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<東京怪談ノベル(シングル)>


放浪記−動物園の罠
 何か、考え事をしていたのかもしれない。
 ぼんやりとした意識が、けたたましい鳴き声で正気に戻される。視線をきょろきょろと周囲に巡らせると、目の前には冷たい鉄の柵が張り巡らされていた。
 その柵は、自を囲ったものではない。柵の中には、黒と白の毛皮を持った“仲間”がぺたぺたと歩いていた。
 仲間は、自分に視線を向ける事は無い。
 檻の外に興味は無いのだろう。檻の中しか知らず、檻の中でしか生きられない、生き物。
「ねえ、お母さん。ペンギンさんが居るよ」
 隣から、甲高い声が響いた。ひょいと見上げると、母親らしき女性に手を繋がれた小さな男の子が、自分の方をじっと見下ろしている。
 ペンギンとは、鳥類の中で類別された名前でしかない。自分の固有名は文太だ。‥‥そう、誰かにそう呼ばれていた。
 子供は嬉しそうに自分を見ると、手に持っていたクッキーを差し出した。母親は、ペンギンがクッキーなんか食べるかしら、と笑っている。
 若い頃は立派だった鮮やかな毛並みも、歳を取れば色あせてくる。体力はめっきり減ったし、物覚えもことさら悪くなった。
 ここに来る前、何をしていたんだろうか。自分は、檻の中の同類を見る為にここに来たのか?
 いや、違う。
 自分の手の中には、小さな檜の湯桶が抱え込まれていた。
 そうか。温泉を探していて、ここにたどり着いたのだった。‥‥多分。
 親子やカップルが楽しそうに同類を観察している所をみると、どうやらここは動物園であるようだ。自分は動物園で観察される趣味などないから、さっさと退散するに限る。
 文太はほてほてと歩き出した。
 皆物珍しそうに振り返るが、ここは動物園だからペンギンの一羽や二羽歩いていた所で、おかしくない。誰も捕まえようとはしなかった。しいていえば動物園の飼育員らしい、つなぎを着た人間が首を傾げながら、ペンギンの檻に居る仲間を数えているくらいだ。

 案外、この動物園は広いようだ。普段ならダッシュで逃げる猛禽類や肉食獣も、檻の中であれば手を出せない。そのうち出口にたどり着くだろう。そうのんきに思いながら歩いていると、文太の耳にサイレン音が響いた。
 おや、と思ってあたりを見ると、先ほどまで居たはずの客が、一人も居なくなっていた。空を見上げたが、まだ日は高い。閉園するような時間ではあるまいに。
『‥‥白クマが檻から脱走‥‥避難‥‥』
 ん? 今、避難とか白クマとか言ったか?
 文太が放送に耳を傾けると、あまり慌てた様子でもない声で、白クマが脱走した事、そしてこれが訓練である旨が伝えられていた。
 バタバタとヒトや車が、文太の行く先に向かっていく。
 ちら、と微かに向こうに白い毛皮が見えた。毛皮、とはいっても背中にファスナーがついているのだが。白クマの着ぐるみを着たヒトは、わざとらしく両手を上げて威嚇する真似をしながら、二本足で歩いてくる。
 ‥‥バカバカしい。
 本当に逃げたいなら、ニンゲンなんて相手にしていないで、さっさと走って動物園から逃げ出してしまえばいいのに。
 文太はくるりと身を返すと、反対側へと歩き出した。とにかくあの騒ぎに巻き込まれては、たまったもんじゃない。
 さて、温泉温泉。
 温泉に浸かって、ゆっくり酒でも飲んで、ぼんやり一日を過ごす。それが今一番、やりたい事だ。
 文太がぺたぺたと、出口に向かって歩いていると、何かが目の前に転がっているのに気付いた。
 正確には目の前、ではなくて目の前の檻の中に転がっているもの、なのだが。うつぶせに倒れている。つなぎを着た、ニンゲンだった。この動物園の飼育員か?
 この檻の前には白クマの説明が書かれているから、おそらくこの檻は白クマの檻なのだろう。しかし、何故ヒトが倒れているのだ。
 俺に近づいて中をのぞき込むと、そのヒトが微かに呻き声を上げた。檻の後ろの入り口から、もう一人男が駆け込む。
「どうした」
「‥‥悪い、逃げられた‥‥」
 逃げられた?
 文太はびくっと肩をすくませて、きょろきょろと周囲を見回す。
 逃げたとは、この中に居た白クマの事か?
 本物が逃げたという‥‥事はまさか、あるまい。
 見なかった事にして、文太は歩き出した。忘れる方がいいに決まっている。この園内のどこかに本物の白クマが居るなど、考えたくもない。白クマとペンギン。どう考えたって、この陸上でペンギンに勝ち目など無い。
 文太の音速の加速をもってしても、隠れるまでがやっとだ。
 自分を落ち着かせるように、キセルをくちばしにくわえた。
 ‥‥と、ダッシュで駆けた。自分がどこから入ってきたのか分からないが、この動物園の外に出さえすれば白クマも追ってこられまい。
 そりゃあう、今までの最高記録を出したかもしれない。
 が、生きた(?)肉の臭いを嗅ぎつけた白クマは、それを見逃さなかった。大きな図体に似合わない速度で、文太の後ろに張り付いた。
 キリンの檻の前についた柵の下を抜け、狭い排水溝の穴に飛び込む。そこをくぐり抜けて再び地上に出てきた文太の後ろには、まだしつこく白クマが追いかけてきていた。
 マズイ、時間切れだ。
 文太はよろよろとスピードを落とすと、くるりと振り返った。後ろに居たのは、本物の白クマだ。背中にファスナーは無いし、二本足でのしのし歩き回ったりしていない。作りものの口も馬鹿みたいにあけっぱなしじゃないし、鋭い牙が覗いていた。
 ちょっと待った。
 文太はキセルを持った右翼(以下右手と仮称する)を前に出し、白クマを制止した。
 自分は美味く無い。ヘビースモーカーだからヤニ臭いし、歳を取っているから肉も味気ない。
 ぱたぱたと手を振って、そう白クマを説得しようとした。
 まあでも、ニンゲンには身振り手振りが通じても白クマには通じないわけで。
『巫山戯るな!』
 と、白クマは手を振り上げた。
 文太は再び急加速し、駆けだした。
 またいずれ追いつかれるのは、分かっている。何とかしなければ、次は命が無い。無我夢中で、文太は目の前の檻に飛びついた。クマの爪をすんでの所で避け、檻の中に飛び込む。
 白クマは暴力的なパワーで、檻の破壊にかかった。
 やれやれ、この白クマは諦めるという事を知らないようだ。こんな事をしている暇があったら、さっさと逃げ出せばよかろうに。
 ふう、と一息ついた文太が入っていたのは‥‥。
 殺気だった視線が、文太を取り囲む。‥‥これは白クマより怖いかもしれない。文太は冷や汗をひとつ流し、キセルを仕舞った。
『何、こいつ』
『ていうか、あの白クマ何』
『また訓練じゃない?』
『訓練じゃないわよ、本物よ』
 口々に、ダチョウの皆さんが話しをしている。まさかダチョウがペンギンを喰ったりするまい。文太は、手で白クマを指し、そして湯桶を見せた。
 自分は温泉に行きたかったが、ここに迷い込んだのだと。
 白クマに追われていると。
『何コイツ、マジウザイんだけど』
『ガキにやれば?』
 文太はすかさず、手に持っていたクッキーを差し出した。‥‥ええと、これは何時誰にもらったものだっけ。クッキーは二枚あったが、ダチョウさん達はあっという間に食い終わってしまった。
 頃合い良し、白クマはフェンスを破壊して中に侵入して来た。
 白クマ一頭と、ダチョウ十数頭、どっちが強いってもう、言うまでも無く。文太はダチョウの背中に飛び乗った。
『クッキーくれたから、まあいいわ。付き合ってあげる』
 ダチョウは文太にそう言うと、地を蹴った。
 太く長い足が、前に前に進む。その勢いは白クマを見ても止まらず、むしろ白クマの上を乗り越え、蹴りつけ、もみくちゃにしながら駆け抜けた。
 ‥‥やはり文太の足とは、出来が違う。スピードでは負けなくとも、持久力が桁違いだ。これが性能‥‥いや種族の違いか。
 人知れずパワーの差に落ち込む文太に、ダチョウが声を掛けた。
 人っ子一人居ない、動物園の入り口に到着している。
『着いたわよ』
 文太はダチョウから降りると、軽く手を挙げて礼をした。
『いいわよ、気をつけていきなさい。‥‥温泉の場所は分からないけど‥‥』
 いや、いい。お互い、無事で‥‥また縁があったら会おう。
 文太はキセルをふかしながら、歩き出した。


■コメント■
 こんにちわ、立川司郎です。遅れまして申し訳ありません。
 名前が文太だから、某ハチロク使いの親父がイメージでいいのかなぁ、と思いながら書かせて頂きました。