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<PCシチュエーションノベル(ツイン)>


伸ばした手は黒をも掴まず

 暗い。何処までも暗い世界。そこにぽつりと自分一人だけが存在しているようにも思えてくるから、それが不思議でならない。
「俺、一人?」
 ぽつりと守崎・啓斗(もりさき けいと)は呟き、それからふっと嘲笑する。
(そんな訳は無いのに)
 啓斗はぎゅっと屋上の手摺を握り締める。ぶわ、と風が吹いて啓斗の茶色の髪を揺らした。屋上の風は冷たく、地上よりも幾分か強い。さらさらと啓斗の髪が夜風に靡く。
(こうして居る事も、こうして在る事も……そんな事は無いと言っている)
 啓斗は緑の目でそっと下を見下ろす。きらきらと光る、ネオンたち。真夜中である所為か、そこまで煌びやかではない。啓斗は思わず苦笑する。
(あの煌びやかさも、眠る事があるんだな)
 光の洪水のようにも感じる、地上の光。少しずつ目線を上げていくと、その光はだんだん衰えていく。そうして上を見上げた時、再び密やかな光へと到達するのだ。星という光に。今は新月である所為か、月の光は無い。
「事実上の、暗闇」
 ぽつり、と啓斗は呟く。闇は決して悪い事ではない。寧ろ、忍である自分にとって、闇は最適な空間であるのだから。
「あいつは、どう思うか分からないが」
 そう言い、ふと頭に顔が浮かんできた。啓斗と同じ顔の、同じ髪の、青い目をした弟である守崎・北斗(もりさき ほくと)。命を分かち、今まで共に生きてきた弟でもある。一番近くにいて、時々一番遠いのではないかとも思えてならない。
「北斗は、闇をどう思うんだろう」
 恐がるか、嫌がるか、強がるか……それとも、自分のように闇は平気なのか。
(……平気?)
 啓斗はふと考え、手摺をさらに強く握り締める。ぐぐぐ、と握り締められた手摺がかすかに震える。
(平気な訳が無い。平気というよりも……俺は)
 啓斗はじっと手摺を見つめる。
(俺は、闇に近いから……)
『それで?』
 ふと耳の奥に草間の声が蘇ってきた。同じ質問を、過去に二回受けた。一度目は草間興信所に来始めた頃に、二度目はつい最近に。
 草間の声が、じわじわと胸の奥底から蘇ってきた。


 草間興信所に来始めた頃、啓斗の緑の目は冷たく光っていた。周りには敵意しか向けられず、自分に対しても興味は無い。ただ、そこに存在しているだけ。
「……で、名前は守崎……」
「必要は無い」
 名前を聞こうとした草間に、啓斗はきっぱりと言い放った。草間は思わずくわえていた煙草を落としそうになる。
「い、いや。名前は必要だろう?」
「どうしてだ?」
「どうしてって……守崎っていう名前の奴が二人いるんだ。名前で言い分けをした方がいいじゃないか」
 そう言う草間に、啓斗は表情一つ崩さずに言い放つ。
「守崎北斗の兄」
「……は?」
「守崎北斗の兄。それでいい」
「兄って……」
「守崎北斗の兄で別に構わないだろう?個別認識が出来るならいいのなら」
 啓斗の言う事は正しい。草間の言うように、個別認識をしたいだけならばそれだけで事足りるのだ。
「あーもう、そうじゃなくて」
 草間はそう言いながら頭をがしがしとかいた。やりきれぬ思いをそこにぶつけるかのように。
「……じゃあ、どういう事だ?」
「俺はお前がどういう名前なのかをちょっと知りたいだけなんだが」
「何故?」
 啓斗は至極真面目に疑問を口にした。草間は煙草をくわえたまま、火をつけるタイミングを失ってしまった。
「何故って……」
 草間は何かを言おうとし、大きく溜息をついた。これ以上何を言っても、啓斗は納得しないであろう。
「全く、仕方ないな」
 草間はそう言って大きく溜息をつき、口にくわえたままだった煙草に漸く火をつけた。ゆらゆらと白煙が天井へと立ち昇っていく。
「そんな感じだよな、ずっと」
 草間は啓斗を見て苦笑した。啓斗の様子を見てきて、草間が思った事はただ一つだった。
 人嫌い。
 相手が誰であろうが、お構いなしだった。相手が神だろうが悪魔だろうが、害を為そうとすると簡単に切って捨てる。潔いといえば潔いが、それは逆に言うと冷血漢と言われても仕方の無いのだ。
「自業自得、か」
 ぽつりと草間は呟き、啓斗を見てにやりと笑った。
「そう言ったんだって?害を為そうとしたからか?」
 草間の言葉に、啓斗は無言だった。目つきは何処までも冷たく、口元には愛想笑い一つ浮かばない。
「お前さ、人が嫌いなのか?」
 草間はそう言って啓斗を見つめた。草間は啓斗を見てきて、ぼんやりと気付いていた。啓斗が信用している人間は、北斗ただ一人なのだと。今こうして草間が向き合っているのだが、それは警戒心を全く解いていない状態だ。
 啓斗にとっては、草間も敵の一人なのである。
 そんな啓斗に、草間は問い掛けた。やんわりと、諭そうとするかのごとく。だが、啓斗には届かない。啓斗はただ冷たい光を草間に向けたまま、「ああ」と小さく頷いた。
「大嫌いだ」
「大嫌い、か」
「大嫌いだ。……自分を含めて、な」
 重症だな、と草間は呟いた。草間は啓斗に聞こえぬようにそっと言ったのかもしれないが、啓斗の耳には否応なしに届いた。
(重症?)
 ただ、意味だけは届く事は無かったのだが。


 最近になり、漸く啓斗は警戒心を少しずつ解いてきた。何より、自分の名をちゃんと名乗るようになったのだから。
 草間はそれを思い出したのか、啓斗を見てくつくつと笑った。啓斗はそんな草間の様子に首を傾げる。
「どうしたんだ?」
「どうしたもこうしたも。意外と、人間というものは変わるものだな、と」
「変わる……?」
 さらに首を傾げる啓斗に、草間は煙草を一本口にくわえながらにやりと笑う。
「じゃあ、聞こうか。……人は、嫌いか?」
(二度目だ)
 啓斗は気付く。変わったというのは、そういう意味だったのかと。
(あの頃は、何も信じられなかったから)
 否、それはある意味違う。信じられなかったのではなく、北斗しか信じていなかったのだ。信じるものは北斗だけ。人という存在を否定し、自らをも否定し、そうして辿り着く事の出来ぬ光の世界に足掻いていた。闇に生きてきた自分を疎ましく思っていた。
(あの頃、俺は遮断された世界にいた)
 隔離されていた、とも思った。世界はこんなにも広いのに、こんなにも大きいのに、その大きさを、広さを、全く知らなかったように思うのだ。広く大きな世界で一切を遮断し、隔離した自分という存在。
(嫌いだと思うと、止め処なかったし)
 嫌悪感は止められなかった。全てが敵に見え、全てが攻撃対象となっていた。
「……どうした?」
 草間が返事をしない啓斗に、ふと声をかけた。啓斗は何か答えようとし、全く答えられぬ自分に気付いた。
(前なら、きっぱりと答えられたのに)
 嫌いだと。大嫌いなのだと。それが出来ぬ自分が、ここに確かに存在しているのだ。
(だが、だからと言って全く信じる事は出来ない。それは、絶対に)
 どうしても答えを返せぬ啓斗に、草間は煙を吐き出してから小さく笑った。
「少しは丸くなったもんな」
「丸く……」
「その分、迷いも増えたよな」
(迷い)
 隔離され遮断されていた世界での選択肢は、驚くほど少なかった。一直線に進んでいく事が簡単に出来たし、それが普通だと思っていた。だが、一旦広がってしまった世界ではそれが普通だとは思えぬようになってきたのだ。世界が大きく広がった分だけ増えてしまった、選択肢。それが啓斗の心を惑わせる。
(だが、その方がいいように思えてくる)
 絶対という事は無い。絶対正しい答えなど、何処にも無い。周りに目を向けず、ただひたすら真っ直ぐに走り抜けていく事が正しいのかもしれない。周りに目を向け、ゆっくりと歩いていく事が正しいのかもしれない。どちらが正しいのかは、当の本人である啓斗にすら分からないのだから。
(だけど、分からないけど……その方がいいんじゃないか)
 曖昧な答え。だが、前とは違う答えを持つ自分が確かに存在する。それで今は充分なのではないかとも思えて仕方が無いのだ。
「難儀だな、お前も」
「そうか?」
「ああ。……弟の方は明確なんだが」
 啓斗は草間に言われ、思い浮かべる。広く大きい世界にいながらも、真っ直ぐに歩いている北斗。人を信じ、明るく振舞い、そうして駆け抜けていこうとする北斗。
「俺はあいつみたいにできない」
 啓斗はそう言って大きな溜息をつく。
「俺はもう、頭から人を信用する事は出来ない。……あいつみたいには、なれないんだ」
 草間は啓斗の言葉に、ただ「そうか」とだけ答えた。
(あいつにはなれない。あいつのようには振舞えない)
 それが時々啓斗を苛める。一種の憧れにも似た感情を、北斗に対して抱いてしまう。
(出来ないと分かっているのに)
 啓斗は再び溜息をつき、興信所から出ていく。ぱたん、と戸を閉めると、後ろから草間の呟きがそっと届いた。
「無理をしても、仕方ないだろうに」
 また今回も草間は啓斗に聞こえぬように呟いたのだろう。だが、再び言葉は啓斗の耳に到達してしまった。
 重く胸に、軋みながら。


 周りが暗い。夜なのだから当然といえば当然なのかもしれない。
「結局、草間の問いには答えられなかった……」
 啓斗はぽつりと呟き、そっと手摺から手を離して自らの手を眺めた。誰も分からなくても、啓斗自身は知っている。自分の手が、どのような手であるのかを。
(俺の手は……俺の、手は)
 ぎゅっと握り締める。確かな感触を感じる。自分がここにいると、この場所に存在すると、そうして生きているのだと。
(俺は、生きている)
 嫌いだと言っていた自分が、まだこうしているのだ。妙におかしな矛盾のように思えてくるから、不思議だ。
(俺は北斗のようにはなれない)
 どんなに強くなっても。
(あいつのようには振舞えないし、あいつのようには思えない)
 どれだけの場面を潜り抜けて来たとしても。
(俺は北斗じゃないし、北斗は俺じゃない)
 別個の存在なのだから、そうあって当然なのだ。それなのに。
(なのに、どうして俺はこんなにも思ってしまう?)
 どうして苦しいのか。どうして辛いのか。それすらも分からぬ。確かに自分が辛く、苦しいというのは分かっているのに。それなのに、どうしてそうなのかは全くつかめぬままなのだ。
 啓斗はそっと空を見上げる。相変わらず空は暗いままだ。空だけではない。周りの風景も闇に染まっているのだ。
 煌びやかだったネオンも、流れる洪水のような車のライトも、全てが収まってしまっている。
「暗い……」
 闇は恐くない。闇は辛くない。闇は苦しくない。
 この胸が苦しいのは、辛いのは、恐ろしいのは……別の理由からだ。
「本当に、真っ暗だ」
 啓斗はそう言って両手を空に向かって伸ばした。暗い世界の中で伸ばされた両手。その両手が確かに存在しているのは、ちゃんと見る事が出来た。ここでこうして、自分は手を伸ばしているのだと。
「暗くても……見える」
 手は、ちゃんと伸ばされている事が。闇に向かって暗い空に伸ばされている事が。
 啓斗はぎゅっと両手を掴んだ。闇を引き摺り下ろすかのように、捕まえてしまうかのように。そうして両手を近くに引き寄せ、そっと開く。
 暗闇に向かって伸ばされたのに、何も掴んではいない掌。ただただ空だけを掴んだ両手。溢れんばかりの思いだけを、強く握り締めさせれれただけで。
(こんな中、鍵が……いや)
 啓斗は分かっている。否、分からない事は許されぬのだ。
(例え、強くなったとしても)
 繰り返される、この思い。永遠に続くかのような問いと、決して出ぬような答え。啓斗は開かれた自らの両手から目線を逸らし、空に再び向けた。
 終わる事の無い問答が、暗闇に溶けてしまう事をそっと望みながら。

<黒き闇は空虚を抱きしめ・了>