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恋になりたい
好きだと思う気持ちを持ったのは、多分そうとう昔。
きっと自分の名前すらちゃんと書けなかったような幼い頃……人の輪から少し離れたところで、絵を描いている男の子が好きだった。
でも覚えているのはそれだけで、今となってはその男の名前すらすぐには出てこない。
そんな淡い淡い想い出だ。
それ以降の恋心の記憶を探るように香坂丹(こうさか・まこと)は一生懸命思い出そうとしていたのだが……どうしても思い出せない。
つまり、それくらい長い間、色恋事とは縁遠い生活を送ってきたということだろう。
まだまだ20歳、されどもう20歳。
焦る気持ちが全くないといったら嘘になるが、だからといってものすごく焦っているということもなく日々は流れていっていた。
「丹はねぇ、もとは良いんだからもっとこう自分に磨きかければいいのにぃ。だから、いまだに高校生と間違えられるのよ」
つんつんと指で頬をつつかれて、丹はむぅっと頬を膨らます。
リップグロス程度で化粧っけがない上に童顔のせいか成人式も済ませたというのにいつまでたっても高校生と間違われるのはどうかと大学の友人は少しからかう様にそう言った。
そんなとき、丹はいつも、
「老けて見られるより、若く見られるほうが良いじゃない」
と返していたのだが、その日の返答は違った。
「やっぱり……やっぱり子供っぽい? ねぇ、私ってやっぱり子供っぽい!?」
食ってかかって来た丹にそこにいた友人たちは大きく身を引いた。
「……ま、丹?」
いつにない様子に戸惑いを隠せない。
学食は混雑していて、そんな丹の様子は否応無しに人目を引いている。だが、丹のほうは一向にそんな視線に気付かないようだ。
「丹、落ち着いて……ほら、お水飲んで、ゆっくり深呼吸して」
そう言って賢明に丹を落ち着かせる。
そんな風に、友人たちが狼狽している間、丹の視線はただ1点に集中していた。
そう、友人の耳元に光るピアスに―――
■■■■■
ピアスは十数年ぶりに、丹に恋になるのではないかという予感を抱かせている憧れのあの人を思い出させる。
あの人はとてもたくさんのピアスをつけている。
少なくとも片手では足りないくらい。
「つけてるサングラスもね、この前こっそり調べたら有名メーカーのものだったの」
そう、いつだったか見せてもらったサングラスと同じモノを雑誌などで必死になって探したら、海外の有名な俳優が御用達のブランドのものだった。
それも、知る人ぞ知るといったブランドらしい。
友人たちに『憧れている人がいる』と漏らしたばかりに、丹はものすごい尋問に合い、こうして彼についての話をさせられていた。
この年頃の女のこといえば、盛り上がる話といえば、新しくておしゃれなお店や美味しいデザートを出すお店……そして身近な人の恋愛の話と相場は決まっている。
そう、彼について、漏らした時点、丹はその尋問を甘んじて受ける覚悟をしていた。
覚悟をしていた……と言うか、自分の今の気持ちがまだ微妙に不安で、聞いて欲しいというのもまた本音だったのだが。
丹自身、あの人が自分よりも年上で、とても大人で……あの人と自分が並んだ時に人の目にどう映っているのかそれくらい容易に想像がつく。
大人と子供。
釣り合いが取れていない……それが、今の丹にはとてもコンプレックスとしてのしかかっていた。
だから、今の丹は
「丹もピアスあけちゃえば?」
「ピアス?」
ピアスを開けるとと運命が変わるっていうよね―――と、友人は続けた。
運命を変える―――それは丹の耳にとても甘美な響きをともなって届く。
とても大人で自分など相手にしてもらえないかもしれない。
でも、近づきたい。
そんなジレンマに囚われていた最近の丹には、現状を打破するきっかけになるような気がした。
猪突猛進、思い込んだら一直線の丹は、慣れない恋愛に踏み出すのにきっかけを探していたのかもしれない。だからこそ、友人たちに打ち明けたのだろう。
ピアスホールをあけて、運命を変えてみよう。
運命は変わらないかもしれないけれど、ずっとただ憧れているだけで足を踏み出せずに居続ける自分を動かす勇気を持つために。
ただ指を銜えて眺めているだけなんて、丹の性には合わない。
「黙って見てるだけなんて、私らしくないよね?」
そう言った丹を見て、友人たちは大きく頷いた。
■■■■■
翌日、丹は真新しいピアスを耳に光らせて、あの人のもとへ向かった。
扉の前で立ち止まり大きく息を吸う。
ドアを開く前に丹は左手で耳に触れて……取っ手に手をかけてゆっくりとドアを開く。
「こんにちわぁ」
丹は彼女らしく明るい声を店に響かせた。
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