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<PCシチュエーションノベル(グループ3)>


天使の顛末

 京都。
 平安京が建てられて以来、1000年以上に渡って栄えてきた、日本の文化の一等地。
 その歴史の色濃く残るその土地は四季折々の様々な行事が執り行なわれ、また世界に誇る文化財を今尚多数残している。四季の美しさもまた特筆に価する。
 修学旅行御用達。堂々たる日本ナンバーワン観光地である。
 その歴史のつまりにつまりまくった土地の一角で、カビをはやしている男と少年それぞれ一人。
 いくら歴史のある土地だからといって、人間までカビ臭くする効果などない。多分に当人に問題がある。
 片や、
「……ふ」
 時折立ち止まっては思い出したように視線を宙へと彷徨わせ、
 そして片や、
「くっ!」
 時折行き成り膝をついては地面に爪を立てる。
 周囲を歩く人々が慌てて飛び退り、遠巻きに見つつひそひそと始めるような不審者っぷりである。
 その不審者二人に同行している石和・夏菜(いさわ・かな)は、わかってはいたが頭を抱えたくなった。基本的に前向き元気がモットーの夏菜にしては珍しい話だが、その前向き元気にも限度と言うものがある。
(……。でも、でもでも夏菜頑張るもんっ!)
 地に伏した二人の男から視線を反らしつつも、夏菜はぐぐっと拳を握り締め、天に誓った。

 その不審者の男達。若い男を真名神・慶悟(まながみ・けいご)、少年を守崎・北斗(もりさき・ほくと)と言う。



 ところ草間興信所屋上。誰かしらが出入りする興信所事務所のその屋上もまた、誰かしらが出入りする暇人どもの社交場だ。キャンピングシートを敷いた上に駄菓子の類いとお茶を並べてゆったり寛ぎタイムも珍しい事ではない。
 パラパラと雑誌を捲っていた北斗の手が止まる。
 それに目をやり、夏菜はきょとんと目を瞬かせた。ページを捲る音が止まったことに目を瞬かせた訳ではなく、その手にされていた雑誌が不審だったからである。何しろ過激さが売りの女性週刊誌である。エロ本握っているほうがまだ北斗らしいというものだ。
「北ちゃん?」
「…………」
 夏菜に呼びかけられて顔を上げた北斗はそのまままともに硬直した。視線がある一点に辿り着いた瞬間に。
「……くあああああああああああ」
 そして硬直が溶けた途端に奇声を発する。ある一点とは唇だ。
「ほほほ、北ちゃん!?」
「……ふ」
 慌てふためく夏菜に追い討ちをかけるのが少し離れた場所で煙草を吹かしていた慶悟だ。
「ふふふふふふふふふ」
 こちらはシニカルに笑んだかと思えば次の瞬間咥えていた煙草を親の仇でも見るような目で睨み据え、投げ捨てた挙句に踏み躙りまくる。しかもフィルター部分を。
 相当に深く心に傷を負っている模様である。模様という予報で済むならまだ外れる事もあるから救いもあるが、この二人の場合バッチリと真実で、更にその真実何時の間にやら草間興信所に出入りする人間達に知れ渡って居るときている。
 先日、おかしな天使像が草間興信所に持ち込まれた。この天使像、その前に誰かと共に立つと何故かその相手と熱烈な口付けを交わしたくなると言うわけのわからんシロモノで、二人はそのわけの分からない天使像の被害にあっていた。
 そう、被害である。
 百歩譲って相手が女性なら、『被害』ではなかっただろう。役得ラッキーで済んだかもしれない。
 だがしかし、それが互いであるとなれば。しかもその瞬間『熱烈な口付けを交わしたくなる』程の愛しさを相手に感じてしまったとなれば。更にそれは実況生ライヴで、友人知人腐れ縁交えた様々な連中に目撃されたとなれば。
 つまり、普段は互いを特になんとも思っていないその手の趣味もない男同士が人前で熱いラヴシーンを本気で披露したわけである。
 這い上がる事は不可能だと思えるほどの奈落に落ち込んでも仕方がないというものだろう。
 仕方はないのだが、その落ち込みの奇行を目の前で見せ付けられる夏菜には『仕方ない』で済む事態ではない。わたわたと両手を振り回しつつ、懸命に頭の中で鼓舞の台詞を探し出す。
「え、えっとね! これも貴重な経験だと思うの!」
「……へえ」
「…………ほほう」
「………………つまり貴重な経験だからありがたく思えってーのかオイ」
「……………………天に感謝でもしろと?」
 真っ白い視線を二人分まともに浴びて、夏菜は背中に冷たい汗が浮き出るのを感じた。
「ええっと、じゃあじゃあ気晴らしするとか! 甘いもの食べに行ったり!」
「……甘酸っぱい思い出とかかよ」
「…………レモンの味とかも言うな」
 何か思い切り連想してしまった模様である。
「スポーツとかもいいと思うの!」
「……青春の汗」
「…………ふ、青春か」
「………………それも甘酸っぱい思い出とかだよなー」
「…………レモンの味かもしれんなそれも」
 最早何もかもが落ち込みの対象である。何を言っても最後は無理矢理そこにこじつけるのだから手に負えない。
「え、ええっと……」
「……なんかもう俺まだ青春の筈なのになんで甘酸っぱい通り越して吐き気するような目にあわなきゃなんねーんだろーなー……」
「…………俺も世間一般ではまだまだ若いはずなんだがな。溜め込む思い出という思い出に破棄したいもののほうが多いのは何故だろうな……」
「……え、ええっと、ね!」
 万策尽き果てた夏菜の視界に映ったのは北斗の手にしていた女性週刊誌だった。最早これしかないとばかりに、夏菜は素早く北斗の手からその雑誌を取り上げ、二人の視界に翳す。
「じゃ、じゃあじゃあこれなの! これしかないの! これなのー!!!!」
 小さな少女の異常な迫力に押し切られ、北斗と慶悟は腐乱するのも忘れてこっくりと頷いた。



「だったんだけど」
 ボソッと夏菜が呟いたのも無理はない。夏菜が咄嗟に翳したのは『激安! 京都で雪見で一杯温泉ツアー!』と書かれたページだった。宿は二食付きでお値段は確かに手頃。様々な理由で貧乏な慶悟でも十分に費用が捻出できるお買い得品。男二人と旅行と言う事で夏菜の兄は渋い顔をしたが、逆に二人というところが安心ではあったらしくしぶしぶながらに夏菜の旅行を許した。北斗の兄にして夏菜の兄貴分も同様である。弟より義妹の方が心配だという辺りはどうかというところだが。
 そうしていそいそ出かけてきたのはいいのだが、出かけてきたからといってそれであっさり腐乱死体が人間に復活する訳ではない。
 北斗は夏菜の背中にへばりついて泣いているし、慶悟に至っては土産物屋に置いてある化粧小物を見ただけでその場に蹲る始末である。連想するらしい、唇、というものを。
 まあそれでも自分の意志でここまで出向いてきただけでもましなのかと無理矢理自分を納得させた夏菜は務めて明るく、二人を引っ張りまわしていた。
 金閣寺の成金趣味になんとなく親父を連想してしまったらしい慶悟が金閣寺に向けて式を放とうとしても、太秦で偶然出くわした街角ラブシーンの撮影に北斗が小柄を投げつけようとしても、京都御所で源氏物語を連想したらしい二人が結託して火など放とうとしても、夏菜は負けなかった。負けたかったが。
「もうもう二人ともしっかりするのー!」
「……なあ夏菜。人生ってなんだろーなー?」
「……北ちゃん……」
「……なあ夏。世の中で価値のあるものなど一握りだとは思わないか? その中で自分は塵あくたに等しいと把握したときひとはどうしたらいいんだろうな?」
「……慶悟お兄さん……」
 市内観光の一日はこうして暮れた。
 しかしどっこい夏菜の不幸はここからが本番だった。――苦労、ではなく。



「温泉なの雪見酒なの卓球なのー!」
 宿に入っても元気一杯夏菜は二人を引きずりまわした。
 激安の上に宿代をケチった為に相部屋である。さすがに高校生二人と同室の狭い部屋に煙草の煙を充満させる訳にも行かず、慶悟はロビーのソファーに腰掛けて煙草をくゆらせていた。
 必死の。
 あまりにも必死な夏菜の一日の様子が思い起こされて思わず口元が綻ぶ。
「……ふう」
 指先に挟まれたフィルターを眺めるとそれだけでまたずーんと頭上に重いものが圧し掛かってくる気がするが、その感覚にも大分慣れた。心の傷は恐らく一生残る。忘れられないという意味では、だが。
 だが重みに慣れる事で、気持ちの腐乱は徐々に緩和されていく。
 なによりも、
「あんな女の子にここまで心配されて、いつまでも落ち込んでもいられないか」
 ふっと笑んだ慶悟は、煙草を揉み消して立ち上がった。

「ねー北ちゃん〜」
 畳敷きの10畳ほどの部屋に、テラス。安い割には上等の部屋の中で、北斗は相変わらず夏菜の背中に懐いていた。
「……なー夏菜」
「なに?」
 それまで何を言っても生返事しか返さず、たまに口を開けば錯乱していて挙句背中で泣いていてくれたりした北斗の声に、夏菜も流石に返事の口調が疲れたものになる。
 北斗は夏菜の浴衣の背中にしがみ付きつつ深く嘆息した。
「お前はさぁ、俺が他の奴と、そのなあ……キスしても平気な訳か?」
「え?」
「平気か?」
 振り返ろうとした夏菜を、北斗が後ろからぎゅっと抱きしめる。夏菜は途端に真っ赤になった。
「へ、へへへ、平気……って訳じゃないけど。でもでも事故だし……」
「俺は事故でも嫌なんだけどなー」
 お前が他の相手とするのも俺が他の相手とするのも。
 そう言って北斗は夏菜の首筋に顔を埋める。
 夏菜は前に回された北斗の腕に指をかけてそこを見つめた。
 そんな落ち込みだったのかと、改めて思う。単純に男の人とキスしてしまった事が嫌で仕方がないのだと思い込んでいたのだが。そうではなくて、自分の事が絡んでいてなら。現金な事に少し困りつつもそれ以上に嬉しく感じてしまう。
 北斗は真っ赤になって沈黙してしまった夏菜を見下ろしていける! と内心拳を握り締める。
 今言ったことは嘘ではない。嘘ではないがそれに思い至ったのはこうして夏菜に引っ張りまわされて多少気分が浮上したからであって、腐乱死体になっていた理由は単純に男と思いを交し合った挙句濃厚なキスシーンを演じてしまった為だったのだが。
 温泉旅行で部屋に二人きり、そしてこの体勢。
 これは思わぬ怪我の巧妙というものである。
「……夏菜……」
「……北ちゃん……」
 振り返った夏菜の顎に指を添え傾かせる。
 嗚呼、親父天使よありがとう!
 リンゴーンと北斗の中でベルが鳴り響き、北斗はそのままなだれ込む心算で夏菜の顔に己のそれを寄せた。



「……おい北斗、夏、折角きたんだしもう一回温泉……」

 時間が止まる。
 無造作に部屋のドアを開けた慶悟が見たものは浴衣姿の少年少女。少女の浴衣の肩に少年の手が添えられて、微妙に胸元がはだけそうになっていたりする。

「……失敬」

 ばたん。
 ……
 …………
 ………………
 ……………………
 …………………………
 ……………………………………
 ………………………………………………。

「きゃああああああああああっ!!!!!!」
 悲鳴と、ぱしーんという小気味いい音が重なった。



「…………」
「……………………」
「………………………………」
 帰りの新幹線の三人掛けシートは、慶悟を挟んで両脇に恋人たち。
「……あんたが邪魔してくれなきゃ……」
「…………いや悪かったが、相部屋なのを忘れられてもな」
「…………ちっくしょう、兄貴たちもいねえしいけたのに!」
「………………あのな、同行した俺がその兄貴達に後からどんな目にあわせられると思うんだお前は」
 ぼそぼそと真横でかわされる男達の会話に夏菜は小さな拳を握り締める。
「北ちゃんと慶悟お兄さんのばかー!!!!!!」
 絶叫が新幹線の中に轟いた。



 こうしてうやむやの内に親父天使の被害は薄れたが、夏菜のご機嫌を損ねたい放題損ねてしまった二人には、帰ってから別の試練が待ち受けている。