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<PCシチュエーションノベル(ツイン)>


hard-heartedly

 躊躇いがちに襖を叩く音が入室を求め、氷川幸也は書類から顔を上げた。
「どうぞ」
机上、筆記具に紛れて置いた腕時計を見れば時刻は深夜近い…夕食後、自室に籠もる幸也を訪ねて来るのは末の妹位だが、小学生が起きていていい時刻ではない。
 多少古くさい観念に、多少諫めて部屋まで送るか、と年齢差から来るほとんど父親めいた感覚に幸也は腰を上げ、襖に向かいかけて違和感に気付く。
 いつもならノックと同時、返答を待たずに襖が開くのだが、建具の向こう、低い位置にある人の気配は沈黙を守ったままだ。
「か……」
名を呼び、引き手穴に手をかけた時に、それはす、と音無く横に流れた。
 廊下からしんと足下を冷やす空気が流れ込む。
「……笑也」
視線の下方、襖の脇に控えるように、膝と足先をついているのは氷川笑也…彼のすぐ下、とはいえ年齢に十の隔たりを持つ弟の姿に、幸也は困惑にその名を呼んだ。
 母を喪った事件以来。
 笑也は幸也に近付く事なく、姿を視界に収める事すらほとんどない…ましてや呼び掛けるなど。
「……兄さん」
ほぼ12年振りに聞く呼称は、最後に背に受けた幼さに高い叫びよりも低く、落ち着いて耳に届いた。
 次の句を継げないでいる幸也を、笑也がその紅色の瞳で真っ直ぐに見上げる。
「お願いがあります」
眼差しが伏せられる、動きに顔の左側、彩糸に纏められた髪の一房が揺れた。
「私に符術を……教えて下さい」
その唐突な申し出は、幸也の思考を止めるに十分過ぎた。
 思考とは別、蓄積された知識が常識の名の下に瞬時に下した決断は、否。
 が、即座に拒む事も出来ず、戸惑いからの幸也の沈黙に、笑也は両手を床に付き、深く、深く頭を下げた。
「お願いします」
再度、礼を尽くす事で示される切願に、幸也は頷く事で承諾を示した。


 見上げる紺天に瞬く星は、風に揺れる木々の梢に紛れて見え隠れする。
 兄弟は二人揃って縁側に腰掛け、敷地を囲む樹木の影に所在のない目を向ける…沈黙ばかりがあるのは、12年という歳月にいきなり埋める事の出来ない空気の所為か。
 煙草に火を点ける、動作に移るまで全く黙すと同時、動きを見せなかった幸也に、それをただ無言で見守っていた笑也が気を張ってか背筋を伸ばした。
「異界の存在を呼び出し力を借りるその一点に関してのみ、符術は神に顕現を請う舞と共通性を持ちます」
講義を行う教師のような口調で、幸也はそう切り出した。
「舞の形に精錬された祈りと違い、血肉を代償に異形を使う安易さ故に……外法、と称される事は承知していますね」
銜え煙草の先に赤く灯った火を見つめながらの言が、笑也に向けられた。
 ある意味、確認でもあるそれに笑也が決意を込めて頷くのに、幸也は紫煙を吐き出す。
 氷川は舞を伝える家。
 神を喚ぶ、その力と技術を重視するばかりに他を排する傾向が強いのは、その技を絶やさぬ為、濁らせぬ為の防衛手段とも言える。
 それだけに、秀で優れた技である…が、如何に舞手の才が長けようと術の発動が遅いという致命的な欠点を打破出来ず、厭いながらも符術等の知識が伝わるのはその為だ…舞手を護る手段として。
 勿論、本家の者が舞以外の術を修めるのは論外だが、幸也が退魔の生業に反発し、氷川の長男としての権限を放棄して以来は黙認の状態である。
 だが、実力と実績から実質的に氷川の後継である笑也が符術を扱うとなれば、血族の反発も激しいだろう。
 舞以外の術を覚えれば、それだけ技に濁りが生じるという…舞とそれ以外、どちらの手段を取るか、その思考すらも迷いと呼んで疎む。
 だが、それは愚かだと幸也は煙草を銜えた口元で僅かに笑った。
 技は技、術は術。使えるモノは全て使えばいい。
「引き合いに出しては不快かも知れませんが、理解し易いように舞との対比で説明します」
幸也の断りに、笑也が構わない、と頷く仕草に指の間に挟んだ煙草を親指で弾いて、地面に灰を落とした。
「舞は特定の神霊に向けての一方的な呼び掛け……目的の存在が意識を向け、応じるに足るかの判断し、巫人に降りる。呼び出した者によって震う力が変わるのは舞の精度と身の内に下ろした神の存在を支える術者の能力の差。いわば器にどれだけの水が注がれるかによりますね」
言いながら、幸也は片手で自らの髪を一本引き抜いた。
「符術にその交渉はありません。餌をちらつかせ、それに食らいついた存在を使役する、単純にはそれだけです」
それだけ、とはいうが式神となる存在を掴むという感覚的な概念を言葉で説明する事は難しい。
 幸也とて、式神を呼び出す事が適うまで知識を得てから半年以上かかっている…それは、特定の式神を呼び出す事を試みてコツを掴むのに要した時間である。
 幸也は抜いた髪を取り出した懐紙に挟み込むと、それに煙草の火に近付けた。
 ジッ、と小さく音を立て、それは火に触れた先に炎を得、指を離した空中を落ちる間もなく燃え尽きる。
 灰が零れるより先。
 それはくるりと丸まるように纏まって、黒に螺鈿の如き紫の翅を持つ、蝶の姿に変じた。
 幸也が専ら情報収集に使う式神である。
「餌に食らいついたモノの名を呼び、一時、存在を現世に止めます。その強さによって、種の名であったり、固有の名を与えたりしますが……これは種として細紫(ささむらさき)と呼んでいます」
蝶はゆったりと翅を動かし、差し出された幸也の指に止まった。
「餌は術者の一部、髪や血、爪を術の代償として使います。燃焼させる事で異界の存在の糧とするのですが……」
説明の途中で、不意に笑也が手を差し出した。
「火を貸して下さい」
唐突な申し出に、半ば反射で以て幸也は煙草に火をつける為に所持しているライターを手渡した。
「髪や血……術者の一部」
幸也の言葉を口内に復唱し、笑也はライターに火を点け、細長い炎の揺らめきを掌に握り込んだ。
「笑也!」
叱責と制止を込めて名を呼ぶと同時、幸也は笑也の手のライターを払い除ける。
「何を……」
 続けようとした言葉は、庭に転々と転がったライターが唐突にその炎を膨らませた事で途切れた。
 掌の内に収るそれが発するには大きすぎる炎が渦巻く火炎となり、その内に四肢を地につく獣の姿を完全に結ぶより先、幸也は懐内から取り出した符を火中に投じる。
「還れ!」
投じられた符は炎の全てを呑み込んで、燃え尽きた。
 自体が夢幻であったかのように、獣も跡形なく消え失せているのを確認し、幸也は短い息を吐き出し笑也の肩を掴んだ。
「何を焦っているんですか」
問い質す口調は自然ときつくなる…半端な説明で術を行使しようとした笑也の、いつにない短慮な行動を諫める意味もある。
 が、それ以上に。
 これだけは彼より長けているという自負のあった術を、不完全とはいえ為してみせた弟の技量に…嘗て舞の技で敵わなかった過去を再び、目にしたようで。
 幸也を罪に駆り立てた暗い炎は、母の死によって消えたのだと思っていた…けれどそれは直視を避ける事で埋められただけで、変わらず胸の奥に熾火として在ったのを自覚した。
「術者を代償とする存在を召喚するという事は、御し切れなければ自らを喰われる事になる……力に適う知識も得ず、術の責を負うつもりがないのなら、それは本当の意味での外法です」
 謝罪すらなく過ごしてきた日々の穴埋めとまで行かなくても、自らの知識は……符術は、母の形見として笑也も得て然るべきと、先までの思いが燃え尽きそうな気がした。
 嫉妬、という名の炎に晒され。
 笑也の肩を掴んだ手に、力が籠もる。
「母さんの術を外法にするつもりなら、これ以上教えられない」
喉の奥から絞るような幸也の声に、笑也は感情に欠ける表情の中で、眉だけを僅かに動かした。
「……ごめんなさい」
まるで子供のような謝罪。
 炎は容易く感情を煽る。闇に沈んでいた醜い感情を顕わにする。
 幸也は笑也の肩から手を離し、その左の耳に沿う、髪の一房に触れた…弟が肌身離さずに身に着けている、彩糸に纏めた母の遺髪は彼が作った護り。
 それに篭めた祈りは変わらない。
 弟を護る事が出来るように。
「符の朱墨に血を混ぜて使えば、特定の種を火を使わずに式に出来ます……私の目の届かない場所で、決して身を傷つけて術を行使しないと約束出来るなら、続きを教えましょう」
幸也の言葉に笑也が小さく頷き、もう一度、謝罪を呟くのに詰めていた息を吐き出す。
 触れる程の距離に改めて思い出す…妬む気持ちと同じ、否、それ以上の強さで幸也は笑也を護る為に、彼から身を遠ざけていたのだ。
 最も彼を傷つけてしまった、そしてこれからも最も強く傷つける可能性を持つ、自分自身から護る為に。
 あまりに拙く、贖罪にすらならない禁を思い出し、幸也は不意に居たたまれず立ち上がった。
 気を落ち着ける為に新たな煙草を手にするが、ライターが庭の闇に紛れてしまっているのに気付き、幸也は手にした煙草を持て余して指を支点にくるりと回す。
 それを怒りの為ととってか、笑也が呼び止める言葉に惑いつつ、背に声をかける。
「兄さん……兄さんは、鬼を見た事がありますか」
不意の問いは脈絡無く、普段であればその意味を問うであろう…が、問い掛けに響くように、答えは胸中に存在した。
 それはいつでも自分の裡に。
 自らの心、感情を制御出来ない自分こそが鬼であると、そう思う。
「あります」
幸也は笑也を振り返らず、木々の梢に向って静かにそう答えた。