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<PCシチュエーションノベル(ツイン)>


スプリング・カプリース

 ──いつの事だったか、以前、叔父から自分は元々、それほどクラシックが好きだった訳では無い、という話を聞いた事があった。音楽は好きだったし、ギターの弾き語りなんかは良くやったものだけど。
『クラシックは世界が違うと思っていたし、声楽なんか、特に苦手だったね』──と。
 叔母様は声楽家なのに、と訝った彼に、叔父は笑って見せた。──目がきらきらと輝いた笑顔は、当時の彼よりも更に幼い少年のように見えた。──出合いの頃を思い出しているようだ。

『彼女に出会ってから認識が変わったんだ。彼女が本物だったからさ。……日本人にとっては、結局、外国の文化だろう? 良いな、とは思うんだ。でも、何故良いのか、その裏にある伝統やシビアさを理解しようとしない。結果、簡単に表面的な事だけを真似しただけで満足してしまうんだね。それが変に気恥ずかしいのか、態と茶化したりしてね。だけど、そうして穿った認識しか持っていなかった人間でも、本当の本物を見ると分かるんだ。……初めて彼女の歌を聴いた時、目が輝いたのが自分でも分かったよ。それからだね、クラシックや声楽にどんどん興味を持つようになったのは。──子供が出来た時に、思ったんだ。この子には、決して僕のような実業家になったり、彼女のように音楽をやれと強制はしない。ただ、何も云わずに「本当に良い物」を与えてやろう、ってね。決して贅沢で無くて良い。本当に良い音楽、本当に良い芸術、心からの愛情。……傷付いた人間をその蔭で休ませてやれるような大木になるには、偽者の光では無くて本当の太陽を目一杯浴びてすくすく育って欲しい。勿論、時には嵐に打たれ、冷気に晒される事もあるだろうが、根っこの部分さえ確りしていれば、決してそこで萎れてしまう事は無い』

「……、」
 彼の事を考えていたら、ふと思い出した言葉だった。──本物。
 叔父は、決して強制はしない、と云った。だが、今回の事を思うと彼は正しかったのだろうと思う。本当の太陽を燦々と浴びて伸びやかに育った大樹、──自分は差詰め、時に試練として吹き付ける冷気か。
「──……ふふ、」
 独りで苦笑とも付かない忍び笑いを洩してから、ある事を思い付いた。
 この際だ。彼には更なる嵐を見せてやろう。──彼が見て来た『本物』とは、また違う『本物』を。既に確りとした根を大地に張った大樹であるからには、一つ目標を達成したからと云って安住に甘んじるとは思えない。が、だからこそ、多少のカルチャーショックを与えてやるのも良かろう。
 ──今の彼ならば、冷たい冬の訪れる理由を理解出来る筈だ。

 凍てつく厳しい冬が明けるからこそ、春の喜びがあるのだ、と云う事を。

「──御注文は如何為さいますか?」
「……あ、」
 不意打ちの声に、葛木・樹(かつらぎ・しげる)は慌ててメニューに目を走らせた。
「──……あの、待ち合わせなので、注文はそれから……、……いえ、取り敢えずカプチーノ、頂けますか」
 畏まりました、とウェイトレスの声は明るく、やや脈略の無い樹への対応にも笑顔だった。
 ちら、と樹は掛け時計に視線を走らせた。──そろそろ、来る頃だと思うが。
 樹をここへ呼び出したのは相手の方だ。従兄のケーナズ・ルクセンブルク、──喫茶店ならば、従兄の悪友の構えた店はやや異色としてもお互い慣れた場所、ケーナズの妹が経営するホテルの喫茶室でも良いのに、と思う。単なる気紛れだろうか、それとも、態々樹には初めての慣れない喫茶店に呼び出したからには意味があるのだろうか。
 ……そもそも、従兄から電話で呼び出しを受けた事自体が、大分樹の緊張を煽っていた。一体、何の用だろう? と。
 喫茶店の注文如きで言葉を詰まらせてしまったのも、一つにはその所為で大分気分が散漫になっていたから、というのもある。
「いらっしゃいませ、」
 ──カプチーノが運ばれて来るよりも先に、店の入口に掛かったドアベルがからん、ときれいな音を立てた。入って来たのは、ドアの縁で頭を擦りそうな長身をスーツに包み、長い金髪を一つに束ねたドイツ人青年、──。
「従兄さん、」
 スツールから立ち上がって従兄を迎えた樹は、同時に彼が手に下げていた物から今回の「お呼出し」の理由を咄嗟に理解して安堵した。見慣れたギターケース、それは樹の持ち物で、今月の初めに何故か彼から頼まれて──どうせ受験までは、副科ピアノはともかくそう弾く時間も無いだろうと快諾して──貸していたものだった。
「──やあ、」
 従兄は樹に気付くと端正な微笑で応じた。ギターケースを持ち上げ直し、空いた方の手で軽く伊達眼鏡を押し上げて歩み寄って来る。

「態々呼び出して済まなかったな」
「良いんです」
「アルバイトは? ジャズ喫茶の」
「お休みです、受験前から、今月一杯はお休みを貰っていたので」
「そうか」
 雑談を交わしながらケーナズが席に落ち着いた所で、先程のウェイトレスがメニューと灰皿を持って来た。ケーナズはそれらを軽く一瞥しただけで、ウェイトレスには甘い笑顔を向けて灰皿を片手で退けた。
「──結構。珈琲を頂こう」
「あ、僕のもそれと一緒に持って来て貰えば良いです」
「はぁい、畏まりましたー」
 一通り、注文を終えた所でケーナズは改めてギターケースを樹へと受け渡した。
「長い間、済まなかったな、有り難う。──お陰で助かった」
 いいえ、お役に立ったら、とケースを自分の脇へ寄せて置きながら、ふと樹は首を傾いだ。
「──役に?」
「……、」
 珍しく──ケーナズは伊達眼鏡の奥の青い瞳をぴくり、と固まらせた。無言である。──約5秒後。
「ああ、……まあな、」
「……そうですか」
 そう云えば何に使ったんだろう? という樹の疑問は彼の表情に克明に現れていた筈だ。が、詮索は好きでは無いし従兄にした所であれこれと訊ねられるのは好まないと分かっている。軽く頷いて、それ以上は追求しない事にした。
「……それと、これもだ」
 ケーナズは続けて、小振りの紙袋を樹の前へ置いた。開いた口から中身が僅かに見えている。ギターのコードブックだ。これも、ギターと一緒に貸し出していたものである。
 家庭環境が家庭環境だから、最低限の音楽教養を従兄が身に付けていることは知っていた。だが然し何故今の時期にギター、それもご丁寧にコードブックまで、と──一度は忘れ掛けた疑問が、どうしても好奇心を伴って沸き上がって来る。それを顔に出さないよう、敢えてその場で紙袋を覗き込んでいた樹はもう一つの中身を発見した。
「あれ」
 手を差し入れ、それを──新品の弦のセットだ──を引っ張り出す。同時に珈琲とカプチーノが運ばれて来た。カップを持ち上げながら、ケーナズはああ、と声を上げた。
「スペアだ。どうも、弦に負担を掛けたような気がしたからな。張り替えて返そうかと思ったが、下手に慣れない人間が扱うよりは返した後で張り替えて貰おう、とな。中に入っていたケースと同じ物を買ったつもりなんだが、合っていたかな」
「大丈夫です、いつも張ってる弦ですよ。……でも、良かったのに。どうせ、切れなくても定期的に張り替えるものなんですから」
 払いますよ、と樹は律義に申し出た。が、ケーナズが受け取る筈も無い。──特に、今、あまりギターの話題に触れて欲しくは無い彼は、出来ればさっさとその話を切り上げたいに違い無かった。
「いいさ。──所で、樹」
 不意に態度を変え、真面目な声──この従兄から発せられると時には厳格な響きさえ伴う──で名前を呼ばれた樹は俄に緊張を振り返して背筋を伸ばした。
「はい、」
 本題だろう、従兄が自分をわざわざ慣れない喫茶店へ呼び出した理由、──と、不意にケーナズは穏やかな程の微笑を浮かべた。
「おめでとう、──良くやった」
「……従兄さん、」
 最初は、何を云われているのか分からずに樹は呆然とした。──一瞬を置いてから、第一志望の音大に合格した事だと気付いたが、それは更に、樹には信じ難い台詞だった。
 まさか、一度は失望したと云わしめ、取り付く島も無く突き放されたこの厳しい従兄弟が労ってくれるとは予想だにしなかった。
「……有り難うございます、……あの、本当に、従兄さんや従姉さんや、両親、他の皆のお陰だと……、」
「だが、これで安心だと力を抜くなよ。大変なのは寧ろ入ってから後だ。音大の忙しさなんて、受験の比じゃ無いぞ。──大変だと思わなかったら、それは自分が本気で勉強していない証拠だ」
 ──矢張り、従兄は甘く無かった……。
「そういう所だ、大学は。遊ぶも自由、本気で勉強しに行くも自由、」
「──はい」
 身の伴わない口先だけの約束など、通じる相手では無い。勿論そのつもりです、──と云い訳はせず、樹はただ神妙に頷くだけに留めた。認めて欲しければ、口にせずとも、彼の目の無い場所でも必死の努力をしなければ通じない。
「──入学式は、もう1日だろう?」
「はい」
 やや目に輝きを取り戻し、樹は頷いた。既に合格通知と一緒に入学式やガイダンスの案内が届いていたが、4月1日以降は入学式の後も履修登録や色々な手続きで息を付く間も無い。それはわくわくするように楽しみなスケジュールだった。入学式自体も楽しみだ。聞いた話では、通常テープで済ませてしまうような校歌斉唱やBGMにも、在学生で構成されたオーケストラの演奏があるらしい。
「直ぐに忙しくなるな。受験が終わったと云って、のんびり休む暇も無い」
「でも、倖せな忙しさです」
「福島にはお前も行くのだろう?」
「はい」
 福島にあるスパリゾートの事だ。従姉、──ケーナズの妹の提案で、春休みには関係者を始め友人や従姉の婚約者も伴った一段でリゾート気分を満喫しようと、ハワイアンテイストのリゾート地へ遊びに行く事になっていた。やっと肩の荷、大学受験が「サクラサク」に終わった樹も、勿論同行する。
「まあ、春休みはそれで息抜きするとして、──」
 そう云いながらケーナズはスーツの内側に手を差し入れた。その手を樹の前へ突き出した時には、一通の白い封筒が指先に収まっている。──表に印刷されたロゴは、見覚えのある航空会社のものだ。
「?」
「私からの合格祝いだ」
「──僕に?」
「ああ」
 樹は俄に現実感を失い、ふらふらとした手付きで封筒を取り上げて開けた。それをにやにやと見守るケーナズの表情は、樹には到底気付く余裕も無かったが暖かい優しさが見え隠れした。
 中身を確認した樹は更に目眩さえ覚える事になる。──正規の往復チケット、日本─ニューヨーク間の。
「……従兄さん、……これ、」

 何に動揺しているのか自分でも分からなかった。──ケーナズが、この厳しい従兄が自分に合格祝いなどを用意してくれていた事にか、或いはその合格祝いが、ニューヨークまでの正規往復チケットなどという豪勢なものであった事に証明された従兄の崩壊した金銭感覚にか。

「──おっと、資金までは援助しないぞ。私の合格祝いはそこまでだ。旅行資金は自分で貯める事だ」
 倖い、樹はアルバイト先にも恵まれている。結局、音大入学後も近場という事でそのまま住む事になった文京区のアパートの側のジャズ喫茶、その他にも今後は従姉の経営するホテルのミニコンサートを手伝ったり、その関係の音楽事務所での仕事も今までより多く関われる筈だ。演奏者としての知識は持たない従姉をサポートしたり、一般常識の飛んだ「芸術は爆発」系の映像作家に振り回されてのアルバイトは決して楽では無いだろうが、その分、実のある勉強にもなる筈だ。そうした中で自力で小遣いを貯めて、現在の音楽の大元の発信地、音楽の本場ニューヨークへ行く。自分で稼いだ資金でならば、ブロードウェイのミュージカルややラスベガスのショーなど、何を観ても樹の自由だ。
 父親が資産家、母親が世界的な声楽家の家庭に生まれ育った樹は金銭的な不自由を感じた事も無いし、外国旅行にも何度も連れられている。だが、親元を離れて予備校通いしたこの一年間、学費と生活費以外の資金援助は一切受けずにアルバイトで賄う経験をした樹には、それだけでもどれほどの苦労が発生する事か良く分かっただろう。──自分で、自分の為の責任(それは結局経済力に尽きる)を取る事の重要さも踏まえて。
 ──甘い言葉を掛ける気は無いが、然し本心では樹は良く頑張ったと思う。ここで、自分への褒美でもやればどうだという提案が、その往復チケットに込めたケーナズからの祝福の心だった。
 ニューヨークを選んだ理由は、樹の望むだろう場所を彼なりに推し量ってみたつもりだったが。
 音楽の本場というだけならばドイツは流石に意味が無くなるにしても、ウィーンやフランス、イギリスでも良かったのだが、恐らくそれは今の樹のチョイスからは外れるだろう。
 樹は一応クラシックを専攻しているが、この世界独特の保守的な感覚は嫌っている。──クラシックに固執しなければ、新しい事を積極的に取り入れれば、もっと音楽は自由な物になる筈なのに。
 アメリカ音楽は、「知識が無くとも楽しめる音楽」と云われる。下手にその長所だけに依存した手抜きのコピーが横行した結果だが、クラシックと比較して軽んじられる事も多い。
 然し、本場は違う。ニューヨークのショウビズは、その徹底さが全てに置いて超越している。
 リズムが違う。質が違う。真剣さが違う。──実際に目の当たりにした時の感動も、カルチャーショックも違う。
 樹の専攻とは違っても、「本物」を観る事は彼の中で何かを決定的に変えるだろうし、樹本人の一番望む所だろう。
 
「……有り難うございます」
 
 ──やっとの事で礼の言葉を述べた樹の鼓動は速かった。
「ああ」
 分かってはいたが、それを見守るケーナズの目にも自然と暖かい色が差した。
 次に顔を上げた時には、樹の表情はきらきらと──希望と、喜びと、従兄への感謝の情で──明るく輝いていた。
「本当に嬉しい、有り難うございます! ……僕、頑張りますね、楽しみだ、……今から楽しみです、従兄さん、本当に今まで……それからこのお祝いの事も……あの時、厳しい言葉で僕に、自分で自分の将来を決定する機会を与えてくれた事も、──有り難うございます」
 感謝、──本当に、従兄には感謝の言葉しか無い。一度では云い足りない程、彼が今まで樹にしてきてくれた事には、感謝するしか無い。
「ああ。──だからと云って、アルバイトにかまけて本業を疎かにするんじゃないぞ。お前の仕事は、あくまで音大での勉強なのだからな」
「はい!」

 ──最近、独りで帰宅する事が多い。
 微妙な雰囲気になりつつあった恋人との仲が悪い訳では無い。不意打ちのバカンスとホワイトデーの「プレゼント」で、彼女の自分の浮気へ対する疑いも挽回出来たと思う。何しろ、ただの浮気相手ならば絶対に首を縦には振れないような物を贈ったのだから。
 結局、色々と身の回りの事で忙しいだけだと思う。
 然し中々楽しい忙しさだ。明日にはあの小生意気な不良学生を日本から叩き出して──大分、シビアな話をしなければならないだろうから実際には本当に楽しめる訳でも無いのだが──実家へ一泊、翌日には東京へ蜻蛉返りしてその後は福島のスパリゾートへ。
 ──あの不良、随分と良いセンスをした捏造写真を作ったものだと笑っていたが、スパリゾートでは結局、捏造通りの装いをするかも知れない自分も自分か、と苦笑して悪友からの贈り物を眺めている内に、先程喫茶店を出て直ぐに別れたばかりの樹から電話があった。

『従兄さん、──僕です、樹ですけど』

「ああ」
 その時、ケーナズは極気軽な気分でそう相槌を打った。──何か、云い忘れた事でもあったか、他愛無い雑用の連絡だろうとでも思っていた。
 然し、無邪気な従弟が明るい声のまま告げた次の事実は、変化球としてケーナズに明らかな動揺を与えた。
『さっき返して貰ったギターなんですけど、ケースにCDが入ってたんですよ。……僕のものじゃ無いので、従兄さんかと思ったんですけど……』
「CD? 何のだ?」
『エルトン・ジョンです、「Your Song」』
「……、」
 目眩を覚えた。
 ──迂闊だった。……いや、然しああ大人振った後で事実を告白するのは何ともばつが悪い。
 いつに無く、ケーナズは何とか誤摩化そうとあれこれ言葉を選んでいる内に長い沈黙を作ってしまった。
『……従兄さん? ……違いました?』
「──それは、お前にやろうと思ったのさ」
『え?』
 ──Jawohl!
 ケーナズはそのまま、樹がきょとんとした声の内に一気に言葉を並べ立てた。如何にも、という風に余裕のある飄然とした調子で。
「クラシック一辺倒は厭なのだろう? ──だから、そうしたイージーリスニングも良いかと思ってな」
 ぬけぬけと嘯くケーナズの口から出まかせにも、無邪気な樹は素直に明るい声で礼を述べる。
『そうだったんですか!? うわぁ、有り難うございます。すみません、そうとは気付かなくて無粋な電話をしてしまって、』
「何、良いさ」
 無邪気さもここまで来れば騙しても気分が良い。──何、ここまで真直ぐで大らかな大樹に育ったんだ。多少の嘘で、それも悪意の無い言葉で今更悪い養分を吸いはしまい。
『じゃあ、──有り難うございました』
 ああ、──と、回線を切る直前、ケーナズは気紛れを起こした。ふと、思い立った事を素直にその場で告げたのである。
「……機会があれば、叔母様に弾き語りをしてやると良いぞ」
『?』
「きっと、喜んで下さるさ」