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<東京怪談ウェブゲーム 草間興信所>


 代表取締役、失踪中につき(前編)
 
 今日は、非番。
 のんびり過ごそうか……などと朝の時点では思っていたのだが。
 カンカンカンという火災を思わせるような鐘の音に目を覚まし、飛び起き、支度を整えている自分がいる。それは、空気が乾燥しています、火の扱いには気をつけましょうという防災の呼びかけであったのに。
 これっていうのは条件反射、ちょっぴり職業病っぽいかも……と思いながら、もう一度眠ることも考えてはみたが、支度はすっかり整っている。準備万端スタンバイOKという状態。せっかくだから、そのまま出掛けてみることにした。
 自然と足が草間興信所に向いていたのは、無意識に事件の気配というものを感じ取っていたせいなのか、それとも何かに呼ばれたのか、はたまた単なる偶然だったのか。
 興信所の扉を開く。
「……では、お待ちしています」
 そう言って草間が受話器を置くところだった。扉が開かれたことに気づいた草間は顔だけをこちらに向ける。疾風がにこりと笑顔で敬礼をすると、草間も軽く敬礼をする真似をした。
「もしかして、何か事件だったり……?」
「かもしれないな。早急に調べてほしいことがあるらしい。詳しいことはここで話すそうだ」
「じゃあ、邪魔だったりして……?」
 疾風が小首を傾げてみせると、草間は軽く横に首を振った。
「いや、そんなことは。むしろ、ここにいてほしい。そして、依頼されたものが怪奇な事件であったなら、俺の代わりに解決してきてほしい」
 うんと頷き草間は言った。ちらりと疾風を見やる。視線があったところで疾風は軽く笑い、了解ですと頷いた。
「とはいえ、穏やかな口ぶりだったからな」
 そう切羽詰まったものでもなければ、怪奇系でもないのだろうと草間は小さく息をつく。そのままなんとはなしに興信所で時間を過ごしていると、銀色のさらりとした髪を持つどこか上流階級な気配が漂う紳士的な男が訪れた。依頼人かと思ったが、そうではないらしい。用件はあるようだが、待たせてもらうと穏やかに答え、奥へと移動する。次に女性が訪れた。二十代半ばと思われる腰まで届こうというさらりとした黒い髪、蒼い瞳が印象的だった。今度こそ依頼人かと思ったが、そうではないらしく、草間と軽く言葉を交わしたあと、興信所の隅の方へと移動する。そのあと、扉が叩かれた。
 現れたのは、三十代前半から半ば程度と思われる男。穏やかな、しかし、慣れた調子で頭を下げる。草間が男に対し、軽く会釈をし、ソファを示したから、これが先程、草間が言っていた依頼人なのだろう。
「仕事が順調なんですよ」
 そんな言葉から草間と男の会話は始まった。その言葉だけでは、何を調べてほしいのかは、わからないが、草間が言うとおり、切羽詰まったものは感じない。怪奇系依頼(?)ではないように思える。
「私はとある零細企業……いえ、企業と呼ぶにもおこがましい、小さな、本当に小さな会社の経理を担当しています」
「いや、そこまで小さいを強調しなくても……」
 草間は眉を顰めて言う。確かに、謙遜を通り越して卑下しているとまで思えるほどの言い方。相当に小さい会社なのか、それとも何か思うところがあるのか。
「実は、代表取締役が無断欠勤をしていまして。自宅に電話をかけても、留守。数日前からその姿を見たものはいない……」
「なるほど。会社が倒産、夜逃げにも等しい失踪……よくあることです……と、待て。仕事は順調だと言っていたな……?」
 草間は納得がいかないという顔で小首を傾げる。確かに、訪れてすぐさま、男は仕事が順調だと口にしている。
「ええ。彼がいないので」
 にこやかに男は答える。草間はなんとも言えない顔で言葉に詰まった。
「……。それって……」
「彼は、悪い男ではないのですよ。ですが、それが問題で。馬鹿がつくほど正直なうえに、お人好し。しかも、騙されやすい。お涙頂戴な話に弱く、そのせいで傾くわけがない経営をしていたはずが、今にも潰れそうですよ」
 穏やかかつにこやかに語る男は、そうそうと思い出したように写真を取り出し、失踪中の彼ですと差し出した。草間は戸惑いながらもその写真を受け取る。
「いや、そうにこやかに語られてもな……」
「そういうわけで、彼は会社の経営が危ういからとんずらしたというわけではないと断言できます。それと、姿を消す前に、彼はこう言いました。祖父の家を整理してくる。この土地と館を売れば、少しは返済にあてられるかも」
「そして、祖父の館へと赴き、代表取締役の彼は失踪したと?」
 草間の言葉に男は頷いた。
「失踪できるほどに館は広いのか?」
「扉を入り、ホール。正面に階段。その両脇に廊下があり、左側の廊下から中庭へと出ることができます。ホールの右手の扉は応接室へ。左手の扉は食堂。そして、その奥に調理場。階段の右側の廊下を真っ直ぐに行くと右側に扉が三つ、途中で廊下は左に折れ、さらに扉がひとつ。廊下の左側には常に中庭の光景を臨むことができます」
 男の説明を聞き、草間はうーんと唸る。
「つまり、館自体はコの字型をしているということか?」
「そうですね。一階の扉のうちひとつが化粧室。ひとつが浴室。ひとつが物置。廊下を左に折れたところにある扉は遊戯室へと続くものです。二階は客室が四つに書斎と寝室、物置があったと思います」
 それと地下室と屋根裏があったと思いますが、どこに入口があるのか覚えていませんと男は付け足した。
「しかし、失踪できるほどの広さとは思えないな……」
 確かに。疾風は草間の言葉に頷いた。ひとつひとつの部屋がそれこそ馬鹿みたいに広かったとしても、話に聞く限りの構造では迷いそうにない。
「ああ、そうそう。ひとつ忘れていました」
 そんな男の言葉に草間の表情が強張る。
「彼の祖父、母はオカルトに傾倒した人だったようです。悪魔を呼び出すだか、異界の扉を開く研究だとかなんとか……正直、私にはちょっとそのあたりはよくわかりません。ただ、反面教師か、彼はオカルトに対し、嫌悪感を抱くというか……否定的です」
「あんたもそうだろうが」
「いえ、否定はしませんよ」
「そうだったな、政府の陰謀なだけだよな……」
 草間が疲れた顔で付け足すと、男はそうですとあっさり頷く。
「とはいえ、根が優しく優柔不断気味な彼ですから、否定というより、認めたがらないだけです。オカルトに遭遇すると、現実逃避傾向がみられます」
「それなら、オカルト万歳な祖父の館で整理をしていて不意に嫌になって逃亡したんじゃないのか?」
 これはあり得るのではないかという顔で草間は言う。が、男は穏やかな表情を微塵にも崩さずに言葉を返した。
「彼の車は庭に放置したままです。それと、そんな館ですから、周囲の人々からの評判はすこぶる悪く、近づく者はいないとか。結構、有名な怪奇スポットらしいですね」
 庭の石像が月夜に飛び回る、肖像画の目が動く、鎧騎士が廊下を徘徊するといった話も聞きましたよと男は付け足す。
「結局、そういう方向に話が進むんだよな……」
 草間はぼやき、嘆くように首を横に振る。結局、人探しではあれど、怪奇系の依頼に分類できそうな内容だった。
「それはそうでしょう。あなたは、怪奇探偵。だからこそ、私はあなたにこの依頼を持ちかけたのですよ」
 とどめを刺すように男は言い、笑う。
「認めたくない……認めたくないが……」
 もう諦めるべきなのか……草間はがっくりと肩を落とし、ため息をつく。それを確認し、男はそれではよろしくお願いしますと頭を下げ、興信所をあとにした。
「なんだか、もう……どうしてくれようという感じだが。とりあえず、依頼内容は祖父の館に乗り込んだまま帰らない代表取締役の行方を探る、だ。依頼者は夜逃げはないと断言しているから、夜逃げの線ではなく、館で行方不明になったという線で調査をするべきなのだろうが……」
 しかし、どう考えても、よほどの方向音痴でも行方不明になろうとしてなれる造りとは思えないんだがなと草間は付け足す。
「どうにもうさんくさい館だが、ひとつ頼まれてやってくれないか?」
 と、言いながら草間は場を見回す。その視線が疾風で止まった。
「了解です」
 疾風は敬礼をしながらにこりと笑う。そう、自分は消防士。人を助けることが自分に課せられた任務。非番であってもそれは変わらない。
 草間は喜ばしそうにうんと頷いた。そのあと紳士的な男を見つめた。男は優美な微笑みをたたえ、頷く。そして、最後、草間はもうひとりの女性を見つめた。じっと見つめて視線を外さない。やがて、観念したように女性は小さく息をついた。
「館ものって言えば、ホラーが定番よね、そういえば」
 そして、そう言った。
 
 社長が行方不明になったという問題の祖父の館へとやって来た。
「へぇ、本当に『怪奇スポットの洋館』って感じなんだ……」
 二階建ての洋館を囲うものは、蔦の絡まる背の高い壁。開け放したままの門の向こうに前庭があり、そこに背に翼を持つ西洋の悪魔を模したような石像が二つ設置してある。その奥に洋館があり、入口の扉が見える。門をくぐり、すぐ右手は背の低い雑草がちらほらとはえた平地で、手入れがされているわけではないが、駐車場というわけでもないそこに、とりあえず停める場所がないので停めておきましたという雰囲気で車が一台だけ停めてある。
「そうね……まさにこれぞという感じ」
 同じように館を見つめ、そう答えたのは田中緋玻。外見は落ちつきを払った二十代の女性で、どこか憂いのようなものを秘めた蒼の瞳が印象的だった。しかし、見た目のしとやかさに反して、行動的であるように思える。もうひとりの調査仲間、セレスティ・カーニンガムは調べることがあるというので、二人で先行というかたちになっている。
「確か……石像が飛ぶんだっけ」
 疾風はそう呟き、門をくぐるとすぐに石像へと向かう。緋玻もそれに続き、二人で台座の上の石像を見あげた。近くで見ると、石像が鎖でがんじがらめになっていることがわかった。鎖の先端は重厚な錠前がついている。鍵がなければ鎖は外せそうにない。
「……。つまり、飛ばないようにということなのかしらね……」
 緋玻の言葉どおり、飛ばないように鎖で押さえつけてあると考えるべきだろうか。
「水、抜いておこうかと思ったんだけど……」
 これじゃあ動けないかと疾風は呟いた。害がありそうならば、先手を打って、物質から水分のみを引き出し、干上がらせるその力を使おうかと思っていたのだが、これではなんだか気の毒というか、面白いというか。この奇妙な光景はこのまま保存しておいてもいいかなと思える。
「あ、いや、えーと、社長サン、探そうか」
 言葉の意味がわからなかったらしい緋玻が不思議そうな顔で自分を見つめている。その眼差しに気づき、疾風はそう言った。屋敷の正面の扉へと向かい、その扉に手をかけた。鍵がかかっているかと思ったが、反応はない。
「ねぇ、」
「はい?」
 呼びかけられ、疾風は振り向く。
「……ううん、なんでもないわ」
 緋玻は何か言いたそうな表情を浮かべていたものの、それ以上は口にしない。疾風はそのまま扉を開き、館のなかへと足を踏み入れる。
 男が説明していたとおり、そこはそれなりに広いホールだった。正面には一般住宅では考えられないほどに無駄に広い二階への階段が見える。一般的住宅の階段では人がひとり通ることがやっとというところだが、目の前の階段は二人で並んで二階へ向かっても、まだ空間に余裕がある。さすがに三人だときついかと思われるくらいだ。
「一応、呼んでみる?」
 とりあえず、これはお約束かなと思いながら疾風は緋玻を見つめた。緋玻が頷いたことを確認し、大きく息をつく。
「社長さーん、シャッチョさーん、いますかー?」
 疾風の声がホールに響きわたり、そして、館に吸い込まれるように消える。……誰かが現れそうな気配は、ない。
「やっぱり、いないようね」
「うーん。そうだ、動く鎧があるんだっけ。鎧といえば、やはりホールに……」
 動く石像の他に、動く鎧があるという話だった。疾風はきょろきょろとホールを見回し、鎧はないかと探してみた。
 それなりに広いホールの左右には扉がひとつずつある。男の話では、右に見える扉は応接室、左に見える扉は食堂ということだっただろうか。正面の階段の横にはそれぞれ廊下が伸びている。現在位置からではその奥までは確認できないが、左側の廊下の奥は中庭へ通じる扉へ、右側の廊下はかなり真っ直ぐ伸びたあと、途中で左に折れるという話だったような気がする。それはあとでゆっくり確認するとして……とりあえず、ホールに鎧は見当たらない。
「ホールにはないのかな。ん、あれって……」
 階段の右側の床に何か黒っぽいものが無造作に転がっている。その近くには棒のようなものもある。調べるために駆け寄ると、緋玻もやはりそれが気になるようで、あとをついてくる。二人でそれを確認した。
 黒っぽいものは、今となっては懐かしい黒電話だった。ただし、何か強い力を加えられたようで、正常な形状は保っていない。見るからに、壊れている。そして、その近くに落ちているものは、水道管のパイプ、所謂、鉄パイプというものだった。
「……」
 お互いに言葉もなく壊れた(壊された)電話を見つめる。近くには電話を置いてあったと思われる台座がある。壁から線が出ているのだが、途中で切断されている。電話から出ている線も途中で切断されていた。
「これって……やっぱり、アレなのかなぁ?」
「そうねぇ……やっぱり、アレなのかしらねぇ?」
 きっと、お約束で電話が鳴ったに違いない。さらに、お約束で線が切れていたに違いない。だから、お約束で破壊したに違いない。……そっか、社長はやるときはやる人(?)なんだ……そんなことを考えていると、緋玻が身を翻した。階段の左側へと向かう。何かあるのだろう。疾風もそのあとを続いた。
 階段の左下には家具調の大きな振り子の時計があった。文字盤の位置は自分の目の高さに近い。振り子はまるで動いていないから、壊れている可能性は極めて高い。
「あら……この時計……」
 時計の文字盤を見つめ、緋玻は小さく声をあげた。通常、ガラスか何かで蓋をしてありそうなものだが、文字盤の部分には何もない。それに、短針のみで、長針が見当たらない。緋玻は手を伸ばし、短針に触れる。動かそうとしたらしいが、動かなかったようだ。
「ん?」
 疾風はふと床に何かが転がっていることに気づき、屈んだ。どうやら、時計の長針であるらしい。短針と似たような形状で、長さだけが違う。それを拾い、立ち上がる。緋玻を見つめると、こくりと頷いた。疾風も頷き返し、時計盤に長針を差し込む。抵抗なく時計盤は長針を受け入れた。そこにあることが当然であるというように。
「んー、ちょっと緩い感じかな? とりあえず……」
 疾風は実際の時間を確認したあと、指で長針を動かす。かちかちという音と共に長針は動き、時間があわせられたのだが……。
「何も起こらないわね。振り子も動く気配はないし……」
「実は、電動式だったり。……コンセントは、ないか」
 時計の裏側は壁にぴったりとつけられているので確かめることはできないが、少なくとも側面にコードはなかった。
「なーんか、アヤシイんだけどなぁ」
「文字盤の部分にガラスがなく、長針が外れた振り子時計……かなり、怪しいわ。だけど、ここは怪しいものばかりみたいだし」
「それもそっか」
「そうよ」
 と、はははははと笑う。……笑っている場合ではない。
「ともかく、話に聞くとおりの胡散臭い館であることはわかったわ。でも、危険はなさそうだから、手分けして探りましょうか」
 この時計は確かに怪しい。だが、現時点ではそれ以上のことはわかりそうにない。ならば、他から手掛かりを得るべきだろう。それに、一番の目的は社長の行方。館の怪しい仕掛けを解くことではない……が、社長を見つけ出すためには館の仕掛けも関係してくるような気はしている。
「了解!」
 疾風は軽く敬礼をしたあと、一階と二階、どちらから探索を始めるかと考える。一階は緋玻が調べそうな雰囲気があったので、とりあえず、二階へ向かうことにした。
 
 やたらと広い階段だと思ったが、途中で踊り場にあたる部分から上部は一般的な階段の幅に狭まり、左に折れていた。二階の廊下部分との関係でそうなっているのだろうが、踊り場から伺う二階の廊下はやけに暗く感じられた。
 何か出そうな雰囲気は満点。
 そういえば、社長は大のオカルト嫌いでオカルトに遭遇すると現実逃避をするとか、どうとか……ふと依頼人の言葉を思い出す。
 もしかしたら……布団にもぐって寝たふりをしているかもしれない。いやいや、眠ることもできずにがたがたと震えているかもしれない。疾風は、布団にくるまり、ベッドの隅の方でがたがたと震えている社長の図を頭に思い浮かべながら、まずは寝室を覗いてみることにした。
 階段をあがりきり、二階の廊下に立つ。とりあえず、コの字型をしている館のコの下の部分にあたるのだろうか。目の前の壁には窓がある。右手は壁で、左手はわりと広い廊下だが、階段がある部分だけは少し狭くなっている。
「さて、と……」
 とりあえず窓の外を覗いてみる。左の方に車が少しだけ見えた。窓から離れ、振り向くと、廊下が真っ直ぐに伸び、途中で左に折れている。右手側の壁には扉が二つあり、廊下が折れる部分、つまり、正面に扉がひとつある。
 確か、二階は……寝室と書斎と物置、そして、客室が四つという話であったような気がする。依頼人の話では、二階に扉は七つあることになる。だが、二階のどこに寝室があるのかは聞いていないため、わからない。とりあえず、ひとつずつ開けて部屋を確かめるしかない。疾風は最も近い場所にある扉へと歩き、躊躇うことなく扉を開けた。
 二十畳はあるだろうか。いや、もっと広いかもしれない。一般住宅やマンションでは二部屋に分けるだろうなという空間にベッドにクローゼット、テーブルに椅子という質素な造りの部屋には、物が少なく、使われている形跡はない。
「ん?」
 テーブルの上に紙がある。メモらしきその紙には、テーブル×1、ベッド×1、椅子×2……と書いてあった。どうやら部屋の備品が記入されているらしい。整頓終了とも書いてある。
 ……わりと、マメな人なのかもしれない。まだ会ってはいない社長の想像図に『やるときはやる人』の他に『わりとマメな人』が追加された。疾風は紙をテーブルの上に戻し、部屋をあとにした。
 隣の扉を開けると、部屋の広さ、造り、備品等もほぼ同じで、残されているメモの内容も似たようなものだった。そこから考えて、ここと隣の部屋はおそらく客室なのだろう。客室は四つだから、似たような造りの部屋があと二つはあるはずだ。とりあえず、社長が隠れている気配はなさそうなので、次の扉へと向かった。
 廊下が突き当たり、左へ曲がる。正面の扉を開ける前に、左に折れた廊下の先を見つめた。左に折れた廊下は真っ直ぐに伸びていて、やがてさらに左へと折れる。自分が開けようとしている扉を含めずに、扉は三つほど確認できた。扉は合計で七つあるわけだから、あの廊下を折れた先にある扉の数は、ひとつということになる。
 そんなことを考えながら扉を開けてみる。
「うわ」
 埃っぽい空気。一目見て、いや、その空気で物置だとわかった。雑多に置かれた物には、見てわかるほどに埃が積もっている。置かれているというより、放置されているという言葉が似合うそれらは、家具が多かった。白い布をかけられているため、なんであるのかわからないものもある。布を取り去ればわかるのだろうが、埃が舞いあがりそうな気がした。そこまでして布の下にあるものを確認する必要はあるだろうか。少なくとも、あの下に社長は……いや、まて。
 人の高さ、形をしたものに白い布がかけられている。怖さのあまり白い布をかぶって置物のふりをしているとか……いや、さすがにそれはあり得ないか。ポーズがポーズだし。けれど、一応、確認。疾風はそーっと白い布をめくってみる。美術の授業に使われそうな石膏像が姿を現した。
「そうだ、社長メモはないかな、社長メモ……あった、あった」
 ふとメモの存在は思い出し、この部屋にもなかろうかと探してみる。わりとわかりやすい位置にメモは置いてあった。石膏像、絵画、椅子など不要な備品多数、窓が開かない……と書かれている。ともあれ、社長の気配はない。疾風は部屋をあとにし、次の扉へと向かう。
 物置の隣は、客室だった。その隣も客室で、部屋の広さや備品、メモの内容が同じであったので、探索することなく、扉を閉める。次の扉は、コの字型をした館の上の角の部分に相当する。下の角に相当する部分は物置だった。残る部屋は書斎と寝室だが、広さ的には寝室だと思われる。事実、扉を開くとそこは寝室だった。
 この部屋は使われていた形跡がある。広さは客室とそれほど変わらないが、それでも物は多い。テーブルや椅子、クローゼットの他に飾り棚や書棚もある。書棚に並んでいる本は小説だろうか。
「うーん、いない、か……」
 ベッドを使っていた形跡はあるから、ここで寝泊まりしていたとみて間違いないだろう。だが、社長の姿はない。
 ここにいないとなると……そうだ、食堂かもしれいない。何か嫌なことがあったときは、食べて嫌なことを忘れようとするものだ。疾風は、ひたすら食べて現実を忘れようとしている社長の図を思い浮かべた。
 思い立ったら、すぐ実行。疾風は寝室を飛び出すと階下の食堂へと向かう。ホールを入って左側に見える扉が食堂という話だった。入口の正面の階段からおりてきた自分が向かう先は、右側の扉ということになる。
 扉を開ける。
 一般家庭では、まず使われそうにない長方形のテーブルに、椅子がいくつ並んでいるだろうか。かなりの人数で食事ができそうなそこに、社長の姿はない。だが、食事をしたであろう痕跡を見つけた。テーブルの上にはコンビニの袋、そして、菓子パンとカップラーメンが置いてあった。
 ……料理ができない人なのかもしれない。社長想像図に『料理ができない人』が新たに追加された。
「メロンパン、クリームパン、アンパン……激辛キムチ焼きそば……うーん?」
 甘いものが好きなのか、辛いものが好きなのか。まあ、社長の趣向などどうでもいいかと思いながら、コンビニ袋を覗いてみる。……単二と呼ばれるサイズの電池が入っていた。まだ包みを開けてはいない状態で、使われてはいない。菓子パンの賞味期限を見てみると、まだ賞味期限内で食しても問題はない。
「ここにもいないかぁ……」
 他に社長がいそうなところはないだろうか。疾風は菓子パンをテーブルの上に置きながら考える。……トイレはどうだろう。ふとその脳裏にトイレの個室でがたがたと震えている社長の図が鮮やかに浮かびあがった。そう、何か恐ろしいものに遭遇した主人公は、やめておけばいいのに、トイレに駆け込み、鍵をかけてしまうのだ。そこでがたがたと震えていると、ひとつずつ扉を開ける音がして、次は自分の個室……だが、何も起こらない。ほっとして顔をあげると、上から覗き込んでいた……というものが学校の怪談の定番。
 ……でも、ここは学校ではなかったっけ。その定番はないかと思いなおし、書斎へ向かうことにした。思い浮かぶものは、書類を片手に固まっている社長の図。いや、そもそもそんな簡単なところにいるのであれば、依頼人によって発見されているだろう。
 そうだ、依頼人がわからないと言っていた場所にいるに違いない!
 疾風は不意に思い立つ。
 確か、依頼人がわからないと言っていた場所は、屋根裏と地下室。社長はそのどちらかに隠れている、きっと、そうだ、そうに違いない。……本当にそうか? 多少の疑問を覚えつつも、思考よりは実行と疾風は行動を開始する。事実を確認していくことで一歩ずつ社長へと近づいている……はず。
 屋根裏というものは、その名のとおり、屋根の裏なのだから、天井の上、つまりは二階のどこかに入口があると思われる。地下室は、やはりその名のとおり、地下なのだから、一階よりも下、つまりは一階のどこかに入口があると思われる。地下室への入口といえば、怪しい場所は!
 疾風は食堂から続く扉を見つめた。食堂の奥には調理場があると言っていたはず。地下室といえば調理場! たぶん、もしかしたら、絶対にそうだ! ……と、他人が聞いたらどっちなんだよと突っ込まれそうなことを考えながら、疾風は入ってきた扉ではなく、調理場へ続いているだろう扉に手をかけた。
 
 がっくりと肩を落として書斎へ続く廊下を歩く。
 調理場に地下室……絶対に怪しいと思ったのに。事実、調理場で地下室に続く通路は存在した。が、地下室はただの食料貯蔵庫だった。
 書斎に辿り着き、扉を開ける。
「調子はどう?」
 緋玻だった。それなりに広い部屋の壁には天井まで届きそうな書棚が並べられている。重厚な造りの机と椅子があり、その机の上には持ち運びができる、今となっては懐かしい存在となりつつあるラジオがついているカセットデッキがあった。ふと、食堂の電池のことを思い出す。
「地下室なら調理場かなーって調べてみて、実際、地下室はあったけど……」
 疾風は苦笑いを浮かべながら、こめかみを指でかく。
「貯蔵庫だった?」
 緋玻はにこりと笑う。疾風は言葉では答えずに笑みを返した。……どうしてわかったんだろう?
「でも、ちょうどよかったわ」
 緋玻はちょいちょいと手で招く。招かれ、疾風は素直に緋玻の隣に立ち、書棚を見あげた。
「調べようと思っていたところなの」
「よっしゃ! ……でも、そこにあるカセットデッキが気になるかも」
 書棚と向かいあうも、疾風はそんなことを言い、机の方を見やる。ちょっと電源を入れてみたいところなのだが……。
「不用意に再生しない方がいいわよ。悪魔を呼び出す呪文かも……」
 神妙な表情で眉を顰めながら緋玻は言う。冗談なのだろうが、しかし、この館ならあり得るかも……とも思えてしまう。
「それは怖い……ってのは冗談にしても、社長さん、電池を買ったみたいで。何に使うのかなーって思ってたんだけど、アレがソレっぽいかなって。でも、あとでいいか」
 疾風は書棚に向き直る。そして、早速、作業を開始した。こういう場合は本のひとつが仕掛けのスイッチになっているものだよなと思いながら本をいじる。と、扉を叩く音がした。反射的に見やると、そこにはセレスティがいた。
「こちらでしたか」
「あなたもいいところに来たわね」
 緋玻は微笑み、疾風は苦笑いを浮かべた。本当にいいタイミングだ。手伝いに来てくれたとしか思えない。
「?」
 セレスティも加わり、三人で書棚を調べようとすると、その意図を知ったセレスティは緋玻と疾風の手を止めさせる。
「待って下さい。それならば……」
 セレスティは書棚の本に静かに触れる。しばらくそうしたあとに、一冊の本を傾けた。途端、書棚がゆっくりと動き、扉が現れた。
「扉だ! 社長さん発見まであと少し……かな?」
 でも、どうしてわかったのだろう。疾風はセレスティを見つめる。セレスティは、眼差しの意味に気づいたのか、なんとなくですよと答え、扉を示す。
 扉は鍵がかかっているということもなく、あっさりと開いた。狭い空間に、木製の梯子が屋根裏へと続いている。早速、梯子を使い、屋根裏へと乗り込んだ。
 低い天井のそこにはテーブルと書棚があるだけで、他には何もない。人が隠れられる場所もないので、社長はいないということになる。屋根裏の隅で体育座りをしながら『の』の字を書く社長の図……を想像していたのだが、残念、ここにはいなかった。
「書棚の本は……オカルト関係みたいね……」
 書棚を眺めながら緋玻は言う。疾風はテーブルの上にあった本を手に取った。ダイアリーとあるから、日記なのだろう。
「日記発見。なかなか達筆……」
 疾風はぱらぱらとページをめくり、そう言った。しばらくそうやってページをめくったあと、不意に手を止める。気になる文面を見つけた。
 番号は孫の誕生日にしよう。それならば、忘れることはあるまい。
 番号といえば、思い当たるものがひとつある。疾風は振り子時計の存在を思い出しながら、誰に言うともなく、言った。
「社長さんの誕生日っていつだろう?」
「さあ……わかりませんが……知っていますか?」
 セレスティは小首を傾げ、緋玻に訊ねる。緋玻は少し考えたあと、黒い手帳を取り出した。それを開き、答える。
「わかった、五月十三日よ。でも……それがどうかしたの?」
「番号は孫の誕生日にするって書いてあるから……この人の孫というと、社長さんだから……あー、でも、他にも孫がいるかもしれないなぁ」
 考えてみれば、社長にも兄弟がひとりっ子だという話は聞いていない。他に兄弟がいるかもしれないし、従兄弟がいるかもしれない。いたとしたら、それらはすべてこの日記を書いたであろう祖父の孫ということになる。
「いえ、いませんよ」
 確信をもってセレスティは言う。それについては調べがついているのだろう。ならば、もう、迷うことはない。
「じゃあ、五月十三日が番号なんだ!」
「もしかして、あの時計?」
「そう! でも、なんで社長さんの誕生日……あ、それって?」
 疾風は黒い手帳を見つめたあと、その中身を覗き込んだ。社長のパーソナルデータが書き込んである。そのなかに、携帯電話の番号もあった。番号がわかるのであれば、かけてみるべきだろう。疾風は自分の携帯電話を取り出した。
「社長さん、携帯、持ってるんだ。それなら……あ、圏外」
 アンテナが一本も立ってはいない。圏外の二文字が並んでいた。
「仕方がないわね。とりあえず、時計の針をあわせてみましょうか」
 
 一階ホールの階段左下にある振り子時計の前へと戻った。
「五月十三日だから……」
 時計の長針をどのように動かせばいいのだろう。
「ゼロ、五、一、三になるのかしら?」
 緋玻は言う。では、そのとおりに動かしてみるかと指を伸ばすと、セレスティの声が響いた。
「いえ、五時十三分かもしれませんよ?」
 疾風はどちらにするんだと難しい顔で訴えてみる。と、緋玻は言った。
「あなたはどう思う?」
「僕は……じゃあ、一、七、一、三にしようかな?」
 少しひねってみよう。疾風はにこりと笑ってそう答えた。
 意見が出そろったところで、ひとつずつ確かめてみる。まずは、簡単な五時十三分から。かちかちと音をたてながら針を動かす。五時十三分にあわせたが、何も起こらなかった。次に、十二時、五時、一時、三時の順にあわせてみる。……何も起こらなかった。次に、一時、七時、一時、三時にあわせてみる。……何も起こらなかった。
「あれー、駄目みたいだ。どうしよう?」
「じゃあ、五、一、三は?」
 緋玻の言葉に従い、疾風は針を動かしてみた。五時、一時、三時。すると、階段の側面にあたる壁がゴゴゴゴゴと低い音をたて、時計が震えた。左側へとまわってみると、壁が動いて通路が現れている。
「やったぁ!」
 階段の側面に現れた通路は、暗い。そのなかを少し進むと、扉があった。そこを開けてみる。ちょうど階段の下の部分にあたるだろうか。どこからか光が差し込むため、うっすらと明るくはあるのだが、やはり、暗い。壁を探るとスイッチがあった。押すと、かちりという音のあと、電灯が点いた。
「これは……」
 狭い空間だった。その床下には赤色で何かが描かれていた。円形に細かな模様のようなもの。魔法陣や魔法円と呼ばれるものに似ている。壁には赤い布、テーブルの上には燭台に蝋燭。そして、ナイフ。怪しげな儀式を連想させる。
「なんか、本格的だなぁ……」
 疾風は魔法陣に足を踏み入れる。何か起こるだろうか……何か、大きな力が働いたような気はするが、光っただとか、音がしただとか、煙が出ただとか確実に何かが起こったと思わせる変化はなかった。
「あれ?」
 ただ、二人の姿がない。変だなと思いながら通路の方へと戻る。壁は閉じられていて開いてはいない。近くを探るとレバーがあった。引いてみると、部屋の方から声がした。どうやら二人は後ろにいたらしい。
 通路を通って外に出る。そこは階段の側面だった。ホールが見える。背後で通路が閉じたことを確認してから、周囲を見回した。
「違う場所というわけではなくて……同じ場所……?」
 緋玻は呟く。しかし、なんだか微妙に落ちつかない。何かが、どこかが違うような気がする。全体的に館内が古ぼけているような気がするし、何より、長針をあわせたとき、こんなにも夕暮れが近い状態だっただろうか。
「とりあえず、館内を探ってみませんか?」
「そうね……」
 セレスティの言葉に緋玻が同意し、では改めて館内を探索するかと行動に移りかけたとき、またもゴゴゴゴゴという低い音が響いた。閉じていた壁が開く音。
 いったい、誰が。
 緋玻もセレスティも振り子時計に触れてはいない。
 お互いに顔を見あわせ、開きつつある壁に向かい、身構えた。
 
「あ、皆さん。やっと合流できましたね……」
 少し苦笑い気味の笑みをたたえながら、開いた壁から姿を現したのは、黒髪の青年。首の後ろで長い紙を緩くまとめている。
「あなた、どうして……?」
 緋玻は青年のことを知っているらしかった。青年は柚品孤月と名乗り、少し困ったような笑みを浮かべながら事情についての説明を始めた。
「ええ、実は……草間さんに話を聞いて、少し調べることがあったので遅くなったわけなんですが……」
 柚品の話によると、草間から遅れて柚品が訪れるという連絡が入るはずだったのだが、ここの電話は壊れているし、携帯は圏外。結局、連絡のつけようがなかったということらしい。
「ここへ訪れてみたら、社長さんだけではなく、皆さんもいなくなっていたので、少し、慌てましたよ」
 柚品は言い、改めてよろしくお願いしますと軽く頭を下げる。いえいえこちらこそと軽く頭を下げ返したあと、疾風は外へ続く扉が、僅かながら開いていることに気づいた。どうにも気になり、てくてくと扉の方へと歩く。
「確かに、それは慌てるかもしれませんね。……あ、どこへ行くんですか?」
 背後からセレスティの声がかかる。疾風は振り向かず、扉まで歩いた。
「なんか扉が開いてるから、ちゃんと閉めておこうかなって……あれ、車がない……」
 扉を開けると、そこにあるはずの車がなかった。外へと出て確かめるが、やはりないものは、ない。見れば、庭の光景も少し違う。石像に鎖はついていない。庭の草はかなり背が高くなり、正面の門は錆びて、片方が外れている。
「盗まれた……とは思いがたいわよね……」
「足跡があるけど、社長さんのもの……かなぁ?」
 疾風は地面を見つめ、言った。湿りけを帯びた土の上には靴の跡がしっかりと付いている。いくつか乱雑についてはいるが、どれも同じ靴のものであるような気がした。その足跡のひとつを辿ると門の外へと続いている。顔を見あわせたあと、お互いにこくりと頷いた。そのまま足跡を辿るうちに、陽は完全に落ちて周囲は薄暗くなり、そして、うっすらと霧のような、もやのようなものを感じるようになった。
「社長さん、民家のある方へ歩いて行ったみたいだけど……携帯が使えればなぁ」
 楽なのにと疾風は呟く。すると、それを聞いた柚品が言葉を返した。
「洋館の辺りは圏外ですが、町は圏外ではないので……おそらく、この辺りならば使えるかと……」
 もう少し歩かないと無理かなと柚品は付け足す。疾風は携帯を取り出し、眺めた。圏外の二文字は消えただろうか。
「んー、微妙なところ。アンテナ、一本立ったかなー、いや、消えちゃったかなーというカンジ」
 そのまましばらく歩くと、周囲の霧は濃くなり、行く手が見えづらくなってきた。まとわりつくようなその霧は、ただの霧なのだろうが……どうにも気味が悪い。
「もうかなり町の近くですよね? 先がまるで見えませんが……」
 セレスティは言う。周囲の霧は一層、濃くなった。乳白色のそれに遮られ、視界が悪い。周囲五メートル程度がなんとか確認できる程度で、距離のある建物は朧気に形がわかる程度だった。
「じゃあ、社長さんに電話をしてみよう」
 緋玻は手帳を取り出し、疾風に見せる。疾風は社長の携帯番号を軽やかに押した。呼び出し音が幾度か響き……誰かが出た。
『はい……』
 落ちついた声が聞こえてくる。社長に違いない。
「あ! 社長さん?! よかった、助けにきましたよ。ああ、そう、経理さんから頼まれました。今、どこにいるんですか?」
 明るい声で疾風は言う。さり気なく理由も説明したから、疑われることもないだろう。あとは、どこにいるのか場所を聞いて、社長に会えばいい。
『経理……ああ、彼に頼まれて……そうか、よかった、霧が深いから迷ってしまって……それに、なんだかここは……なっ、なんだ、あなたたちは……うわっ』
「え? しゃ、社長さん? 落ちついて、そういうときこそ、落ちついて……せめて、現在位置……あ。切れちゃった……」
 切れてしまった。有事の場合、慌てているから仕方がないのかもしれないが、場所を告げない場合が多い。火事です、助けて下さい、お願いです、早く来て下さい……早く行きたいから、まずは住所を教えてくれ、と思う。今回もそんな感じだ。
「もう一度、電話をかけてみては?」
 柚品の言葉に頷き、疾風はリダイヤルを押す。呼び出し音が響くが、社長は出ない。代わりに、セレスティが口を開いた。
「……こちらの方から音楽が聞こえてくるようです」
 耳を澄ます。セレスティの言葉どおり、音楽らしきものが聞こえてくる。その音楽を頼りに霧のなかを進む。微かな音楽は次第に明確になっていく。携帯の着信メロディであることは間違いない。
「おかしいですよね」
 不意に柚品は呟く。
「もう陽が暮れたというのに……灯が点かない……この辺りには民家がそれなりにあるはずなのに。それに、コンビニも、ガソリンスタンドも……」
 柚品は館の付近のことも調べたのかもしれない。知っているような口ぶりで周囲を見回す。町は停電状態である……というのも辛いか。
「あ、誰かいる……」
 音楽がかなりはっきりとしてくると、霧のなかに背中が見えてきた。それは地面に転がっている携帯を見つめている。近づくにつれ、同じように背中を屈めて携帯を覗き込んでいる存在が複数であることがわかってきた。
 なんだか、様子がおかしい。
 落ちている携帯を背中を屈めてじっと見つめているなんて、ちょっと妙なのではないだろうか。
 不意に落ちている携帯が留守番電話に切り替わった。疾風の持つ携帯から留守番電話に切り替わった旨を告げる女声が響く。
 途端。
 携帯を覗き込んでいた背中がゆっくりと、だが、示し合わせたように振り向いた。
「……」
 血の気を感じさせない白い顔、どこを見ているのかわからない宙を彷徨う視線。
 ぽんと肩が叩かれた。
 緋玻だ。その目はこの場からとりあえず離れろと言っている。
 確かに、離れた方がいい。
 疾風はその眼差しに素直に従った。
 
 声もなく無言で追いかけてくる彼らをどうにか振り切り、町から館の方へと続く道へと戻る。
 追いかけてきた彼らは音には敏感のようだが、それほどに動きは早くはない。それに、執念深いと思えるほどに追いかけてはこなかった。
 携帯の傍らに誰かが倒れているということはなかったから、社長はどうにかあの場から逃げだしたに違いない。
「なんか、よく顔を確認できなかったけど……生きているという雰囲気ではなかったような気がするな……」
 もう少しゆっくり観察すれば何かわかったかもしれないが、どうにも相手が多すぎた。自分たちよりも多いというのは、ちといただけない。
「そうですね……生気というものが感じられませんでした……」
 かなり疲労をした様子でセレスティは言う。少し、このまま休んだ方がいいかもしれない。
「……」
 柚品は無言で何事かを思案している。
「どうしたものかしら……ね」
 緋玻は霧に覆われている町の方を見つめている。
「……」
 どうしたものか……確かにその言葉どおりだなと疾風は思った。

 −前編・完−


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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

【2558/櫻・疾風(さくら・はやて)/男/23歳/消防士、錬金術師見習い】
【1883/セレスティ・カーニンガム(せれすてぃ・かーにんがむ)/男/725歳/財閥総帥・占い師・水霊使い】
【2240/田中・緋玻(たなか・あけは)/女/900歳/翻訳家】
【1582/柚品・弧月(ゆしな・こげつ)/男/22歳/大学生】

(以上、受注順)

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■         ライター通信          ■
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依頼を受けてくださってありがとうございました。
まずはぎりぎりですみません。本当にすみません。それ以外の言葉がないです。
相関図、プレイング内容、キャラクターデータに沿うように、皆様のイメージを壊さないよう気をつけたつもりですが、どうなのか……曲解していたら、すみません。口調ちがうよ、こういうとき、こう行動するよ等がありましたら、遠慮なく仰ってください。次回、努力いたします。楽しんでいただけたら……是幸いです。苦情は真摯に、感想は喜んで受け止めますので、よろしくお願いします。

はじめまして、櫻さま。
プレイングの勢いで書かせていただきましたが、少々、落ち着きがなくなってしまったかもと少し不安だったりしますが……。それよりなによりぎりぎりですみませんでした。深く反省しております(来月は「質を下げずに速度を上げろ」を標語にしたいと思っていますので)
社長は想像図と声だけで終わってしまったので、実物に会っていただけたらと思っております。

今回はありがとうございました。予告したとおり前後編となりましたので、よろしければ後編もおつきあい下さい(後編は4/2の22時頃に開ける予定です)
願わくば、この事件が櫻さまの思い出の1ページとなりますように(とはいえ、前編なのでちょっと途中なのですが)