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<東京怪談ノベル(シングル)>


縁結び

朝陽の眩しさに目を覚ますと、ちょうど学校へ行く孫の後姿が視界に映った。遅刻しそうなのか、廊下を駆け抜けていく足音がぱたぱたとせわしない。気ままなはずの猫が時間に追われるとは時代も変わったものだ。梅津富士子は銀色の髪を撫でつけながらしなやかに体を伸ばした。
夫が死に、娘夫婦が死んで孫と二人だけになったとき、なんとなくほっとしたことを富士子は覚えている。愛するものは少ないほうがいい、そう思うのは自分が猫だからかもしれない。そもそもは一ヶ所に居つくことも好きではなかったが、行き場のない猫たちを拾い集めているうちにこの土地を離れられなくなってしまった。猫たちは出て行ったりまた拾われたりを繰り返すので常に数が変動しているのだが、今はどうやら四十数匹いるようである。
若い頃から鏡を見ることは少なかったが朝の身だしなみは長い富士子、洗面所で時間をかけて顔を洗い髪の流れを気にして、それからようやく座敷へ戻ってくると、卓袱台の上に朝茶が用意されていた。
「あいつらの仕業だね」
富士子は目を細める。部屋の隅を一瞥すると、裁縫箱の陰で小さな生き物の動くのがわかった。
少し前のことである。孫がどこかへ遊びに行った帰りに小さなものを持って帰ってきた。最初はまた仔猫でも拾ってきたのかと思ったのだがそれは四人の、それぞれ赤い髪と青い髪と黄色い髪と黒い髪をした小人だった。全員色違いだったが、揃いのつなぎを着て帽子をかぶっていた。
富士子は老齢ながら裁縫の仕事を請けている。特に宣伝をしているわけでもないのだがこれが意外に評判で、最近は仕事に負われ昼寝をする暇もないくらいだった。そんな富士子を心配したのか、孫はその小人たちを富士子の手伝いにと連れてきてくれたのである。孫の心遣いには感謝したが、しかし富士子はその小人たちを仕事場に住まわせるだけでなにを手伝わせようともしなかった。針を動かしているとき、周囲をうろうろされてはかえって迷惑になるし、元々一人で生きてきたのだから今更誰かの手を借りる必要もなかった。それになにより正直、小人たちは役立たずだった。
仕事の途中で人が訪ねてきたりすると、富士子は玄関へ立つ。そして用事を済ませて戻ってくると、糸くずの山の中に赤い小人が埋まっていたことがあった。どうやら掃除をしていて絡まってしまったらしい。
「馬鹿だね、あんた」
そう言いながら富士子が赤い小人を助けてやると、小人はなんとも申し訳なさそうな顔をしたものだ。
また、こんなこともあった。仕事の最中小腹が空いたのでなにか食べようと思い振り返ると、そこに和菓子と茶があった。小人たちが用意したものに違いなかった、だがそれは生憎孫のために買っていたおやつで、
「馬鹿だね、あんたたち」
結局富士子は孫のおやつを買いなおすため、買い物へ出る羽目になったのだ。
勿論それは、住み慣れない場所で犯した他愛のない失敗でしかない。近頃の小人たちは富士子の物と孫の物を間違えたりはしないし、裁縫箱の中に閉じこめられたりもしない。今では小人の代わりに箱を開けば針山の上の縫い針とまち針とが綺麗に選別されて刺さっている。
四人とも健気に、富士子のために働こうとしていた。それは間違いない。だが富士子にはそれがかえって重くて仕方ない。繰り返すようだが、愛するものは少ないほうがいい。小人たちに愛着を持ってはいけない。だから富士子は、つとめて小人たちを意識しないよう気にしているのだ。
しかし顔を背けようとすればするほど、目に飛び込んでくるものがある。誰かの役に立つため生まれてきた小人も四人揃えば中には一人くらい落ちこぼれがいたりして、それが先にも挙げた、糸くずに絡まっていた赤い小人だった。物陰に隠れたりすることも四人の中で一番遅く、それがまた赤い色をしているものだから否応なしに目立ってしまう。本人は一生懸命なのだろうけれど、空回りなのは否めなかった。
最近の富士子の口癖は、専ら彼一人に向けられている。
「馬鹿だね、あんた」
右の親指と人さし指、そして中指を使って赤い服をつまみ上げるのにも、なんだかすっかり慣れてしまった。
今日も富士子が鋏を使って布地を経っていると目の端に赤い色がちらついた。散々用はないと言っているのに、それでも富士子の役に立ちたくてうろうろしているのだ。他の三人は大人しくしているのに、赤い色一人だけ諦めが悪い。
赤い小人は箪笥の上を何度も往復しながら富士子を窺っていた。富士子が鋏を置いたら布地を片付けるため飛び降りようと、待ち構えていた。だがそのタイミングを計るのに気を取られすぎていたせいか不意につるりと、足を滑らせて箪笥の上から転げ落ちる。
「危ない」
咄嗟に出た富士子の左手、その上にうまく赤い小人が落ちてくる。小人は手の中で二三度転がると、仰向けになったカエルのようなポーズで止まった。大きな丸い目と、富士子の視線とがぶつかる。
「なにやってんだい、―――」
前にも一度落ちたことがあるのだから、高いところは気をつけるようにと注意したのに全然覚えていない。これは少し厳しく叱る必要があった。
いつもなら富士子が怒る気配を察すると、赤い小人は帽子に顔を埋めるようにしてこそこそと逃げていく。しかし今日はなぜかきょとんとした顔でしりもちをついたままだ。
「どうしたんだい」
と言おうとして富士子は、さっき自分はなにを言ったのかと思った。赤い小人を注意して、その後なんと言っただろうか。
「―――」
再び舌に載せてみるが、覚えのない言葉だった。それは、誰かの名前のようにも思えた。赤い小人は問い掛けるような目で富士子を見上げていた。
「・・・・・・」
富士子は自分の唇を押さえてしばらくじっとしていたが、やがてふっと微笑んだ。
なんてことはない、とっくの昔に情は移っていた。小人が失敗をする度、馬鹿だと叱る度、富士子の中には小人たちへ対する愛着が膨らんでいたのだ。だから自分自身では気づいていなかったが、心の中で富士子は小人たちに名前をつけていた。四人の小人それぞれを、別々の名前で呼んでいた。
「そうさ。今のはあんたの名前だよ」
小人の赤い髪をくすぐりながら、そして富士子は
「他のも出ておいでな。あんたたちにも名前はあるんだからさ」
その声に反応してまず黄色の小人が、そして青い小人、最後におずおずと黒い小人が姿を現した。出てきた順に富士子は名前で呼びかけ、そして肩をすくめる。
「仕方ないさね。私しゃ猫さ」
猫は気ままだがしかし情の深い、高尚な生き物だ。一度でも愛情を注がれてしまうと、見捨てられないのだ。
それから数日経った後、富士子は四人の小人に作務衣を縫ってやった。それもやっぱり、緋針には赤、糸庵には青、布黄には黄色、そして沙羅墨には黒い作務衣と色違いのお揃いで、腰の辺りには四人がそれ白い飾り紐が結ばれている。赤い小人の服も以前よりいくらか暗めの赤で仕立てられていたので、逃げ遅れてもあまり目立たないようになった。
「あんたたち、邪魔するんじゃないよ」
一人の孫と四十数匹の猫、それに四人の小人たちを養うため、富士子は今日も忙しい。ただ、最近は転寝をする暇くらいできたようである。