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<東京怪談ウェブゲーム 草間興信所>


十人十色の恋模様。

■ 恋物語の始まりは突然に。

「久し振りに来てみたら……片付いてるねぇ、そりゃもうウットリするくらいに♪」
「いや、来なくていいから。来年も再来年も。この際だから未来永劫」
「え〜! 草間さんったらひ・ど・いv」
 お前、顔見せない間に壊れ具合に拍車がかかったんじゃないのか?
 そう真剣にツッコミかけて、さらなる逆襲を予測した草間・武彦は、久方ぶりに興信所を訪れた全身黒尽くめの仲介依頼人の異様なテンションの前にぐっと言葉を飲み込む。
「あ? これが零ちゃん? 初めまして。僕は京師・紫(けいし・ゆかり)って言うんだ。や〜話には聞いてたけどかわいいねぇ。ついでにお茶が美味しい♪」
「ってお前、マジで何しに来たんだ!? 零を見に来ただけならとっとと帰れ」
 客人と思しき男にお茶を出しに来た零を、さっさと隠すように奥に引っ込め、武彦は嫌味たっぷりに紫へ煙草の煙を吹きかける。
「いやだなぁ。それも目的だけどちゃんと別件もあるってば」
 ヒラヒラと顔前で手をひらめかせ、煙を追いやりながら紫はにこりと微笑む。無論、武彦が「『それも目的』って何だよ?」と小声で呟いたのは聞こえないフリを決め込んだ。
「あのさ、悪いんだけど暇な人を少しお借りできないかな? ちょっとお手伝いしてくれる人が欲しくてさ」
 言いつつ、紫はポケットから取り出した小型モバイルを操作し数日前の事件を取上げた画面を呼び出す。
「ほら、覚えてないかな? ついこないだこの近所であった交通死亡事故。被害者は深沢・飛鳥(ふかざわ・あすか)ちゃん。高校2年生」
 出会い頭の事故だった。学校帰りどこかへ向う途中だった少女が、交差点で脇見運転の車に撥ねられたというもの。
「それがどうかしたのか? その事故なら加害者もその場で警察に逮捕されたし、何も調べるような――」
「拾っちゃってさ」
 今更自分たちの出る幕などないだろう、と続けようとした武彦の言葉を紫は明るく遮った。遮り、自分の肩付近を指差し先ほどから浮かべたままの笑みを更に深くする。
「ここに来る途中でさ、なんか呼ばれたかなって思って返事したら付いて来ちゃってね」
 にこにこと微笑む紫。固まる武彦。
 居合わせた人間で霊感の強い者ならば、確かに紫の背後にショートカットの髪にセーラー服という恰好の少女の姿が見えたことだろう。
「何でも誰かに告白しに行く途中だったらしいんだけど。その相手が誰だったかも思い出せなくて成仏できないんだって」
 ぽろり、と武彦の煙草の灰がテーブルに落ちる。すかさず零が奥から姿を現し、その灰をふき取った。
「あぁ、零ちゃんはいい子だねぇ♪ ダメだよ、草間さん。灰は灰皿に」
 だからそうなる原因を作ったのはどこのどいつだ、と言う反論は再び武彦の胸の内だけに仕舞われる。今のこの男には、何を言っても無駄だと武彦の本能が告げていた。
「と、言うわけで。僕と一緒に飛鳥ちゃんの想い人探し&告白を手伝ってくれる人はいないかな? 道すがら甘酸っぱい恋の思い出話でもしながらさ♪」
 ………っつかお前、それは単にお前が他人の恋愛話を聞きたいだけなんじゃないか? むしろ迷える少女の成仏はそのオマケなんじゃないかっ!?
 金にならない依頼を持ち込むのが主義! と日頃から豪語していた依頼仲介人の性格を鑑み、そう結論に到達した武彦。しかしまたしてもそのツッコミを奥歯を噛み締めながら飲み込み、草間興信所所長はすっかり短くなった煙草をじりじりと灰皿に押し付けた。


「あら、久し振り」
「わー、シュラインさんだ。相変わらずココにいるんだねぇ」
 私がいなかったら、そこでソファに撃沈されてる男の面倒を誰が見るのよ?
 口には出さず目線だけでそう語り、シュライン・エマは久し振りに顔を見せた紫にクスリと微笑んでみせた。
「にしても、貴方の方も『相変わらず』みたいね。まぁ、元気にしてたみたいで嬉しいわ」
 ポンっと紫の肩を叩いた指先には、性格を物語るように綺麗に切り揃えられた爪。イマドキ風に過剰に飾られた風でないのは、相変わらず彼女がここの家事を仕切っている証なのだろうか?
 そう考えると、思わず紫の頬も緩む。
「う〜っ、そんな優しいこと言ってくれるのはシュラインさんだけだな。あっちの冷たいおにーさんは、未来永劫姿見せるなとかいきなり言うしさ〜」
「あら? そういうこと言われちゃうような依頼しか持って来ない京師さんにも問題あるんじゃない?」
 反論は、当然ない。
 二の句が告げず、酸素欠乏中の金魚のように口をパクパクさせる馴染みの男の顔を、シュラインはにっこり眺める。口元に浮かぶのはとても満足気な曲線。
「……あうあう、草間さんをいぢめたらシュラインさんに逆襲されました」
 わざわざ語尾に『めそめそ』と付け加えようやくそれだけ発した男の、今度は背中をペシリと叩いてシュラインは瞳を細める。
「はいはい、そんなにしょげないで。手伝ってあげるから飛鳥ちゃんの想いを遂げさせてあげましょ」
 どうやら人員に不足はないようだし。
 駆け寄ってくる少女達の姿を青い瞳に映し、シュラインは武彦に『行って来ます』と小さく手を振った。


■ ちょっと悲惨な恋と、幸せな初恋と。

「それじゃ、私が通行人には話を聞くことにするわね。貴方達は学生さん達の方をってことでいいかしら?」
「そうですね。私もそれがいいとおもいます。海原さんは?」
「はい。あたしも大丈夫です」
 スクランブル交差点の歩行者用信号が青になる。
 どっと歩き出した人の波に押されながら、三人の草間興信所発の女性陣はここまでの移動の電車の中で話し合ってきた役割分担の決を採った。
「ところで、飛鳥ちゃんは今どんな感じかしら」
 半歩遅れて歩く紫を振り返るシュライン。そこには脂下がったような表情。
「……どうしたの?」
 とりあえず問い掛けてみる。
「セーラー服も初々しい健気系美少女」
 ひたり、と紫の指が海原・みなも(うなばら・−)を指す。
「スタイリッシュなショートがとってもお似合いな、大人と子供の魅力を持ち合わせた美少女」
 今度は八雲・純華(やくも・すみか)。
「んで、言うまでもなく語るまでもない色んな意味での美女」
 視線を上げてシュラインに微笑みかける紫。
「何だか僕って今、ハーレム状態? さっきから電車の中でも羨望の眼差し集中砲火で――」
 後頭部にスパンと撓る強打一撃。思わず前のめりになりかけた黒尽くめの男の耳だけに、『色んな意味ってどういう意味?』と微妙な迫力を帯びた囁きが届く。
「さて、あんな男は放っておいてさっさと行きましょうか。確か飛鳥ちゃんの通っていた学校ってこっちだったわよね?」
 行き交う人々の中、肩がぶつかりそうになるのを器用に掻き分けながら進む。誰から教わったわけでもないが、この都市で生きる人間がいつの間にか身につけた世渡り術――他人との距離の取り方。
「はい、こっちで合ってるみたいです」
 現役高校生の純華が、自分達の真向かいから歩いてくる人々の中に数人の制服姿の少女を目ざとく見つけ、シュラインの問いに応えを返す。彼女の纏っている制服は、2人には直に視ることは出来ないが、飛鳥が着ているものと同じだった。
「大丈夫ですか?」
 相変わらず半歩ほど遅れて歩く紫に、みなもが歩くペースを落として近付き見上げる。それが先ほどシュラインに景気良く張られた事を案じるのか、それとも飛鳥を憑けている事を案じているのかは分からなかったが、紫は『平気平気』といつもの人を食った笑顔を返す。
「……霊水の目薬、使っておけば良かったかな」
 ぽつり、と早朝に若葉の上に宿った朝露が零れ落ちるように小さく呟くみなも。
 今のみなもにも飛鳥の姿を直に視ることは出来ない。視えるようにする方法がないわけではないのだが、今すぐにこの人ごみの中で歩きながら行うのは、少々無理があるので我慢するしかない。
「どうしたの?」
 今度は紫が、自分より低い位置にある蒼い瞳を覗き込みながら問い掛ける。
「あの……飛鳥さんはどうですか?」
 見えないものは、見えている人間に尋ねるしかない。そう決断した少女は、興信所で紫が指差していた男の肩口辺りに視線を彷徨わせる。
 今は途絶えてしまった命の炎。それがまだ盛っていた頃に通っていた場所に近付くことは、彼女にとって悲しいことではないのだろうか?
 年上の少女の胸の内を思い、みなもは眉を寄せた。
 が、それに対し返って来た返答は意外にも明るいものだった。
「ん? 今のトコ元気――って言うのも何か変かもしれないけど、でも元気みたいだよ。自分が通ってた学校に近付くのが嬉しいのかな? あとね、さっきからみんなの恋愛体験談を聞いてみたいって言ってるよ」
「そう、それなのよ。京師さん」
 長い交差点を青色点滅寸前で渡り終えた所で、不意にシュラインが振り返る。
「うわぁ、相変わらずいい耳してるねぇ」
「ありがと。って、そうじゃなくって。京師さん自身の恋愛話はどうなの? 私も現在のは置いておいて、せっかくだから初恋話でもって思ってるんだけど……でもそれも貴方の聞けない場合以下お蔵入りかしら」
「っていうかです。それはキョーハクと言いませんか?」
「あら、そうかしら?」
 にこり、という擬音が随所に聞こえそうな微笑を浮かべたシュラインに詰め寄られた紫が、絵に描いたように鼻の頭をかく。チラリ、と周囲を見ればなにやら期待に満ちた視線を二つほど感じる。おまけに背後の飛鳥もそれっぽそうな雰囲気で無言のまま紫の肩に手を置いているようだ。
「まー……一応妻子持ちですから? その手の話がないわけじゃ〜ないけど。……はっきり言って面白くないよ?」
「え!? 結婚なされてるんですか? それならぜひ奥さんとのお話をお伺いしてみたいです」
 絶賛恋愛中の純華が、紫の左隣に陣取り遠慮がちにジャケットの裾を捕まえる。
 いつの間にかみなもも紫の右隣のキープしていた。
「そうそう、面白いか面白くないかは聞き手が決めるものよ?」
 トドメはシュラインの有無を言わせない笑顔。
 まぁ、シュラインさんの初恋話をお蔵入りにさせたとあちゃ、僕も浮かばれないしね、と紫はまさに渋々の体と言った雰囲気で口を開く。
「最初はねぇ、お互いがお互いのこと大っ嫌いでね。顔を合わせるとそりゃもう冗談抜きで命の駆け引きしてるような険悪ムード全開。んなもんだから、殴る蹴るは日常茶飯事で、刃物や飛び道具が出てくることもあったりしてさぁ」
 やっと語り出した、という割にはやけに熱が篭っている。しかしそれに反比例するように女性陣の温度が急激に下がって行く。
 もう随分遠ざかったはずの駅のホームで鳴り響く電車到着のメロディが、やけに大きく聞こえた。
「結局、惚れたのは僕で。だからそれから先、死に物狂いで口説き落としたんだけどさ」
「……何やら壮絶な体験談ですね」
 恋愛経験が一番浅いのか、居合わせたメンバーの中では最年少のみなもが、微妙に引き攣った笑みとともにそれだけを口にする。
「でしょ。さらに言うなら初恋も悲惨だよ? たまーに家に来る綺麗なお姉さんに幼心に想いを寄せてたんだけどさ。なんとそれが家を出てってた母親だったんだよねぇ……」
「……も……もういいわ……」
 耐えかねてシュラインがポンっと紫の肩を叩く。未成年の少女2人の目には、困惑の色と小さな水滴が浮かんでいた。
 ところが。
「え? いいの。んじゃ、今度はシュラインさんだよね♪」
 許しの言葉を得た瞬間に、紫の表情がパッと変化した。
 そのあまりの変貌振りに『騙されたかしら?』と思いかけたシュラインだったが、不意に感じた視線に問い詰める言葉を飲み込む。
 視線の主は多くを語らずとも、同行中の2人の少女。ついでになんとなく紫の肩口辺りからも、何かを感じる。
 それには『今度こそステキな話に違いない』という期待が込められているのは、言うまでもなかった。
 喋りながら歩いた距離は短くはなく、もう駅からの音は何も聞こえない。
 学び舎が近いのか、すっかり緩んだ春の風が、目的の校門にある桜並木から甘い香りを運んできていた。
 その香りに鼻腔を擽られ、思い返す。今でも胸を高鳴らせる淡い恋心を。
「私の場合、ちょっと遅かったのかしら。そうね、ちょうど今のみなもちゃんくらいの年齢だったのよ」

 相手は、父の友人でライブハウスの店主をやっている人だった。
 ぱっと見た感じだと、熊を連想させる――そんな男性。
 中学生という年齢では出入りするにはまだ少し早いようなその場所。けれど少女はまだ蕾のような胸を弾ませよく足を向けた。
 何をするわけではない。
 ただ言葉を交わすだけで嬉しくて。自分の話す事で笑ってもらえたら、それだけでとても幸せになれた。

「だけどね、彼には奥さんがいたの。それもとびっきり素敵な」

 溜息を零さなかった、と言うときっと嘘になるだろう。
 けれど、その奥さんのこともシュラインは大好きだった。傍目で見ていて、いつか自分も、あんな風になれればいいな、と心から素直に思える素敵な夫妻。
 だから、好きになった瞬間から、失恋確定な恋。
 それでも、少女は想いを告げる勇気を持っていた。告げるだけは告げておきたいと思ったのか、有耶無耶にするのが嫌だったのか。それとも新しい階段を駆け上がる為の儀式だったのか。
 今となっては、覚えていないけれど。
 好きです――そう言葉にした瞬間の破裂しそうな鼓動だけは忘れない。
『光栄だよ』
 ふわり、と頭を撫でられた。
 返って来たのは、優しい微笑みと大きな手の温もり。その暖かさを、少女から大人になったシュラインは今でもはっきりと憶えている。

「失恋して安心――って言うのもなんだか変な話だけど。でも幸せな初恋でしょ? ご夫妻には子供がいなかったから、本当の娘のように可愛がってもらったし。それに今でもお付き合いはあるのよ。この間もお食事に招待されちゃって」
 今でもお会いするとドキドキするわね。
 想いを馳せるように視線を少しだけ横に流して。シュラインは口元に穏やかな微笑を浮かべる。
「ステキですね……」
「……」
 2人の少女が輝いた視線を送る。それがなんとなく気恥ずかしく感じ、シュラインはふっと顔を上げた。
 飛び込んできたのは、本日の最初の目的地。飛鳥が通っていた高校の校門。
「さ、そろそろ仕事にかかりましょう――」
「イイ男発見〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜っ!」
 乱入者はいつだって突然に。
 余韻に浸っていた少女達をシュラインが促そうとした瞬間、割って入ったのはやけに弾んだ少年の声。
 その声の主は、探そうと首を巡らす暇もなく、紫の腕をがっちりと掴んで存在をこれ以上なく主張しまくっていた。
 何事だろう? と校門から駅を目指す学生達も興味の視線を向けている。
 が、現れた少年はそんな事を意に介した様子もない。
「なぁなぁ、俺さ蒼月・華焔(あおつき・かえん)って言うんだけどさ。っつか、正確に言うと今は『裂(れつ)』って言うんだけど。まぁ、その辺はややこしいからこの際どうでもよくって。あんた名前なんていうの? 俺、めちゃくちゃアンタの事好みなんだけど。そんなこんなで俺とイイことしよーぜ?」
 一気に捲くし立てる。自分より小柄な少年にしがみつかれた恰好になる紫は、くるりとシュラインを振り返り、ぽつりと一言。
「……どうしよう。今度はオトコノコにナンパされちゃった」
「――というか、この子、何なの?」
 事の成り行きに呆然とするみなもと純華を横目にシュラインの冷静な一言。勿論、紫に後ろから軽く蹴りを入れることも忘れずに。
「『何なの?』 って何?」
 腕に腕を絡ませ離れない少年の頭を撫でつつ、問いに問いで応じる。
「だって、この子の足音。普通の人間のものじゃなかったもの。だから気付けなかった」
 華焔――いや、今は裂と呼んだ方がいいのか――と名乗った少年の足元をシュラインが指差す。彼女の耳には少年の足音がまるで獣のそれに聞こえていた。荒野を疾走する軽やかな、そうまるで犬か何かのような。だから人間が自分達に近付いてきているとは思わなかったのだ。
「うーん。シュラインさんの耳は地獄耳〜……っていう冗談は置いといて」
 どうやら抓られたらしい。
「この子……って言ったら失礼かな。ん、華焔くんはどうやら狼の霊憑きっぽいね。で、その霊の方の人格が『裂』って名前なのかな? どうやら今は裂くんの人格の方が勝っててこんな状態っぽい」
「うを! あんたやっぱすげぇな! 流石は俺の見立て!!!」
「……東京って本当に色々な人がいるんですね」
 紫の見立てがどうやらビンゴだったらしく、さらに興奮する華焔の姿を借りた裂に、みなもが自分の経歴を棚に上げて一人ごちる。日本全人口の十分の一が終結する大都会でも、人魚の末裔は早々いないだろう。無論、彼女の親類縁者は除くとして。
「というか……アレですね。草間興信所でお仕事させて頂いてると、こういうことに驚かなくなるんですけど。でもソレってちょっと普通じゃなくないですか?」
「そうね。でもきっと深く考えちゃいけないわ」
 17歳の少女の正直な気持ちの吐露に、噂の草間興信所でもかなりの古株に入る女性は、くらりと霞みかけた目元を押さえて耐える。
「あーっ! もー!! 裂出てけっ!!!!」
 張り上げられた突然の絶叫。発した主は華焔。
「何? 今度は何事!?」
「どうやら華焔君の方が裂君を追い出したようです」
 冷静な紫の状況説明も空しく、下校中の生徒達の視線が一気に集まる。当然といえば当然の事態に、女性達は少年を紫つきで物陰に引きずり込んだ。
「マジ、すんません。裂のヤツがメーワクかけて。俺、霊媒体質なんで結構役に立てると思うんだ。あ、勿論もう裂の好きにはさせねぇから」
 騒ぎの元凶を問い詰めようとした時、そこにいたのは先ほどまでとは雰囲気をがらりと変えた少年。どうやらこちらが華焔らしい。
 と、純華がふと気付く。
「あの……私達、今何をしてる、なんて一言も言ってませんよね?」
「え……あ、そっか。まぁ俺もよく分かってるわけじゃないけど、ほらそこの男の肩口に女の子いるだろ。何日か前の新聞で見覚えあるし。確か何とか飛鳥って名前じゃなかったっけ? 差し詰め恋の悩みで成仏できない……とかそんなんじゃないかと思ったんだけど。違ったか?」
 ぽりぽりと頬をかく華焔。
 獣の勘も侮りがたし! そう乙女の勘で思う純華だった。
 ちなみに余談ではあるが、華焔の体から追い出された裂が、
『くそー! せっかくこいつとPなことしてPなこと出来るチャンスだったのによう!!』
 と放送禁止用語を連発し、飛鳥に白い目で見られていたことを知るのは紫しかいなかった。


■ 変えることの出来ない恋心と、胸高鳴らせる恋心と。

「ありがとうございました! 行こう、海原さん」
「はい」
 それまで話を聞かせてもらっていた制服姿の少女たちの一団に、礼儀正しく頭を下げ、純華はみなもの手を取り小走りに駆け出した。
 背に見える学校の大時計の針が指し示す時間は、夕方5時少し前。事前に決めた役割分担通りに作業を進め、落ち合う約束のその時間までもうほんの少しも余裕はない。
 日毎長くなる昼の時間。けれど静かに下りてくる夜の帳の気配が、雑踏の中を泳ぐように進む少女たちの背中を追いかけ始めていた。
「お待たせしました!」
 辿りついたのは、ガード下のこぢんまりとした喫茶店。チリンと呼び鈴が鳴った瞬間に、一目で見渡せる店内の一番奥の席から「こっちこっち」とお呼びがかかる。
「あ、カフェオレでよかったかな? 走ってくる姿が見えたから、勝手に頼んじゃった」
 二つの座席をくっつけて作った6人分のスペースに5人。一番出入り口から近い場所に純華とみなもが腰を下ろすと、ここまで来るのにかいた汗を補充する水分が運ばれて来た。
「で、どうだった?」
 2人がそれで一心地つくのを待ち、デミタスカップ片手にシュラインが問いかける。
「はい。ちゃんと飛鳥さんのクラスメートの方とかお友達って人からお話聞くことができました」
 そう言いながら、純華は自分の携帯をテーブルの上に出し、慣れた手つきで着信時刻が真新しいメールを呼び出す。
「えーっと、誰も『飛鳥さんの好きな人』っていうのは直接ご存知じゃなくって。というか、皆さん飛鳥さんに好きな人がいたっていう話、聞いた事なかったんだそうです」
 純華が携帯を操作する横で、みなもがかいつまんで事情を説明する。
「でも飛鳥さんのクラスで他校生なんだけど、凄く人気のある人が3人いるらしくって。なんていうんですか? 普通の人なんだけど、アイドルみたいな扱いっていうか――」
「私、その3人の中に飛鳥さんが好きだった人がいるんじゃないかって思うんですよね。根拠を聞かれるとちょっと困るんですけど」
 みなもの説明の後を継いだ純華が、一通目の写真に添付された写真を皆に見せるために、携帯をテーブルの中央へ押し出す。
「これが、都立東の笹山くん。見るからにイマドキのアイドルって感じでしょ」
 高画質の携帯画面に映し出された少年の写真は、どうやら通学途中の風景を隠し撮りしたものらしい。正面顔ではなく、視線は違う場所へと向っている。
「で、こっちが青陵の須藤くん。そしてこれが同じく青陵の都祁くん」
「――都祁?」
 皆に携帯の画面が見えるように、椅子から立ち上がりボタン操作をしていた純華の言葉に、シュラインがピクっと眉を寄せた。チラリと見遣れば紫も少々驚いた風に目を丸くしている。
「どうかしたのか?」
 2人の様子にいち早く気付いた華焔が、紫の肩口をずっと見つめていた視線をずらし問い掛けた。
「いえ、別の件でその子と会ったことがあったから。ちょっと驚いたの」
 不安そうに寄せられた年少者たちの瞳を、穏やかな笑顔を向けることで和ませる。
 下校途中の電車内だろうか。友人と歓談に耽っている様子の少年の横顔、それは確かにシュラインが以前出会ったことのある少年のものだった。
「あ、そうなんですか? それだったら話が早いかもしれませんね」
 ようやく無理な姿勢から解放された純華が、少し温くなったカフェオレを一気に飲み干す。
「都立東だと、ここから事故現場の位置関係からして無理があると思うんですよね。飛鳥さん、どんな感じですか?」
「んー……なんとも微妙な表情って感じか。確かにその都祁って奴の時に何か感じた風にも見えたけど、シュラインの驚きに反応しただけかもしんねぇし……」
 ずっと飛鳥の様子を見守っていた華焔が、純華の言葉に頬杖をつきながら答えを返した。
 僅かな隙間に滑り込むように舞い降りる暫しの沈黙。その日最後の陽の光が、顔を見合わせる5人の頬を茜色に染め上げる。
「あの……純華さんじゃないですけど。あたしも都祁って人が飛鳥さんの想い人なんじゃないかと思います」
 静寂を破ったのは、最年少のみなもだった。
 存在を主張し始めたオレンジ色の室内灯が、みなもの蒼色の髪を夕焼けの茜色と合わせて不可思議な色に輝かせる。
「純華さんと一緒にお話聞いてた間、一番たくさん名前が出たのがその人なんですよね。つまり、それだけ皆に好かれてたってことですよね? それが必ずしも人の気持ちに結びつくとは思わないですけど……でも、憧れってそういうものな気がするんです」
 年上の少女たちに囲まれていた情景を思い出しつつ、みなもが言葉を繋ぐ。
 彼女はその時、心の中で祈っていた。都祁という少年が飛鳥の想い人であってくれるように、と。もし違えば次は飛鳥の家に情報収集に行くことになるだろう。大事な娘を失ったばかりの親の心の傷は未だに血を流し続けているに違いない。そんな人たちから話を聞き出すような事は、できればしたくなかった。
「そうね。確かに彼の家の方向なら位置的にも辻褄が合うし、事故の時刻も移動時間を考えれば妥当ね。とりあえず行くだけ行ってみましょうか。捜査の基本は足だって言うしね」
 案内は任せて、とシュラインが椅子を引き立ち上がる。
 それに2人の少女が続き。さらに華焔が追う。
「それじゃ、僕らも行くとしようか」
 飛鳥を伴い、紫が最後に席を立つ。勿論、テーブルに残されていたレシートも紫の手の中に納まった。

「ところで、貴方達の方はどうなの? ステキな恋愛してる?」
 太陽はすっかり西の空の果てに姿を隠し、遠くに高層ビルの光が瞬いて見える。
 都会の喧騒からぽっかりと切り離されたかのような閑静な住宅街。電車での移動を終えた5人は、瀟洒な街灯に照らし出される歩行者専用道路を横一列になって歩いていた。
 時折、どこかの家で飼われている犬の鳴き声が響く以外は、彼らの会話の声しか物音はない。
「へ? 何それ?……ふーん、飛鳥ってばそんな話聞きたがってたのか」
 目に視えないもの――この場合は幽霊だが――と会話できるのは、ちょっと便利なことかもしれない。
 事情に疎い華焔が、したり顔で頷くのを横目に、ふっとシュラインはそんなことを考えてみたり。しかし全部が全部聞こえようものなら、結構散々な目に遭いそうだ。
「なんなら、俺が話してもいい? けっこー切ないのよ」
 一人盛り上がった華焔が、タタッと並んだ列から駆け出し、くるりと皆の方を向き直る。逆光で照らし出される少年の表情を読み取ることはできない。
 だから彼の表情がどこか自嘲めいた色を帯びていることを、窺い知ることは出来なかった。

 出会いは、物心がつくより以前のこと。
 蒼月神社の跡取り息子として、この世に生を受けた華焔は、当然そうなるべくしてその人と出会った。
 銀の髪に蒼い双眸。
 天に真円を描く月が微笑む夜、その人は華焔の前に忽然と姿を現し、思わず溜息が零れるような美しい笑顔と共に小さな手を取り、子供の名を呼んだ。
 あまりに浮世離れした光景に、幼い華焔は言い様のない不安にかられ泣き出してしまう。それが畏怖という感情であることを、今なら理解できるが。
『かえん……だね? 私は――』

 春が来て夏が来る。それが終わると秋が始まり、気がつくと世界は白に染まる冬。そうやって幾重にも時は流れ、非現実だったものもありきたりの日常になることもある。
 小学校から帰宅した華焔を真っ先に迎えるのは、神主の略装に身を包んだ銀髪蒼眼の美しい人。ほんわりとした笑顔が、どんなに凍える日でも華焔の心に暖かな火を燈してくれた。
「おかえり」
「ただいま」
 いつもと同じこと。何の変哲もない出来事。
 しかし、その人は人間ではない。
 その正体は――蒼月神社の社に宿る狐神。神力を使い、人の形をとった仮初の姿。
 けれど、目の前にいる者を否定することなど出来るわけなく。罪作りな神様は、いたいけな少年の心を魅了してしまう。
 一緒にいたくて、したくもないのに神社の掃除を率先してやったりもした。とかく出て来たがる裂を強引に押さえつける為に、体に結構な無理をさせたこともあった。
 だけど幼い恋心は不器用で。いたずらばかりを繰り返し、困らせるのが楽しくて仕方なかった。

「だけど……だけどっ! アイツ男だったんだよなぁ……ぜってー女だって信じてたのに……」
 吐き出されたのは、異様に尾を引く長い長い長い溜息。思わずそうせずにはいられなかったのだろうか、細かい頭痛を押さえ込むようにこめかみに当てられた手が小刻みに震えている。
「でも……それでも、好きなもんは好き――なんだよなぁ」
 戸惑いをかなぐり捨てるように、薄茶の前髪を片手でかき払う。都会の明るい夜空に浮かんだ月が、少年の真紅の瞳に力を与えた。
「……まぁ、今は恋愛は自由だって言うしね」
「ですよね。偏見とかってやっぱりいけませんよね」
『俺は遠慮なんかしねぇぞー。狐だかなんだか知らねぇが、喰いたいもんは喰う。んでもってその次はこいつを頂く予定だ♪』
 ふよふよと宙に浮いたままの裂が華焔のことを指差しながら、現状において紫と飛鳥にしか聞こえない物騒な台詞を口にしていた頃、シュラインとみなもはこそこそとイマドキな恋愛論に花を咲かせる。
 そして残りの一人は、というと。
「相手が誰であっても。ちょっとしたことが切なかったり、嬉しかったり、幸せだったり。そういうのってみんな同じですよね」
 住宅街の交差点。
 まるで道に迷った子供のように、純華が足を止めた。
 赤い情熱を秘めた瞳が、ここではないどこか遠くを見つめて仄かに揺らぐ。
「あら、なんだか意味深ね?」
 倣って立ち止まったシュラインが、膝を僅かに折って純華の顔を覗き込む。
「純華さん、好きな人いらっしゃるんですか?」
「え? ええぇっ!? 私?」
 真横からの視線に加え、今度は斜め下から小首を傾げた視線が追加される。これまで人の恋愛話は聞いてきたものの、どうやら自分が聞かれる立場になることを想像していなかったらしい純華は、不意に熱を持った両頬に手を沿え表情を隠してしまった。
「あー、純華ちゃんったらずるいんだ。飛鳥ちゃんもぜひ聞きたいって言ってるよ?」
 紫の駄目押しの一言。ついでに華焔もずるいずるいと騒ぎ出す。
「いえ、そんな……ただ、大好きな彼がいるだけす」

 純華の彼は平日は高校生、休日はライブハウス専属のギタリストと二束の草鞋を履きこなしている。
 彼の出演する日のライブハウスは大盛況。勿論、彼目当てで来ている女性客も少なくはない。
 そんな人気者の彼で純華が不安を抱かないはずはない――のだが。
 スタンディングオンリーの閉鎖空間には、まさに鮨詰めの人間。極限まで高められた熱狂が渦巻く中、スポットライトに照らし出されたステージ上の彼と視線が絡む。
 意地悪するように、わざとウィッグまで被っても。緑の瞳はたった一人の少女を見つけ出し、にこりと微笑む。
 ずるいずるい。
 彼にはきっと特別な力があって、私を見つけてしまうんだ。
 他の誰にばれなくても、彼にだけは捉えられてしまう。
 好き、その想いが毎日毎日大きく膨らんで行く。
 今日は彼に会う日。どんな服を着ていこう? このワンピースはまだ少し早いけど、こっちのニットは今の時期には色が重い。
 そう言えば、この間買ったばかりのブラウスとカーディガンはまだ彼に見せてなかったっけ。
 鏡の前で、たった一人で右往左往。クローゼットの中身をひっくり返しては、元に戻し、またひっくり返してを繰り返す。
 やっと決まったと思ったら、今度は玄関で一苦労。合わせる靴にまた頭を捻る。
 大好きな人と過ごす時間はとっても大事だから。だからこそ、どんな時より綺麗でいたい。
 少し足りない身長で思いっきり悩んでしまうのも、彼のことが大好きだから。
 こんな風に迷うのも、ドキドキに繋がる。乙女だけが持てる、乙女の特権。

「純華ちゃん? すーみーかーちゃーーーん??」
「え? あ、はいっ」
 目の前でパチパチと手を叩く音がして、純華は我に返った。
「どうやら、ステキな恋愛してるみたいね」
 紫とシュラインが並んで穏やかな笑みを浮かべている。その様子にすっかり彼へと想いを馳せていた自分を察し、純華の頬に再び朱が走った。
「えっと、あーっと。海原さんはどうなのかな?」
 火照る頬を両手で扇ぎながら、同行者中最年少のみなもに話をふりかけて――そして純華はゆっくりと振り返った。
 まるで何かに引き寄せられるように。
「あれ? なんでこんな所に」
 道と道が交差する場所。人と人とが出会う場所。
 一行が歩いてきた道に横から交わる方向から現れた一人の少年。服装はラフな普段着で、手には小さなコンビニ袋。
 造作は群を抜いて整ってはいるが、ありきたりの日常に紛れて違和のないその少年が、シュラインを見つめて目を丸くしている。
「お久し振りです……って言えばいいのかな?」
「……ビンゴ」
 少年が軽く会釈をした瞬間、飛鳥の様子を見守り続けていた華焔が小さく呟いた。


■ 伝える恋の想いと、応える想いと。

 最初はTVの画面越しに見るアイドルと同じだと思っていた。
 出会いは友達から携帯に送られてきた一通のメール。それに添付されていた10キロバイトにも満たない写真。
 よほど慌てて撮ったのだろう。横にブレた映像が、撮影者の気の動転ぶりを表していて、なんだかおかしかった。
「名前、分かったよ! 青陵高校の『つげ・かいん』くん。なんだかよくわからない漢字みたい。それも芸能人っぽくていいよね」
 かっこいい男の子の話題となれば、クラス中に広まるのに一日とかからない。情報は瞬く間にクラスを席巻し、彼は極めて限定されたエリアのアイドルになって行く。
 小さな液晶画面の向こうの彼。それだけで終わるはずだった『都祁彼音』と飛鳥。しかし運命の神様は、2人の間に奇妙な縁という悪戯を仕掛けていた。
 家族で3年前に天寿を全うした祖父の命日に訪れた墓地。そこにその人はいたのだ。
 携帯の待ち受け画面に設定された、その顔のままで。
「あの……」
 声をかけようとして、飛鳥は思い留まる。
 何を話すと言うのだろう? 向こうは自分のことなど全く知りはしないのに。
 けれど、ここで出会えた偶然に鼓動の高鳴りを止めることなど出来るはずもなく。
「――っ」
 意を決して踏み出しかけ、飛鳥は気づいた。彼が新しい墓石に向って、にこやかに何かを話していることに。その表情があまりに柔らかく優し気で、発しかけた言葉は音にはならず宙へと掻き消えてしまった。
 結局、挨拶の一つもできないまま終わった邂逅。そして飛鳥は後日、彼は双子の弟を亡くしたらしいという話を耳にする。
 途端に春の陽気に膨らみ出した櫻の蕾のように走り出す想い。
 きっと彼は弟と話をしていたのだ。失った自分の片割れをいつまでも大事にしている優しい人。
 ……私が、彼の新しい片割れになれればいいのに―――

「なるほど。そういうこと、ですか」
 奇妙な沈黙が降りるリビングに、カツンと乾いたガラスとガラスがぶつかる音が鳴り渡る。
「すいません、来客用の湯呑みセットがどこにあるのか僕知らなくて」
 透明なガラスの向こうで、水紋を描く緑色の液体。どうやらそれは緑茶らしかった。
 決まり悪そうに苦笑いを浮かべながら、彼音が人数分のグラスコップをテーブルに並べる。その種類はマチマチで、この少年が台所事情に精通していない事が容易に見て取れた。
「にしても、飛鳥の反応ってめっちゃ分かりやすかったよな」
 母子2人で暮らしているという家は外から見たとおりに広く、彼音の帰宅と同時にようやく明りの点ったリビングに、華焔の声が木霊するように響く。
 偶然出会った交差点から少年の自宅までの道すがら、今回の来訪の意図を聞いた彼音は、母の帰宅は深夜になるから、と5人を自宅へと招き入れた。
 彼音と出会った瞬間の飛鳥の反応は、それは目を見張るものがあったらしい。
 その一部始終を目撃した華焔は『真っ暗な夜空にどばーんっと花火が打ち上がったような感じ? 一瞬で耳まで真っ赤になって、その後の、これぞまさしく花も綻ぶってヤツです! な感じの笑顔ったらなかったぜ』と形容した。
 その笑顔を視る事の出来なかったシュライ、純華、そしてみなもは心の中でこっそり臍を噬む。
「華焔くん、飛鳥ちゃん女の子なんだからあんまり茶化すと泣いちゃうよ?」
 目下、飛鳥の声が聞こえる紫と華焔がそんなやりとりを繰り広げる中、草間興信所発の3人の女性陣はいかに少女の想いを遂げさせるか、という相談に頭を捻っていた。
「やっぱり、自分の言葉で想いを伝えさせ上げたいわよね」
 顔に手を当て、指で自分の頬を軽く弾きながらシュラインがそう提案すると、残り2名も当然、とばかりに大きく頷きを返す。
「蒼月さんや京師さんにお願いして代弁してもらうのは簡単ですけど、それじゃ本当に自分の想いが伝わったか不安ですし」
 純華の言葉に、シュラインはクッションの効いたソファーの背もたれに沈み込み、天を仰ぐ。
「ねぇ、君は確か幽霊とか視ることはできるんだったわよね?」
 姿勢を正し直し、彼音に視線をめぐらせる。
「はい。でも相変わらず聞くことは出来ませんけど」
 紫と――即ち飛鳥と対する位置に座った彼音が、シュラインの問いかけに申し訳無さそうに答えを返す。
 その口元が『ごめんね』と形作ったのをみなもは見逃さなかった。
 発されなかった言葉は、おそらく飛鳥に向けたものだったのだろう。そう判断し、みなもは僅かに頬を緩ませた。
「なぁ、俺が体貸そうか? したらとりあえず自分の意志で喋ることはできるぜ」
「それも考えたんですよね……」
 なぜかキチンと挙手してから発言した華焔に、純華は微妙に申し訳無さそうに眉を顰める。あわせて残りの女性二人もあらぬ方向へ目を向けた。
 どうやら彼女たちの会話の中でその案も出たようなのだが、見るからに健康そうな少年が、少女そのままの仕草で想い人に告白する姿を想像し、謹んでご辞退させて頂こうと言う結論に到達したらしい。
「……ねぇ、京師さん。どうにかできない?」
 常軌を逸した力に依存するのは好ましくない。それが当たり前になってしまうと、人間らしく生きることができなくなってしまうから。
 けれど、なんとか少女の最期の願いを叶えてあげたい。
 暫くの逡巡の末、シュラインは馴染みの依頼人の顔を見遣る。興信所を出るときに、何かのために、と押し込んできた幾つかのガラス製の小物が、ポケットに忍ばせたシュラインの指先に触れた。
「ならないこともない……けど、今は僕一人じゃ出来ない。シュラインさん、砂時計持ってたりする?」
 おそらくそれはシュラインが目当ての物を持っている、と確信しての言葉だったのだろう。座していたソファーから静かに身を起こした紫は、悪戯っ子のように微笑むとシュラインに向って手を差し伸べた。
「えぇ――って、分かってて聞いたでしょ。意地が悪いわね」
 シュラインの手から紫の手へと渡されたのはガラスで出来た砂時計。
 きらきらと光を乱反射させているのは、時の流れを示す砂。どうやらそれまでガラスを細かく砕いて作ったものらしい。その美しさに、純華とみなもは一瞬魅入られた。
「華焔くん、協力お願いできるかな。やっぱり君の体を借りたいんだ」
「おー、俺はいつでもオッケ」
 華焔の了承を受け、紫は少年の肩にそっと片手を置き、もう片方の手で受取った砂時計を握り締める。
「えーっと、ここから先はオトナの事情というヤツでナイショね?」
 確認するように一同を見渡した後、紫は砂時計を握った手に力を込めた。
 続いたのはパリン、と高く澄んだ小さな音。
 それがガラス製の砂時計が砕けた音だと悟った刹那、部屋中に真昼の光の奔流が沸き起こる。
 居合わせた全員の目が、その強烈な光に眩む。
 そうして再び視覚が回復したとき、リビングには華焔の姿はなく、華焔の姿があったはずの場所にセーラー服を纏った一人の少女がきちんと両手を膝の上に揃え座っていた。

「良かったです。ちゃんと想いを告げられて」
 都祁家から帰路に着くための駅に向う道中、みなもは両手を顔の前で重ね合わせ、何かに祈るように呟いた。
「うん。これで飛鳥さんも安心して眠りにつけますよね」
 今は華焔の姿に戻った少年に、純華は晴れやかに微笑みながら問い掛ける。その問いに華焔は、紫の肩口に視線を運び、無言で首を縦に振った。
 華焔の視線の先、そこにはもう告げられなかった想いを未練に、この世に留まっていた少女の姿はない。

『私、深沢飛鳥って言います。あの……私、都祁くんのことがずっと、好きだったんです。都祁くんは私の名前も知らないと思いますけど』
 顔を紅潮させた少女は、それでも必死に大好きな人の目をまっすぐに見つめて告白した。
『一度、すぐ近くで見たんです。都祁くん、お墓で弟さんに話しかけてたでしょう? 私、その瞬間に本当に好きになったんです。優しい人だなって。いろんなこと、大事に出来る人なんだなって』
 応えのない彼音に、少女は矢継ぎ早に声を重ねる。
 何かを言っていないと、泣き出してしまいそうなのだ。憶えのある不安な心地に、純華はぎゅっと固く拳を握り心の中で応援を送る。
『今は……今は死んじゃったから、その先を望むなんて出来ないけど。でも、この気持ちだけは――』
『ありがとう』
 少年が答えを返したのは唐突。
 立ち上がらず、一定の距離を保ったまま彼音は一度ゆっくり瞬きをした後に、優しく微笑んだ。
『でも、ごめん。確かに僕は今日まで君の名前すら知らなかった』
 核心を突く一言。真実だけを告げたその言葉に、思わずみなもも耳を塞いでしまいたい衝動にかれる。
 緊迫する空気。しかしそれは少年の口から零れた次の言葉で、ゆるやかに解けて行った。
『だけど……そうやって好きになってもらえて、本当に嬉しく思う。綺麗事とかそんなんじゃないよ? これは僕の本音。凄く嬉しい』
 彼音がソファーから立ち上がり、小刻みに震えていた飛鳥の手をそっと取る。
『今度、生まれ変わって。多分、その時は僕も生まれ変わってたりするんだろうけど。でももしまた深沢さんが僕のことを好きになってくれたら、その時こそは声をかけてね』
 少女は泣き出していた。
 とめどなく溢れる涙を、拭おうとはせずにただ無言で頷きを返し続ける。
『……ありが……とう』
『こちらこそ、ありがとう』

 静まり返った住宅街に、5人5人様の靴音だけが響く。
 告げられなかった想いゆえに、新しい輪廻へと旅立てなかった少女は、最期に『ありがとうございました』と明るく笑い、生者の目には決して視えない世界へ旅立った。
 残されたのは、心地よい余韻と一抹の寂しさ。
「飛鳥さんは、鳥になったのかしら。その名の通り」
 そう呟き、シュラインは足元に落としていた目線を、低い夜空に馳せる。
「あ……」
 示し合わせたわけではなく全員で星の少ない空を見上げ、目を見張った。
 ほんの一瞬の出来事。
 大きな翼を持った鳥の影が、彼女たちの頭上を舞い遥か遠い空へと飛び立ったように見えたから。


■ 移り変わる想い、人の心は留まらず。

「お疲れ様。久々のお見送りはいかがだったかしら?」
「うわー、捕まった」
「はいはい、捕まえたからそこに座りなさいな」
 どうやら今回の協力者に依頼報酬を配ってきたらしい紫を、駅構内のコーヒースタンドで捕獲したシュラインは、予めキープしてあった席に男を座らせる。
「……何デスカ?」
「顔色、良くないわ」
 無言でマジマジと顔を覗き込まれ、紫がぎちぎちと錆びた音を立てそうな固さで首を回す。その様子を眺めながら、シュラインは的確にポツリと呟いた。
「あー…バレバレですか。それなら潰れるのを許してね」
 そのまま紫はカウンターテーブルに突っ伏してしまう。ぐったりと力の抜けきったその様子は、演技している風には見えなかった。
「さっきのアレのせい?」
「んー。あんまし人様のお役に立つような力の使い方は得意じゃなくってねぇ」
 気遣いを表す声に、くぐもった声でそう答えながら、大丈夫大丈夫、と言うように手だけひらひらと振ってみせる。
 そのまま暫しの沈黙。シュラインはセルフサービスのコーヒーを口に運びながら、店の外を行き交う人々を眺めていた。
 そしてカップの中が空になる頃、ようやく紫がもそりと動く。
「で、わざわざ待っててくれた理由は何? 心配だったからってだけじゃないでしょう」
 頬に触れるテーブルの冷たさが心地よいのか、紫は突っ伏した姿勢のまま首だけ捻ってシュラインを見上げた。
 そのだらけきった様子に、シュラインは一瞬微苦笑を浮かべた後、落ち着いた声音で語り出す。
「彼音くんのこと、あの子……少し変わった?」
 最初、あの少年の名前が出た時は、またよくないことが起こるのではないかと不安に思った。けれど、実際出会い観察した少年の態度からは、以前の彼が含んでいた何かがなくなっていた。
 少なくとも、飛鳥に対する態度や言葉に嘘やその場限りの誤魔化しがあったようには見えなかったと思う。
「ねぇ、どうかしら? 今回の件だって、いわば飛鳥ちゃんの思い込みに端を発したみたいなものでしょう?」
 恋愛とは思い込みの産物だ――という人もいる。今回の件を冷静に判断すると、飛鳥の想いは自分一人の思い込みから盛り上がったものだとも言えなくもない。
 しかし、少年はきちんと彼女の想いを受け入れていた。
 相変わらずの姿勢のまま自分を見上げている紫に問い掛ける。
「人は何がきっかけで変わるかわかんないからねぇ。僕も少なくとも彼音君自身の方には変化の兆しがあったと――そう見るよ」
 ふわわ、と気のない欠伸をしながら紫が上体を起こしながらそう応えた。
「行儀悪いわよ」
「だって眠いし」
「興信所、寄っていく? 少しくらいなら寝れるわよ」
「あ〜♪ 草間さんおちょくりに行くのは楽しいかも」
 途端にぴしっと覚醒した紫に、これならこっちは問題なさそうね、とシュラインは心配事の一つを丸めて心のゴミ箱に放り込む。
「人は変わる。変われる。だから……色々なことが見えて、楽しくもあるのよね。勿論、楽しいことばかりじゃないけれど」
「そゆこと、かな。詳しくはわかんないけどね。それと、はい。今回の報酬」
 既に草間興信所に行く気満々らしく、席から立ち上がり軽く身なりを整えている紫からシュラインの手に渡されたのは2センチ四方のガラスの板のようなもの。
 しっとりと自分の考えに浸っていたシュラインは、不意をつくように渡されたそれを手から滑り落しかけ、慌てて握りなおす。
「今回の効果は何?」
「特にはー…ってのは冗談で。ま、恋愛のお守りみたいなもの。握って祈ればきっといい事が起きるでしょう」
「何よ、そのいいことって」
「さぁ? 僕は知りません」
 ほらほら、と急かされてシュラインも立ち上がる。
 人の言うことをイマイチよく聞いていないのも相変わらずらしい。
 そうして2人は草間興信所まで帰るべく、流れる人の波に乗った。どんな大河の流れよりも複雑で、一定ではない流れに。
 それはまるで、一所に留まることを知らない人の心そのもののようだった。


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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名】
  ……性別 / 年齢 / 職業

【0086 / シュライン・エマ】
  ……女 / 26 / 翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員

【1252 / 海原・みなも】
  ……女 / 13 / 中学生

【1660 / 八雲・純華】
  ……女 / 17 / 高校生

【2827 / 蒼月・華焔】
  ……男 / 16 / 蒼月神社当主見習い


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■         ライター通信          ■
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 こんにちは。ライターの観空ハツキです。
 この度は依頼をお受け頂きありがとうございました。執筆期間を多めに頂き、少しは早く納品しようと思っていたのですが……それでもギリギリになってしまいました。大変お待たせする結果になってしまい申し訳有りませんでした。

 シュライン・エマさま。
 ご無沙汰しております。またまた(…数えかけた止めたらしい・笑)のご参加ありがとうございまいした。
 なんだか作中でやたらと紫が懐いているようで申し訳ありません(汗)ヤツはよっぽど友人が少ないんだなぁ、と思っていただければ幸いです。
 そして今回の話、何やらはるーか昔〜の出来事に端を発していたようなのですが…というか、こっそり『恋牙』の続きだったりしました。
 シュラインさんのおかげで彼音の微妙な変化を書くことが出来ました。此方の方もあわせてありがとうございました。

 今回は紫の趣味に突っ走った『恋愛談義に花を咲かせよう』がコンセプトでお送りしたつもりなのですが、いかがでしたでしょうか? 少しでもお気に召して頂ける部分があると良いのですが……
 皆さまのステキな体験談や優しいお心に触れることができ、私自身はとても楽しませて頂きました。本当にありがとうございました。

 ご意見、ご要望などございましたらクリエーターズルームやテラコンからお気軽にお送り頂けますと幸いです。
 それでは今回は本当にありがとうございました。