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<東京怪談ウェブゲーム アンティークショップ・レン>


月晶の詞

<序>

 猫の爪の様な細い月が、中空に浮かんでいた、その夜。
 一人の男が、とある店の前に立っていた。
 長くぼさぼさに伸ばした髪に鉢形の黒いよれた帽子を目深に被り、これまた酷くよれて薄汚れた黒いコートを纏い……見るからに、胡散臭い男だった。
 男の前にある店の名は「アンティークショップ・レン」。
 まるで意思あるもののように、辿り着く客と依頼主とを選ぶと言われているその店の前に立っているという事は、ここへ来るべくして来たという事か。
「――……」
 暫し無言で扉の前に立っていた彼は、ややして、ゆっくりとした所作で歩を踏み出した。
 腕に、毛布に包んだ何かを抱えて。

「で。その客が持ってきたってのが、これさ」
 言いながら、この店の店主である碧摩・蓮がカウンターの奥から抱えてきたのは、一人の少年だった。
 歳の頃は、十三、四……くらいだろうか。
 細く繊細な銀糸のような髪に、陶器のように白い肌。真円を描いた月の如く金色の瞳に、それを縁取る長い睫。淡く色づく桜色の唇。
 あまりに整いすぎた感のある顔立ちによく合う真っ白な燕尾服に身を包んだその少年を、店主は近くにあった年代物のロッキングチェアに丁寧な手つきで座らせた。そしてやれやれとでも言うように両手を腰に当てて溜息をつく。
「これだけ置いて出てっちまったんだよねえ、その男。無精髭とか生えてて風体はどこかの浮浪者かって感じだったけど、でもまあ置いてった物自体はご覧の通りなかなかの上物だし、売りに出せばそれなりにいい値はつきそうだとは思うんだけど。マニアとかなら絶対欲しがりそうだしねえ」
 言い終えた直後、ふと視線を感じたのか、彼女が少年に向けていた顔をこちらへと向ける。
「……なんだいその顔。しょうがないだろう、あたしはこれでもここの店主なんだから。売り物にならないものを置いとくわけにはいかないだろう?」
 などと言われても、少年は何を言うでもなく、無言で視線を自分の膝に置いた手へと落としている。幻影黄水晶を丸く磨いて嵌め込んだかのようなつるりとした瞳に天井から吊るされている古びた洋燭に灯る明かりが射し込んで、まるでそこに淡い炎が灯っているかのようだった。光がゆうらりと揺れ、刻一刻と違う表情を作り出している。
 けれどもそんな雄弁な瞳とは裏腹に、視線を揺るがす事もなく無表情で手を見つめている、少年。
 ……彼をじっと見ている内、ふと、何か違和感を感じた。
 はっきりとしない、その、違和感。
 それに気づいたのか、店主がカウンターに戻って其処に置いていた煙管を手にしながら薄く笑った。
「ここへ集まるのは何かしら因縁を抱えたもの。そいつも勿論、その一種」
 声を耳に入れながら、ゆっくりと手を伸ばし、その少年の頬に触れ――ようとしたところ。
「触るんじゃないよ売り物になるかもしれない大事な商品に!」
 一息に吐き出された、店主の叩きつけるような叱責に阻まれた。だが、びくりと身を竦ませた自分とは違い、その少年は微塵も動じたりしない。
 ――やはり、何かが、おかしい。
「で。その『いわく』ってヤツなんだけどね。なんでもそいつ、自分の名前を忘れちまってるらしくてね」
 煙管を器用に手の中でくるりと回して口許に運び、店主は声のトーンを元に戻して淡々と告げる。
「名前を思い出させてやってくれ、とその男は言い置いて出て行ったんだ。もし駄目ならそのまま売り物にして貰っていい、とね」
 名前を、思い出させる? という事は、この少年は記憶喪失か何かなのか?
「まあうちとしては名前なんて思い出させて貰えないほうが売り物に出来て有難いんだけど、まあ一応客からの指示だし、無視する訳にもいかないだろう? 店の信用問題にも関わるしさ」
 そこであんた達の出番って訳さ。
 そう言いながら、彼女は黒い瞳を宙でゆうるりと渦を巻いている煙管の紡ぐ白煙へと向けた。
「こいつに、どうにかして自分の名前を思い出させてやってくれないかい?」
 ああ付け足しとくと、と言を継いで店主は唇を僅かに歪め、笑った。
「そいつ、言葉を喋れないからね。無理矢理聞き出すってのは無理だよ」
 その言葉を受けてもう一度視線を向けて見やった少年は、やはり、ただ黙したままじっと自分の手を、長い睫に縁取られた月の眼で、見下ろしていた。
 感情のこもらない、瞬きさえせぬ冷めた瞳で。


<つい見てしまう、もの>

 真面目に話を聞いていた訳ではない。
 むしろ「どうでもいいか」程度に聞き流しつつ、片腕に愛用のノートパソコンの入ったケースを抱え込みながら複数の人間が肩並べて取り囲んでいる白い衣装の少年に背を向けるようにして、棚に並べられた美麗な細工が蓋に施された懐中時計や悪趣味極まりないごてごてと石を嵌め込みまくった指輪、今にも朽ちそうな錆入りのブレスレットなどを眺めていた向坂 愁は、「ちょっと」と声を掛けられて振り返った。
 いつの間に歩み寄ってきていたのか、店に来ていた者たちに依頼内容を語り聞かせていた碧摩が、すぐ後ろに立っていた。
「前来た時名前教えたでしょ。そっちで呼んでくださいよ」
「そんなことはどうでもいいんだよ」
 微かな抗議をあっさりと一蹴し、碧摩は煙管を口許に寄せて一息吸い込むと、ふうと細く煙を吐きながら首を傾げる。
「この依頼、受けるのか受けないのかどっちだいあんたは」
「え? あー……あの子の名前、でしたっけ?」
「なんだ、一応は話聞いてたのか」
「そりゃまあ、この距離で話が聞こえてないならそれは耳がどうかしてるって事で、病院に行く必要があるかなーなんて思いますけど」
「……いちいちどうでもいい事喋る男だね」
 にっこりと笑うその愁の顔をややうんざりしたように見、碧摩はひらひらと煙管を持つのとは逆の手を、まるで犬でも追い払うかのように振ってみせた。
「だったらとりあえず病院行ってその頭診てもらっといで」
「いやいや、人身売買やってる店主さんよりはまともな頭してると思いますけど」
 微笑を浮かべたまま返す。と、僅かに碧摩が眼を瞬かせた。突拍子もない事を言われた時に人が見せるであろう反応だったが、それに構わず、愁は大きく頭を横に傾がせた。
 問題の少年を、その周辺に立っている人物達の隙間から覗き見るためである。
 件の少年は、ロッキングチェアに大人しく腰を下ろしたままぴくりとも動かずにその場に居る。
 それは、その場の何よりも強い存在感があるような――逆に、周囲にある怪しげな物品に何の違和感もなく溶け込んでいるかのような。
 不思議な感じだった。
 整った容貌は無表情で、それを縁取るように白銀色の髪が緩く頬にかかり、ランプの明かりを受けてほんの少し金色に煌いている。瞳はそれより更に深い、金。
「随分綺麗な子ですね」
「まあ、商品として売りに出そうってくらいだからねえ?」
 返された言葉に、愁は微かに笑う。
「本当にやってるんですか? 人身売買。碧摩さんはそういうのしそうにないと思うんですけど、それは僕の買い被りですか」
「どうだかねえ?」
「まあ僕の可愛い弟と同じ名前だから悪人とは思いたくないっていうのもありますけど……それはともかくとして、幾らなんでも人の売り買いはマズいでしょ」
 笑いながら言う愁にやれやれとでも言うように肩を竦めて、碧摩は軽く煙管を振った。
「で? ブラコン兄ちゃんは一体どうするんだい? 依頼、受けるのか受けないのか」
「いつも碧摩さんが言っている事でしょ? このお店に来るには何らかの理由があるって。なら、僕が今ここにいるのにもちゃんと何かの理由がある訳ですよね。僕は別にここに買い物に来た訳じゃない。とするとその他の理由って一体何でしょうね?」
「……いちいち持って回った言い方する奴だねえ」
 素直に引き受けますと言えばいいのにさ、とぼやきながら碧摩はまた肩を優美に竦めた。
「ま、受けてくれるんならよろしく頼むよ」
「ところで」
 くるりと踵を返して歩き去ろうとした碧摩のその背中に、愁が視線を少年の方へ向けて口を開いた。肩越しに碧摩が振り返る。
「なんだい?」
「あの子。人身売買しそうにないアンティークショップの店主さんが売り物にしたがるって事は『アンティークな物』だと考えていいんでしょうか?」
「ん……?」
 碧摩が、ぴくりと眉を動かす。顎先に手を置きながら、愁はそんな碧摩へと漸く視線を移した。笑みを浮かべたまま。
「あの子、本当は人形だったりしません?」
「……それは質問かい? 確信かい?」
「触っていいなら触って確認しますけど?」
「触るなと言っただろう? ……まあ、どう思うかはアンタの勝手だね」
 それだけを言うと、碧摩はもう振り返ることなくチャイナドレスの深いスリットから白い脚をちらちらと覗かせながらカウンターの方へと去って行った。
 その脚を暫し無言で眺めてから、口許に手を当てて何となく薄汚れた天井を見上げ、愁は誰かの名前を呟き小さく謝罪を述べた。


<名を導く為に>

 カウンターに戻って帳簿に視線を落とし、完全に事態をその場に居た者たちに預けた碧摩をちらと見やってから、その「事態を預けられた者」の内の一人、黒の単と袴の上に紺青色の袖括りの紐を通した白い式服を纏った少年が口を開いた。
 黒髪に黒い瞳、そして黒く艶やかな毛を持つ猫を足許に従えた、彼。
 名を、榊 遠夜(さかき・とおや)と言う。鎌倉市内にある神室川学園に通いつつ陰陽師をしている高校生である。
「なんとか、名前を思い出させないと……ですね」
 その身に纏った、静かで穏やかな空気をそのまま声として紡いだかのような柔らかな声に、頷いたのは中性的な美貌を持つ女性だった。
 草間興信所に足を運べば誰しもが一度は見たことがあるであろうその人物――シュライン・エマは、バレッタで襟足辺りで一つに纏めた長めの黒髪を肩口へと流し、それを指先でもてあそびながら切れ長の眼をじっとロッキングチェアに座らされている問題の少年に向けていた。
 怜悧な青い双眸が、少年の金の瞳をじっと捉えている。
「何となくね、宝石を思い出すのよ。彼見てると」
 金の瞳。銀の煌く髪。それだけではなく、静謐を守り続けている彼のその様自体が、何となく、眺めているだけで容易にその脳裏に宝石の姿を彷彿とさせるのだ。
「……宝石、ですか?」
 シュラインの声に、甘く艶やかなバリトンが返された。ちょうどシュラインとは少年を挟んだ向かいに当たる位置に立っていた湖影虎之助(こかげ・とらのすけ)が、長く整った手指でシャツの胸ポケットに引っ掛けていた眼鏡の蔓に触れながら、黒い瞳を、やはり少年へ向けている。一九〇センチという高身長から椅子に腰掛けている少年を見ると、頭の天辺から見下ろす形になる。
「確かに、雰囲気は分かりますね」
 小さく頷く虎之助のその秀麗な容貌を、特に何の感懐を持つでもなく見返すと、シュラインもつられるように小さく頷いた。
「眼とか、全体の雰囲気とか、そんな感じよね。後はー……」
 言葉を止めて、少年の纏っている白い燕尾服を見る。白に近い銀髪とその服から想像するのは。
「白鳥、とか」
「なら、鳴いてみるか?」
 今度は、シュラインの後方から声が飛んだ。
「声に驚いて我に返り、何か言うかもしれんぞ?」
 どこか愉悦に滲んだ笑いを含んだ声を紡ぐのは、そこにある、どう見ても売り物としか思えない高そうな革張りのソファに遠慮もなく腰を下ろし、足を組み上げて堂々たる様で座っているノーネクタイで黒スーツを纏った青年だった。左耳につけた二つのリングピアスに触れながら、少し目尻が下がり気味の眼を細めて一斉に自分を振り返った者たちを眺めやる。
 不遜な態度がやけに似合うその青年に、シュラインが肩を竦めた。
「それで何か言うなら、蓮さんが大声出した時点でビックリしてるはずじゃない?」
 返された言葉に少し首を傾げるような仕草をしてから、黒スーツの青年、沙倉唯為(さくら・ゆい)は微かに笑った。さらと黒髪が頬にかかり、微かに影を落とす。
「それもそうか」
「っていうかさ」
 それまで黙って年上連中の言葉を聞いていた、背は高いがおそらくこの中で最年少と思われる、二の腕の辺りと胸に金色の校章、そして金色のラインが入った黒い詰襟型の制服を纏った、黒い瞳に凛とした力を宿した黒髪の少年が口を開いた。
「喋れねえんなら筆談とかどうだろ?」
「筆談……確かに、それは一つの手段として」
 いいかも、と言いかけた遠夜の言葉を、けれども言い出した本人が遮った。
「あ、でもめんどいな」
「……面倒ですか」
「だって、書き終えるのいちいち待たねぇとなんねえんだろ? 面倒だ」
 ぽつりと呟いた遠夜にサバサバとした口調で答え、少年――季流美咲(きりゅう・みさき)はちらりと、さっきから黙ったままのもう一人の青年へと眼をやった。
 右に一つ、左に二つのピアスをつけ、細い銀のブレスをかけた左腕にノートパソコンの入った黒いケースを抱えたその青年は、ふと、美咲の視線に気づいて問題の少年とは全く無関係の方へやっていた顔を彼へと向けた。穏やかな気を宿した青い瞳が軽く瞬く。
「なんですか?」
「ん? いや、さっきから黙り込んでるから何かいい案とか練ってんじゃねえのかな、と思って」
「え? いえ、別に何も考えてないですけど」
 あっさりと返された言葉に「使えねぇヤツ」と呟く美咲に、使えない呼ばわりされた本人、向坂 愁(こうさか・しゅう)は苦笑を浮かべた。
「この子を運んできた男の人を捜して事情聴くっていうのも手かもしれませんけど、時間かかりすぎてダメですよね、きっと」
「何者かは気になるけどな」
 相手が何者か分からない以上、闇雲に探し回ってもその所在を掴めるわけはない。
「なら、他の方向からどうにかした方が早いんじゃないか?」
 少しだけ腰をかがめて、少年の頭の天辺から横顔へと視線を移しながら虎之助がもっともな事を言う。そうね、とシュラインが相槌を打った。
「でも、どういう方向からどうするかが問題よねえ」
「あ、それだったらさ」
 少年が腰掛けているロッキングチェアの右側の肘置きに両手を乗せてその場にしゃがみ込み、美咲が下から少年の顔を見上げた。相変わらず、少年は視線を自分の手に固定させたまま、瞬きも身じろぎもしない。
「オレ、コイツと同年代くらいだし、そのよしみってコトであちこち連れてってみたいんだけど」
 外から何らかの刺激を加えれば、何か思い出すかもしれない。
 大体、こんな薄暗い場所に座らされてああだこうだと言われているよりはよっぽど、外に出た方が何か思い出すきっかけが転がっている気がする。
 こんな怪しげなものばかりが溢れかえった非日常的な場所より、もっと日常に近い場所に行けば、何かが記憶に繋がるものがある、……かもしれないと思ったのだ。
「つーわけだからさ。うしっ、お前、オレに付き合えっ」
 言って、チェアのアームに掛けていた手を伸ばして少年の膝に置かれた白い手を取ろうとした。
 その時。
「だから触るなと言ってるだろう!」
 奥から鋭い声が飛んで来て、慌てて美咲は伸ばしかけた手を引っ込めた。そして顔を上げて声の方を見やる。
 当然、その視線の先にいたのは碧摩だった。
「ったく困ったボウヤだねアンタはっ」
「まあまあいいじゃないか、蓮。子供相手にそんなに大声出して怒ってると小皺が増えるぞ?」
 事の次第を面白そうに眺めていた唯為が、ニヤニヤと笑いながら碧摩に向かって宥めているのだか更に神経逆撫でしようとしているのだか分からない台詞を吐く。それに、愁が苦笑した。
「女性に失礼ですよ、それ」
「何か情報握ってるはずなのにそれを晒そうとしない依頼主には相応の台詞と見たが?」
「わかった、わかったからとりあえず唯為は黙っときな」
 それ以上余計な口利いたらナイフ投げるよ、と店主に言われ、唯為は無言で上がり気味の眉をさらに少し持ち上げた。そして、碧摩は一番カウンターの近くに居た遠夜を手招きした。
「……はい?」
 緩く首を傾げてから、けれども素直にカウンターの中へと招かれるがままに入り込んで行った遠夜が手にして戻って来たのは、一台の車椅子だった。
「商品になるかもしれないモノに何かあったら困るからね。はい、退いた退いた」
 少年の前に立っていた美咲を、まるで犬でも追い払うかのような手つきで退かせる。それに、美咲が僅かに眉を寄せた。
「酷い扱いだなオレ」
「本当は外に連れ出されるのは困るんだけどねえ……まあ、依頼主としてあまり非協力的だとまたどこかのタレ目に文句つけられちまうし」
「誰がタレ目だ」
「ここに居る中でその言葉に唯一反応したヤツの事だと思うけどね」
 小皺云々の仕返しなのだろうか、ニヤと肩越しに唯為に向けて笑ってから、碧摩は少年を抱き上げて車椅子へと移動させた。そしてその膝の上にチェアの背に掛けていた白いひざ掛けを広げ置く。膝に置かれたままだった手が、その下に隠れた。
「連れ出す以上はちゃんと何かあったら責任取ってもらうからね、その辺覚悟しといてもらうよ、ボウヤ」
「えっ、外に行ってもいいのかっ?」
「だから。覚悟はちゃんとしといてもらうよ? わかってるだろうねえ?」
 何かあったらタダでは済まさない、と言外にありありと言い放ちながら、碧摩はぱっと表情を明るくした美咲に唇の端を僅かに吊り上げて笑いかけてから、またカウンターへと戻っていく。
 とりあえず、外出許可はこれで出た。
「うっし。じゃあ行くかっ」
「あ、待って。私も行くわ」
 車椅子を押そうとした美咲に、シュラインが軽く手を挙げた。そして、他の4人に目を向ける。
「アンタ達はどうするの?」
 その言葉に、唯為がソファに身を預けたままひらりと片手を振った。
「俺はいい子にしてここでお留守番しておく。王子様がお散歩に行かれている間に、最近それらしい捜索願いが出てないか調べておいてやる。あとはまあ、遺失物はないか、盗難にあったものはないか等も、適当にな。ネットという便利な物もあることだし」
 片っ端から当たれば、何か引っかかる事もあるだろう。
 それに、あ、と愁も右手を挙げた。
「じゃあ僕もそれ、お手伝いします」
 挙げたのとは逆の手にパソコンを抱えているのだから、丁度いいと言えば丁度いい。
「そう。じゃあ湖影くんと榊くんはどうする? 榊くんはこの子と同年代っぽいし、一緒に行く?」
「え? 僕は……」
 左手の人差し指と中指の先を自分の唇に何となく触れさせながら、遠夜は少し迷ってから緩く首を振った。
「いいえ、僕も調べ物のお手伝いしておきます」
「なら俺もここに残って調査の手伝いするかな」
 人手が多いに越したことがないのは、おそらくここに残る側だろう。
「何かあったら電話ください、すぐ行きますので」
「そうね、じゃあ何かあったらすぐ連絡するわ。そっちも、何か分かったら連絡ちょうだい」
 虎之助の言葉に頷いて答えると、シュラインは入り口付近まで車椅子を押して行って待っている美咲の方へと歩み寄り、残る事になった、いずれ劣らぬ秀麗な顔立ちの男達にひらともう一度、手を振った。


<少年考察>

 一人の白い服の少年と、一人の黒い服の少年と、一人の妙齢の女性を送り出すために開いた扉は、束の間だけ店内に清浄な風を舞い込ませたが、すぐにまた固く外界とのつながりを閉ざした。
 重く濁ったような独特の空気が再び、その場を支配する。
「で? どこから手をつけるんだ?」
 三人の後姿を見送った虎之助がぽつりと言った。それに、調べ物の提案をした唯為が、ようやく座っていたソファから腰を上げた。
「とりあえず俺は蓮のパソコンでも借りるとするか。そっちのお前は自分のを使うんだろう?」
 言いながら、答えを待たずにさっさとカウンターに座っている碧摩に向かって「おい、使い勝手のいいパソコン一台貸し出せ」などと交渉を開始する、どこまでも倣岸不遜でマイペースな唯為の背中を、お前呼ばわりされた愁と、その隣に立っていた遠夜、そして最初の問いを発した虎之助が、揃って何となく眺めやった。
「……とりあえず、向坂さんもパソコン使われるんですよね?」
 なら、そこのテーブル借りましょう、とぼんやり立っている愁の代わりに周囲をざっと見渡して窓際にいい場所を見つけ、遠夜が席を勧める。それに穏やかに微笑んで、愁もまた、その隣の椅子を遠夜に勧める。
「時間かかりそうですし、まあゆっくり行きましょうか」
 とん、とテーブルにケースから出した、表面に有名な林檎マークの入ったノートパソコン、iBook G4を開いて起動させる。そして碧摩が出したパソコンを手にくるりと振り返った唯為に手を挙げて笑いかけた。
「ユイちゃん、こっちに席ありますよー」
「だ……っ」
 思わず持ったパソコンを取り落としそうになりながらも、何とか気力でそれをカバーし、唯為がずかずかと足音荒く愁の方へと歩み寄り、威圧するような眼差しを向けて言い放った。
「誰がユイちゃんだ、この阿呆」
「え? ……あ。スミマセン、僕の家の近所に『ゆいちゃん』って女の子が住んでるもので、つい」
「ついもなにもあるかこの阿呆」
 口癖である「阿呆」を連発しつつ思わずその頭に一発ゲンコツでも見舞っておきたい気分になるが、とりあえず、相手がもう一度素直にスミマセンと繰り返した事に免じて勘弁してやることにして。
 気を取り直し、唯為もまた、遠夜が見つけた丸いテーブルにパソコンを置いて起動させる。
「さて。せっかく陰陽師も居る事だし、霊に関わることなら少しは分かりそうな男も居る事だし。聞いてみるか」
 ぎしりと椅子を軋ませて上半身をわずかに捩るようにして背もたれに片腕を乗せると、唯為は立って近くにあった本棚らしきものに背を預けて腕を組んでいる虎之助を見やった。
 いつだったか、一度顔をあわせたことがある。確か、あれは――。
「ああ、西瓜とメロンの」
 口許に手を当てて呟いたその唯為の言葉に、虎之助も、ああ、という顔になる。
 そういえば随分前のそんな依頼の時に顔を合わせていたと思い出すが、だからといってそれについては別に何を言うでもなく、虎之助は姿勢を変えず、唯為に目を向けたまま別の事を口にした。
「聞いてみるか、とは?」
「お前にも聞くが、どう思う? あの小僧」
 愁がなにやら準備中のそのパソコン画面を覗き込んでいた遠夜が、ふと顔を唯為へと向けた。
「どう、とは?」
「記憶をなくしているという事に関して、何か外的要因を感じたかと聞いている」
「それを僕に問われるという事はつまり……単純に殴られたりして、という事ではなく、呪詛や何か物が憑いていたりしないか? という事ですか」
「と、いう事だ」
 返され、遠夜は先程までここに居た少年の様子を思い出す。
 纏っていた気はとても静かで、何か悪い物に影響を受けているようには感じられなかった。
 というより。
「……彼から感じ取れる気……というもの自体が、あまりにも稀薄で……まるで」
 言いかけて、ふと遠夜は言葉を止めた。
 あくまでも仮定に過ぎない事を、まだ何も調べない内から口にするのもどうかと思ったのだ。碧摩には既に問いかけてはいるが、答えは聞けずじまい。真相がどうなのかも分からない。
 が。
 その、止めた言葉を補足するかのように、傍らで頬杖をついていた愁が、ぽつりと言った。
「人形みたいですよねえ、あの子」
 ごくあっさりと飲み込んだ言葉を口にされてしまい、遠夜が愁へと黒い瞳を向ける。そして長い睫毛を二・三度打ち合わせるように瞬きした。
「僕も、そう思いました」
「あれ? 榊さんもですか。やっぱりそう思いますよねえ。あんなに動かなくて、しかもなんだか生きてるってオーラが少しも感じられないなんて普通じゃないもの」
 そんなので人間だと思えるはずがない。
 顔を見合わせて頷く遠夜と愁の様子に、虎之助もまた、目を瞬かせる。
 まさか、自分以外にもそういうような見方をしている者がいるとは思わなかったのだ。
「俺も、何となくアイツを見てるとビスクドールを思い出したんだが」
 陶器のように白いあの肌は、本当に人間だとしたら病的すぎる。碧摩が触れるなと怒鳴るため触って確認することは出来なかったが、おそらく、触れたらきっと、ひんやりと――それこそ、本物の陶器のように硬く冷たかったに違いない。肌にも、明るさをやや落とし気味の室内であるためはっきりとは言い切れないが、あまり、柔らかさのようなものがあるようには見えなかった。
「成る程。揃いも揃ってお人形だと思った、か」
 スーツの内ポケットから煙草を取り出しながら、唯為が目を伏せて笑った。
「確かに、俺もそんな感じがした。……で、呪詛でも憑き物でもないと陰陽師が言い、俺もそう思ったという事はまあまずその点については間違いないとして、だ。なら、あれが人形だとすると、アイツに魂が宿っているような気配はあったか?」
 俺は感じられなかったが、と付け足し、唯為は煙草の先に火を点けながら虎之助の方へと銀色の双眸を向ける。そしてその目をさらに遠夜と愁へと向けた。
 この店にあっては、別に物に魂が宿っているなどと言う事も大して珍しくはなさそうだが、ならばあの少年はどうだったのか。
 意見を求められ、虎之助はかぶりを振る。
「そんな気配は感じられなかったが」
「そうですね、僕にもそういった気配は何も。魂が宿っていたとしたら、それはそれで……何か、少しでも命の息吹のようなものは感じられる筈です。それに本来の肉体に宿っているわけではないから、明らかに違和感を感じるはず」
 けれど、そういったものは何も感じられなかった。
 足許にいる黒猫の姿をした使い魔の「響」を腕に抱き上げながら言う遠夜に、愁も同意するように頷く。
「命の宿りを感じられなかったから、やっぱり、人形じゃないかなぁ、と。たとえ記憶をなくしていたとしても、あそこまで静かだと……人じゃない感じが」
 静か、というのは別に物を言わないという事を指している訳ではない。発せられる気、のことである。
 生物からなら大体感じられる、気。「気配」とも言うそれがあの少年からは一切感じられず、そこいらにある「物」と同様にしか思えなかった。
「まあ、当の本人がアレで、しかも店主が触るなと怒鳴るとなるとどうにも触って硬さなどを見て人形と判断する、というわけにもいかんし……まあとりあえずこっちはこっちで、出来る範囲で調べてみるか」
 言いながら唯為は煙草をくわえて両手を空けると、パソコンのキーボートの上にその指を滑らせながら、とりあえずはここ最近のニュースなどをざっと流し見ていく。
「さて、じゃあこっちも調べてみようか。検索の言葉、どういう風に絞ろうかな」
「彼を、人ではなくあえて人形と考えて……あの大きさですし、ちょっとあまりありふれてるとは思えないので、その辺で絞ってみたらどうですか?」
 響の頭を指先で撫でながら提案する遠夜に、愁がこくりと頷き、キーを慣れた手つきで叩き始める。
 とりあえず調べ物を開始したらしい三人に、虎之助がもたれていた本棚から身体を離しながら、外界への扉に向かいながらポケットから携帯電話を取り出した。
「なら俺は警察に電話でもして、捜索願いとか調べてもらってくる」
「ああそうしてくれ。ついでに紛失物と盗難の件についてもよろしくな」
 モニターから目を離さずに、淡々と唯為が言い添えた。


<出生秘話>

 ここの所大きく世間を騒がせているニュースといえば、鶏が感染するというインフルエンザの話だろうか。
 一時期、アメリカからの牛肉輸入のストップの影響で某牛丼チェーン店が牛丼の販売をやめる事になったなどという話題もやたらとニュースで流されていたが、店が牛丼販売を中止する事を、今もまだテロなどで危険な状態にある地域に向けて自衛隊を派遣するか否か、というニュースと同列で流すというのもどうなのだろうか。
 ある意味、ここは物凄く平和な国なのかもしれない。
 そんな、今はとりあえずどうでもいい事を思いながらネットの海を漂っていた愁は、ふと、その双眸に映りこんだ文字に手を止めた。
「榊さん、これって」
 画面から隣に座っている遠夜へと視線を移した所、どうやら遠夜も同じところを見ていたらしく、画面に目を固定したまま小さく頷いた。

人形作家・霧嶋聡里(きりしま・さとり) 個展初日に行方不明に
 有名人形作家、霧嶋聡里(本名:霧嶋 聡/きりしま・さとる(32))が、2月26日から行方不明になっている。当時、霧嶋氏は二週間に渡る個展を開催予定で、その日はまさに個展初日だった。
 氏は25日深夜、交通事故に遭い記憶の大半を喪失。その翌日の26日に病院から姿を消したもよう。現在も行方不明のままで、個展に出されていた数点の人形もまだ個展会場となったギャラリーに置かれたままである。

「……氏の人形は見る者の心を雁字搦めにし、その世界に一旦足を踏み入れると、人形は唯の人形ではなく、一人の人間として見えてくる。彼らに心を囚われたが最後、その世界から抜け出すことは容易ではない。それは、苛烈――そしてこの上もなく、甘美な世界。一目見れば最早縷説は要せず。言葉語る前に、心はその虜となる」
 書かれた文章を平坦な口調で読み上げた遠夜の後に、愁も続けてその後に続いていた文章を読んだ。
「人形――氏、曰く「子供達」の全長は、約六〇センチ。皆白い服を纏った、いずれも秀麗な容貌の持ち主達である。更に氏は、その個展合わせで等身大の少年少女を作り、無事完成。身長一六〇センチの少年と一五〇センチの少女は、まさに人が創り出した最上の、美しき生命そのもののようだった」
 二人が、顔を見合わせる。
 これはまさに、あの少年のことではないだろうか?
 声には出さなかったが、お互いの顔に浮かんだ表情がその言葉を発していた。
 そこに、唯為が声を挟んだ。
「そのデカいお人形さん、一つが盗まれて行方不明になっているらしいぞ」
 言いながら、くるりと使っていたパソコンを回して、画面を二人の方へと向けた。
 そこに映されていたものを見、遠夜と愁が同時に「あっ」と声を上げる。
 銀色の髪に、金の瞳。そして白い服を纏った――少年。
 それはまさしく、さっきまでここに居た、名前を忘れているあの少年だった。


<呼ばれし、名>

 携帯電話を使用するために外に出ていた虎之助が店内に戻った時、店内に居た三人はテーブルにパソコンを残したまま席を立っていた。
 だが、どこへ行ったのかと捜す必要はなかった。
「お前は最初から分かっていたんだろう? なら何故最初にそう言わなかったんだ、阿呆」
「先に言っていたら変な先入観与えちまっただろう? だからあえて黙ってたんだよ」
「先入観? 阿呆、先入観も何も事実だろうがそれが」
「どう思おうがそっちの勝手だね。大体、あたしは一言も『人形じゃない』なんて言ってないよ。大体何回も人の事阿呆阿呆言うんじゃないよ」
 という、唯為と碧摩の声がカウンターの方から聞こえたからである。
 どうやら何かを掴み、それについて碧摩に文句をつけているようだが――とりあえず虎之助もそちらへ向かおうとして、ふと途中でテーブルの上に放置されていたパソコンの画面を覗き見る。
「あ、湖影さん。どうでした?」
 扉の開閉に合わせて店内に響いたドアベルの音で虎之助が戻ってきたらしいと分かっていた愁が、振り返ってテーブルの方へと歩み寄った。それに、ああ、と頷いて収集した情報を口にしようとしたその時。
 からんと、またドアベルが鳴った。
 全員が、その音に引かれるように視線を開いた扉へと向ける。
 まず、開いたドアの向こう――逆光の中から現れたのはシュラインだった。大きくドアを開き、少年が乗った車椅子を中へと招き入れる。
「ただいまー、っと」
 明るい声で言って、美咲が車椅子を中へと押して入ってきた。それに、唯為の近くにいた遠夜がこくりと頷く。
「お帰りなさい」
 その足許で、響も遠夜の声に合わせるようにぱたりと尻尾を振った。車椅子をその近くまで押しやり、美咲がしゃがみ込んで響の頭をわしゃわしゃと撫でる。
「おう。ちょうどおやつの時間だったから土産にドーナツ買って来たけど……お前にもネコ缶買ってくりゃよかったかな」
 式神がネコ缶なんて食べるだろうかとその場にいた者は思ったがとりあえず誰一人としてツッコミを入れる事もなく、ちらりと無言で遠夜へ視線を向ける。
 遠夜は真面目な顔で、緩く首を傾げた。
「でも、缶買ってきてもそのまま食べさせるのはちょっと……。かといって売り物になってるお皿使わせて貰うのもどうかと思うし」
 お皿に出したら食べるの?
 と、思わずツッコんでしまいそうになったシュラインの言葉より先に。
「式はネコ缶食わんだろう」
 素早く唯為がツッコんだ。
 が、それに更に虎之助が口を開く。
「というか、ネコ缶よりもコイツの事だろ」
 軽く曲げた人差し指の関節を車椅子のヘッドレストの上にコツンと当てながらズレまくった話を軌道修正し、怜悧な眼をそこに座っている少年の頭の天辺に落とす。
「警察に電話したら、コイツらしいヤツの盗難届けが出てたぞ」
「盗難届け?」
 響から手を放して立ち上がった美咲と僅かに眉を寄せたシュラインの声が見事にハモる。そういえば、とシュラインがそのまま言葉を続けた。
「この子、人じゃないわよね? 心臓の音とか全然聴こえないから、生きてるとは思えないんだけど」
「ええ。人ではなく、人形みたいですね」
 窓際にある丸テーブルの上に置いたままだったノートパソコンに歩み寄り、愁がその画面のフレームに手を置いた。そして映し出されているものを見るようにシュラインと美咲に促す。
 そこにあるのは、一人の人形師失踪のニュース記事。
 眺めやったシュラインが、眼を瞬かせた。
「……霧嶋聡里?(きりしま・さとり)」
 三〇代のその男人形師。個展開催前日に交通事故に遭って記憶の大半を失くし、その翌日、本人も失踪したという、その記事。
 さらにそこには、彼が作っていたとされる人形についての記事も載せられていた。
 何らかの特殊な仕掛けが施された、身長一六〇センチほどの少年と身長一五〇センチほどの少女の人形を作成した、と。
「それって、やっぱりアイツのことか?」
 美咲が視線をパソコン画面に置いたまま、軽く顎先をしゃくって少年を示した。それに、愁がもう一つのパソコン画面を向ける。
 そこに映し出されている画像を見、あっ、とまたしてもシュラインと美咲の声が重なった。
 映っているのは、確かに、今ここに居るあの少年だった。
「つまり、あの子はその霧嶋氏が作った人形だったって訳ね?」
 どうりで心音も呼吸音も、身じろぎも会話もしないわけである。
 しかし、だ。
「としたら、名前はどうなの?」
「それなんだが」
 唯為が、スーツのポケットから携帯電話を取り出し、パソコン画面の下のほうに記されていた電話番号をプッシュし始めた。
「人形がまだ、いくつか個展が開かれたギャラリーに残っているらしい。その個展の関係者なら何か知っているかもしれん」
 上手くすれば、人形の名前を聞くことが出来るかもしれない。
 ……だが。
 通話が繋がった相手と暫し会話を続けていた唯為が、僅かに上がり気味の眉を寄せた。
「何だと? ……なら、まあいい。とりあえずその他のを言ってくれ」
 電話の向こうに向かってそう言いながら、手で、何か書くものを寄越せとジェスチャーする。それに、遠夜がカウンターにいる碧摩からメモ用紙とペンを受け取って差し出した。
「……あかに、まそお、ちぐさ、るり、はとば、はした、とくさ、もえぎ、しこく……」
 呟きと共に、唯為がそのメモにつらつらとその言葉どおりの文字を綴っていく。その手許を覗き込み、美咲が眉を寄せた。
「名前か? これ」
「『ちぐさ』って、普通に女の子とかにつけそうな名前ですよね」
 遠夜の言葉に、虎之助も頷く。
「『もえぎ』もありそうだな。『るり』も」
「でも他のはあまり聞きませんね。あかに、まそお、はとば……」
 二人の間で交わされる言葉に、ふと、先程唯為がつらつらと順に名前を紡いでいた時に何か思い当たったような気がして首を傾げていたシュラインが、あ、と短く声を出した。
「それ、色の名前だわ」
「色、ですか?」
「ええ、ちょっと貸して」
 愁の問いかけに答えるように、シュラインが唯為の手許からペンを奪って、書きつけられた平仮名の横に漢字を書きつけていく。流石に幽霊作家などをやっているだけの事はあり、文章や文字に関する知識は豊富なようだ。
 赤丹(あかに)、真朱(まそお)、千草(ちぐさ)、瑠璃(るり)、鳩羽(はとば)、半(はした)、砥草(とくさ)、萌葱(もえぎ)、紫黒(しこく)。
「赤丹と真朱が、赤色。千草と瑠璃が青ね。鳩羽と半が、紫。砥草と萌葱が、緑。紫黒は文字通り、黒」
「人形の眼の色に合わせてつけられた名前らしい」
 通話を切った電話をポケットに戻しながら、唯為が椅子を引いて腰を下ろしながら言った。
「赤系の名前の奴は赤い瞳だったそうだ」
「でもこれ、金色はねえぞ?」
 少年の眼は、金色である。美咲が眉を寄せた。
「意味ねえじゃん。あ、でも色が名前のヒントって事は重要か」
「そうだな。金色か黄色、茶色系の名前のどれかに当たりがあるんだろうし」
 けど、と虎之助が煙草に火を点けている唯為を見やった。
「なんでアイツらしい名前はないんだ? つけてなかったのか?」
「その小僧を作った直後に人形師が事故に遭ったらしくてな。失くした記憶の中にその名前も封じられたんだろう」
 名前を何かに書き残していたりもしなかったようで、結局、展示中、少年は無名だったらしい。事故前からその人形を展示する旨は伝えられていたので、業者側は人形師の記憶云々に構わず人形をアトリエから搬出したそうだ。
「そういえば、女の子の方は? どんな眼の色で、どんな名前だったんですか?」
 書きつけられた名前の文字列を眺めながら、愁が問うた。
 同時期に作った人形。
 しかも、少年と同じ等身大の人形だ。二体の間に何か関連があるかもしれない。
 それに、唯為は煙草を口にして一息深く吸い込んでから、ふっと息を吐き、煙草を持つ手で宙に文字を綴った。
「真珠と書いて『みたま』と読むか、紅水と書いて『くみ』と読むか……にするつもりだったらしいが。一応、瞳はピンクの予定だったようだ」
「真珠は真珠よね? 紅水は……紅水晶? ローズクウォーツの事かしら」
 ローズクウォーツはピンク色だし、真珠にもピンク色のものがある。
「……としたら、やっぱり宝石とか石の名前なのかしら」
 顎に手を添えてシュラインが首を傾げた。そしてそのままつかつかと横に放置された感のある少年に歩み寄り、その前にしゃがみ込む。
「自分の名前っぽいのが出たら頷いてね、って言っても人形じゃ無理か。まあいいわ、とりあえず、言ってみましょ」
 少年の膝の上に手を置き、その顔を――月色の瞳を、覗き込むようにして膝掛けの上から彼の手をそっと掴み、ゆっくりと口を開く。
 触れてみると、やはりその身体は人と違って、硬かった。
 触れても碧摩が怒らなかったのは、もう彼が人間ではなく人形だと分かったから、かもしれない。
「カメレオンダイヤモンド、金剛石、水晶、黄玉石、月長石、氷長石、雪花石膏、蛋白石、蛍石、砂金石、金緑石……」
「……石の種類全部言ってみるつもりですか?」
 ぶつぶつとシュラインが石の名前を羅列するのを邪魔しない程度に、虎之助が尋ねてみた。それにシュラインがコクリと言葉を途絶えさせずに頷いた。
 その後ろで、美咲が顎に手を添えてうーんと短く唸る。
「その、コイツの妹……になるのかはよくわかんねえけど、女の子の方。『一応瞳はピンクの予定だった』って言ったけどさ、一応ってどういう事だ? 結局違う色の眼にしたとか?」
「いや、瞳を入れなかったらしい」
 テーブルの上に置いてある灰皿に伸びた灰を落としながら、唯為がゆっくりと足を組み上げる。
「眼の部分をくり抜かず、そのままその部分を瞼にして、目を閉じた人形にしたそうだ」
「じゃあ瞳の色に拘らないでどういう名前付けてたんだろうな、そのオッサン」
「まあ人形師本人に聞くのが一番早いんだろうが、記憶がないなら聞いても意味はないな。名前が分かっていたらわざわざこんな胡散臭い店に持ってきたりはしないだろうし」
 その言葉に、でも、とシュラインの後ろに立っていた虎之助が声を挟んだ。
「その女の子はともかく、こっちのコイツはちゃんと金色の瞳が嵌ってる訳だし、もしかしたらそれを嵌めると決めた時にもう大体の名前は考えてたって事はないか? 完成した時にはまだ人形師にも記憶はあったんだろう?」
「としたら、出来上がった時にちゃんとその考えてた名前、呼んであげたかもしれないですね」
 愁が言った。そして、さてどうするかと苦笑を零す。
 シュラインが次々に宝石類の名前を発してはいるが、やはり人形にはこれといった反応は見られない。じっと手の上に置かれたシュラインの手を見下ろし、少年は変わらず沈黙を保っている。
 どう手を打ったらいいのか。
「やはり持ち込んだ男を捜し出して、頭殴るなり何なりしてもう一度ショックを与えて記憶取り戻させるか?」
 至極真面目な顔で言う唯為のその台詞が冗談なのか本気なのかはいまいち判然としなかったが、その時、それまで黙って事の成り行きを見ていた遠夜が、控えめに口を開いた。
「僕が、彼の記憶を見ましょうか」
 その言葉に、その場に居た、人形を覗く全員の視線が遠夜に集まった。
「記憶見るって……でもコイツ、人形だぜ? 記憶なんてあるのか?」
「とりあえず、やってみます。いいですか?」
 美咲の言葉に答えて凛と発せられるその言葉に、シュラインが少年の前から立ち上がって場所を譲る。代わりにその場にしゃがみ込み、先程までシュラインがしていたのと同じように、膝掛けの上から少年の手をそっと掴んで。
 遠夜は、その黒曜石のような瞳を少年に向けた。
 絡まる、金と黒の視線。
 人形相手にも、自分の力が通用するかどうかは分からない。
 けれど、仮にも「名前」があり、そして自分の眼を見ることが出来る「瞳」があるのならきっと――大丈夫。
 そう、自分に言い聞かせるように胸の内で思い、遠夜はゆっくりと一つ、深く呼吸した。
 そして、真っ直ぐに金色の瞳を、覗き込む。
「思い出そう……、君の、名前。僕の瞳の中に、君が何処から来たのか……君が誰なのか。その答えが、きっとあるから」
 紡ぐ言葉はどこまでも優しい響きを伴っている。けれど決して緩やかなだけではなく、明朗で、清廉。
 黒い瞳に、柔らかな光を乗せて、紡ぐ言葉。
 意識を導く、詞。
「思い出そう……君と言う存在が創られた、その、時を……」
 遠夜のいる場所から、緩やかに、重く沈みこんでいた空気が柔らかく解きほぐされていくような――歴史ある物に引きずられて暗く澱み伏せていた気が、一瞬にして春の清浄な空気に包まれるかのような。
 不思議な熱波が、広がっていく。
 どこまでも透明に澄んだ、気が。
 侵すべからざる、穢すべからざる、域を形成する。
 そして少年の金の眼を覗き込む遠夜の瞳は冥さを増し、全てを捉え、全てを癒す、深淵となる――。
「……っ」
 ふ、と。
 少年に倣うかのように身動きを止めていた遠夜が、僅かに頭を前方へと傾がせた。
「っ、榊さんっ?」
 危うく人形の身体に頭をぶつけそうになった所を、後ろから誰かが肩に手を添えて受け止めた。
 はっと、遠ざかっていた意識を取り戻して振り返った遠夜は、間近に立っていた愁が自分を捕まえてくれた事を知り、数度忙しなく瞬きした後、深く吐息をついて小さく頭を下げた。
「すみません、もう大丈夫です」
 言って、どこか此の世ならざるものを見ていたかのような深い色を湛えていた瞳にいつもの色を宿し、シュラインの方を見やった。
「彼の、名前……」
「もしかして名前、わかったの?」
 慌てて聞き返すシュラインに、こくりと頷く。
 あれは。
 さっき「視た」ものが、彼の――その瞳に宿された記憶なら。
 その名で、間違いないはず。
 深い愛情が込められた、その、名前。
「…………」
 遠夜が、一つ息を吸う。
 その様を、その場にいる全員が、息を殺して見守る。
 ゆっくりと。
 その名を、遠夜が唇に乗せた。

「琥珀」


<終――玲瓏の向こうに>

 シュラインと美咲が買ってきたというドーナツを片手に持ち、愁は空いた手で開いたままだったパソコンの電源を落としてぱたりと蓋を閉じケースにしまい込んだ。
 そして残り一口分のドーナツを口に放り込んで咀嚼してから、もう一方の手でパソコンを抱えて席を立つ。
「それじゃ、僕はこれで失礼しますね」
 最初に碧摩に言ったように、別に自分はここに何かの用事があって来た訳ではない。何となく、足が向いてしまっただけ。
 そして今、此処へ導かれる原因になった「用事」は無事に終了した。
 ならばもう、後は帰るだけ。
 くると足を外界へと続く扉へ向けた、その背中に。
「ちょっと待ちな」
 碧摩の声が掛けられる。カウンターの方から、つかつかと彼女が歩み寄ってきた。
「ほら、忘れ物」
「え?」
 差し出された物を見、愁は目を瞬かせる。
 それは、黒い箱だった。
「……忘れ物って、僕はそんなの持ってきた覚えないですけど」
「莫迦だね。報酬だよ。どうせアンタ、金じゃなくて別の物が欲しいとか言い出すんじゃないかと思ってね」
「まあ、それは確かに……お金はいいので何か物をいただけた方が嬉しいですけど」
「だから、これ。この中から好きなのも選んで持ってっていいよ」
 今回の一件が、結果的に石にまつわる事だったからだろうか。言いながら碧摩が愁に差し出したのは、黒い天鵞絨で裏打ちされた箱で、中には色とりどりの石が並んでいた。
「ウォーターオパール、ファイアオパール、ファセットブルームーン、ロイヤルブルームーン、スタースピネル、アメトリン……まあいろいろあるけど、石自体大きめだからそこそこ値の張る物ばかりだよ」
「……名前言われても僕にはさっぱり分からないんですけど」
「見てごらんこのプレイオブカラー……見事じゃないか」
「なんですかプレイオブカラーって……」
 呟いた所、ふと、一番端の方に収められていた石に眼が留まった。
 直径三センチほどの、黒い石。
 いや、黒いだけでなく、光が当たると僅かに青いような紫色を帯びる。
「これ……」
「ん? ああ、黒曜石かい?」
 深く澄んだ黒というのがあるのなら、こういうものを言うのだろう。艶やかで、けれども決してそれ以外の何かに染まりそうにもない。表面に浮かぶ紫の光でさえ、その黒に同化している。
 とても、綺麗だと思った。
 ……いや、綺麗だからというだけで惹かれた訳ではなく。
 それは。
 その、色は。
「え? なんだい?」
 ぽつりと零した呟きに問いを返した碧摩に慌てて頭を振ると、愁はその、端に収まっている黒曜石を指差した。
「これ、いただけますか?」
「ああ、構わないよ。なかなか眼が高いね、玲瓏を選ぶなんてさ」
「玲瓏?」
「光が入る黒曜石を、そう言ったりするんだよ」
 言いながら、ケースをテーブルに置いて肩に引っ掛けているコートのポケットから白手袋を取り出し嵌めると、丁寧な手つきで愁が指定した石を取り出した。そしてそれを、近くにあった棚から取り出した小箱に収める。
「ほら、持っていきな」
「ありがとうございます」
 パソコンを一度テーブルに置いてから、愁は両手でその小箱を受け取った。
 酷く大切な物を扱うようなその手つきに、碧摩が手袋を脱ぎながら僅かに眉を持ち上げた。
「なんだい、そんなに慎重に扱わなくてもそう簡単に壊れやしないよ。石なんだから」
「いえ、そうではなくて」
 微かに笑って、愁はそれ以上答えずに箱を上着のポケットにしまうと、パソコンを再び抱えてぺこりと頭を下げた。
「それではまた」
「ああ、お疲れさん」
 ひらりと手を振ってカウンターへ戻っていく碧摩のその背を見送りもせず、愁もくるりと踵を返し、扉へと足を向ける。
 少し重くなった、ポケット。
 そこにある石の色を思い、小さく微笑む。
 その石に惹かれた理由。
 それは。
 ――好きな人の瞳と、同じ色だったから。
「さてと。顔、見に行こうかなっ」
 店を出ると、一つ大きく伸びをしてからゆっくりと歩き出す。
 手に入れた石と同じ色の……いや、もっと澄んだ瞳を持つ、あの人の元へ。


 後日。
 少年――琥珀、という名の人形を預けて行った黒尽くめの男が再び碧摩の店を訪れ、彼を引き取って行ったという。
 黒尽くめの男はやはり霧嶋聡里だったらしく、中途半端に残った記憶で、自分の物と思しき琥珀を、展示されていたギャラリーから盗み出し、ここへ持ち込んだというのだ。
 自分がその人形に何かの名前をつけていたこと。
 そして、なんとなく、その名前が分かれば自分の事ももう少し思い出せそうな気がした、というのが、その主な理由だった。
 とりあえず、まだ霧嶋の記憶は完全ではないようだが、琥珀と、それから琥珀の妹分に当たるもう一つの等身大人形と共に、アトリエで静かに暮らす事にしたらしい。
 自分が創り出した生命と共に日々を過ごすのなら、霧嶋の記憶が戻るのもきっとそう遠くはないだろう。
 天才人形作家が世に戻るのも、きっと、すぐだ。
 楽しみだねえと笑いながら、碧摩はそう、この一件を締めくくった。



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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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整理番号 … PC名 【性別 /年齢/職業】

0086 … シュライン・エマ――しゅらいん・えま
        【26歳/女/翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員】
0642 … 榊・遠夜――さかき・とおや
        【16歳/男/高校生、陰陽師】
0689 … 湖影・虎之助――こかげ・とらのすけ
        【21歳/男/大学生(副業にモデル)】
0733 … 沙倉・唯為――さくら・ゆい
        【27歳 /男/妖狩り】
2193 … 向坂・愁――こうさか・しゅう
        【24歳 /男/ヴァイオリニスト】
2765 … 季流・美咲――きりゅう・みさき
        【14歳 /男/中学生】


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■         ライター通信          ■
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 こんにちは。ライターの逢咲 琳(おうさき・りん)です。
 この度は依頼をお請けいただいて、どうもありがとうございました。
 少しでも楽しんでいただけましたでしょうか?

 向坂 愁さん。
 初めてのご参加、どうもありがとうございます。
 いえ、シチュエーションノベルにて、弟さんとご一緒のお話で少し関わらせていただきましたので、正確にははじめましてではないのですが…。
 何となく、常に微笑んでいるけれど、どこか飄々としていて捉えるのに苦労しそうで…弟くんが大好きだったり恋人さんが大好きな…。
 というようなイメージで書かせていただきましたが…違っていたら申し訳ありません…。
 沙倉さんに「阿呆」と言われ、碧摩さんに「病院へ行け」と言われ…なんだか散々ですね(汗)。本当に、なんだかいろいろスミマセン…。
 あ、最後に碧摩女史から報酬として渡された物には特殊な力が…とかいう事はありませんので、本当に、ただの報酬として、お受け取りください。

 本文について。
 途中、店で調査と外に散歩とに分かれておりますが、あれは、琥珀が「人形ではないか」とプレイングに明記されていた方が、店で調査。そうでない場合には散歩、になっています。
 それから、琥珀の記憶を探る部分。
 その記憶を覗かれたPC様の文章にのみ少しだけ文章が付け足されていて、人形師の思い等が少しではありますが描かれております。…本当に少しですけども(笑)。
 そして、本文にはあまり関係ないですが(笑)、今回参加してくださった方全員が見事に黒髪だったので、琥珀の銀髪が際立っていたのではないかと思ってみたり…(笑)。


 もしよろしければ、感想などをお気軽にクリエイターズルームかテラコンからいただけると嬉しいです。
 今後の参考にさせていただきます。

 それでは、今回はシナリオお買い上げありがとうございました。
 また再会できることを祈りつつ、失礼します。