足を運べば誰しもが一度は見たことがあるであろうその人物――シュライン・エマは、バレッタで襟足辺りで一つに纏めた長めの黒髪を肩口へと流し、それを指先でもてあそびながら切れ長の眼をじっとロッキングチェアに座らされている問題の少年に向けていた。
 怜悧な青い双眸が、少年の金の瞳をじっと捉えている。
「何となくね、宝石を思い出すのよ。彼見てると」
 金の瞳。銀の煌く髪。それだけではなく、静謐を守り続けている彼のその様自体が、何となく、眺めているだけで容易にその脳裏に宝石の姿を彷彿とさせるのだ。
「……宝石、ですか?」
 シュラインの声に、甘く艶やかなバリトンが返された。ちょうどシュラインとは少年を挟んだ向かいに当たる位置に立っていた湖影虎之助(こかげ・とらのすけ)が、長く整った手指でシャツの胸ポケットに引っ掛けていた眼鏡の蔓に触れながら、黒い瞳を、やはり少年へ向けている。一九〇センチという高身長から椅子に腰掛けている少年を見ると、頭の天辺から見下ろす形になる。
「確かに、雰囲気は分かりますね」
 小さく頷く虎之助のその秀麗な容貌を、特に何の感懐を持つでもなく見返すと、シュラインもつられるように小さく頷いた。
「眼とか、全体の雰囲気とか、そんな感じよね。後はー……」
 言葉を止めて、少年の纏っている白い燕尾服を見る。白に近い銀髪とその服から想像するのは。
「白鳥、とか」
「なら、鳴いてみるか?」
 今度は、シュラインの後方から声が飛んだ。
「声に驚いて我に返り、何か言うかもしれんぞ?」
 どこか愉悦に滲んだ笑いを含んだ声を紡ぐのは、そこにある、どう見ても売り物としか思えない高そうな革張りのソファに遠慮もなく腰を下ろし、足を組み上げて堂々たる様で座っているノーネクタイで黒スーツを纏った青年だった。左耳につけた二つのリングピアスに触れながら、少し目尻が下がり気味の眼を細めて一斉に自分を振り返った者たちを眺めやる。
 不遜な態度がやけに似合うその青年に、シュラインが肩を竦めた。
「それで何か言うなら、蓮さんが大声出した時点でビックリしてるはずじゃない?」
 返された言葉に少し首を傾げるような仕草をしてから、黒スーツの青年、沙倉唯為(さくら・ゆい)は微かに笑った。さらと黒髪が頬にかかり、微かに影を落とす。
「それもそうか」
「っていうかさ」
 それまで黙って年上連中の言葉を聞いていた、背は高いがおそらくこの中で最年少と思われる、二の腕の辺りと胸に金色の校章、そして金色のラインが入った黒い詰襟型の制服を纏った、黒い瞳に凛とした力を宿した黒髪の少年が口を開いた。
「喋れねえんなら筆談とかどうだろ?」
「筆談……確かに、それは一つの手段として」
 いいかも、と言いかけた遠夜の言葉を、けれども言い出した本人が遮った。
「あ、でもめんどいな」
「……面倒ですか」
「だって、書き終えるのいちいち待たねぇとなんねえんだろ? 面倒だ」
 ぽつりと呟いた遠夜にサバサバとした口調で答え、少年――季流美咲(きりゅう・みさき)はちらりと、さっきから黙ったままのもう一人の青年へと眼をやった。
 右に一つ、左に二つのピアスをつけ、細い銀のブレスをかけた左腕にノートパソコンの入った黒いケースを抱えたその青年は、ふと、美咲の視線に気づいて問題の少年とは全く無関係の方へやっていた顔を彼へと向けた。穏やかな気を宿した青い瞳が軽く瞬く。
「なんですか?」
「ん? いや、さっきから黙り込んでるから何かいい案とか練ってんじゃねえのかな、と思って」
「え? いえ、別に何も考えてないですけど」
 あっさりと返された言葉に「使えねぇヤツ」と呟く美咲に、使えない呼ばわりされた本人、向坂 愁(こうさか・しゅう)は苦笑を浮かべた。
「この子を運んできた男の人を捜して事情聴くっていうのも手かもしれませんけど、時間かかりすぎてダメですよね、きっと」
「何者かは気になるけどな」
 相手が何者か分からない以上、闇雲に探し回ってもその所在を掴めるわけはない。
「なら、他の方向からどうにかした方が早いんじゃないか?」
 少しだけ腰をかがめて、少年の頭の天辺から横顔へと視線を移しながら虎之助がもっともな事を言う。そうね、とシュラインが相槌を打った。
「でも、どういう方向からどうするかが問題よねえ」
「あ、それだったらさ」
 少年が腰掛けているロッキングチェアの右側の肘置きに両手を乗せてその場にしゃがみ込み、美咲が下から少年の顔を見上げた。相変わらず、少年は視線を自分の手に固定させたまま、瞬きも身じろぎもしない。
「オレ、コイツと同年代くらいだし、そのよしみってコトであちこち連れてってみたいんだけど」
 外から何らかの刺激を加えれば、何か思い出すかもしれない。
 大体、こんな薄暗い場所に座らされてああだこうだと言われているよりはよっぽど、外に出た方が何か思い出すきっかけが転がっている気がする。
 こんな怪しげなものばかりが溢れかえった非日常的な場所より、もっと日常に近い場所に行けば、何かが記憶に繋がるものがある、……かもしれないと思ったのだ。
「つーわけだからさ。うしっ、お前、オレに付き合えっ」
 言って、チェアのアームに掛けていた手を伸ばして少年の膝に置かれた白い手を取ろうとした。
 その時。
「だから触るなと言ってるだろう!」
 奥から鋭い声が飛んで来て、慌てて美咲は伸ばしかけた手を引っ込めた。そして顔を上げて声の方を見やる。
 当然、その視線の先にいたのは碧摩だった。
「ったく困ったボウヤだねアンタはっ」
「まあまあいいじゃないか、蓮。子供相手にそんなに大声出して怒ってると小皺が増えるぞ?」
 事の次第を面白そうに眺めていた唯為が、ニヤニヤと笑いながら碧摩に向かって宥めているのだか更に神経逆撫でしようとしているのだか分からない台詞を吐く。それに、愁が苦笑した。
「女性に失礼ですよ、それ」
「何か情報握ってるはずなのにそれを晒そうとしない依頼主には相応の台詞と見たが?」
「わかった、わかったからとりあえず唯為は黙っときな」
 それ以上余計な口利いたらナイフ投げるよ、と店主に言われ、唯為は無言で上がり気味の眉をさらに少し持ち上げた。そして、碧摩は一番カウンターの近くに居た遠夜を手招きした。
「……はい?」
 緩く首を傾げてから、けれども素直にカウンターの中へと招かれるがままに入り込んで行った遠夜が手にして戻って来たのは、一台の車椅子だった。
「商品になるかもしれないモノに何かあったら困るからね。はい、退いた退いた」
 少年の前に立っていた美咲を、まるで犬でも追い払うかのような手つきで退かせる。それに、美咲が僅かに眉を寄せた。
「酷い扱いだなオレ」
「本当は外に連れ出されるのは困るんだけどねえ……まあ、依頼主としてあまり非協力的だとまたどこかのタレ目に文句つけられちまうし」
「誰がタレ目だ」
「ここに居る中でその言葉に唯一反応したヤツの事だと思うけどね」
 小皺云々の仕返しなのだろうか、ニヤと肩越しに唯為に向けて笑ってから、碧摩は少年を抱き上げて車椅子へと移動させた。そしてその膝の上にチェアの背に掛けていた白いひざ掛けを広げ置く。膝に置かれたままだった手が、その下に隠れた。
「連れ出す以上はちゃんと何かあったら責任取ってもらうからね、その辺覚悟しといてもらうよ、ボウヤ」
「えっ、外に行ってもいいのかっ?」
「だから。覚悟はちゃんとしといてもらうよ? わかってるだろうねえ?」
 何かあったらタダでは済まさない、と言外にありありと言い放ちながら、碧摩はぱっと表情を明るくした美咲に唇の端を僅かに吊り上げて笑いかけてから、またカウンターへと戻っていく。
 とりあえず、外出許可はこれで出た。
「うっし。じゃあ行くかっ」
「あ、待って。私も行くわ」
 車椅子を押そうとした美咲に、シュラインが軽く手を挙げた。そして、他の4人に目を向ける。
「アンタ達はどうするの?」
 その言葉に、唯為がソファに身を預けたままひらりと片手を振った。
「俺はいい子にしてここでお留守番しておく。王子様がお散歩に行かれている間に、最近それらしい捜索願いが出てないか調べておいてやる。あとはまあ、遺失物はないか、盗難にあったものはないか等も、適当にな。ネットという便利な物もあることだし」
 片っ端から当たれば、何か引っかかる事もあるだろう。
 それに、あ、と愁も右手を挙げた。
「じゃあ僕もそれ、お手伝いします」
 挙げたのとは逆の手にパソコンを抱えているのだから、丁度いいと言えば丁度いい。
「そう。じゃあ湖影くんと榊くんはどうする? 榊くんはこの子と同年代っぽいし、一緒に行く?」
「え? 僕は……」
 左手の人差し指と中指の先を自分の唇に何となく触れさせながら、遠夜は少し迷ってから緩く首を振った。
「いいえ、僕も調べ物のお手伝いしておきます」
「なら俺もここに残って調査の手伝いするかな」
 人手が多いに越したことがないのは、おそらくここに残る側だろう。
「何かあったら電話ください、すぐ行きますので」
「そうね、じゃあ何かあったらすぐ連絡するわ。そっちも、何か分かったら連絡ちょうだい」
 虎之助の言葉に頷いて答えると、シュラインは入り口付近まで車椅子を押して行って待っている美咲の方へと歩み寄り、残る事になった、いずれ劣らぬ秀麗な顔立ちの男達にひらともう一度、手を振った。


<陽光の下>

 平日、午後。
 街に人通りは多かった。
 空は、よく晴れている。緩やかで弱い冬の陽光とは違う、柔らかく眩しい光が、真っ直ぐに地上へ降りて来ていた。
 照射された地上から沸き立つのは、春の匂い。生命の息吹を予感させる、匂い。
 街を行き交う人々も、重い上着を脱ぎ捨てたせいかどこか身軽く見える。
 そんな中。
「まあとりあえずはゲーセンだよなっ。もうちょっと人の多い商店街とかも行ってみっか。お前も行きたいとこあったら遠慮なく言えよ?」
 少年を乗せた車椅子を押しながら、美咲が明るい笑顔を浮かべながら話しかけた。そしてふとその顔を隣を歩くシュラインへと向け。
「あ、シュラインさんはどっか行きたいとこない?」
「私? そうねえ……」
 返事しない少年の代わりに答えを求めてたのだろうか。あと数年もしたらいい男になりそうなその笑顔に、つられるようにシュラインも笑った。
「どう考えても私は季流くんやこの子と同年代じゃないから。行き先は任せるわ」
「そう?」
 それじゃどこ行こうかなー、と車椅子に大人しく収まっている少年の後頭部を見下ろし、美咲は一人ごちた。
 さらと、俯きがちな少年の銀の髪が春の空気を濃く含んだ微風に揺れた。晒された金色の瞳が、澄んだ蜂蜜色に透ける。
「あとは、お月様かしら」
 その瞳を横から見たシュラインの呟きを聞きとめ、美咲が緩く首を傾げた。
「お月様?」
「ええ。この子を見て、連想するもの」
「ん? 一人で連想ゲームでもしてんの?」
 不思議そうに問い返され、シュラインは笑みを浮かべて緩く頭を振った。そして僅かに頬へと零れ落ちた黒髪を、指先で耳の裏にひっかける。
「んー、微妙に違うわね。ほら、名は体を現すって言うじゃない? だから外見から連想する事にも何かヒントないかなと思っていろいろ考えてみてるんだけど」
「ああ、そういやさっき店で宝石とか白鳥とか言ってたっけ」
 言って、身体を斜めに傾がせて少年を横合いから眺める。
 やはり、ぱっと見て自分的に印象に残るのは、その銀の髪。それは、現在やや傾倒気味にある年上の甥っ子に似ているから仕方ないとして。
 普通に見たらおそらく、その金色の瞳だろう。今もまた、膝の上へと落とされたその、眼差し。
「この金色の眼が、口ほどにモノ言ってくれたらいいのになぁ」
 僅かに肩を竦めながら姿勢を元に戻す美咲のその呟きに、ふとシュラインは前へ向けていた顔を少年へと向けた。
 彼は相変わらず、一言も発せずにただじっと、膝上に乗せられた白いカシミアの膝掛けを見ている。
 いや。
 おそらくはその膝掛けの下にあるであろう、自分の手を、だ。
「……なんでじっと手見てるのかしらね」
「え?」
「うーん……さっきからずっとこの子、自分の手ばっかり見てるじゃない? 店に居た時からずっと。多分、今見てる膝掛けの下には自分の手、あるんじゃないかしら」
 何か手に思い入れがあるのか。
 それとも、その角度にしか顔を動かせないのか?
 思い、シュラインは自分の考えに眉を寄せた。
 ……顔を、動かせない?
 それは一体、どういう発想だ?
 首筋を痛めているんだろうかとか、そういう方向からの発想ではない。ごく自然に湧き上がった疑問だった。
「…………」
 何かが、引っかかった。が、まだそれが何かは判然としない。
 なんだろうとでも言うように無言で緩く首を傾げたシュラインを車椅子を押しながら不思議そうに見ていた美咲は、ふとその視線を前方に向け、あ、と指差した。
「ゲーセン発見っ。なあシュラインさん、あそこ、行ってもいいかなあ?」
 掛けられた声にはっと我に戻り、シュラインも美咲の指先を目で追う。そして、ちらりと美咲へと視線を戻した。
「季流くんが楽しむために行くんじゃないわよ?」
「わーかってるって! ほらっ、お前も行くぞっ」
 前方を指していた手を引き戻し、ぐっと拳にして笑うと、美咲は勢いよく車椅子を押してゲームセンターへ向かい歩き出す。それにシュラインが声を上げた。
「無茶しない! また蓮さんに怒られるわよ!」
 その言葉に慌てて足を止めると、かりかりと頭をかきながら美咲が肩越しに振り返った。バツが悪そうな笑みを浮かべて。
「アハハ……、気をつけます」


<そして、知る>

 店内に入り、まず美咲が向かったのは格闘ゲームの筐体が並ぶスペースだった。中学生、高校生くらいの少年達がそれぞれ席に座り、真剣な表情で画面に向かっている。
「あ、イスカ」
 ぽつりと何かを呟き、ゲームに興じている少年の後ろから画面を覗き込み、じっとそこで動き回るキャラを真顔で眺めている美咲に、歩み寄ってきたシュラインが苦笑を零した。
 どうやら「イスカ」というのはゲームの名前の一部のようである。
 画面に見入って「あー今そこでぶっきら入れてダッシュで振り向いてソッコーで立ち大斬りして……」云々、口許に拳を当てながらぼそぼそと物凄く小さな声で呟いている美咲の、その側頭部を軽く小突く。
「こら。遊びに来たんじゃないでしょ?」
「えっ。あ、そっかそっか」
 ぐらりと小突かれて頭を傾がせながら本来の目的を思い出して我に戻った美咲は、慌ててシュラインへと顔を向け直して笑う。
「つい、な。やっぱこういうトコに来たら、ゲーム好きなオレらくらいの年代だと夢中になっちゃう……んだけど」
 ゲーム画面の虜になっていた間にシュラインが代わって押してくれている車椅子へと視線を向け、美咲は首を傾げた。
「やっぱり何にも言わないのな、お前。ゲームには興味ねえか?」
 相変わらず少年は、わーともきゃーとも言わずにじっと視線を自分の膝上に落としたまま黙り込んでいる。
 それにしても、何だかこの少年。酷くこの場から浮いているように思えた。とてつもなくこの場の雰囲気にそぐわない。
 この、様々なゲーム機が生み出す騒音に満ちた、少し濁った空気の中に置いておくにはあまりにも、静粛で清閑で。
「……あ……」
 ――何だか不意に。
 彼は何も喋っていないのに、こんな場所にいたくないのではないかと、思った。
 車椅子のハンドルに掛けられたシュラインの手をちらと一度見下ろしてから、美咲は怪訝そうな表情の彼女に苦笑を浮かべながら言った。
「外、出よっか。なんか、あんまり意味ねえみたいだし、ここに居てもオレが嬉しいだけだから」
「そう? ……そうね、特に変化もないようだし」
 少年の様子を伺ってから車椅子を押そうとしたそのシュラインの腕を、横から美咲が掴んで引き止めた。
「いい、オレが押す」
「そう? じゃあお願いね」
 その言葉にさっきまでと変わらぬ明るい笑みを取り戻し、美咲は大きく頷いた。

「あ」
 ゲームセンターを後にして街中を移動中、美咲が突然何かを思い出したように声を上げた。
「何、どうしたの?」
 何か少年について思い当たることでもあったのだろうかとすかさずシュラインが問いかけたが、それに美咲は片手を両手を車椅子のハンドルから放さずに力が抜けた様子で軽く肩を竦めた。
「何か腹減った」
「……あ、ちょうどおやつの時間だわ」
 腕に嵌めた時計へ視線を落とし、シュラインが笑う。針はきっかり3時を差している。数分のズレもない。
「見事な腹時計よ、季流くん」
「いやいやお褒めに預かり恐悦至極」
 おどけたように言いながら、どこか小腹を満たすのに丁度いい店はないかと視線を周囲に彷徨わせる。蕎麦屋、喫茶店、ハンバーガー店などが次々に目に飛び込んできて、どこへ入ろうかと悩んでしまう。
 店の前にディスプレイされている模型を遠目に見るだけでも、何だか更に空腹感が増して来て、美咲は足を止めて片手を腹に当てながら少年の顔を覗き込む。
「お前は? なんか食いたいモン、ある?」
 けれども、やはりその問いに返る言葉は何もない。
 そんな美咲と少年から目を離し、シュラインも何となく周辺を見回した。そして、その通りに一件、某有名ドーナツ店があるのに目を留めた。
 そういえば、先月新作のドーナツが出たらしいが、アレは確か……。
「抹茶味だったわね。……確かあの人、抹茶系好きだったはず……」
 もちっとした食感のそのドーナツ。味の方がどうなのかはまだシュライン自身試していないから分からないが、抹茶好きなら外せないはずだ。
 そのシュラインの呟きを不思議そうな顔で聞き、美咲がそのドーナツ店を指差した。
「何か気になるモンがあるならあそこで食う? あ、何だったら店に残ってる連中に買ってってやってもいいしさ」
「そうね、そうしましょうか」
 あの場に残っている男性陣のどれほどが甘い物を食せるのかは謎だが。
 よーし決まり、と両腕を一度空に向けて持ち上げてから、またしっかりと車椅子のハンドルを握り、歩き出すその美咲の後姿を見、ふと、シュラインは口許に手を当てて足を止めた。
 何かの違和感を、覚えたのである。
 それは今覚えたものではなく、おそらくずっと感じていたのと同質のもの。
「……なに?」
 ぽつりと、自問する。その違和感の正体は、一体何だ?
 少年を連れて歩き行く、美咲のその、足音。
 車椅子の車輪が回る音。
 風が街路樹の枝葉を揺らす音。喋らないと分かっていてもなお、少年に向けて語りかけている美咲の声。すれ違う男女が交わす会話。行き交う車の走行音。
 そっと、シュラインは口許に当てていた手を、自分の耳許へと移動させた。
 もっと、よく。意識を研ぎ澄ませ、聴覚をさらに鋭敏にして少年に集中する。
 ――――……。
「……っ!」
 はっと、その双眸が見開かれた。
(音が、ない……!)
 試しにその意識を、少年の車椅子を押している美咲へと向ける。すると、耳にはっきりと美咲の呼吸音と、彼の体内で紡がれている鼓動音が聴こえた。
 ……自分の聴力に異変が起きたわけではない。
 聴こえないのはただ一つ。
 少年の、音だけ。
「ったく、なんでお前喋んねえの? 何か喋りたくねえ理由でもあんのか? ……できればさあ、お前呼ばわりしたくねえんだよな、オレとしては。銀髪ってだけでも何となく気ィ引けんの。だからさ、名前。正直に言ってみ?」
 根気強く少年に話しかける美咲の肩に、足早に追いついたシュラインが手を乗せた。振り返る美咲に、ゆっくりと頭を振る。
「無駄よ、彼は喋れないもの」
「それは分かってるって。でもこうして話しかけてやってたらそのうち何か言ったりするかもしれねえし」
「無理」
 キッパリと言い、シュラインは溜息を一つ漏らし、車椅子に座る少年の真横へと移動してしゃがみ込み、同じ目線になってその顔を見た。
 硬質な表情。瞬き一つせず、じっと同じ所を見つめ続けている、その理由。
「彼は、喋れないから」
「だから、それは分かって……」
「言い直しましょうか」
 美咲の言葉に自らの声を被せ、顔を上げて。
「彼は、『喋れない』のではなく、『喋らない』のよ。息もしてないし、鼓動もない」
 そう、幾ら耳を澄ませても、本来、人間から聴こえてくるはずの音が何も聴こえてこないのだ。
 ずっと抱いていた違和感に、自らの声で、シュラインは答えを出した。
「彼は、喋らない『物』なのよ」


<呼ばれし、名>

 携帯電話を使用するために外に出ていた虎之助が店内に戻った時、店内に居た三人はテーブルにパソコンを残したまま席を立っていた。
 だが、どこへ行ったのかと捜す必要はなかった。
「お前は最初から分かっていたんだろう? なら何故最初にそう言わなかったんだ、阿呆」
「先に言っていたら変な先入観与えちまっただろう? だからあえて黙ってたんだよ」
「先入観? 阿呆、先入観も何も事実だろうがそれが」
「どう思おうがそっちの勝手だね。大体、あたしは一言も『人形じゃない』なんて言ってないよ。大体何回も人の事阿呆阿呆言うんじゃないよ」
 という、唯為と碧摩の声がカウンターの方から聞こえたからである。
 どうやら何かを掴み、それについて碧摩に文句をつけているようだが――とりあえず虎之助もそちらへ向かおうとして、ふと途中でテーブルの上に放置されていたパソコンの画面を覗き見る。
「あ、湖影さん。どうでした?」
 扉の開閉に合わせて店内に響いたドアベルの音で虎之助が戻ってきたらしいと分かっていた愁が、振り返ってテーブルの方へと歩み寄った。それに、ああ、と頷いて収集した情報を口にしようとしたその時。
 からんと、またドアベルが鳴った。
 全員が、その音に引かれるように視線を開いた扉へと向ける。
 まず、開いたドアの向こう――逆光の中から現れたのはシュラインだった。大きくドアを開き、少年が乗った車椅子を中へと招き入れる。
「ただいまー、っと」
 明るい声で言って、美咲が車椅子を中へと押して入ってきた。それに、唯為の近くにいた遠夜がこくりと頷く。
「お帰りなさい」
 その足許で、響も遠夜の声に合わせるようにぱたりと尻尾を振った。車椅子をその近くまで押しやり、美咲がしゃがみ込んで響の頭をわしゃわしゃと撫でる。
「おう。ちょうどおやつの時間だったから土産にドーナツ買って来たけど……お前にもネコ缶買ってくりゃよかったかな」
 式神がネコ缶なんて食べるだろうかとその場にいた者は思ったがとりあえず誰一人としてツッコミを入れる事もなく、ちらりと無言で遠夜へ視線を向ける。
 遠夜は真面目な顔で、緩く首を傾げた。
「でも、缶買ってきてもそのまま食べさせるのはちょっと……。かといって売り物になってるお皿使わせて貰うのもどうかと思うし」
 お皿に出したら食べるの?
 と、思わずツッコんでしまいそうになったシュラインの言葉より先に。
「式はネコ缶食わんだろう」
 素早く唯為がツッコんだ。
 が、それに更に虎之助が口を開く。
「というか、ネコ缶よりもコイツの事だろ」
 軽く曲げた人差し指の関節を車椅子のヘッドレストの上にコツンと当てながらズレまくった話を軌道修正し、怜悧な眼をそこに座っている少年の頭の天辺に落とす。
「警察に電話したら、コイツらしいヤツの盗難届けが出てたぞ」
「盗難届け?」
 響から手を放して立ち上がった美咲と僅かに眉を寄せたシュラインの声が見事にハモる。そういえば、とシュラインがそのまま言葉を続けた。
「この子、人じゃないわよね? 心臓の音とか全然聴こえないから、生きてるとは思えないんだけど」
「ええ。人ではなく、人形みたいですね」
 窓際にある丸テーブルの上に置いたままだったノートパソコンに歩み寄り、愁がその画面のフレームに手を置いた。そして映し出されているものを見るようにシュラインと美咲に促す。
 そこにあるのは、一人の人形師失踪のニュース記事。
 眺めやったシュラインが、眼を瞬かせた。
「……霧嶋聡里?(きりしま・さとり)」
 三〇代のその男人形師。個展開催前日に交通事故に遭って記憶の大半を失くし、その翌日、本人も失踪したという、その記事。
 さらにそこには、彼が作っていたとされる人形についての記事も載せられていた。
 何らかの特殊な仕掛けが施された、身長一六〇センチほどの少年と身長一五〇センチほどの少女の人形を作成した、と。
「それって、やっぱりアイツのことか?」
 美咲が視線をパソコン画面に置いたまま、軽く顎先をしゃくって少年を示した。それに、愁がもう一つのパソコン画面を向ける。
 そこに映し出されている画像を見、あっ、とまたしてもシュラインと美咲の声が重なった。
 映っているのは、確かに、今ここに居るあの少年だった。
「つまり、あの子はその霧嶋氏が作った人形だったって訳ね?」
 どうりで心音も呼吸音も、身じろぎも会話もしないわけである。
 しかし、だ。
「としたら、名前はどうなの?」
「それなんだが」
 唯為が、スーツのポケットから携帯電話を取り出し、パソコン画面の下のほうに記されていた電話番号をプッシュし始めた。
「人形がまだ、いくつか個展が開かれたギャラリーに残っているらしい。その個展の関係者なら何か知っているかもしれん」
 上手くすれば、人形の名前を聞くことが出来るかもしれない。
 ……だが。
 通話が繋がった相手と暫し会話を続けていた唯為が、僅かに上がり気味の眉を寄せた。
「何だと? ……なら、まあいい。とりあえずその他のを言ってくれ」
 電話の向こうに向かってそう言いながら、手で、何か書くものを寄越せとジェスチャーする。それに、遠夜がカウンターにいる碧摩からメモ用紙とペンを受け取って差し出した。
「……あかに、まそお、ちぐさ、るり、はとば、はした、とくさ、もえぎ、しこく……」
 呟きと共に、唯為がそのメモにつらつらとその言葉どおりの文字を綴っていく。その手許を覗き込み、美咲が眉を寄せた。
「名前か? これ」
「『ちぐさ』って、普通に女の子とかにつけそうな名前ですよね」
 遠夜の言葉に、虎之助も頷く。
「『もえぎ』もありそうだな。『るり』も」
「でも他のはあまり聞きませんね。あかに、まそお、はとば……」
 二人の間で交わされる言葉に、ふと、先程唯為がつらつらと順に名前を紡いでいた時に何か思い当たったような気がして首を傾げていたシュラインが、あ、と短く声を出した。
「それ、色の名前だわ」
「色、ですか?」
「ええ、ちょっと貸して」
 愁の問いかけに答えるように、シュラインが唯為の手許からペンを奪って、書きつけられた平仮名の横に漢字を書きつけていく。流石に幽霊作家などをやっているだけの事はあり、文章や文字に関する知識は豊富なようだ。
 赤丹(あかに)、真朱(まそお)、千草(ちぐさ)、瑠璃(るり)、鳩羽(はとば)、半(はした)、砥草(とくさ)、萌葱(もえぎ)、紫黒(しこく)。
「赤丹と真朱が、赤色。千草と瑠璃が青ね。鳩羽と半が、紫。砥草と萌葱が、緑。紫黒は文字通り、黒」
「人形の眼の色に合わせてつけられた名前らしい」
 通話を切った電話をポケットに戻しながら、唯為が椅子を引いて腰を下ろしながら言った。
「赤系の名前の奴は赤い瞳だったそうだ」
「でもこれ、金色はねえぞ?」
 少年の眼は、金色である。美咲が眉を寄せた。
「意味ねえじゃん。あ、でも色が名前のヒントって事は重要か」
「そうだな。金色か黄色、茶色系の名前のどれかに当たりがあるんだろうし」
 けど、と虎之助が煙草に火を点けている唯為を見やった。
「なんでアイツらしい名前はないんだ? つけてなかったのか?」
「その小僧を作った直後に人形師が事故に遭ったらしくてな。失くした記憶の中にその名前も封じられたんだろう」
 名前を何かに書き残していたりもしなかったようで、結局、展示中、少年は無名だったらしい。事故前からその人形を展示する旨は伝えられていたので、業者側は人形師の記憶云々に構わず人形をアトリエから搬出したそうだ。
「そういえば、女の子の方は? どんな眼の色で、どんな名前だったんですか?」
 書きつけられた名前の文字列を眺めながら、愁が問うた。
 同時期に作った人形。
 しかも、少年と同じ等身大の人形だ。二体の間に何か関連があるかもしれない。
 それに、唯為は煙草を口にして一息深く吸い込んでから、ふっと息を吐き、煙草を持つ手で宙に文字を綴った。
「真珠と書いて『みたま』と読むか、紅水と書いて『くみ』と読むか……にするつもりだったらしいが。一応、瞳はピンクの予定だったようだ」
「真珠は真珠よね? 紅水は……紅水晶? ローズクウォーツの事かしら」
 ローズクウォーツはピンク色だし、真珠にもピンク色のものがある。
「……としたら、やっぱり宝石とか石の名前なのかしら」
 顎に手を添えてシュラインが首を傾げた。そしてそのままつかつかと横に放置された感のある少年に歩み寄り、その前にしゃがみ込む。
「自分の名前っぽいのが出たら頷いてね、って言っても人形じゃ無理か。まあいいわ、とりあえず、言ってみましょ」
 少年の膝の上に手を置き、その顔を――月色の瞳を、覗き込むようにして膝掛けの上から彼の手をそっと掴み、ゆっくりと口を開く。
 触れてみると、やはりその身体は人と違って、硬かった。
 触れても碧摩が怒らなかったのは、もう彼が人間ではなく人形だと分かったから、かもしれない。
「カメレオンダイヤモンド、金剛石、水晶、黄玉石、月長石、氷長石、雪花石膏、蛋白石、蛍石、砂金石、金緑石……」
「……石の種類全部言ってみるつもりですか?」
 ぶつぶつとシュラインが石の名前を羅列するのを邪魔しない程度に、虎之助が尋ねてみた。それにシュラインがコクリと言葉を途絶えさせずに頷いた。
 その後ろで、美咲が顎に手を添えてうーんと短く唸る。
「その、コイツの妹……になるのかはよくわかんねえけど、女の子の方。『一応瞳はピンクの予定だった』って言ったけどさ、一応ってどういう事だ? 結局違う色の眼にしたとか?」
「いや、瞳を入れなかったらしい」
 テーブルの上に置いてある灰皿に伸びた灰を落としながら、唯為がゆっくりと足を組み上げる。
「眼の部分をくり抜かず、そのままその部分を瞼にして、目を閉じた人形にしたそうだ」
「じゃあ瞳の色に拘らないでどういう名前付けてたんだろうな、そのオッサン」
「まあ人形師本人に聞くのが一番早いんだろうが、記憶がないなら聞いても意味はないな。名前が分かっていたらわざわざこんな胡散臭い店に持ってきたりはしないだろうし」
 その言葉に、でも、とシュラインの後ろに立っていた虎之助が声を挟んだ。
「その女の子はともかく、こっちのコイツはちゃんと金色の瞳が嵌ってる訳だし、もしかしたらそれを嵌めると決めた時にもう大体の名前は考えてたって事はないか? 完成した時にはまだ人形師にも記憶はあったんだろう?」
「としたら、出来上がった時にちゃんとその考えてた名前、呼んであげたかもしれないですね」
 愁が言った。そして、さてどうするかと苦笑を零す。
 シュラインが次々に宝石類の名前を発してはいるが、やはり人形にはこれといった反応は見られない。じっと手の上に置かれたシュラインの手を見下ろし、少年は変わらず沈黙を保っている。
 どう手を打ったらいいのか。
「やはり持ち込んだ男を捜し出して、頭殴るなり何なりしてもう一度ショックを与えて記憶取り戻させるか?」
 至極真面目な顔で言う唯為のその台詞が冗談なのか本気なのかはいまいち判然としなかったが、その時、それまで黙って事の成り行きを見ていた遠夜が、控えめに口を開いた。
「僕が、彼の記憶を見ましょうか」
 その言葉に、その場に居た、人形を覗く全員の視線が遠夜に集まった。
「記憶見るって……でもコイツ、人形だぜ? 記憶なんてあるのか?」
「とりあえず、やってみます。いいですか?」
 美咲の言葉に答えて凛と発せられるその言葉に、シュラインが少年の前から立ち上がって場所を譲る。代わりにその場にしゃがみ込み、先程までシュラインがしていたのと同じように、膝掛けの上から少年の手をそっと掴んで。
 遠夜は、その黒曜石のような瞳を少年に向けた。
 絡まる、金と黒の視線。
 人形相手にも、自分の力が通用するかどうかは分からない。
 けれど、仮にも「名前」があり、そして自分の眼を見ることが出来る「瞳」があるのならきっと――大丈夫。
 そう、自分に言い聞かせるように胸の内で思い、遠夜はゆっくりと一つ、深く呼吸した。
 そして、真っ直ぐに金色の瞳を、覗き込む。
「思い出そう……、君の、名前。僕の瞳の中に、君が何処から来たのか……君が誰なのか。その答えが、きっとあるから」
 紡ぐ言葉はどこまでも優しい響きを伴っている。けれど決して緩やかなだけではなく、明朗で、清廉。
 黒い瞳に、柔らかな光を乗せて、紡ぐ言葉。
 意識を導く、詞。
「思い出そう……君と言う存在が創られた、その、時を……」
 遠夜のいる場所から、緩やかに、重く沈みこんでいた空気が柔らかく解きほぐされていくような――歴史ある物に引きずられて暗く澱み伏せていた気が、一瞬にして春の清浄な空気に包まれるかのような。
 不思議な熱波が、広がっていく。
 どこまでも透明に澄んだ、気が。
 侵すべからざる、穢すべからざる、域を形成する。
 そして少年の金の眼を覗き込む遠夜の瞳は冥さを増し、全てを捉え、全てを癒す、深淵となる――。
「……っ」
 ふ、と。
 少年に倣うかのように身動きを止めていた遠夜が、僅かに頭を前方へと傾がせた。
「っ、榊さんっ?」
 危うく人形の身体に頭をぶつけそうになった所を、後ろから誰かが肩に手を添えて受け止めた。
 はっと、遠ざかっていた意識を取り戻して振り返った遠夜は、間近に立っていた愁が自分を捕まえてくれた事を知り、数度忙しなく瞬きした後、深く吐息をついて小さく頭を下げた。
「すみません、もう大丈夫です」
 言って、どこか此の世ならざるものを見ていたかのような深い色を湛えていた瞳にいつもの色を宿し、シュラインの方を見やった。
「彼の、名前……」
「もしかして名前、わかったの?」
 慌てて聞き返すシュラインに、こくりと頷く。
 あれは。
 さっき「視た」ものが、彼の――その瞳に宿された記憶なら。
 その名で、間違いないはず。
 深い愛情が込められた、その、名前。
「…………」
 遠夜が、一つ息を吸う。
 その様を、その場にいる全員が、息を殺して見守る。
 ゆっくりと。
 その名を、遠夜が唇に乗せた。

「琥珀」


<終――巡る、春色の時>

 後日。
 少年――琥珀、という名の人形を預けて行った黒尽くめの男が再び碧摩の店を訪れ、彼を引き取って行ったという。
 黒尽くめの男はやはり霧嶋聡里だったらしく、中途半端に残った記憶で、自分の物と思しき琥珀を、展示されていたギャラリーから盗み出し、ここへ持ち込んだというのだ。
 自分がその人形に何かの名前をつけていたこと。
 そして、なんとなく、その名前が分かれば自分の事ももう少し思い出せそうな気がした、というのが、その主な理由だった。
 とりあえず、まだ霧嶋の記憶は完全ではないようだが、琥珀と、それから琥珀の妹分に当たるもう一つの等身大人形と共に、アトリエで静かに暮らす事にしたらしい。
 自分が創り出した生命と共に日々を過ごすのなら、霧嶋の記憶が戻るのもきっとそう遠くはないだろう。
 天才人形作家が世に戻るのも、きっと、すぐだ。
 楽しみだねえと笑いながら、碧摩はそう、この一件を締めくくった。

               *

 そして日は戻り。
 人形の名前を見つけたその、後。

 買って来たドーナツを食し、残ったものの幾つかを手に碧摩の店を後にしたシュラインは、ふと、道路を挟んだ向こう側の歩道に立つ人物に眼を留めた。
 白い式服を纏い、背で緩く一つに結わえた髪の先を柔らかな春の風になぶらせながら、こちらを黒い双眸で真っ直ぐに見ている、その人物。
 シュラインの視線に気づいて、穏やかに微笑むその人物は。
「鶴来さん!」
 鶴来那王(つるぎ・なお)、だった。シュラインが、碧摩の店に入ってから見ていた面で、思い描いた人物で、草間興信所にたまに依頼を持ち込む人物だ。
 シュラインがかけた声に、彼は軽く頭を下げる。
 走る車もないその車道を斜めに突っ切り、シュラインは彼に駆け寄り、ぽむぽむとその両肩に手を乗せた。
「どうしたのこんな所で! もう身体は平気なの?!」
「ええ、おかげさまでもう随分よくなりました」
「というか、いつものスーツじゃないじゃないの。どうしたのそんな格好で」
 街中で普通に見かけるにはちょっと、違和感がある衣装である。
 それに、彼は至極真面目な顔で言った。
「そこのお店。特殊なお店なんでしょう? 草間に聞いたらこちらにおられると聞いたので……だから、少し気合いを入れて来たんです」
「気合いって」
 その物言いがおかしくて、シュラインは口許に手を当てて笑ってしまった。
「なんでそんな、気合い入れてまでわざわざこんなとこに?」
「ああ、これを」
 差し出された掌の上にのっているのは、小さな箱だった。ピンク色の包装紙に、白いリボンがかけられている。そのリボンの結び目には、小さな桜の花の飾りがついている。
 その桜を見て、少しだけ表情を曇らせたシュラインの額を、もう一方の手の人差し指で軽く突付き。
「春を告げる花を見て、そんな顔しないでください」
「……それは、そうなんだけど」
 彼はもう、平気なのだろうか。
 ちらりと上目遣いに鶴来を見る。彼は、変わらずその容貌に優美な微笑を浮かべている。それが仮面なのか本当の顔なのかは、よく分からない。
「……私にくれるの?」
 差し出された箱に視線を戻す。
「はい。少し日にち、遅れてしまいましたけど」
「日にち?」
「3月14日」
「……ああ、ホワイトデー? あ、ちゃんとチョコ届いたのね?」
「はい。ただ、その……俺が食べる前に甘い物好きな弟に食べられてしまったようなんですが」
「弟? ああ、真王(まお)くんね」
「でも一応、お返しはしておくべきだと思ったので。どうぞ受け取ってください。ただのお菓子ですけど」
 ずいと箱を差し出され、シュラインは微笑んでそれを手に取った。
「ありがたく頂きます。そういえば鶴来さんミスドの新作もう食べた?」
「え? あ、いえ、まだですが」
「そう? なら丁度良かった」
 手に持っていた紙袋を顔の前まで持ち上げて緩く振って。
「ここにあるのよ。よかったら一緒に食べる? すっごく甘いんだけど、抹茶味。抹茶好きなら外せないわよね?」
 ついさっきも食べたばかりだが、何となく、今、彼と一緒にそれを食したい気がした。
 それに、鶴来は緩く首を傾げてから微笑んだ。
「いいんですか? なら、遠慮なく頂きます」
「ちょうどお天気もいいしね、どこかの公園で日向ぼっこでもしながらね?」
「あ、でもいいんですか? 草間、一人で放置しておいて」
「あー平気平気。鶴来さんが心配するような事じゃないわよ」
 これでももう数年、あの事務所で働いているのである。大丈夫だからこその提案だと言外に告げ、そしてふと、彼の顔を改めて見やった。
「黒い服、見慣れてたけど。白も案外いい感じ」
「え? ……そうですか」
「うん。外見だけでも腹黒度が下がっていい感じ」
「腹黒度……ですか」
「見た目で人を騙すのって重要よね」
「……酷い言われ様だ。涙が出そうです」
 そっと目許に手を当てて涙を拭う真似をする彼の肩をぽむぽむと叩き、シュラインはその腕を引いて歩き出す。
「ドーナツのお礼に膝枕くらいはサービスしなさいよ?」
「膝枕……。それ、俺がするんですか?」
「お腹枕でもいいわよ?」
「……ええ、まあ、シュラインさんがそう望まれるのなら?」
「あら、随分聞き分けがいいわね」
「きっとシュラインさん自身が草間に膝枕する為に研究したいんだなぁ、と思うことにして。なら俺は惜しみなく協力する方向で」
「……なんでそうなるのかしら」
 やっぱり中は黒いわ、とぼやくシュラインを穏やかに微笑んで眺める鶴来。
 その笑顔を見ていると、もう、大丈夫だろうと思える。
 けれど。
 並んで歩くその背中にぽんと手を置いて、シュラインは横顔で、言った。
「一人で泣いてないでしょうね? 泣きたくなったら一緒に泣いてあげるから、一人でなんて泣くんじゃないわよ?」
 同じ痛みを知っている者同士だから。
 掛けられた言葉に、鶴来は少しだけ眼を瞠り、やがていつものように微笑んだ。
「そのお礼はやっぱり膝枕の要求ですか? しょうがないですね、そんなに草間にいい膝枕を提供したいなんて……愛情溢れるその気持ち、草間は本当に幸せ者ですね」
「だからっ、なんでそうなるっ!」
「あれ? 違うんですか?」
 わざとらしく首を傾げて問うその頭を殴りつけておいて、シュラインはその場にしゃがみ込んで痛がる彼を放置し、さっさと一人先に行く。
 その背中に。
「ありがとうございます」
 ぽつりと、真摯な声が響き、肩越しに振り返る。
 そしてそこに居る、さっきまでとは明らかに違う質の、仮面ではないと分かる微笑を浮かべた鶴来を見、シュラインも微笑んでみせた。
 二人の間を、春の風が通り抜けていく。
 その風の中に、桜の香りが一瞬したような気がしてシュラインは空を見上げた。
 今は亡き、清廉な少年を思い浮かべて。
 もうすぐ巡り来る、桜の季節を、思って。



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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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整理番号 … PC名 【性別 /年齢/職業】

0086 … シュライン・エマ――しゅらいん・えま
        【26歳/女/翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員】
0642 … 榊・遠夜――さかき・とおや
        【16歳/男/高校生、陰陽師】
0689 … 湖影・虎之助――こかげ・とらのすけ
        【21歳/男/大学生(副業にモデル)】
0733 … 沙倉・唯為――さくら・ゆい
        【27歳 /男/妖狩り】
2193 … 向坂・愁――こうさか・しゅう
        【24歳 /男/ヴァイオリニスト】
2765 … 季流・美咲――きりゅう・みさき
        【14歳 /男/中学生】


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■         ライター通信          ■
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 こんにちは。ライターの逢咲 琳(おうさき・りん)です。
 この度は依頼をお請けいただいて、どうもありがとうございました。
 少しでも楽しんでいただけましたでしょうか?

 シュライン・エマさん。再会できてとても嬉しいです。
 いつもいつも切れ味鋭いプレイングをどうもありがとうございます。
 結局、琥珀の笑顔をご披露することができませんでしたが、そのうち…何か、あるかもしれません…何か。
 あと、お面とドーナツ…どうもありがとうございます(笑)。
 あんな感じでどうだろうと思いながら書いておったのですが、とりあえず前回のEDがアレでしたので、前よりもずっと親密度上がってる感じで。
 また桜、一緒に見に行ってやってください。膝枕をオプションでつけますので(笑)。

 本文について。
 途中、店で調査と外に散歩とに分かれておりますが、あれは、琥珀が「人形ではないか」とプレイングに明記されていた方が、店で調査。そうでない場合には散歩、になっています。
 それから、琥珀の記憶を探る部分。
 その記憶を覗かれたPC様の文章にのみ少しだけ文章が付け足されていて、人形師の思い等が少しではありますが描かれております。…本当に少しですけども(笑)。
 そして、本文にはあまり関係ないですが(笑)、今回参加してくださった方全員が見事に黒髪だったので、琥珀の銀髪が際立っていたのではないかと思ってみたり…(笑)。


 もしよろしければ、感想などをお気軽にクリエイターズルームかテラコンからいただけると嬉しいです。今後の参考にさせていただきますので。

 それでは、今回はシナリオお買い上げありがとうございました。
 また再会できることを祈りつつ、失礼します。